分かりにくいんだよ
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会議室の片付けが終わり、持ち場に戻ろうとした矢先のことだった。
「あ、◯◯、国見。悪いんだけど、文書庫から過去5年分の融資関係の書類を持ってきてくれないか」
不意に、課長からの指示が飛んできた。
「分かりました」
私たちは二つ返事で頷き、並んで廊下へと歩き出した。
目指す文書庫は、一般客の足が絶対に立ち入らない場所にある。
扉の前で、首から下げている社員証をカードリーダーにかざすと、カチャッとロックが解除される音がした。
扉を開けて足を踏み入れると、中はひんやりとしていて薄暗い。
また、紙の独特な匂いが漂っている。
さっさと必要書類を探して、この部屋から引き上げよう。
「えーっと……あった、これだ」
スチールラックの奥から目的の書類を見つけ出し、私は小さく安堵の息を吐いた。
すぐ隣では、国見君が別の必要な書類も見つけてくれ、埃をパタパタと手で払っている。
私は先に扉へ向かい、取っ手に手をかけた。
だけど、グッと力を込めるが、動かない。
引いても押しても、扉はビクともしなかった。
「あれ?開かない……」
「は?何やってんですか、代わってください」
後ろから国見君が呆れたように深いため息を吐き、私を軽く押しのけて、取っ手をガタガタと乱暴に揺らす。
だけど、扉はやっぱり開かなかった。
「マジかよ……」
あの冷静沈着な国見君が、露骨に眉をひそめ、何度も取っ手を動かしている。
「……あ、ねえ、こういう時のための解錠ボタンじゃない?」
私は扉のすぐ脇にある、緊急用のボタンを指差した。
それを強く押し込んでみる。
だけど、虚しくカチカチと音がするだけで、解除された気配はなかった。
どうやら私たちは、この薄暗い密室に閉じ込められてしまったらしい。
壁一面の書類棚。
窓のない部屋。
後輩とはいえ、立派な体格をした1人の男性と、至近距離で2人きり。
焦りと緊張感のせいか、私の脳裏には昔読んだ少女漫画のとあるシチュエーションが唐突に浮かんできた。
「……もしかして、これがキスをしないと出られない部屋?!」
少しでもこの空気を和ませようと、冗談交じりに口にしてみる。
すると、国見君は取っ手に手をかけたまま、死んだ魚のような目でゆっくりと振り返った。
「……何バカなこと言ってるんですか。ただの立て付けの問題か、システムの不具合です。さっさとオフィスに連絡して出ましょう」
1ミリのロマンチックさもない。
極めて冷静で冷ややかな声。
「ですよねー」
私は苦笑いを浮かべながら、制服のポケットを探った。
だけど、いつもそこにあるはずのスマホがない。
「あ……。国見君、私、デスクにスマホ置いてきちゃった」
「はぁ?何やって……」
また呆れ顔をされるかと思ったけれど、国見君の言葉が途中で止まった。
彼は自分のスラックスのポケットを叩き、それからワイシャツの胸ポケットに手を当て、そのまま、ぴたりと動きを止めた。
「……国見君?」
「……僕も、デスクの上です」
国見君が、目に見えて動揺している。
「嘘でしょ!?国見君がスマホ忘れるなんて珍しいね!」
「……さっき急かされて、書類探しに来たから。……あー、最悪」
彼は前髪をガシガシとかきむしると、そのまま壁に背中を預けてズリズリと床に座り込んでしまった。
完全に頭を抱えている。
「こうなれば、力技に出るしかないね」
私は慌てて扉に駆け寄り、手のひらでドンドンと叩きながら叫んだ。
「すみませーん!誰かいませんかー!」
「無駄ですよ。ここ、遮音性に優れていますから。扉のすぐ側ならまだしも、絶対に聞こえません」
「そんなあ、どうしよう……。誰か通りかかってくれないかな……」
「普段使われない文書庫なので、しばらく誰も来ないでしょうね」
膝を抱えた国見君が、恨めしそうに足元の書類を見つめている。
薄暗い部屋の中。
外部との連絡手段は、お互いになし。
「……ねえ、国見君」
「なんですか」
「やっぱりここ、あの部屋なんじゃないの?」
腰を落とし、からかうように彼の顔を覗き込んでみる。
国見君は膝に顔を埋めたまま、しばらく動かなかった。
服の擦れる音と呼吸音がやたら気になる。
この沈黙に耐えかねて、私はさらに1歩、彼との距離を縮めてみた。
「……もしもーし、聞いてる?」
すると、国見君がゆっくりと顔を上げた。
前髪の隙間から覗く切れ長の目が、じっと私を捉える。
「笑えない冗談言ってる暇があれば、誰かが来ることを祈っていてください」
声のトーンは冷ややかだけど、至近距離で見る彼の耳は、さっきよりも確実に赤みを増していた。
それに追い打ちをかけるように、責め立ててみた。
「冷たいなー。案外サクッとキスしたら、簡単に開くかもしれないよ?それとも、他に出る方法でも浮かんだの?」
「……それ、誘っていますか」
国見君は呆れたように息を吐き、だけど私から目を逸らそうとはしなかった。
お互いの吐息が届きそうな距離。
彼の視線が、一瞬だけ私の唇に落ちたような気がして、私はゴクリと息を呑んだ。
国見君がゆっくりと膝に置いていた手を床につき、わずかに上体を起こした、その時。
ガタガタッ
「おーい!◯◯ー?国見ー?いるかー?」
突然、扉の向こうから激しく開けようとする音と、聞き慣れた同僚の声が響き渡った。
「っ!」
私と国見君は、弾かれたように同時に飛び退いた。
「た、立花!助かった、扉が開かなくなっちゃって……」
「やっぱりそうか。ここ、たまに制御盤がフリーズするんだよな。今、強制開錠用のマスターキー借りてくるから、ちょっと待ってろ」
数分後、カチャリと音を立てて扉が開いた。
眩しい廊下の光が、薄暗い文書庫に差し込む。
「課長が、◯◯と国見が中々戻ってこないって言っててさ、俺が様子見に行かされたってワケ」
「本当、助かったー!」
隣を見ると、国見君は何事もなかったかのようにスッと立ち上がり、いつも通りの涼しげな、だけどどこか不機嫌そうな顔で髪を整えている。
「……ありがとうございました」
国見君が立花に軽く一礼すると、立花はヒラヒラと手を振りながら廊下へと向き直した。
「じゃあ、俺はマスターキー返しに行ってくるから、お前らもさっさと仕事に戻れよ」
「うん、また後でね!」
立花の背中を見送る間もなく、国見君は私を置いてさっさと反対側の廊下へと歩き出していた。
「あ、待って、国見君!」
慌ててその後ろ姿を追いかける。
結局、扉はただの一時的なシステムの不具合で、少女漫画に出てくるようなご都合主義な部屋ではなかった。
だけど、私の斜め前を歩く国見君の歩幅が、いつもよりほんの少しだけ遅いことに気付く。
私を待ってくれているのが分かった。
「国見君、……さっきの、まだ引きずってる?」
歩調を合わせながら恐る恐る尋ねると、彼は前を向いたまま答えた。
「……別に」
「本当に?耳、赤いけど」
「気のせいです。黙って歩いてください」
前を向いたままぶっきらぼうに返す彼の横顔を見て、私は書類の下で、小さな笑みをこぼした。
「あ、◯◯、国見。悪いんだけど、文書庫から過去5年分の融資関係の書類を持ってきてくれないか」
不意に、課長からの指示が飛んできた。
「分かりました」
私たちは二つ返事で頷き、並んで廊下へと歩き出した。
目指す文書庫は、一般客の足が絶対に立ち入らない場所にある。
扉の前で、首から下げている社員証をカードリーダーにかざすと、カチャッとロックが解除される音がした。
扉を開けて足を踏み入れると、中はひんやりとしていて薄暗い。
また、紙の独特な匂いが漂っている。
さっさと必要書類を探して、この部屋から引き上げよう。
「えーっと……あった、これだ」
スチールラックの奥から目的の書類を見つけ出し、私は小さく安堵の息を吐いた。
すぐ隣では、国見君が別の必要な書類も見つけてくれ、埃をパタパタと手で払っている。
私は先に扉へ向かい、取っ手に手をかけた。
だけど、グッと力を込めるが、動かない。
引いても押しても、扉はビクともしなかった。
「あれ?開かない……」
「は?何やってんですか、代わってください」
後ろから国見君が呆れたように深いため息を吐き、私を軽く押しのけて、取っ手をガタガタと乱暴に揺らす。
だけど、扉はやっぱり開かなかった。
「マジかよ……」
あの冷静沈着な国見君が、露骨に眉をひそめ、何度も取っ手を動かしている。
「……あ、ねえ、こういう時のための解錠ボタンじゃない?」
私は扉のすぐ脇にある、緊急用のボタンを指差した。
それを強く押し込んでみる。
だけど、虚しくカチカチと音がするだけで、解除された気配はなかった。
どうやら私たちは、この薄暗い密室に閉じ込められてしまったらしい。
壁一面の書類棚。
窓のない部屋。
後輩とはいえ、立派な体格をした1人の男性と、至近距離で2人きり。
焦りと緊張感のせいか、私の脳裏には昔読んだ少女漫画のとあるシチュエーションが唐突に浮かんできた。
「……もしかして、これがキスをしないと出られない部屋?!」
少しでもこの空気を和ませようと、冗談交じりに口にしてみる。
すると、国見君は取っ手に手をかけたまま、死んだ魚のような目でゆっくりと振り返った。
「……何バカなこと言ってるんですか。ただの立て付けの問題か、システムの不具合です。さっさとオフィスに連絡して出ましょう」
1ミリのロマンチックさもない。
極めて冷静で冷ややかな声。
「ですよねー」
私は苦笑いを浮かべながら、制服のポケットを探った。
だけど、いつもそこにあるはずのスマホがない。
「あ……。国見君、私、デスクにスマホ置いてきちゃった」
「はぁ?何やって……」
また呆れ顔をされるかと思ったけれど、国見君の言葉が途中で止まった。
彼は自分のスラックスのポケットを叩き、それからワイシャツの胸ポケットに手を当て、そのまま、ぴたりと動きを止めた。
「……国見君?」
「……僕も、デスクの上です」
国見君が、目に見えて動揺している。
「嘘でしょ!?国見君がスマホ忘れるなんて珍しいね!」
「……さっき急かされて、書類探しに来たから。……あー、最悪」
彼は前髪をガシガシとかきむしると、そのまま壁に背中を預けてズリズリと床に座り込んでしまった。
完全に頭を抱えている。
「こうなれば、力技に出るしかないね」
私は慌てて扉に駆け寄り、手のひらでドンドンと叩きながら叫んだ。
「すみませーん!誰かいませんかー!」
「無駄ですよ。ここ、遮音性に優れていますから。扉のすぐ側ならまだしも、絶対に聞こえません」
「そんなあ、どうしよう……。誰か通りかかってくれないかな……」
「普段使われない文書庫なので、しばらく誰も来ないでしょうね」
膝を抱えた国見君が、恨めしそうに足元の書類を見つめている。
薄暗い部屋の中。
外部との連絡手段は、お互いになし。
「……ねえ、国見君」
「なんですか」
「やっぱりここ、あの部屋なんじゃないの?」
腰を落とし、からかうように彼の顔を覗き込んでみる。
国見君は膝に顔を埋めたまま、しばらく動かなかった。
服の擦れる音と呼吸音がやたら気になる。
この沈黙に耐えかねて、私はさらに1歩、彼との距離を縮めてみた。
「……もしもーし、聞いてる?」
すると、国見君がゆっくりと顔を上げた。
前髪の隙間から覗く切れ長の目が、じっと私を捉える。
「笑えない冗談言ってる暇があれば、誰かが来ることを祈っていてください」
声のトーンは冷ややかだけど、至近距離で見る彼の耳は、さっきよりも確実に赤みを増していた。
それに追い打ちをかけるように、責め立ててみた。
「冷たいなー。案外サクッとキスしたら、簡単に開くかもしれないよ?それとも、他に出る方法でも浮かんだの?」
「……それ、誘っていますか」
国見君は呆れたように息を吐き、だけど私から目を逸らそうとはしなかった。
お互いの吐息が届きそうな距離。
彼の視線が、一瞬だけ私の唇に落ちたような気がして、私はゴクリと息を呑んだ。
国見君がゆっくりと膝に置いていた手を床につき、わずかに上体を起こした、その時。
ガタガタッ
「おーい!◯◯ー?国見ー?いるかー?」
突然、扉の向こうから激しく開けようとする音と、聞き慣れた同僚の声が響き渡った。
「っ!」
私と国見君は、弾かれたように同時に飛び退いた。
「た、立花!助かった、扉が開かなくなっちゃって……」
「やっぱりそうか。ここ、たまに制御盤がフリーズするんだよな。今、強制開錠用のマスターキー借りてくるから、ちょっと待ってろ」
数分後、カチャリと音を立てて扉が開いた。
眩しい廊下の光が、薄暗い文書庫に差し込む。
「課長が、◯◯と国見が中々戻ってこないって言っててさ、俺が様子見に行かされたってワケ」
「本当、助かったー!」
隣を見ると、国見君は何事もなかったかのようにスッと立ち上がり、いつも通りの涼しげな、だけどどこか不機嫌そうな顔で髪を整えている。
「……ありがとうございました」
国見君が立花に軽く一礼すると、立花はヒラヒラと手を振りながら廊下へと向き直した。
「じゃあ、俺はマスターキー返しに行ってくるから、お前らもさっさと仕事に戻れよ」
「うん、また後でね!」
立花の背中を見送る間もなく、国見君は私を置いてさっさと反対側の廊下へと歩き出していた。
「あ、待って、国見君!」
慌ててその後ろ姿を追いかける。
結局、扉はただの一時的なシステムの不具合で、少女漫画に出てくるようなご都合主義な部屋ではなかった。
だけど、私の斜め前を歩く国見君の歩幅が、いつもよりほんの少しだけ遅いことに気付く。
私を待ってくれているのが分かった。
「国見君、……さっきの、まだ引きずってる?」
歩調を合わせながら恐る恐る尋ねると、彼は前を向いたまま答えた。
「……別に」
「本当に?耳、赤いけど」
「気のせいです。黙って歩いてください」
前を向いたままぶっきらぼうに返す彼の横顔を見て、私は書類の下で、小さな笑みをこぼした。
