ドアベル、今日のご機嫌は
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〜ドアベル、今日のご機嫌は〜
閉店時間を迎えると、私は外ではためいていたのぼりを店内に引き入れた。
ドアの動きに連動して、上部に取り付けられたドアベルが寂しく鳴り響く。
まるで「お疲れ様」と今日の役目を終えたことを知らせているようだ。
ドアを閉め、鍵をカチャリと掛ける。
次に向かったのは、空になったショーケース。
昼間は色とりどりのケーキがずらりと並んでいた。
今はただ、ガラスが常夜燈の照明を反射しているだけだ。
私は手慣れた手つきでケース内を拭き上げていく。
「……よしっ、オッケー!覚君の方は順調?」
厨房へ繋がる戸を開けて顔を覗かせると、オーナーパティシエであり、私の恋人でもある天童覚は、ちょうど看板商品であるチョコレートケーキの生地を型から外しているところだった。
「お疲れ様、●●ちゃん。こっちも粗熱取れたら、今日の作業は終わりだヨ。それより、見てよこの生地!今日もふわふわで最高の出来栄えだと思わなーい?」
覚君は型から外した生地を並べながら、飄々としたいつもの調子でウインクしてみせる。
だけど、その手つきはまるで赤子を扱うように優しくて繊細だ。
「本当だ、ふっくら焼けてる!覚君の仕事はいつも完璧だね」
私が笑って言うと、覚君は照れくさそうに肩をすくめ、目尻を下げた。
「やだなぁ、●●ちゃんにそんな真っ直ぐ褒められちゃうと、照れるじゃない」
だけど、綻んでいた彼の表情は、一瞬でかげりを見せた。
焼き上がった生地を見つめる彼の瞳が、どこか遠くを映しているように感じられる。
「……でもさ」
覚君は急に声を少し落とし、ぽつりと呟いた。
「完璧なんて言われると、まだまだだなーって思っちゃうんだよネ」
いつもおちゃらけている彼の横顔に、ふっと職人の影がよぎる。
フランスという大きな舞台を目指す彼にとって、この日本での店は単なる通過点にすぎない。
自分の技術がどこまで通用するか、そして何より、お客様に笑顔を届けられるか。
そのために、覚君のこだわりは異様だった。
遠くに行ってしまいそうな彼を前に、胸の奥がギュッと締め付けられる。
「覚君……」
そんな私の不安を察したのか、覚君はデコ缶を片付け終えると、パッと私の顔を覗き込んだ。
「そんな暗い顔しないでヨ!」
長い足を一歩踏み出し、私との距離をスッと詰める。
彼はいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべ、私の頬をそっと指先で突いた。
「ねえ、それより、粗熱が取れるまでに、もう少し時間あるでしょ?試作した新作チョコ、真っ先に試食させてあげようか?」
「……えっ、新作チョコ?」
「そう!ちょっと待ってねー……ほら、口開けて」
冷凍庫から取り出した生チョコを1つ摘まみ、私の口へと運ぶ。
断る隙もなく与えられたそれを口に含むと、なめらかな口溶けのチョコから、微かにお酒の風味が広がった。
「……っ、美味しい……!」
思わず漏れ出た言葉に、覚君は誇らしげに笑う。
「でしょ!」
「これって……もしかして、日本酒?」
「おっ、よく分かったね!日本らしく、かつ海外にも受け入れてもらえるテイストにしたんだよネ」
私の反応を見た覚君は、嬉しそうに目を細める。
「……まっ、フランスのことより、今は目の前の●●ちゃんを虜にしたいと思ってるんだけどネ!だからさ……」
少し低くなった彼の声が、静かな厨房に響く。
「そんな不安な顔、しないでよ」
そう呟くのと同時に、彼の唇が重ねられる。
口の中に残っていたチョコレートの甘さと、彼の体温が混ざり合い、私の不安はゆっくりと溶けていった。
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