面影
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〜面影〜
「あーあ、雨降ってきちゃった」
終業時間の少し前から、窓の外は黒くて厚い雲が覆っていた。
嫌な予感はしていたけれど、いざ職場のエントランスを出ると、アスファルトには無数の水滴の跡が付いていた。
天気予報を信じて持参した折りたたみ傘を広げる。
ビニール越しに聞こえるパラパラという音が、耳に響く。
「降らないに越したことはなかったんだけど……」
独り言は雨音にかき消された。
私は小さく肩をすくめ、水溜まりを避けながら帰路を急いだ。
……。
…………。
自宅付近まで辿り着く頃には、雨はさらに勢いを増していた。
横殴りの雨に傘は役に立たず、靴はすでにぐっちょりと重い。
靴下の内側まで冷たい水が染み込んできて、歩くたびに不快な感触が伝わる。
「……寒っ」
思わず身震いし、腕をさすったその時だった。
数メートル先の街灯の下、傘も差さずに立ち尽くしている人影が視界に入った。
全身黒尽くめの服装。
雨避けなのか、パーカーのフードを深く被っている。
その長身なシルエットから、男性であることはすぐに分かった。
そこは雨を凌げる軒下でもなければ、バス停でもない。
ただの道端だ。
タクシーを待つ素振りもなく、彼はただ、降り注ぐ冷たい雨を受け止めていた。
彼の横を通り抜けようとしたとき、その人物の顔が見えた。
正確には、顔を覆うような手の形をした異様な装飾を着けているため、表情は分からない。
それなのに、その佇まいから、全身びしょ濡れで体温を奪われているはずなのに、彼からは困惑も悲壮も感じられなかった。
その異質な、けれどどこか寂しげな空気に、私は気付けば声をかけていた。
「あのー、風邪引きますよ?」
男性が、重い動作でゆっくりとこちらを振り向く。
手の装飾の指の隙間から見える真っ赤な瞳が、私を捉えた。
「……こんな俺に、よく話しかけようと思ったな」
低く、地を這うような声。
怪しくないと言ったら嘘になる。
だけど、それ以上に私は彼の姿に魅入られていた。
アナタの容姿があまりにもそっくりだったから。
フードの端から覗く真っ白な髪、そして、燃えるような赤い瞳。
それは、数日前にこの世を去ったばかりの私の愛兎の面影そのものだった。
あの子が形を変えて、会いに来てくれたのかもしれない。
そんな馬鹿げた、自分勝手な幻想を抱くほどに。
もちろん、目の前にいるのが人間であることくらい、頭では分かっている。
だけど、1度そう思ってしまうと、止まらなかった。
「どうして、こんなところにいるの?」
気付けば、あの子に話しかける時のような、親密で少し甘えた口調になっていた。
「……そんなこと聞く前に、俺が危険なヤツかどうか確かめるのが先じゃないのか?」
彼は真っ赤な瞳を細め、挑発するように言った。
確かにその通りだ。
雨の中、異形の装飾をつけた男に話しかけるなんて、無防備にも程がある。
「じゃあ……アナタは危険な人なの?」
私が真っ直ぐに問い返すと、彼は少しだけ虚を突かれたように沈黙した。
やがて、喉の奥で短く、自嘲気味に笑う。
「そのまま聞くヤツがいるかよ。アンタも大概だな」
その呆れたような物言いに、私は不思議と恐怖を感じなかった。
バカ正直な問いを投げかけてしまったのは、彼の中にあの子の面影を探してしまっているからなのだろうか。
私には分からなかった。
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