好きな人の好きな物は嫌いでも好き
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〜好きな人の好きな物は嫌いでも好き〜
「ん〜っ」
背伸びをしながら時計を見ると、後少しで就業時間だった。
冬のこの時期、帰る頃には外はすっかり真っ暗。
今日は幸い、突発的な仕事の波に飲まれることもなく、急ぎの案件もすべて片付いた。
このまま穏やかに、予定通り定時にオフィスを出られそうだ。
人目を忍ぶようにプライベート用のスマートフォンを取り出し、画面を覗き込む。
やはり、同棲している彼氏、菅原孝支からメッセージが来ていた。
“今日も残業で帰りが少し遅くなるかも”
その簡潔な一文に、私は「了解」とだけ打ち返して送信し、すぐにスマホをバッグの奥にしまった。
孝支は小学校の教員として働いており、日々子供たちの成長を見守っている。
そして、今は絶賛2学期の通知表を付けていて忙しいらしい。
それに加え冬休みの宿題の作成があり、一段と帰りが遅い。
自分が小学生のときには気が付かなかったけれど、教員ってこんなにも忙しいのか、と孝支の様子を見て改めて思い知らされた。
そんな彼に、少しでもスタミナをつけて、明日への活力を養ってもらいたい。
「今晩は、お鍋にしようかな……」
誰にも聞こえない、自分だけの声でそっと呟く。
確か、ポストにいつもは行かない少し遠いスーパーの特売チラシが入っていたはずだ。
職場からだと、普段利用するスーパーより少しだけ距離がある。
だけど、孝支の帰りが遅いのなら、たまには足を延ばして、お得な食材を探しに行ってみても良いかもしれない。
私の頭の中はもうすっかり、湯気が立ち上る熱々の鍋のことでいっぱいだった。
……。
…………。
思っていたよりも、職場からそのスーパーは近く感じられた。
建物の周りには、色褪せ始めた「特選鍋フェア」と書かれたのぼりが、冬の風にパタパタと音を立ててはためいている。
別に、こののぼりを見たから鍋にするわけじゃないんだから。
最初に鍋に決めてから来たんだからね。
と、誰に聞かれるわけでもないのに心の中で謎の言い訳をしながら入店した。
自動ドアをくぐると、店内は温かく、外気の冷たさで強張っていた頬の筋肉が緩む。カートではなく、かごを手に取って、食材を選び始めた。
「えーっと、白菜はまだ残ってたはずだから……ニラと、もやし、それに豆腐っと」
一つ一つ手に取るたびに、値札の数字に目を見張る。
普段行くスーパーよりも、どれもこれも心持ち安い。
これからは、たまに利用してみても良さそうだ。
野菜と基本の具材を入れ終え、次に向かうのは鍋つゆの棚だ。
時期が時期なだけあって、棚一面が鍋つゆのパッケージで埋め尽くされている。
味噌、塩、醤油、豚骨……種類が多すぎて迷うほどだ。
でも、選ぶべきものは決まっている。
ここはやはり、孝支が心底愛してやまない、辛い味のつゆだろう。
彼の顔を思い浮かべながら、棚の中から最も目を引くパッケージを探す。
「……これ、かな」
視線が止まったのは、赤と黒のコントラストが目に痛いほど鮮やかな商品だ。
「鬼」だの「地獄」だのと物騒な単語が躍り、唐辛子のキャラクターが汗だくで辛そうな表情を浮かべている。
ちなみに、私は辛いものが嫌いではないけれど、特別得意というわけでもない。
世間一般で言えば普通レベルだ。
「こんなもんかな」
再度、かごの中をゆっくりと見渡し、買い忘れがないか確認する。
満足してレジを済ませ、両手にエコバッグを提げて店を出た。
自動ドアの外で、冷たい冬の風が容赦なく体を叩きつける。
「ひっ!寒っ!」
思わず短い悲鳴を上げて、首をすくめた。
急いで帰って、あの激辛の鍋を煮込んでしまいたい。
孝支が帰宅したとき、暖かく湯気の立つ食卓を用意して、疲れた彼を迎え入れてあげたい。
私は、買ったばかりの具材が詰まった袋をしっかりと抱きしめ、早足で家路を急いだ。
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