何でもない日
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〜何でもない日〜
仕事終わりの駅前の街灯の下、彼はすぐに目についた。
モデルのような細身の長身に、少しクセのある髪型、見慣れた黒縁の眼鏡。
月島蛍は、そこに立っているだけで周囲とは違う空気を纏って見えた。
「蛍、お疲れ様!」
人混みを縫って駆け寄ると、彼は重たそうに瞼を持ち上げ、気怠げにこちらを振り返った。
眼鏡の奥の瞳には、隠しきれないほど濃い隈ができている。
「……ああ、お疲れ」
掠れた声。
最近の忙しさは相当なものなのだろう。
「……顔、酷いよ。ちゃんと眠れてる?」
心配のあまり覗き込むようにして声をかけると、彼はふい、と視線を逸らした。
「別に……」
短く、突き放すような呟き。
長い指先が眼鏡のブリッジを押し上げた。
平気そうな素振りを見せるけれど、そのまま歩き出す足取りはどこか危うく、私は思わず彼のコートの袖を軽く掴んだ。
「あ……ごめん。でも、あんまり無理しないで」
蛍は立ち止まり、掴まれた袖をじっと見つめた後、深いため息を吐いた。
「……社会人なんだし、無理くらいするデショ」
吐き出された言葉は冷ややかだったけれど、そこには皮肉めいた鋭さはない。
あるのは、ただの疲労。
「でも……」
ふいに、蛍の声の温度が少しだけ変わった。
「●●の顔を見たら、少しだけ気を抜いてもいいんだなって、思えた」
「蛍……」
弱音を吐くのが苦手な彼が、精一杯の歩み寄りで私に向けた本音。
その後、駅前で簡単に夕食を済ませてから彼の家へ向かった。
道中も、彼は終始疲れ切った様子で、私の問いかけにもどこか上の空だった。
ーーーー
翌朝、カーテンの隙間から差し込む光で目を覚ますと、隣で寝ていたはずの蛍の姿がなかった。
「蛍……?!」
慌てて飛び起き、音のする方へ向かうと、洗面所では、既に完璧にスーツを着た彼が仕上げのネクタイを締めているところだった。
「あ、起きた?」
鏡越しに視線が合う。
「なんでスーツ?」
「ごめん。急遽、休日出勤になった」
「え……だって今日は、一緒に映画……」
楽しみにしてたのに。
喉まで出かかった言葉を、私は必死に飲み込んだ。
苦虫を噛み潰したような彼の表情を見て、言葉にしてはいけないと悟ったからだ。
彼だって、仕事に行きたくないはずだ。
こんな疲れ切った体を引きずってまで。
せめて、私くらいは快く送り出さないと。
「……分かった。気を付けてね」
「ありがとう。●●は好きにしてていいから。じゃあ、行ってくる」
少しだけ申し訳なさそうに視線を逸らして、準備を終えた彼は、嵐のように家を出て行ってしまった。
バタン、と鍵が閉まる音。
1人残された静かな部屋。
改めて見渡せば、いつもは完璧に整頓されているはずの彼の部屋が、わずかに荒れていた。
机に積まれた資料、溜まっている洗濯物、水垢のついた鏡や窓ガラス。
昨夜、駅で会った時のあのボロボロな姿が脳裏をよぎる。
部屋に入ったときから気になっていたけれど、掃除に手が回らないほど忙しかったんだ。
それなのに、昨夜は私のために時間を作ってくれて、家に招待してくれて……。
結局、その休日さえ仕事になってしまったけれど。
「……よし、掃除、頑張っちゃおうかな」
彼が帰ってきた時に、少しでも深く呼吸ができるように。
そんな願いを込めて、私は腕をまくった。
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