きみのことを教えて
【お注射しましょう】
「この僕が、どうして注射を打たれないといけないのかな」
「それは貴方が、人間の身体だからよ」
二の腕をアルコール綿で拭かれて、ミカエルは全身の温度がひやりと下がる心持ちがした。消毒を終えた彼女は、きっと次の準備にとりかかる。その姿を想像しただけで、ミカエルの顔色はますます悪くなった。
「これは予防接種というもので、貴方をウイルスから守るために必要な処置です」
「僕の旋律は、ウイルスなんかに負けないよ」
「頼もしいわね」彼女のくすりと笑う声。「でも、これは全兵士に課せられた義務なの。貴銃士として人間の身体を持つ貴方も、例外ではないのよ」
世界帝軍の全兵士に、新型のウイルスによる感染を防ぐためのワクチンが帝府より提供された。貴銃士たちの医療面でのケアも、メディックであるマスターの大事な役目である。そのため、彼らのワクチン接種は彼女が行うこととなった。
しかし、今まさに、重大な問題が発生している。
注射嫌いなミカエルが、言うことを聞いてくれないのだ。
「いやだ」ミカエルは、ついにきっぱりと予防接種を拒み始めた。「たとえマスターの命令だとしても、僕は絶対に、注射なんかしない」
「子供かよ……」ミカエルの後ろで順番待ちのため並んでいた89が、呆れた様子で呟いている。
「ミカエル、後ろがつかえる。早く済ませてくれ」
「大丈夫だよミカエルクン! 皮下注射だから確かに痛みはあるけど、終わっちゃえばあっという間なんだから〜」
白衣を着てマスターの助手をしているホクサイが、新たな注射器にワクチンを注入しながら呑気に笑う。
「ホクサイ。余計なこと言うんじゃねぇ」
89の忠告も虚しく、「やっぱり痛いんだね……」とミカエルのテンションはだだ下がりだ。
「人の身体に針を刺すなんて。人間のすることじゃない」
「人の身体に弾を撃ち込む貴方が、何言ってるの?」
「とにかく僕は、注射が嫌いなんだ。言葉の響きさえ憎らしい。不愉快だね」
「ミカエル、お願い。私の言う事を聞いて」
「いやだね」
「ミカったら……」
「おいマスター。ぐだぐだ喋ってないで、さっさと刺してやれよ」
苛ついた様子を露わにする89に「ちょっと黙っててくれる?」と彼女は一瞥を投げかける。
いつも余裕綽々なミカエルが、珍しく駄々を捏ねている。そんな彼に困らされている事が新鮮で、奇妙な喜びが湧いた。手の掛かる子ほど可愛いというのは、こういう事だろうか。
「仕方ないな〜。そんなに嫌なら、この注射はマスターに打っちゃおっかな」
注射器を手にしたホクサイが「は〜いマスターちゃん、腕貸して」と彼女の腕を強引に掴む。
「何でそうなるの?」マスターは困惑顔で白衣の助手を見上げた。
「だってミカエルクンが嫌がってるから。キミはもう予防接種を受けてるけど、別に二回打ったって問題ないよね? ワクチン余っちゃっても勿体無いし〜」
「確かに勿体無いけれど、痛いのは嫌だわ」
「うんうん、そうだよねぇ。皮下注射って痛いよねぇ。あの苦痛を二度も味わうなんて……、可哀想に」
「…………」
ミカエルは口を閉ざしたまま、ぎゅっと拳を握り締める。それを視界の端で捉えて、ホクサイはニンマリと口の端を歪めた。
「ボクちゃんだって、マスターに痛い思いはさせたくないよ? でも仕方ないよね。ミカエルクンの身代わりに、キミには苦しんでもらうから。覚悟してね」
さあさあ、と迫り来るホクサイに「この子どうしちゃったのかしら」と彼女は表情を曇らせる。
「ホクサイ」黙り込んでいたミカエルが、突然はっきりと声を上げた。
「マスターを脅すのはお止し。その注射を、僕に打つといい」
えっ、と彼女は驚いて息を呑む。
「えいっ」
差し出されたミカエルの二の腕に、ホクサイは容赦無く注射針を突き刺した。ぷすりと皮膚を貫通する針の痛みに、ミカエルはびくりと一瞬震える。
「そうこなくっちゃ」薬液をゆっくりと体内に注入しながら、ホクサイはそっと囁いた。「さすがは紳士だね。キミの勇姿に感動したよ」
「彼女を人質にとるなんて。君は卑怯だ」
「そうかい?」注射針を抜いてガーゼを刺し口に押し当てたホクサイは、とぼけた様子で首を捻る。
「はい、終わり。血を止めないとだから、しばらくココ押さえといてね〜」
「マスターを傷付けるような輩は、誰であろうと許さない」ドクター・ホクサイの言う事に素直に従い、ミカエルは傷口をガーゼで押さえる。「彼女が苦しむくらいなら、僕は迷わず身代わりになるよ」
たかだか注射だろ、何言ってんだコイツら。
言っている事と行われている事がちぐはぐで、89は呆れてものも言えない。
「私、貴方のこと見直しちゃったわ……」
その身を差し出してまで自分を守ってくれたミカエルに、マスターはぽっと頰を赤く染めていた。
「この僕が、どうして注射を打たれないといけないのかな」
「それは貴方が、人間の身体だからよ」
二の腕をアルコール綿で拭かれて、ミカエルは全身の温度がひやりと下がる心持ちがした。消毒を終えた彼女は、きっと次の準備にとりかかる。その姿を想像しただけで、ミカエルの顔色はますます悪くなった。
「これは予防接種というもので、貴方をウイルスから守るために必要な処置です」
「僕の旋律は、ウイルスなんかに負けないよ」
「頼もしいわね」彼女のくすりと笑う声。「でも、これは全兵士に課せられた義務なの。貴銃士として人間の身体を持つ貴方も、例外ではないのよ」
世界帝軍の全兵士に、新型のウイルスによる感染を防ぐためのワクチンが帝府より提供された。貴銃士たちの医療面でのケアも、メディックであるマスターの大事な役目である。そのため、彼らのワクチン接種は彼女が行うこととなった。
しかし、今まさに、重大な問題が発生している。
注射嫌いなミカエルが、言うことを聞いてくれないのだ。
「いやだ」ミカエルは、ついにきっぱりと予防接種を拒み始めた。「たとえマスターの命令だとしても、僕は絶対に、注射なんかしない」
「子供かよ……」ミカエルの後ろで順番待ちのため並んでいた89が、呆れた様子で呟いている。
「ミカエル、後ろがつかえる。早く済ませてくれ」
「大丈夫だよミカエルクン! 皮下注射だから確かに痛みはあるけど、終わっちゃえばあっという間なんだから〜」
白衣を着てマスターの助手をしているホクサイが、新たな注射器にワクチンを注入しながら呑気に笑う。
「ホクサイ。余計なこと言うんじゃねぇ」
89の忠告も虚しく、「やっぱり痛いんだね……」とミカエルのテンションはだだ下がりだ。
「人の身体に針を刺すなんて。人間のすることじゃない」
「人の身体に弾を撃ち込む貴方が、何言ってるの?」
「とにかく僕は、注射が嫌いなんだ。言葉の響きさえ憎らしい。不愉快だね」
「ミカエル、お願い。私の言う事を聞いて」
「いやだね」
「ミカったら……」
「おいマスター。ぐだぐだ喋ってないで、さっさと刺してやれよ」
苛ついた様子を露わにする89に「ちょっと黙っててくれる?」と彼女は一瞥を投げかける。
いつも余裕綽々なミカエルが、珍しく駄々を捏ねている。そんな彼に困らされている事が新鮮で、奇妙な喜びが湧いた。手の掛かる子ほど可愛いというのは、こういう事だろうか。
「仕方ないな〜。そんなに嫌なら、この注射はマスターに打っちゃおっかな」
注射器を手にしたホクサイが「は〜いマスターちゃん、腕貸して」と彼女の腕を強引に掴む。
「何でそうなるの?」マスターは困惑顔で白衣の助手を見上げた。
「だってミカエルクンが嫌がってるから。キミはもう予防接種を受けてるけど、別に二回打ったって問題ないよね? ワクチン余っちゃっても勿体無いし〜」
「確かに勿体無いけれど、痛いのは嫌だわ」
「うんうん、そうだよねぇ。皮下注射って痛いよねぇ。あの苦痛を二度も味わうなんて……、可哀想に」
「…………」
ミカエルは口を閉ざしたまま、ぎゅっと拳を握り締める。それを視界の端で捉えて、ホクサイはニンマリと口の端を歪めた。
「ボクちゃんだって、マスターに痛い思いはさせたくないよ? でも仕方ないよね。ミカエルクンの身代わりに、キミには苦しんでもらうから。覚悟してね」
さあさあ、と迫り来るホクサイに「この子どうしちゃったのかしら」と彼女は表情を曇らせる。
「ホクサイ」黙り込んでいたミカエルが、突然はっきりと声を上げた。
「マスターを脅すのはお止し。その注射を、僕に打つといい」
えっ、と彼女は驚いて息を呑む。
「えいっ」
差し出されたミカエルの二の腕に、ホクサイは容赦無く注射針を突き刺した。ぷすりと皮膚を貫通する針の痛みに、ミカエルはびくりと一瞬震える。
「そうこなくっちゃ」薬液をゆっくりと体内に注入しながら、ホクサイはそっと囁いた。「さすがは紳士だね。キミの勇姿に感動したよ」
「彼女を人質にとるなんて。君は卑怯だ」
「そうかい?」注射針を抜いてガーゼを刺し口に押し当てたホクサイは、とぼけた様子で首を捻る。
「はい、終わり。血を止めないとだから、しばらくココ押さえといてね〜」
「マスターを傷付けるような輩は、誰であろうと許さない」ドクター・ホクサイの言う事に素直に従い、ミカエルは傷口をガーゼで押さえる。「彼女が苦しむくらいなら、僕は迷わず身代わりになるよ」
たかだか注射だろ、何言ってんだコイツら。
言っている事と行われている事がちぐはぐで、89は呆れてものも言えない。
「私、貴方のこと見直しちゃったわ……」
その身を差し出してまで自分を守ってくれたミカエルに、マスターはぽっと頰を赤く染めていた。