side story
【蝶よ花よと。後日談】
「あのアインスお兄様が、キャバクラなんて行くわけないでしょ!?」
いや行くだろう。彼の補佐を命じられているファルが仕事で行くのだから、むしろ行っていないとおかしい。
微睡みの中でうっすらとそう突っ込みながら、彼女は深夜の妙なテンションのエフに当てられて、自分も妙なテンションになっていることを自覚した。
父親とステーキハウスデートをするはずだった今夜、あろう事か父は急な仕事でデートをドタキャン。父の代理で「不本意ながら」やってきたファルと、付き添いのエフと三人でワインを飲んできた。実際飲んだのはファルと彼女で、帰りの車を運転するためエフは飲酒を禁じられた。
その腹いせが今 である。
「ちょっとアンタ、まさかこのまま帰るつもりじゃないでしょーね?」
基地に到着すると、ファルがさっさと自室へ逃げ帰る姿を尻目に、彼女はエフにガッツリと片腕を捕獲される。
「えっと…、そのつもりなのだけど」
「ふざっけんじゃないわよ! アタシは一滴も飲んでないのよ!?」
このままじゃ終われないから付き合いなさい、とエフはズルズルと彼女を自室へ引き摺ってゆく。
「エフ、まさか今から飲むつもり?」
「当然でしょう」至極冷ややかな視線で彼女を見下ろし、エフは口の端を歪めた。
「今夜は寝かさないからね、お嬢様。覚悟なさい」
数時間後。
エフが酔い潰れてベッドに倒れ込むように寝入ったのを見届けて、彼女は彼の部屋を後にする。
(昨日は遅くまで付き合わされて…、さすがに眠いわね)
そういえば今何時、と腕時計を確認すると針は午前5時半を指している。早朝ではないか。
(頭痛い……)
部屋に戻ったらまず服を脱いで、お風呂に入る。それからメイクも落とさなくっちゃ。そういえば、部屋にメイク落としなんてあったかしら。どうしよう、エフに借りてくれば良かった。
そう段取りを考えながら廊下をとろとろと歩き、片手で口元を押さえてふわあと彼女は大きな欠伸をする。
「お嬢ちゃん」
急に声を掛けられて、彼女は涙で滲んだ瞳をはっと見開いた。
しまった。朝早いから誰も見ていないと思って、つい大きな欠伸をかましてしまった。こんなはしたない姿を晒すなんて、淑女にあるまじき失態。ファルに知れたら何をされるか……
「ホクサイ、おはよう」
前から歩いてきた彼と鉢合わせ、彼女は引き攣った笑みを浮かべる。欠伸の余韻で片手を口元に翳したままだ。
「早いのね。今朝は実験でもするの?」
早いというか早すぎる。おじいちゃんか、と呆れてしまう。それとも彼のことだから、何かの作業に没頭して、一睡もせずに今朝を迎えたのだろうか。その可能性が最も高い。
ホクサイは彼女の質問には答えず、ずんずんと真顔で歩み寄ってくる。口元に翳した方の手首をがしっと強く掴まれて、「え?」と彼女は目を丸くした。
「この爪は何!?」くわっと物凄い剣幕で、ホクサイは彼女の爪を見やる。「真っ赤じゃないか!」
爪?と彼女の頭に疑問符が浮かんでは、すぐに消える。ああそれね、と口の中で呟いた。そういえば、ネイルも落とさないとだった。段取りを組み直さないと、と思い直したのも束の間。
「ついにあの外道に尋問されたのかい!?」
ホクサイの口から飛び出した言葉に、彼女は雷に打たれたような衝撃を受けた。
「あの外道ってファルの事?」睡魔で朧げだった理性が、あの外道の話題で覚醒する。「ついにって何」
「あの人、いつかお嬢ちゃんを尋問で辱めて泣かしたいって言ってるんだ」
「教えてくれてありがとう」
お父様に言いつけてやる。昨夜のエフの口癖が移ったのか、彼女は心の中で呟いた。
「きっと、神経が集中している指先を責められたんだろう?」ホクサイは手首からするすると彼女の指先をなぞり、うっとその瞳に涙を浮かべて見せた。
「こんなに血に染まるまで……可哀相に」
「いえ、違うのよ。これはネイルアートと言って…」
「ウン、分かった!」
ホクサイはニッコリと満面の笑みで、ぎゅっと彼女の手を握る。その手をぐいぐい引っ張って彼女を歩かせながら、「早くこの爪を真っ青にしてあげないとね!!」と振り向いた。
「なんでおまえはそっちに転ぶの?」
言いながら、彼女は欠伸を噛み殺す。
どうでもいいから寝かせてほしい。
「あのアインスお兄様が、キャバクラなんて行くわけないでしょ!?」
いや行くだろう。彼の補佐を命じられているファルが仕事で行くのだから、むしろ行っていないとおかしい。
微睡みの中でうっすらとそう突っ込みながら、彼女は深夜の妙なテンションのエフに当てられて、自分も妙なテンションになっていることを自覚した。
父親とステーキハウスデートをするはずだった今夜、あろう事か父は急な仕事でデートをドタキャン。父の代理で「不本意ながら」やってきたファルと、付き添いのエフと三人でワインを飲んできた。実際飲んだのはファルと彼女で、帰りの車を運転するためエフは飲酒を禁じられた。
その腹いせが
「ちょっとアンタ、まさかこのまま帰るつもりじゃないでしょーね?」
基地に到着すると、ファルがさっさと自室へ逃げ帰る姿を尻目に、彼女はエフにガッツリと片腕を捕獲される。
「えっと…、そのつもりなのだけど」
「ふざっけんじゃないわよ! アタシは一滴も飲んでないのよ!?」
このままじゃ終われないから付き合いなさい、とエフはズルズルと彼女を自室へ引き摺ってゆく。
「エフ、まさか今から飲むつもり?」
「当然でしょう」至極冷ややかな視線で彼女を見下ろし、エフは口の端を歪めた。
「今夜は寝かさないからね、お嬢様。覚悟なさい」
数時間後。
エフが酔い潰れてベッドに倒れ込むように寝入ったのを見届けて、彼女は彼の部屋を後にする。
(昨日は遅くまで付き合わされて…、さすがに眠いわね)
そういえば今何時、と腕時計を確認すると針は午前5時半を指している。早朝ではないか。
(頭痛い……)
部屋に戻ったらまず服を脱いで、お風呂に入る。それからメイクも落とさなくっちゃ。そういえば、部屋にメイク落としなんてあったかしら。どうしよう、エフに借りてくれば良かった。
そう段取りを考えながら廊下をとろとろと歩き、片手で口元を押さえてふわあと彼女は大きな欠伸をする。
「お嬢ちゃん」
急に声を掛けられて、彼女は涙で滲んだ瞳をはっと見開いた。
しまった。朝早いから誰も見ていないと思って、つい大きな欠伸をかましてしまった。こんなはしたない姿を晒すなんて、淑女にあるまじき失態。ファルに知れたら何をされるか……
「ホクサイ、おはよう」
前から歩いてきた彼と鉢合わせ、彼女は引き攣った笑みを浮かべる。欠伸の余韻で片手を口元に翳したままだ。
「早いのね。今朝は実験でもするの?」
早いというか早すぎる。おじいちゃんか、と呆れてしまう。それとも彼のことだから、何かの作業に没頭して、一睡もせずに今朝を迎えたのだろうか。その可能性が最も高い。
ホクサイは彼女の質問には答えず、ずんずんと真顔で歩み寄ってくる。口元に翳した方の手首をがしっと強く掴まれて、「え?」と彼女は目を丸くした。
「この爪は何!?」くわっと物凄い剣幕で、ホクサイは彼女の爪を見やる。「真っ赤じゃないか!」
爪?と彼女の頭に疑問符が浮かんでは、すぐに消える。ああそれね、と口の中で呟いた。そういえば、ネイルも落とさないとだった。段取りを組み直さないと、と思い直したのも束の間。
「ついにあの外道に尋問されたのかい!?」
ホクサイの口から飛び出した言葉に、彼女は雷に打たれたような衝撃を受けた。
「あの外道ってファルの事?」睡魔で朧げだった理性が、あの外道の話題で覚醒する。「ついにって何」
「あの人、いつかお嬢ちゃんを尋問で辱めて泣かしたいって言ってるんだ」
「教えてくれてありがとう」
お父様に言いつけてやる。昨夜のエフの口癖が移ったのか、彼女は心の中で呟いた。
「きっと、神経が集中している指先を責められたんだろう?」ホクサイは手首からするすると彼女の指先をなぞり、うっとその瞳に涙を浮かべて見せた。
「こんなに血に染まるまで……可哀相に」
「いえ、違うのよ。これはネイルアートと言って…」
「ウン、分かった!」
ホクサイはニッコリと満面の笑みで、ぎゅっと彼女の手を握る。その手をぐいぐい引っ張って彼女を歩かせながら、「早くこの爪を真っ青にしてあげないとね!!」と振り向いた。
「なんでおまえはそっちに転ぶの?」
言いながら、彼女は欠伸を噛み殺す。
どうでもいいから寝かせてほしい。