強くて優しい鬼
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〜強くて優しい鬼〜
静まり返った深夜の百鬼学園。
昼間の様子は知らないけれど、この時間の施設は、どこも似たような雰囲気を醸し出している。
私は警備服の襟を正し、重い腰を上げた。
「……よし、行こう」
私の仕事は、この広大な学園の夜間警備だ。
戸締まりや消灯の確認、水漏れや漏電のチェック。
そして、不審な影がないか……。
懐中電灯の細い光だけを頼りに、誰もいない廊下へと足を踏み出す。
窓の外の風音が亡霊の叫び声のように聞こえ、私は思わず肩をすくめた。
「今日も……どうか、平和に終わりますように」
私は自らの胸元をギュッと握りしめた。
私の家系は、鬼の中でも取り分け強大な力を持つとされる『
かつて吉備の地を統べ、桃太郎伝説のモデルになったとも言われる、略奪を行う凶暴な鬼。
その血を引く者は、岩をも砕く剛腕と、高度な変身能力を持ち、周りを欺くと言われている。
だけど、私にそんな勇ましさは微塵もない。
私は、一族の中でも有名な落ちこぼれだ。
頭には立派な2本の角こそあれど、中身は臆病で、争い事が大嫌いな弱虫。
変身術すら満足に扱えず、角を隠すことすらままならない。
だから私は、一度も人間の住む本土へ降りたことがなかった。
一族を陥れたと言い伝えられる人間たちに、興味もなければ関わりたくもない。
角が隠せないから、という理由は、外界を拒絶する私にとって、格好の言い訳でもあったのだ。
極力、誰とも会いたくない。
話したくない。
そんな私にとって、深夜の校舎を1人で巡る夜間警備員は、まさに天職だった。
“鬼の警備員ならば、並の妖怪は近寄らないだろう”
そんな安直な理由で採用してくれた雇い主には申し訳ないけれど、中身がこんなビビリだと、微塵も思っていないだろう。
「……ここも、異常なし」
自分を励ますように呟きながら、弐年生の教室が並ぶ棟へ足を踏み入れた。
その時だった。
弐年参組。
その室名札が掲げられた教室の中から、ゆらりと動く不審な影が見えた。
「っ……!?」
心臓が跳ね上がる。
滅多に不審者なんて出ないのに、よりによって私の当番の日に……。
逃げ出したい。
今すぐ懐中電灯を投げ捨てて、この場を離れたい。
だけど、これが私の仕事だ。
私は震える手で懐中電灯を握り直し、勇気を振り絞った。
「だ、誰っ!そこで何をしているの?!」
勢いよく扉を開けた後、精一杯の声を張り上げ、不審な影に光を向ける。
そこにいたのは、恐ろしい妖怪でも、不審な侵入者でもなかった。
夜の校舎にはあまりに不釣り合いな、緩い格好をした背の高い男だった。
「待って!待って!怪しいもんじゃないよ!僕、ここの教員です!」
男は眩しそうに目を細め、両手を上げて慌てて弁明した。
照らされた顔に、私は見覚えがあった。
「確か……安倍晴明、先生……でしたっけ?」
教員名簿で見た、新任の人間教師だ。
「キミは……その制服、警備員さん?」
「……はい、●●と言います。もう、驚かさないでくださいよ……心臓が止まるかと思いました」
緊張の糸がぷつりと切れ、私はその場にへたり込んでしまった。
「ごめん、ごめん!いやあー、ちょっと忘れ物をしちゃいまして」
安倍先生は、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「忘れ物は見つかりましたか?」
「はい、おかげさまで!」
そう言って彼が大事そうに掲げたのは、『全国セーラー服カタログ』と書かれた、どう見ても私物の本だった。
「あ……そ、それは……よかったですね」
引き気味の私の視線に気付いたのか、彼は食い気味に身を乗り出してきた。
「あっ!勘違いしないでほしいんだけど、制服なら何でもいいワケじゃないからね!僕はセーラー服専門なの!」
「何も言っていませんよ……」
変な人だ。
ひとまず、校内に異常がないことは確認できた。
私は立ち去ろうとしたが。
「……っ!」
安堵した拍子に腰が抜けてしまい、足に力が入らない。
情けなくて俯いていると、視界に安倍先生の裾が入ってきた。
彼はフッと柔らかく微笑み、私の隣にすとんと腰掛けた。
「●●さんは、何の妖怪なんですか?立派な角があるってことは……」
「……温羅、と呼ばれる鬼の一族です」
「温羅!あの桃太郎に出てきた鬼ヶ島の!?うわー! 本物だ、凄いなー!」
キラキラとした純粋な称賛の瞳。
だけど、その眩しさが私にとっては苦しかった。
「凄くなんて……ありません」
それは、謙遜ではなく、心の奥底から思っている本心からだった。
だけど、安倍先生は私の心の内など露知らず、楽しげに話を続けた。
「僕のクラスにも鬼の子がいてね。やっぱり●●さんも、力は強いんですか?」
「まあ……それなりに……」
「なら、試しに僕の手を力いっぱい握ってみてよ。どのくらい凄いのか知りたいな」
ひょいと差し出された、白くて細い、人間の手。
私は人間を、こんなに近くで見たことも、触れたこともない。
自分の鬼の力が、この脆そうな存在を壊してしまわないか、本気で怖かった。
「……骨、折れますよ?」
「ひぇっ!脅かさないでよ!」
安倍先生はわざとらしく肩をすくめて笑った。
「そう言えば、妖怪なのに、妖怪が怖いんだね。さっき、僕のこと見て驚いていたし」
不意に、一番痛いところを突かれた。
私は唇を噛み、消え入りそうな声で反論する。
「……人間だって、怖い人は怖いでしょう?ヤンキーとか、反社会的勢力の人とか……それと同じです」
「確かに!僕なんて、小学生に泣かされたことがあるよ!」
「ふふ……っ。それは、先生が情けなさすぎます」
思わず吹き出すと、安倍先生がパッと顔を輝かせた。
「あ、やっと笑ってくれた!」
「え……?」
「だって、僕のせいで怖がらせちゃったから。笑ってくれたなら、よかったよ!」
静かな教室で、彼の言葉が響く。
一族が人間から受けた仕打ちを思い、人間は皆、強欲で恐ろしい生き物だと思っていた。
だけど、こんな風に鬼の私の顔色を伺って、笑わせようとしてくれる優しい人もいるのだと、初めて知った。
「おっと、喋りすぎちゃったね。そろそろ職員寮に戻らないと。●●さんも引き留めてしまってすみませんでした」
安倍先生はひょいと立ち上がると、今度は私を引き起こすために、さりげなく手を差し出した。
気が付けば、私はその手を掴んでいた。
温かくて、柔らかい、鬼の手とは違う。
これが、人間の体温なんだ……。
無意識に、指先に少しだけ力がこもる。
「あいたたたたたっ!」
「あ!ご、ごめんなさい!」
慌てて手を離すと、彼は赤くなった手をさすりながら、涙目でへらりと笑った。
「大丈夫、大丈夫!慣れてますから、こういうの……あはは……」
一体、普段どんな生活をしたらこの痛みに慣れるのだろうか。
この人は、本当に底が知れない。
「じゃあ、引き続き警備、頑張ってくださいね。応援してます!」
安倍先生はひらひらと手を振りながら、廊下の闇へと消えていった。
静まり返った教室。
ふと足元を見ると、1冊の本がポツンと取り残されている。
「……あ、カタログ忘れてる」
本当に、気が回るのか、ただのうっかりさんなのか、読めない人だ。
仕事が終わった後、届けに行こうかな……。
このままここに放置してもいいけれど、また彼と話す口実が欲しくて、私はそのカタログをそっと拾い上げた。
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