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side story

【わたしのバディ】



某月某日、世界帝軍基地内の食堂。
食堂と一口に言っても、この基地内には様々な種類の食堂がある。軍の中でも特別幹部と呼ばれる貴銃士達の給料は決して安くなく、その気になれば毎日毎食、グルメに生きる事が可能だ。ファルやアインス、ミカエル辺りはセレブ志向なので、基地内で最も格式の高い食堂へ足を運ぶらしい。
だが、89はそういった高級なモノに興味がない。彼が通っているのは、一般の兵士も好んで通う、安くてボリューミーなメニューが好評な庶民食堂だ。唐揚げ、ハンバーグ、オムライス、うどん蕎麦。みんなが好きなB級グルメが揃っている。
89が愛してやまないのは、この食堂の「味噌ラーメン」である。
世界帝軍トレードマークのガスマスクを外し、素顔を露わにした彼は、ゲーム機を左手、右手に箸を持ってラーメンを啜っている。この「啜る」という行為によって生じる音が、西欧では行儀の悪いものとして捉えられるため、基地内でも好ましくないと思う兵士は多い。しかし、ラーメンは啜って食べるから美味しいのである。よって、89が麺を啜る行為を直すつもりはさらさらない。
実はこの味噌ラーメン、彼が食堂のおばちゃんに「なあ、ここってラーメン食えねぇの? うどんと蕎麦は食えるのに、ラーメンがねぇっておかしくね? あ、作るならスープは味噌がいい」と個人的に頼み込んだ事がきっかけで、レギュラーメニューの仲間入りを果たした曰く付きである。彼は自覚していないが、食堂のおばちゃん達の母性本能を擽る雰囲気を醸し出しているらしい。「89君って息子みたいで可愛いのよね〜♡」とおばちゃん達の間では専ら評判だ。微笑ましい。
「っあ、クソ」
麺を噛み切って咀嚼しながら、ゲーム機の液晶を眺めて彼は悪態を吐く。
「89」
突然聞き覚えのある女の声に呼び止められて、彼はビクーッと大袈裟に背中を震わせた。
「……んだよ」89は不機嫌そうに振り返り、背後から声を掛けてきた女を一瞥する。
「ゲーム中は話しかけんなって言ったろ。殺すぞ」
「ゲーム中?」彼女はお盆を持ったまま、不思議そうに首を傾げた。
「食事中の間違いでしょう」
彼女は何が可笑しいのかふふっと微笑む。そっとお盆をテーブルの上に置き、89の隣の椅子を引く。
「隣に座ってもよろしいかしら?」
もう座ってんだろ、と89は小さく舌打ちをした。
「貴方、相変わらず味噌が好きなのね」
そう言う彼女がお盆の上に乗せているのは、あっさり塩ラーメンである。
マスターの娘という印象が一人歩きしているため忘れがちなのだが、彼女には半分日本の血が流れている。父であるマスターはドイツ人だが、奥方は日本人だったらしい。彼女の黒髪、そして黒い瞳は、日本人の母親からの贈り物というわけだ。
西欧生まれの者が多いこの地域で、東洋人の血を引く彼女の見た目は珍しい。黒髪というだけでも目立つが、厄介な事にそこにドイツの血が混じっている。ハーフ特有のどちらとも判別しがたい、しかしそれゆえに魅力的な顔立ち。軍に女がいるだけでも目立つのに、さらに彼女はこの見た目だ。目立つなというほうが無理な話である。
話題が逸れたが、つまり、半分でも日本の血が流れているため、彼女もラーメンが好物なようだ。
「何でアンタがここにいる」
「貴方にさっき聞いたじゃない。隣よろしい?って」
「そうじゃねぇ。何でこの食堂に来た、って言ってんだ」そして何で隣に座る。
「何でと言われても…。ラーメンが食べたくなっただけ。来ちゃいけない?」
質問を投げたのに逆に投げ返される。
この女は苦手だ。89は、常日頃そう思う。
思えば、彼女が子供の頃から、この苦手意識は芽生えていた。


***


「ゲームばっかりやってると、目が悪くなるんだよ」
「………あ?」
いつもの味噌ラーメンを啜りながらゲームに没頭していると、そう高い声で話しかけられる。顔を上げると、向かいの席に少女がちょこんと腰掛けていた。
何だこのガキ。いつからそこに座ってた。
89は、訝しげに少女を睨みつける。
「おまえ、89でしょう?」
おまえ?と89の米神にぴきりと血管が浮き出た。
このガキ、何て口ききやがるんだ。しかもコイツ、女だぞ。女がそんな言葉遣いじゃマズイだろーが。
「そう言うテメェは誰だよ、オイ」
ゲームを中断された事もあってか、彼は苛立ちを露わにして少女にそう吐き捨てる。
少女はそんな89に臆する事もなく、そっか、と思い出したように声を上げた。
「目覚めたばかりだから知らないのね?」
「目覚めたばかり?」
「私、おまえのマスターの娘なの」
89は、驚愕してつい息を止める。
「………あの人の娘?」
「ええ」
彼女は笑顔で頷いて、やっと会えたわね、と嬉しそうに声を弾ませた。
「私、おまえと友達になりに来たの!」


この愛らしくあざとい生き物は、世界帝軍のアイドルだ。
一般の兵士のみならず、というか兵士達以上に、貴銃士たちは彼女を溺愛している。その様子は、ファルやアインスなど、古参の貴銃士を見ていれば一目瞭然で、「これなんて乙女ゲー?」と尋ねたくなるほどだ。
89は、少女の一挙一動に著しく振り回される貴銃士達が理解できない。彼らがあそこまで彼女に入れ込んでいるのは、あの少女が「マスターの娘」というスペックであること以外にも理由があるはずだ。その理由がイマイチよく分からない。
そんな訳で、他の貴銃士たちと気の合わない89は、どうしても彼らの「お嬢様至上主義」な風潮に馴染めなかった。
それが逆に彼女の関心を引くことになろうとはつゆ知らず。


***


「何で俺が、アンタとカフェに行かなきゃならねぇんだよ」
ラーメンを完食し、セーブ中のゲーム機をテーブルの上に置いた89は、そう面倒臭そうに吐き捨てる。聞けば彼女は、最近街にできたカフェに行きたいらしく、一緒に行ってくれる貴銃士を探しているのだという。
「仕方ないじゃない。私、一人じゃ外出できないんだもの」
ちゅるんと少量の麺を啜る彼女は、困った顔で咀嚼している。だめだわ、やっぱり上手く啜れない、などと呟いて、コツは?なんて首を傾げてみせる。この女は、いつまでたっても麺を啜る技術が上達しないらしい。コツなんかねぇよ、と89はぶっきらぼうに答えた。
「アンタの外出に護衛がいるのは分かるけどよ、他に適任がいるだろ。エフとかきゅるちゅとか……、あとベルガー」
「あの子たち、見た目が派手過ぎるんだもの。街中では目立つわ」
「じゃあゴーストで。アイツ甘いモン好きそうだし」
「そうなんだけど、迷子にしてしまいそうで気が気でなくて」
「だからって俺に頼るのかよ」
訳わかんねぇ、と彼は口の中で呟く。彼女の付き添いで休日を潰すなんて、冗談じゃない。休みの日くらいゲーム三昧させてくれよ。
「だって貴方は、程よく地味で普通だから。街中にも上手く馴染めそうよね。迷彩だし」
「おい、食いながら喋んな。あと馬鹿にしてんのか」
「お願い、89」彼女は箸を置き、両手を合わせて彼にお強請りをする。
「私、貴方がいいの」
「………ちっ」
89は盛大に舌打ちをして、ガタンと椅子を引きながら席を立つ。
「次の休日は空けといてやる」
言いながら、テーブルの上のゲーム機をズボンの尻ポケットに突っ込んだ。
「付き合ってくれるの?」
「アンタの頼みを断ったら、後でマスターが煩せぇからな。仕方なくだ」
「嬉しい」彼女はほっと顔を綻ばせ、花が溢れるように微笑んだ。「貴方の誠意に感謝します」
「……休日出勤扱いにしとけよ」
ええ、と彼女は嬉しそうな顔のまま頷く。振替休日も設けるわ、などと戯けて笑った。
「つーかさっさと食わねぇとラーメン伸びんぞ」
「あっ」
そうだったわね、と彼女は慌ててラーメンをちゅるちゅる啜り出す。相変わらず勢いのない食べ方だ。これでは完食するまでに麺が伸びきってしまうだろう。
「じゃーな」
89は右手を上げて挨拶し、さっさとお盆を片しに行った。
(……何やってんだ俺は)
せっかくの休日を、あんな女のために、自分から棒に振るなんて。
やはり自分も他の貴銃士たちと同様、「お嬢様史上主義」に染められている。



「何や。あんさんも一緒なんか」
約束の日に待ち合わせ場所へ向かうと、何とそこには彼女だけでなくゴーストの姿まである。
「………」
89が視線を移すと、黙ったまま口を開かない彼女が、涼しげな表情で口許を緩めていた。
「おい。どういう事だ」
「どういう事って?」
「テメェ、俺がいいって言ったくせに」
「何やて。嬢ちゃん、89にそないな事言うたんか」聞き捨てならんなぁ、とゴーストが謎の闘争心を燃やしている。
「ええ、言ったわ。本心よ。でも、『二人で』とは言ってなくてよ」
畜生っ、と89は内心で盛大に悪態をつく。
この女、俺を揶揄って楽しんでやがる。
なんて悪趣味なお嬢様だ!
「89は私と二人が良かった?」
もう限界、と可笑しそうに吹き出す彼女を、ゴーストは「あかん」と窘めた。
「89を揶揄うんも、大概にしとき。今日はワイもおるんやで。二人の世界に入らんといて」
「二人の世界なんかねーよっ!!!」
恥と憤り、様々な感情が綯い交ぜになって89は怒鳴り声を上げる。
もうカフェなんてどうでもよくなっちゃった、と彼女は笑った。





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