分かりにくいんだよ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
〜分かりにくいんだよ〜
始業前の銀行のフロアはまだ静寂に包まれていた。
規則正しく並んだデスクと、冷房の微かな音が響くばかり。
私は自分のデスクで、今日の業務の確認をしていた。
すると、すぐ後ろから低くて落ち着いた声で話しかけられた。
「◯◯さん」
振り返ると、そこには私が教育を担当している後輩、国見英君が立っていた。
背の高い彼は、今日もきっちりと紺色のスーツを着こなしている。
その長身故に華奢そうに思われるけれど、白いワイシャツの袖口から見えている彼の腕は、引き締まった男性のものだった。
完璧に着こなしている佇まいから、いかにも仕事が出来そうなオーラを放っている。
実際、“出来そう”ではなく、出来るのだ。
「国見君、何かな?」
国見君は、手に持っていた資料を躊躇なく差し出した。
「◯◯さんが昨日作成された資料に不備がありました」
その一言で、私の血の気が引いた。
「えっ!」
慌てて資料を受け取る。
国見君の指が、印刷された表の問題箇所をトントンと指差した。
「まず、この表の数値が違います。それに伴って、こっちの入力箇所にもズレが生じてる。……そもそもなんですけど、参考にしているデータ、最新のじゃありませんよね」
「……っ」
喉の奥がカラカラに乾き、嫌な汗が出る。
ぐうの音も出ない。
私はただただ自分の不甲斐なさに苛まれた。
教育係でありながら、後輩の国見君に、こんな初歩的なミスを指摘されるなんて。
彼は呆れもせず、ただ事実を述べるように私にとどめを刺した。
「後輩に指摘されるなんて、どうかと思いますけどね」
見下ろす彼の視線が痛い。
私は俯いたまま、消え入りそうな声で絞り出すのが精一杯だった。
「す、すみません……」
入行当初は、何に対しても素直に頷き、指導内容を吸収していく、可愛げのある後輩だったのに。
それがいつの間にか、私を追い越すほどの成長を遂げ、今や見下すような口の利き方になってしまった。
だけど、この急激な変化は、他でもない私自身の甘さが招いた結果なのだろう。
先輩がしっかりしていないと、後輩が頼もしくなる。
「今指摘した箇所、全て直しておいたので。次からは気を付けてください」
国見君は吐き出すように言うと、私の手元に修正済みの束を戻した。
私は唇を噛み締め、小さく頷く。
「お手数、お掛けしました……」
自分が惨めで、どうしても顔を上げられなかった。
「では、僕はこれで……」
国見君が踵を返そうとした時、素直に見送ればよいものを、私は咄嗟に呼び留めてしまった。
「あ、国見君!」
「……何ですか?」
彼の声は相変わらず事務的で、一刻も早くこの場を立ち去りたいという気持ちが透けて見える。
そんな焦りからか、空気の読めない言葉を発してしまった。
「お詫びに、コーヒーでも奢らせてよ」
一瞬の沈黙。
フロアの奥から聞こえてくるキーボードを叩く音が、やけに大きく響いた。
国見君は、冷ややかな視線を向けると、即座に拒絶した。
「結構です」
「そ、そうだよね。ごめんね」
胸がズキリと痛んだ。
初めてできた後輩。
本当はもっと良好な関係を築きたかっただけなのに、私のやることは全て裏目に出て、空回りしてしまう。
こんな頼りない先輩に、コーヒー一杯の恩すら売られたくないのは当然だ。
きっと私は、彼に心底嫌われている。
「話はそれだけですか」
「あ、うん……」
私が言葉に詰まると、国見君はそれ以上待つことなく、さっさと自分の持ち場へと戻っていってしまった。
私は国見君が修正してくれた資料に目を落とした。
捲ってみて、息を呑む。
先ほど指摘された数値や入力箇所の修正だけでなく、行間やフォント、グラフの配置など、デザイン面まで細かく手直しされていた。
私が作ったものよりも、格段に見やすく、説得力が増している。
本当に巣立ちの早い後輩だ……。
優秀な後輩の背中に、私は悔しさとともに、拭いきれない寂しさを感じた。
彼はもう、私の教育を必要としていない。
1/8ページ
