side story
恋をした。
貴方ではない貴銃士に。
「あの人とキスをしたいの」
眩い光の中で、彼女の横顔が揺れている。
「あの人の事が好きだから」
夜空に大輪の花が咲く。
咲いては無様に散ってゆく。
その一瞬の輝きのように、彼女は命を燃やして生きる。
夏の終わりの花火は、秋の匂いがした。
【駆け落ち】
「けったいなお面ってこれのこと?」
突然女の声がした。馴染みのある声。いつもより弾んだ調子で、可愛らしい響きを含む。
「マスター」
声のする方を振り向いたゴーストは、咄嗟に「何やそれ」と突っ込んでしまった。何故なら、彼女がけったいなお面を付けていたからだ。
「ナンパ避け」彼女はお面を外して、微笑む。
「ファルはんとミカエル君は?」
「撒いてきちゃった」
「撒いてきた?」
「おまえと迷子になりたくて」彼女はそう言ってから、思い出したように呟いた。
「駆け落ちね」
「これは駆け落ちよ」
ゴーストと一緒に迷子になると、幼い彼女はよくそう笑って、彼を励ました。
誰にも見つからず二人きりで、知らない場所をあてもなく彷徨う。その状況を少女は「駆け落ち」と表現した。
決して「迷子」とは言わなかった。
迷子になったのは彼の存在感の薄さが原因なのだが、彼女はそれを責めはしない。
その温かな存在に、魅了された。
少女と「駆け落ち」する時間は、アイスを味わうひと時のように、彼にとって淡い幸福の一部。
その淡い幸福が、今懐かしく思い出された。
「綺麗ね」
彼女がそう口を開くのと同時に、どんと空に打ち上がる花火。
「近くの基地でセレモニーをやっているから……、フィナーレの演出かしら」
ゴーストは、きらきらと舞い散る火の粉を見つめ、目を細める。闇に紛れるような自分には、目が眩むような輝きだ。
「眩しい?」彼女はそんな彼の様子を察してか、手に持っていたお面を差し出してくすりと微笑む。
「これを被れば、少しはマシになるんじゃない?」
お面を被れば、花火の光が眩しくなくなると言うのだろうか。ゴーストは無言で彼女のお面を受け取り、それを早速被ってみた。目の位置に空いた小さな穴から、辺りの様子はうかがえる。彼女の顔もよく見えた。
「ほらね。その方が存在感あるわよ」
「マシになるってそっちのことかい」
お面を被った顔で佇んでいるゴーストは、確かに存在感こそあれど、違和感も半端ない。
ふふっと肩を揺らして笑ってから、彼女は「ねえ」と声を弾ませた。
「キスをしてもいい?」
「は?」言葉の意味を解するのに、数秒かかった。「なんで」
「練習っていうのは、駄目?」
「練習?」
「したことがないから」
ひゅうっと甲高い音がして、彼女は暗い夜空を見上げる。ゴーストも、彼女の視線の先を追う。
「あの人とキスをしたいの」
どん、と花開く沢山の光。そんな物には目もくれず、彼は視線を彼女に戻す。
面の穴から覗く、歯がゆそうな横顔。
「あの人のことが好きだから」
そう呟く彼女の瞳に、花火の色は映らない。
誰かを見ている。
誰かを想っている。
夏の夜空に期待を探す。
「……あの人って、誰や」
「誰だと思う?」
彼女はゆっくりと瞬いて、ゴーストの問いかけに微笑み返す。
「アインスの兄さんか、意表を突いてファルはんか」
「おまえがそう思うのなら、そう思ってくれて結構よ」
要領を得ない答えに、彼はやきもきした。心を掻き回されるような奇妙な感覚。そんな得体の知れない感情に支配される自分が馬鹿らしくなり、彼は詮索することを諦めた。
このお嬢様の事だから、好きな人がいるだのキスがしたいだの、それらはゴーストを狼狽えさせるための真っ赤な嘘である可能性もある。
彼女がそんな、どこぞの女の陳腐な願いを抱くものか。父親譲りの才覚で、現代銃たちを隷属させる彼女が。
「別に、難しい事やない」
「キスのこと?」
「そんなん、口と口を合わせるだけやろ」
自分もしたことがない、という事実を彼は言わなかった。
「みんな、いつどこでそれを習うのかしら。まるで密教ね」彼女は片手を頰に添え、困ったような表情で呟く。「こればっかりは、私、途方に暮れているの」
「途方に暮れている?」ゴーストは、彼女の言葉をオウム返しに呟いて、驚いたように目を見開いた。「あんさんが?」
「どうお願いしたらいい? どう言えば正解なのかしら」
「正解も何もないやろ」
「どこにも解説されていないわ」
「まあ、……せやろな」
花火はまだ鳴っている。遠くで上がる人々の歓声が聞こえる。
ゴーストは、何と答えたら良いものか分からず、ただ黙って打ち上がる花火を見上げていた。
「ファルが探してる」ふいに、彼女がそう口を開く。空を見上げていたゴーストが視線を向けると、遠くを見つめて小さく溜息を吐く彼女の横顔。「行かなくちゃ」
「せやな」彼は、共に任務に出向いていたファルとミカエルの事を思い出した。「ワイが迷子になるのはいつものことやけど、あんさんの姿が見えんくなって、心配してるんとちゃう」
「少しくらい心配してほしいものだわ」彼女はそう肩をすくめる。
ゴーストは、彼女が好きだと言う相手はファルかもしれない、と思った。根拠はない。ただ、今の会話の文脈から推測しただけだ。
「ほな、行こか」
それにしても、彼女は何故二人を撒いて自分を見つけに来たのだろう、と彼は考える。思考を巡らせながら踵を返したところで、彼女に袖を引っ張られた。
「なん……」
振り向いた拍子に抱きつかれる。
首に両腕を回される。
面から覗く視界は真っ暗。
口元に当たる何か。
プラスチックを通して分かる、仄かな温もりと柔らかさ。
「……今のは?」
「キスの練習」
お面から唇を離した彼女が、彼の首に腕を回して抱きついたまま微笑んだ。
「上手やんけ」
ゴーストも、何とか笑うことができた。