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side story

【不幸の始まり】



婚礼の儀は夜に限る。
女性を迎える時間帯は夜が吉、と古来から言い伝えられていた。これは陰陽道の教えによるもので、女性はすなわち陰であるから、夜と相性が良いと考えられたのだ。
単純に人目を避けるため、昼よりは夜、さらに月の出前の宵の刻が最適だろう、という魂胆も無くはない。
白を基調とした教会の内部は、今や宵闇に包まれた。天井に蔓延るは、無数の漆喰彫刻。天使の顔をした彫像が、我らを冷たく見下ろしている。
十人の貴銃士がこの儀礼に参列した。黒塗りのガスマスクが彼らの正装。ベンチ型のチャーチチェアに腰掛ける彼らは、誰一人として口をきかない。贄の献上を心待ちにする神々も、きっとこんな気分だろう。
「時間だ」遠くで大砲の音がした。これが合図だった。「始めよう」
そう口を開くと同時に、重厚な扉が開け放たれる。
黒のロングスリーブドレスに身を包んだ、ひとりの女のシルエット。
マスターという厄介な役目を押し付けられた、憐れな娘。
女であるために跡を継げなかった、世界帝のなり損ない。
「よく来たね」
祝福の微笑みを投げかけ、両手を広げて歓迎を示す。
女の踏み出したハイヒールが、こつりと怯えた音を立てた。



長く尾を引く、黒のロングマリアベール。
奥の祭壇へ向かうごとに、重く淀んだ何かに足を取られる。
両脇のベンチに控えた貴銃士たち。
逃げ道など無い。
私は怖かった。震えていた。
恐れを悟られないように、顔だけは凛と前を向く。少しでも弱みを見せれば、彼らに喉元を噛み切られておしまいだ。
私は試されている。
マスターの器に適う女かどうか、見定められる。
ああ、これが噂のバージンロード。
「お手を」
祭壇の前に佇むモーゼルが、黒い手袋の右手を差し出す。これがダンスのお誘いだったら、喜んでお相手しますのに。
私はそっと、左手を重ねる。
甲に刻まれた、真新しい薔薇の傷痕。
石の祝福を受けた証に、彼の肩がくくっと揺れた。
「全て君の意思であることに、間違いはないね?」
ガスマスクの奥の瞳は、妖しく歪んだ光を放つ。
「口の利き方に気をつけなさい」私は言った。「おまえたちを息子と呼んだ父と、私は違う」
後ろで誰かが鼻で笑った。
くくっと喉を鳴らすような嘲笑が後に続く。
うふふ、くすくす、と嘲りの笑みは伝播する。
厄介払いの小娘に一体何ができるのだ、と見下していた。
「結構」彼が呟き左手を上げると、背後の嘲笑は鳴りを潜める。
今度は、刺すように冷たい視線。
私は怖かった。
怯えていた。
それ以上に、頭の中でこだまする、怨嗟の声に恍惚とした。
「さあ。跪きなさい」
支配こそ安寧の活路。
憎悪は、愛よりも強固な絆。
一度堕ちてしまえば、闇はこうも穏やかだ。
「今日から私が、おまえたちのマスターよ」
父を殺した貴銃士たちを、私がこの手で飼いならす。



祭壇の前に立ち、跪く彼らをただ見下ろす。
鳴り響いたのは、教会の鐘の音ではない。
遠くで聞こえる大砲の音。
新たな世界帝の即位を告げる祝砲だった。





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