強くて優しい鬼
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あの日から、夜間警備は以前よりも少しだけ楽しみになっていた。
いつものように校内を見回る。
足音は相変わらず静かな空間に響くけれど、暗闇に対する恐怖は、少しだけ薄れていた。
なぜなら、あの変わった人間が、どこかにいるかもしれないから。
そう思うだけで、学校がただの不気味な建物以外の場所になる。
「……今日は、会えるかな」
ふと、図書室の前に差し掛かった時。
ドアの隙間から、漏れ出している光を見つけた。
「……電気の消し忘れ?」
それとも……。
淡い期待を胸に小さく息を吐き、私はドアをノックした。
「失礼します。夜間警備です」
「あ!●●さん!こんばんは!」
そこにいたのは、山のような資料に囲まれて机に突っ伏した、安倍先生だった。
だけど、今夜の彼は先日のような緩い格好ではない。
スーツを身に纏い、いつになく真剣な顔で、分厚い古文書と格闘しているようだった。
「安倍先生、また忘れ物ですか?次は届けませんよ」
「ひどいなぁ!今日は違うよ!ほら、僕、人間だし、ここに赴任してまだ日が浅いから、妖怪のこと……みんなのことをもっと知ろうと思って調べていたの!」
妖怪の全て……妖怪の起源……妖怪伝承……妖怪民俗学……。
広げられた書籍のタイトルを見る限り、どうやら冗談を言っているようには見えなかった。
「だけど、これがなかなか難しくて……。文献によって書いてあることがバラバラなんだよ」
彼は力なく笑い、机の上の資料を私の方へ向けた。
そこには、古い筆致で“温羅”の二文字が記されていた。
「……私の一族のことも調べてるんですか?」
「うん。●●さんとせっかく友達になったからね!……あっ、もしかして迷惑だった?!友達だと思っているのは、僕だけだった?!」
友達……。
その言葉が、私の心にすとんと落ちた。
一族からも出来損ないと疎まれ、誰とも関わらずに生きてきた私に、そんな言葉を投げかけてくれる人がいるなんて。
「友達でいいですよ。ただ、今度からはコソコソと調べず、直接聞いてください。私に分かる範囲でしたら答えますので」
「本当?ありがとう!●●ちゃん!」
ちゃっかり「ちゃん」呼びに変わっている。
この人の距離の詰め方は、本当に予測不能だ。
「じゃあ、早速なんだけど……。この間の力比べで温羅の力が強いのは分かったけど、変身もできるみたいなんだ。●●ちゃんもできるの?」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
その質問は、私のトラウマを呼び起こすには充分だった。
目を閉じれば、今でも鮮明に思い出せる。
一族の集落で行われた儀式を……。
……。
…………。
温羅の一族は、成人の儀として、猛獣への変身を披露しなければならない。
順番を待つ中、同年代の若者たちが次々と猛々しい虎や、凶悪な辰へと姿を変える。
そして、やってきた私の番。
変われ、変われ……お願い……!
額から汗を流し、爪が食い込むほど拳を握りしめても、私の姿は無情なほど変わらなかった。
“温羅の血筋の恥さらしめが”
“変身の術も持たぬ出来損ない”
投げつけられたのは、冷たい視線と罵声。
実の親ですら、私を見る目は赤の他人のように冷ややかだった。
あの日、私は全てを捨てて里を出たのだ。
……。
…………。
「私は……一族の中でも、落ちこぼれなので……。力もそこまでですし、変身だって、一度も成功したことがないんです……」
絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。
だけど、安倍先生は笑わなかった。
それどころか、体をくるりと回して、私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「そんなことないよ!変身なんてできなくても、●●ちゃんは夜の学校を守ってくれる、強くて優しい鬼さんだよ。自信持って!」
「……先生に言われても、あんまり説得力ないです」
口では毒づきながらも、内心嬉しかった。
私は自分の角にそっと触れた。
隠したくて仕方がなかったこの角が、今夜は少しだけ、誇らしく感じられた。
「……あ、そうだ!自信をつけるために、やっぱりセーラー服着てみない?絶対似合うと思うんだよね!」
「……先生、一発殴っていいですか?」
「ひぇっ!勘弁してー!」
静かな図書室に、私たちの小さな笑い声だけが響く。
「ふふ……、友達なので許します」
「本当?ありがとう!」
自分の口から出た初めての友達という単語に、なんだかむず痒く感じた。
いつものように校内を見回る。
足音は相変わらず静かな空間に響くけれど、暗闇に対する恐怖は、少しだけ薄れていた。
なぜなら、あの変わった人間が、どこかにいるかもしれないから。
そう思うだけで、学校がただの不気味な建物以外の場所になる。
「……今日は、会えるかな」
ふと、図書室の前に差し掛かった時。
ドアの隙間から、漏れ出している光を見つけた。
「……電気の消し忘れ?」
それとも……。
淡い期待を胸に小さく息を吐き、私はドアをノックした。
「失礼します。夜間警備です」
「あ!●●さん!こんばんは!」
そこにいたのは、山のような資料に囲まれて机に突っ伏した、安倍先生だった。
だけど、今夜の彼は先日のような緩い格好ではない。
スーツを身に纏い、いつになく真剣な顔で、分厚い古文書と格闘しているようだった。
「安倍先生、また忘れ物ですか?次は届けませんよ」
「ひどいなぁ!今日は違うよ!ほら、僕、人間だし、ここに赴任してまだ日が浅いから、妖怪のこと……みんなのことをもっと知ろうと思って調べていたの!」
妖怪の全て……妖怪の起源……妖怪伝承……妖怪民俗学……。
広げられた書籍のタイトルを見る限り、どうやら冗談を言っているようには見えなかった。
「だけど、これがなかなか難しくて……。文献によって書いてあることがバラバラなんだよ」
彼は力なく笑い、机の上の資料を私の方へ向けた。
そこには、古い筆致で“温羅”の二文字が記されていた。
「……私の一族のことも調べてるんですか?」
「うん。●●さんとせっかく友達になったからね!……あっ、もしかして迷惑だった?!友達だと思っているのは、僕だけだった?!」
友達……。
その言葉が、私の心にすとんと落ちた。
一族からも出来損ないと疎まれ、誰とも関わらずに生きてきた私に、そんな言葉を投げかけてくれる人がいるなんて。
「友達でいいですよ。ただ、今度からはコソコソと調べず、直接聞いてください。私に分かる範囲でしたら答えますので」
「本当?ありがとう!●●ちゃん!」
ちゃっかり「ちゃん」呼びに変わっている。
この人の距離の詰め方は、本当に予測不能だ。
「じゃあ、早速なんだけど……。この間の力比べで温羅の力が強いのは分かったけど、変身もできるみたいなんだ。●●ちゃんもできるの?」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
その質問は、私のトラウマを呼び起こすには充分だった。
目を閉じれば、今でも鮮明に思い出せる。
一族の集落で行われた儀式を……。
……。
…………。
温羅の一族は、成人の儀として、猛獣への変身を披露しなければならない。
順番を待つ中、同年代の若者たちが次々と猛々しい虎や、凶悪な辰へと姿を変える。
そして、やってきた私の番。
変われ、変われ……お願い……!
額から汗を流し、爪が食い込むほど拳を握りしめても、私の姿は無情なほど変わらなかった。
“温羅の血筋の恥さらしめが”
“変身の術も持たぬ出来損ない”
投げつけられたのは、冷たい視線と罵声。
実の親ですら、私を見る目は赤の他人のように冷ややかだった。
あの日、私は全てを捨てて里を出たのだ。
……。
…………。
「私は……一族の中でも、落ちこぼれなので……。力もそこまでですし、変身だって、一度も成功したことがないんです……」
絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。
だけど、安倍先生は笑わなかった。
それどころか、体をくるりと回して、私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「そんなことないよ!変身なんてできなくても、●●ちゃんは夜の学校を守ってくれる、強くて優しい鬼さんだよ。自信持って!」
「……先生に言われても、あんまり説得力ないです」
口では毒づきながらも、内心嬉しかった。
私は自分の角にそっと触れた。
隠したくて仕方がなかったこの角が、今夜は少しだけ、誇らしく感じられた。
「……あ、そうだ!自信をつけるために、やっぱりセーラー服着てみない?絶対似合うと思うんだよね!」
「……先生、一発殴っていいですか?」
「ひぇっ!勘弁してー!」
静かな図書室に、私たちの小さな笑い声だけが響く。
「ふふ……、友達なので許します」
「本当?ありがとう!」
自分の口から出た初めての友達という単語に、なんだかむず痒く感じた。
