side story
【塹壕より愛をこめて】
「貴方が静かだと気味が悪いわね」
後ろから声を掛けられて、ベルガーはぴゃっと変な声を上げて驚いた。敵が残していった粗末な塹壕で、彼は身を潜めるようにしゃがみ込み、熱心に冊子を広げていた。何を読んでいるの、と彼女はそれを覗き込む。
「まあ」彼女は中身を見て目を丸くする。「結構な写真集だこと」
ベルガーはどっと冷や汗をかく。この場合、写真集とは随分とお上品な言い方だ。
彼が広げたそれには、裸の女性が大胆なポーズを決め堂々と写真に写っている。所謂ポルノ雑誌というもので、木箱の中に隠してあるのを彼が偶然見つけたのだ。つまり敵兵の置き土産。決して彼の私物ではない。
ということをベルガーは説明したいのだが、動揺し過ぎて言葉が浮かんでこない。そんな彼の様子を観察して、ふふっと彼女は可笑しそうに微笑んだ。
「貴方もそういう物に興味があるのね」
「いや…、違っ」
「恥ずかしがらなくてもいいのよ。銃とはいえ、人型だものね。ちゃんと男の子なのだわ」
「男の子」なんて言われてしまった。完全に子供扱いされている。腹が立ったが、言い返す言葉が見つからない。完敗だ、と彼は溜息を吐いた。
「何がそんなに面白いの?」彼女が隣でしゃがみ込み、一緒になって雑誌を眺める。おいおい、勘弁してくれよ。一体何の尋問だよ。
「面白いっつーか、安心すんだよ」
「安心する?」
「こういう女は、嘘がねぇじゃん。服も脱いでさ、全部曝け出してんだぜ。何つーか、もういっそ清楚に感じるわ」
「馬鹿なの?」彼女は呆れた目を向ける。マスターちゃんには分かんねぇよ、とベルガーは口をへの字に結んだ。
「まあ、別に構わないわ。それも戦場の数少ない娯楽の一つのようだし」彼女はそう言って、小馬鹿にするように鼻で笑う。軽く軽蔑されたようで、多少は傷つく。
「それより見て。これ」彼女は軍服の懐から、白い封筒を取り出した。赤い蝋で封がしてある。古風なインテリアのようにも見えた。「貰っちゃった。ラブレターよ」
「もしかして俺宛て?」
「やあねぇ。ベルガー君は頭の中までピンクなのかしら」うふふと彼の冗談を一笑に付して、手持ちのナイフで封を切る。「私宛てに決まってるでしょう」
「ふーん。誰から?」
「ミカエル」
「マジで?」
「今朝、偵察兵が報告書と一緒に届けてくれたの。ミカエル様から貴女にと預かりました、だって。素敵よね」
一体どこが素敵なのか、ベルガーにはよく分からない。気障過ぎるだろ、と突っ込みたかった。
「つーかんなもん俺の前で開けていいのかよ」
「だって一人だと恥ずかしいじゃない」
「一番恥ずかしいのはミカエルだろ」
まさか彼女だけでなくベルガーにも読まれるとは、夢にも思わないだろう。
「いいの」彼女はどこか冷めた瞳で、封の中の手紙を取り出す。
「どうせ私は、貴方たちより先に死ぬから。一人で読んだら真に受けるでしょう。彼のためにも、本気にしたくないの」
先に死ぬから、という言葉にベルガーの体が硬直した。
胸に冷たい風が吹く。
冗談とは思えない程の、真に迫った何かを彼女の内側から感じ取る。
「何これ」
何も言えずにいたベルガーの横で、ラブレターを広げた彼女は眉を顰めた。
そこに書いてある文字は、彼女にとっても彼にとっても馴染みのないものだった。
解読できない。
「これ暗号?」ベルガーは怪訝な顔で手紙を指差す。
「暗号のようなものだわ」彼女は頰に手を当てて、困惑したように呟いた。「フランス語だなんて。私苦手なのに」
ミカエルからのラブレターは、厄介な事にフランス語で書かれていた。彼の本体はベルギーのメーカーによって製造・生産されている。母国語のようなものなのだろう。しかし、ドイツ人の父を持つ彼女が、フランス語を話せるわけがない。ましてや読むなど至難の技だ。
実は一度、ファルにフランス語を教えてほしいと頼み込んだ事がある。それがそもそもの間違いだった。奴の発音はそれはそれは美しいものだったが、あの鼻にかかった話し方がどうにも気に食わない。あの顔で流暢に話されると、何故か無性に腹が立つ。それ以来フランス語に触れると、あの男の鼻にかかった話し方がまざまざと蘇るのだ。ある種のトラウマである。
「いっそラテン語なら良かった」
彼女はそう肩を落とす。ラテン語こそ暗号だが、トラウマとは無縁だ。
「つーかこの手紙、誰が書いたんだろうな」
ベルガーは甚だ疑問だった。
「貴方が静かだと気味が悪いわね」
後ろから声を掛けられて、ベルガーはぴゃっと変な声を上げて驚いた。敵が残していった粗末な塹壕で、彼は身を潜めるようにしゃがみ込み、熱心に冊子を広げていた。何を読んでいるの、と彼女はそれを覗き込む。
「まあ」彼女は中身を見て目を丸くする。「結構な写真集だこと」
ベルガーはどっと冷や汗をかく。この場合、写真集とは随分とお上品な言い方だ。
彼が広げたそれには、裸の女性が大胆なポーズを決め堂々と写真に写っている。所謂ポルノ雑誌というもので、木箱の中に隠してあるのを彼が偶然見つけたのだ。つまり敵兵の置き土産。決して彼の私物ではない。
ということをベルガーは説明したいのだが、動揺し過ぎて言葉が浮かんでこない。そんな彼の様子を観察して、ふふっと彼女は可笑しそうに微笑んだ。
「貴方もそういう物に興味があるのね」
「いや…、違っ」
「恥ずかしがらなくてもいいのよ。銃とはいえ、人型だものね。ちゃんと男の子なのだわ」
「男の子」なんて言われてしまった。完全に子供扱いされている。腹が立ったが、言い返す言葉が見つからない。完敗だ、と彼は溜息を吐いた。
「何がそんなに面白いの?」彼女が隣でしゃがみ込み、一緒になって雑誌を眺める。おいおい、勘弁してくれよ。一体何の尋問だよ。
「面白いっつーか、安心すんだよ」
「安心する?」
「こういう女は、嘘がねぇじゃん。服も脱いでさ、全部曝け出してんだぜ。何つーか、もういっそ清楚に感じるわ」
「馬鹿なの?」彼女は呆れた目を向ける。マスターちゃんには分かんねぇよ、とベルガーは口をへの字に結んだ。
「まあ、別に構わないわ。それも戦場の数少ない娯楽の一つのようだし」彼女はそう言って、小馬鹿にするように鼻で笑う。軽く軽蔑されたようで、多少は傷つく。
「それより見て。これ」彼女は軍服の懐から、白い封筒を取り出した。赤い蝋で封がしてある。古風なインテリアのようにも見えた。「貰っちゃった。ラブレターよ」
「もしかして俺宛て?」
「やあねぇ。ベルガー君は頭の中までピンクなのかしら」うふふと彼の冗談を一笑に付して、手持ちのナイフで封を切る。「私宛てに決まってるでしょう」
「ふーん。誰から?」
「ミカエル」
「マジで?」
「今朝、偵察兵が報告書と一緒に届けてくれたの。ミカエル様から貴女にと預かりました、だって。素敵よね」
一体どこが素敵なのか、ベルガーにはよく分からない。気障過ぎるだろ、と突っ込みたかった。
「つーかんなもん俺の前で開けていいのかよ」
「だって一人だと恥ずかしいじゃない」
「一番恥ずかしいのはミカエルだろ」
まさか彼女だけでなくベルガーにも読まれるとは、夢にも思わないだろう。
「いいの」彼女はどこか冷めた瞳で、封の中の手紙を取り出す。
「どうせ私は、貴方たちより先に死ぬから。一人で読んだら真に受けるでしょう。彼のためにも、本気にしたくないの」
先に死ぬから、という言葉にベルガーの体が硬直した。
胸に冷たい風が吹く。
冗談とは思えない程の、真に迫った何かを彼女の内側から感じ取る。
「何これ」
何も言えずにいたベルガーの横で、ラブレターを広げた彼女は眉を顰めた。
そこに書いてある文字は、彼女にとっても彼にとっても馴染みのないものだった。
解読できない。
「これ暗号?」ベルガーは怪訝な顔で手紙を指差す。
「暗号のようなものだわ」彼女は頰に手を当てて、困惑したように呟いた。「フランス語だなんて。私苦手なのに」
ミカエルからのラブレターは、厄介な事にフランス語で書かれていた。彼の本体はベルギーのメーカーによって製造・生産されている。母国語のようなものなのだろう。しかし、ドイツ人の父を持つ彼女が、フランス語を話せるわけがない。ましてや読むなど至難の技だ。
実は一度、ファルにフランス語を教えてほしいと頼み込んだ事がある。それがそもそもの間違いだった。奴の発音はそれはそれは美しいものだったが、あの鼻にかかった話し方がどうにも気に食わない。あの顔で流暢に話されると、何故か無性に腹が立つ。それ以来フランス語に触れると、あの男の鼻にかかった話し方がまざまざと蘇るのだ。ある種のトラウマである。
「いっそラテン語なら良かった」
彼女はそう肩を落とす。ラテン語こそ暗号だが、トラウマとは無縁だ。
「つーかこの手紙、誰が書いたんだろうな」
ベルガーは甚だ疑問だった。