side story
【翁の花】
「ワイの翁、実はメスやってん」
任務の帰り。兵士の運転する車内の後部座席で、ゴーストは窓の外を眺めながらぽつりとそう呟いた。
「翁なのに?」
彼の隣に座っている彼女が尋ねると、ゴーストは能面のまま頷いた。
ツッコミどころは満載なのだが、まずはそこから攻める事にする。実は彼女は、ゴーストの言う翁とやらが何のことだかさっぱりだった。
「マジでか」
ゴーストとは反対側、彼女の隣に座っていたベルガーが驚いた様子で目を見開く。彼は翁とやらが何か知っているらしい。これはまずい、と彼女は表情を曇らせる。あってはならないことだ。私の知識量が、ベルガーに劣っているなんて。
「何で分かったん」ゴーストの口調が移ったのか、ベルガーが関西弁の発音で問い質した。
「今日の朝見たら、翁の奴、頭に花つけてお洒落しとったわ」
「ウソやん」ベルガーの発音は引き続き関西風である。「花でおめかしとか。まじウケるわ」
「花やで、ベルガー君。頭に花。これはもう、女の子で間違いないねんな。せやろ? マスター」
「えっ」
急に話題を振られて、彼女は珍しく狼狽える。翁の頭に花がついて女の子? 一体何の話だ。しかし、ベルガーが翁を知っているという事がどうにも引っ掛かる。ベルガーが知っていてこの私が知らないなんて、とんだ恥だ。絶対に知られてはならない。気づかれてはなるまい。
「そうね」彼女は前を向いたまま、澄ました表情でしれっと答えた。「頭に花だものね。女の子で間違いないわ」
「マスターちゃ〜ん。翁が何のことか分かって言ってんの〜?」
隣でベルガーがにやにやと意地悪く笑っている。
彼女のヒールが彼の片足を思いっきり踏んづけて、無言のうちに黙らせた。
翁とは、ゴーストが自室で育てているサボテンの名前だ。
植物に興味を持ったゴーストのために、「サボテンなら育てやすいだろう」とアインスが買ってきてくれたのだ。敬愛する兄さんからの贈り物ということもあり、この3年間大切に育て上げてきた。
今朝起きると、翁はてっぺんに濃いピンク色の小さな花を乗せていた。
あまりの可憐さに目を奪われ、水を汲んだコップを思わず滑り落とした。
床に溢れた水が素足を濡らしたが、そんな事は気にも留めずに、ただただその姿に打ち震えた。
「おまっ……可愛すぎかっ!!」
気づいたらそう叫んで、翁のいる窓辺にズダダと駆け寄っては、その麗しい姿を眺めた。
「翁、おまえ……急にどないしたん? 頭に花なんか付けて……めっちゃ似合っとるけど。せやで、めっちゃ似合っとる! かいらしなぁ〜!!」
ゴーストは、こうして翁に話しかける事を日課としている。任務で失敗したこと、ベルガーにアイスを食べられたこと、ハロウィンのパンプキンプディングが美味しかったこと。ゴーストの悲しみも喜びも、翁は何も言わずに受け入れてくれる。共有してくれる。少ない水でも逞しく育ち、ゴーストが長期の任務から戻っても、枯れずに彼を待っていてくれる。
翁は、まさに砂漠のオアシスのような存在だった。
「ホクサイく〜ん、見てみ〜。ワイの翁が花付けとんねん」
廊下の真ん中に鉢を置き、床に這いつくばって肘をつき、翁の花をつんつんと指で突きながらウフフとゴーストは微笑む。
「うわあ、本当だ〜!」
通りすがりのホクサイは、ゴーストの隣に同じく腹這いになり、目をきらきらさせて翁の花を無邪気に見つめる。新しいオモチャを与えられた子供のような目だった。
翁が花を付けている姿があまりにも可愛くて、誰かに自慢したくてしょうがないゴーストは、数十分間廊下の真ん中に腹這いになって待機していた。そうして、一番初めに自分の存在に気づいてくれたのが、この貴銃士だ。
運が良いのやら、悪いのやら。
「ピンクの花やで。かいらしいやろ〜」
「ウン! か〜わ〜い〜い〜」
うふふ、あはは、とお花畑で追いかけっこをする恋人のように微笑み合う彼ら。
「ところで、翁クンはどうやって花を咲かせたんだい?」
「何やて?」ホクサイの唐突な質問に、ゴーストは真顔になる。今、とんでもない事を聞いた。
「サボテンって、花咲かすんか?」
「あれ、知らないの? ごく稀に花を咲かせる品種があるんだよ。翁クンは、確か『白翁玉』っていうやつでしょ?」
「せやで。だから『翁』や」
「なるほどね〜。それで、白翁玉って、3年くらい株を育てて、色々条件が揃うと、こうやって赤に近いピンク色の花を咲かせるんだよ〜。きっと、今まで大切に育ててくれたゴーストクンに、綺麗な姿を見せたかったんじゃないかな?」
「っちゆう事は、翁はその、ワイのために花を……?」
「そうだったらいいなぁって。全部ボクちゃんの想像だけどね〜」
この科学者は、珍しくゴーストの気持ちに寄り添ってものを言っている。ゴーストはホクサイの親切に嬉しくなり、らしくもなく目を潤ませた。
「ホクサイくん…、天才やな」
「まあね」ホクサイは得意げに微笑む。
「ところで、そのサボテンクン、ボクちゃんに譲ってくれないかな〜。サボテンの花を青く染める機会なんてなかなか無いからさ〜」
「それが狙いかっ!!」
ゴーストは、右隣で腹這いになったホクサイを、右肩のトゲトゲでグッサリと攻撃した。
「あいったあああああ!!」頰にトゲが直撃したホクサイは、痛みで床を悶え転がる。
「どうりで気持ち悪いくらいノリが良いと思ったわ」
ゴーストは立ち上がり、サボテンの鉢を両手で抱えて、ホクサイを冷たく見下ろした。
「翁はワイのサボテンや。誰にもやらん」
そういう事はマスターに言えばいいのに、と余計なお世話を焼きながら、ホクサイは仰向けに寝転がる。
廊下の冷たい床を背中に感じながら、天井を見上げては渇いた声で笑った。
「あはは。愛し合ってるねぇ〜」
その後、翁の花はすぐに枯れてしまったが、ゴーストは以前よりも一層深く、そのサボテンに愛情を注いでいる。
「ワイの翁、実はメスやってん」
任務の帰り。兵士の運転する車内の後部座席で、ゴーストは窓の外を眺めながらぽつりとそう呟いた。
「翁なのに?」
彼の隣に座っている彼女が尋ねると、ゴーストは能面のまま頷いた。
ツッコミどころは満載なのだが、まずはそこから攻める事にする。実は彼女は、ゴーストの言う翁とやらが何のことだかさっぱりだった。
「マジでか」
ゴーストとは反対側、彼女の隣に座っていたベルガーが驚いた様子で目を見開く。彼は翁とやらが何か知っているらしい。これはまずい、と彼女は表情を曇らせる。あってはならないことだ。私の知識量が、ベルガーに劣っているなんて。
「何で分かったん」ゴーストの口調が移ったのか、ベルガーが関西弁の発音で問い質した。
「今日の朝見たら、翁の奴、頭に花つけてお洒落しとったわ」
「ウソやん」ベルガーの発音は引き続き関西風である。「花でおめかしとか。まじウケるわ」
「花やで、ベルガー君。頭に花。これはもう、女の子で間違いないねんな。せやろ? マスター」
「えっ」
急に話題を振られて、彼女は珍しく狼狽える。翁の頭に花がついて女の子? 一体何の話だ。しかし、ベルガーが翁を知っているという事がどうにも引っ掛かる。ベルガーが知っていてこの私が知らないなんて、とんだ恥だ。絶対に知られてはならない。気づかれてはなるまい。
「そうね」彼女は前を向いたまま、澄ました表情でしれっと答えた。「頭に花だものね。女の子で間違いないわ」
「マスターちゃ〜ん。翁が何のことか分かって言ってんの〜?」
隣でベルガーがにやにやと意地悪く笑っている。
彼女のヒールが彼の片足を思いっきり踏んづけて、無言のうちに黙らせた。
翁とは、ゴーストが自室で育てているサボテンの名前だ。
植物に興味を持ったゴーストのために、「サボテンなら育てやすいだろう」とアインスが買ってきてくれたのだ。敬愛する兄さんからの贈り物ということもあり、この3年間大切に育て上げてきた。
今朝起きると、翁はてっぺんに濃いピンク色の小さな花を乗せていた。
あまりの可憐さに目を奪われ、水を汲んだコップを思わず滑り落とした。
床に溢れた水が素足を濡らしたが、そんな事は気にも留めずに、ただただその姿に打ち震えた。
「おまっ……可愛すぎかっ!!」
気づいたらそう叫んで、翁のいる窓辺にズダダと駆け寄っては、その麗しい姿を眺めた。
「翁、おまえ……急にどないしたん? 頭に花なんか付けて……めっちゃ似合っとるけど。せやで、めっちゃ似合っとる! かいらしなぁ〜!!」
ゴーストは、こうして翁に話しかける事を日課としている。任務で失敗したこと、ベルガーにアイスを食べられたこと、ハロウィンのパンプキンプディングが美味しかったこと。ゴーストの悲しみも喜びも、翁は何も言わずに受け入れてくれる。共有してくれる。少ない水でも逞しく育ち、ゴーストが長期の任務から戻っても、枯れずに彼を待っていてくれる。
翁は、まさに砂漠のオアシスのような存在だった。
「ホクサイく〜ん、見てみ〜。ワイの翁が花付けとんねん」
廊下の真ん中に鉢を置き、床に這いつくばって肘をつき、翁の花をつんつんと指で突きながらウフフとゴーストは微笑む。
「うわあ、本当だ〜!」
通りすがりのホクサイは、ゴーストの隣に同じく腹這いになり、目をきらきらさせて翁の花を無邪気に見つめる。新しいオモチャを与えられた子供のような目だった。
翁が花を付けている姿があまりにも可愛くて、誰かに自慢したくてしょうがないゴーストは、数十分間廊下の真ん中に腹這いになって待機していた。そうして、一番初めに自分の存在に気づいてくれたのが、この貴銃士だ。
運が良いのやら、悪いのやら。
「ピンクの花やで。かいらしいやろ〜」
「ウン! か〜わ〜い〜い〜」
うふふ、あはは、とお花畑で追いかけっこをする恋人のように微笑み合う彼ら。
「ところで、翁クンはどうやって花を咲かせたんだい?」
「何やて?」ホクサイの唐突な質問に、ゴーストは真顔になる。今、とんでもない事を聞いた。
「サボテンって、花咲かすんか?」
「あれ、知らないの? ごく稀に花を咲かせる品種があるんだよ。翁クンは、確か『白翁玉』っていうやつでしょ?」
「せやで。だから『翁』や」
「なるほどね〜。それで、白翁玉って、3年くらい株を育てて、色々条件が揃うと、こうやって赤に近いピンク色の花を咲かせるんだよ〜。きっと、今まで大切に育ててくれたゴーストクンに、綺麗な姿を見せたかったんじゃないかな?」
「っちゆう事は、翁はその、ワイのために花を……?」
「そうだったらいいなぁって。全部ボクちゃんの想像だけどね〜」
この科学者は、珍しくゴーストの気持ちに寄り添ってものを言っている。ゴーストはホクサイの親切に嬉しくなり、らしくもなく目を潤ませた。
「ホクサイくん…、天才やな」
「まあね」ホクサイは得意げに微笑む。
「ところで、そのサボテンクン、ボクちゃんに譲ってくれないかな〜。サボテンの花を青く染める機会なんてなかなか無いからさ〜」
「それが狙いかっ!!」
ゴーストは、右隣で腹這いになったホクサイを、右肩のトゲトゲでグッサリと攻撃した。
「あいったあああああ!!」頰にトゲが直撃したホクサイは、痛みで床を悶え転がる。
「どうりで気持ち悪いくらいノリが良いと思ったわ」
ゴーストは立ち上がり、サボテンの鉢を両手で抱えて、ホクサイを冷たく見下ろした。
「翁はワイのサボテンや。誰にもやらん」
そういう事はマスターに言えばいいのに、と余計なお世話を焼きながら、ホクサイは仰向けに寝転がる。
廊下の冷たい床を背中に感じながら、天井を見上げては渇いた声で笑った。
「あはは。愛し合ってるねぇ〜」
その後、翁の花はすぐに枯れてしまったが、ゴーストは以前よりも一層深く、そのサボテンに愛情を注いでいる。