このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

side story

【サバラン】



ホクサイときゅるちゅがマスターの執務室を訪れると、彼女は机に縫い付けられたように黙々と事務作業をこなしていた。
「マスターちゃんは今日も可愛いね〜」
「当然」
「わあ〜、予想以上にドライな反応」
「馬鹿だなぁ、ホクサイは! おねーちゃんは可愛いのがデフォルトなんだから、そんなの言われ慣れてるに決まってるよ」
二人の貴銃士が帝都にある基地の視察から帰還したと気付いた彼女は、「おかえり」と思い出したように声を掛けた。
「随分と早いのね」
「だって早くキミに会いたくて!」
「そう…。ホクサイがマスター離れできなくて、マスターちゃん心配」
「難攻不落だね〜」
好意をひょいひょいと素っ気ない態度でかわされても、ホクサイは機嫌良さそうに微笑んでいる。きゅるちゅは、彼の腰の辺りに犬のような尻尾が生えている事に気がついた。くるんと上向きに曲がった尻尾を、これでもかと嬉しそうに振っている。マスターの顔を見ただけでこんなに喜べるなんて、おめでたい奴。
それに比べて、マスターはとっても素直じゃない。
表向きはクールを装っている彼女だが、「可愛い」「早く会いたくて」という発言にときめきを感じているのが分かる。なぜって、ホクサイがその言葉を発した時、彼女の体からふわんとハートが飛ぶからだ。
淡いピンク色をした、綿飴みたいにフワフワなハート。それが二つ、執務室にふよふよと漂っている。きゅるちゅがふーっと息を吹くと、ハートはシャボン玉のようにぱちんと消えて無くなった。所詮はこの程度のときめきだ。
「そんな口説き文句じゃ、この私は靡きません」
「ふぅん。そっかぁ」
それなら仕方ないね、とタダで引き下がるホクサイではない。今日は最終兵器を持ってきている。彼がきゅるちゅに目配せすると、その合図で、きゅるちゅは背中に隠していた白い箱を彼女に見せた。
「おねーちゃん。これならど〜お? 」
蓋を開けて、箱の中身をよく見せる。
彼女は訝しげに覗き込んだが、中身を確認すると直ぐにはっと息を呑み、きらきらとその瞳を輝かせた。
「サバランだわ…!」喜びのあまり椅子から立ち上がり、彼女は声を弾ませる。
サバラン。それは、甘い物が大好きな彼女も、今までに食べる機会が無かった憧れのフランス菓子。子供の頃、ラム酒が入っているからと、食べさせてもらえなかったのだ。
「帝都のケーキ屋さんに売ってたのを、ぼくが見つけたの! おねーちゃん、食べたいって言ってたでしょ?」
「きゅるちゅクンに箱持たされて、挙げ句『落としたら殺す』って脅されてさ〜。持ち帰るの大変だったんだよ〜」
「ぼくがそんな事言うわけないじゃん」何言っちゃってくれてんの、ときゅるちゅはホクサイを睨みつける。ほんと、口軽いんだから。
「ずっと食べてみたかったの」立ち上がったまま、彼女は満面の笑みを浮かべる。「嬉しい…!」
その体から、沢山の赤いハートが飛んでいた。飛んだハートはホクサイときゅるちゅに当たって弾け、ころんころんと床に転がる。今度のハートは頑丈で、宝石のような硬度があった。別に当たっても痛くはないが、なんだかちょっとむず痒い。これが照れ臭いってやつかな、ときゅるちゅは首を捻った。
「あら。三つも買ってきたの?」きゅるちゅから箱を受け取った彼女は、サバランの個数にくすりと微笑む。「分かった、貴方達の分ね。一緒に食べる?」
「それはね〜、マスターの今日のおやつと、明日のおやつと、明後日のおやつだよ」
「ぜ〜んぶ、おねーちゃんにあげる!」
「本当…!?」
彼女はキラキラと喜びに湧いた目で、二人の貴銃士に熱い視線を送る。さらにハートが飛び出して、ホクサイときゅるちゅにぽこぽこと命中する。
彼女から発せられる無数のハートを浴びながら、ホクサイは得意げに笑った。その体から、ぽんっと黄色い花が咲く。彼女のときめき現象と同じで、彼が笑うと黄色い花が咲き乱れる。ポップコーンが弾けるみたいだ。
きゅるちゅが足元を見下ろすと、赤いハート型の宝石と、黄色い小さな花が、執務室の床を飾っていた。
「きゅるちゅ?」黙ったまま床を見つめていたが、彼女に呼ばれて顔を上げる。「下ばっかり見て、どうしたの?」
彼女の綿飴みたいなハートも、宝石も、ホクサイの尻尾も、黄色い花も、ぼくだけに見えるものらしい。
「んーん! なんでもな〜い」
こんな可愛いものが見えるのって、きっとぼくがそれだけ可愛いからだよねぇ、と自負している。
「本当に嬉しい! 二人とも、どうもありがとう」



「報告書の提出は後でよろしい」とマスターからのお許しを貰い、二人の貴銃士は執務室を後にする。サバランという魅惑的なお土産は、報告書の提出期限を延期させるという、思わぬ副産物を彼らにもたらしてくれた。ラッキーだったが、もちろん、彼女が喜んでくれたことが一番の報酬だ。
「菓子一つで、あんなに喜んじゃってさぁ」ホクサイは、その幼さの残る容貌に笑みを浮かべたまま、どこか仄暗い響きでぽつりと漏らす。
「ほ〜んと、可愛いよねぇ…」
耳に残るその言い方が意味深で、きゅるちゅはきゃっと黄色い声を上げた。
「もうっ、ホクサイったら! 何企んでるの〜?」
言葉通りに受け取ってはいけない。「可愛い」という表現には、様々な意図や欲望が込められるものだ。なんて難解で、奥深い概念だろう。
「ぼく、ホクサイのそういうとこ嫌いじゃないよ」
にんまりと笑って応えるきゅるちゅに、「そうかい?」とホクサイが微笑む。
「ねえ、ぼくたち協力しない? ぼくとおまえで組んで、おねーちゃんをぼくたちだけのものにするの」
誰にも触れさせず、干渉させず、自分たちだけのために存在してくれる、ぼくらのマスター。
この狡猾な科学者とタッグを組めば、そんな彼女を作り上げることが可能なような気がした。
「いいね〜それ。効率的だし」
思った通り、ホクサイも乗り気である。
「でしょう?」
(まあ、最終的にきみを出し抜いて、マスターちゃんはぼくだけのものになるんだけどね)
二人は胸中で同じ事を呟き、相手の利用価値を推し量りながら、互いにその想いを隠してうふふと笑い合った。


「私、あの子たちに食いしん坊と思われたかしら…」
執務室で二つ目のサバランを食しながら、ぼんやりと彼女は呟く。
クリームとあんずジャムの甘さの中で、きりりと大人のビターを効かせるラム酒漬けのブリオッシュ。
それはまるで、甘い言葉や表情で好意を示しつつ、その裏で嫉妬や執着を持て余す二人の貴銃士の味わいであることを、今の彼女は知る由もない。





19/47ページ