常にキミを見ている
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「……まずは、この廊下の隅から始めましょう」
定例会を終え、私はヒトミさんを連れて北側の長い廊下へと向かった。
私は彼女にほうきと、雑巾を掛けた水の入ったバケツを手渡した。
「はい、●●さん!」
ヒトミさんは元気よく返事をすると、さっそく掃き掃除を始めた。
「私は向こうの掃除をしますので。何か分からないことがあれば、すぐに聞いてください」
「任せてくださいって!」
本当に大丈夫だろうか……。
若干の不安を覚えつつも、私は彼女に任せて自分の持ち場へと向かった。
だけど、いざ様子を伺いに戻ると、掃除が行き届いておらず、角には埃がたまっていた。
「ヒトミさん。ここ、まだ汚れています。もう一度やり直してください」
「あー!本当ですね!全然気付かなかったですー!」
背後でほうきを持っていたヒトミさんは、驚いたように声を上げた。
反省するどころか、彼女は悪びれもせず、ペロッと可愛らしく舌を出してみせる。
だけど「気付かなかった」なんて言い訳は通用しない。
入道家に仕える使用人のほとんどが、目にまつわる妖怪だ。
一目連であるヒトミさんも例外ではない。
言葉を重ねようとすると、彼女は私の顔を覗き込み、屈託のない笑顔を向けた。
「●●さんって、なんだか昔ながらの厳しい姑さんみたいですね!」
その瞳には、少しの悪意も混じっていない。
だからこそ、私が指導しなければならない。
私は大きくため息を吐き、改めて彼女に向き直った。
優しい雰囲気は消し去り、教育係としての威厳を込めて。
「ヒトミさん。失敗は誰にでもあることです。でもね、まずは言い訳をせずに謝りなさい」
低く、けれど芯の通った声。
ヒトミさんの頬がわずかに引きつった。
「……はい。分かりましたー」
少しだけ元気のない返事。
頭は下げたものの、謝罪の言葉はない。
彼女の瞳の奥には、反省の色は見えなかった。
それどころか、嫌悪すら感じられる。
だけど、彼女はすぐにいつもの明るい表情に戻った。
「さあて、やり直し、やり直し!」
遠ざかっていくヒトミさんの背中を見送りながら、私は彼女に対して不信感を抱いた。
ーーーー
廊下の清掃を終え、次に向かったのは厨房の洗い場だった。
ぬるま湯が溜められたシンクの中には、高価な食器が大量に置かれている。
「次は、食器洗いです。力任せに擦ってはいけませんよ」
洗い場の妖怪『小豆洗い』である私にとって、何よりもこだわりがあり、重要視している業務。
私は袖をまくり上げ、シンクに腕を浸した。
廊下の掃き掃除のときは、私が彼女にお手本を見せなかったのがよくなかった。
そう思い直し、見本を示すかのように、1枚1枚、丁寧に食器を洗い始めた。
円を描くように、スポンジをゆっくりと滑らせる。
お皿の縁や裏側まで、汚れの残りを逃さないように。
そして、水で泡を洗い流す。
それを水切り籠に重ねた。
私は隣で緊張の面持ちで立っている彼女に、少しだけ柔らかな視線を向けた。
「……分かりましたか?」
「はい、●●さん!」
ヒトミさんは私の手元を食い入るように見つめ、真似をしようと手を伸ばす。
だけど、彼女は泡にまみれて悪戦苦闘している様子だった。
その時、ガシャンという嫌な音が洗い場に響きわたった。
床には、見事なまでに割れた皿の破片が散らばっている。
「わわわっ!あぁっ、ごめんなさい!食器が勝手に手から逃げちゃったんです〜!」
慌てて落とした皿の破片を拾い上げようとする彼女に、周囲で作業していた他の使用人たちの視線が一瞬だけ突き刺さる。
そして、またすぐにそれぞれの仕事に戻っていく。
私は彼女の元へ歩み寄り、冷ややかな視線を向けた。
「……ヒトミさん。お皿は、生き物ではありません。食器は優しく扱ってください」
「はい!優しくですね!分かりました!」
ヒトミさんは威勢よく返事をした。
だけど、その数分後。
彼女は先ほどの説明を忘れてしまったのか、相変わらずガチャガチャと音を立てて洗い始めた。
そして、再び、ガシャンと食器が割れる音が洗い場に響いた。
「あわわっ!本当にすみません!」
このままでは、今日中に全ての食器を割られてしまう。
私は彼女の手から静かにスポンジを取り上げた。
「……もういいです。これ以上割られては、私の監督責任も問われます」
「あぅ……すみません……」
しゅんと耳を垂らした仔犬のように肩を落とす彼女に、私は布巾を差し出した。
「残りは私が洗います。アナタは、私が洗い終えたものを拭いていってください」
「はいっ!拭くのは得意です!」
その笑顔はあまりにも眩しく、先ほど一瞬だけ脳裏をよぎった不信感など、私の勘違いだったのではないのかと思わされるほどだった。
だけど、手渡した布巾を受け取る彼女の指先が、私の手に触れた瞬間。
「あ、●●さんの手。ふやけておばあちゃんみたいになってますよ?それに、あかぎれも酷いですし……。やっぱり、小豆洗いだからですか?」
クスクスと喉を鳴らして笑う彼女の瞳は、やはり笑っていなかった。
「……」
私は何も答えず、ただ次の皿を手に取った。
水面に映る私の顔は、自分でも驚くほど無表情だった。
定例会を終え、私はヒトミさんを連れて北側の長い廊下へと向かった。
私は彼女にほうきと、雑巾を掛けた水の入ったバケツを手渡した。
「はい、●●さん!」
ヒトミさんは元気よく返事をすると、さっそく掃き掃除を始めた。
「私は向こうの掃除をしますので。何か分からないことがあれば、すぐに聞いてください」
「任せてくださいって!」
本当に大丈夫だろうか……。
若干の不安を覚えつつも、私は彼女に任せて自分の持ち場へと向かった。
だけど、いざ様子を伺いに戻ると、掃除が行き届いておらず、角には埃がたまっていた。
「ヒトミさん。ここ、まだ汚れています。もう一度やり直してください」
「あー!本当ですね!全然気付かなかったですー!」
背後でほうきを持っていたヒトミさんは、驚いたように声を上げた。
反省するどころか、彼女は悪びれもせず、ペロッと可愛らしく舌を出してみせる。
だけど「気付かなかった」なんて言い訳は通用しない。
入道家に仕える使用人のほとんどが、目にまつわる妖怪だ。
一目連であるヒトミさんも例外ではない。
言葉を重ねようとすると、彼女は私の顔を覗き込み、屈託のない笑顔を向けた。
「●●さんって、なんだか昔ながらの厳しい姑さんみたいですね!」
その瞳には、少しの悪意も混じっていない。
だからこそ、私が指導しなければならない。
私は大きくため息を吐き、改めて彼女に向き直った。
優しい雰囲気は消し去り、教育係としての威厳を込めて。
「ヒトミさん。失敗は誰にでもあることです。でもね、まずは言い訳をせずに謝りなさい」
低く、けれど芯の通った声。
ヒトミさんの頬がわずかに引きつった。
「……はい。分かりましたー」
少しだけ元気のない返事。
頭は下げたものの、謝罪の言葉はない。
彼女の瞳の奥には、反省の色は見えなかった。
それどころか、嫌悪すら感じられる。
だけど、彼女はすぐにいつもの明るい表情に戻った。
「さあて、やり直し、やり直し!」
遠ざかっていくヒトミさんの背中を見送りながら、私は彼女に対して不信感を抱いた。
ーーーー
廊下の清掃を終え、次に向かったのは厨房の洗い場だった。
ぬるま湯が溜められたシンクの中には、高価な食器が大量に置かれている。
「次は、食器洗いです。力任せに擦ってはいけませんよ」
洗い場の妖怪『小豆洗い』である私にとって、何よりもこだわりがあり、重要視している業務。
私は袖をまくり上げ、シンクに腕を浸した。
廊下の掃き掃除のときは、私が彼女にお手本を見せなかったのがよくなかった。
そう思い直し、見本を示すかのように、1枚1枚、丁寧に食器を洗い始めた。
円を描くように、スポンジをゆっくりと滑らせる。
お皿の縁や裏側まで、汚れの残りを逃さないように。
そして、水で泡を洗い流す。
それを水切り籠に重ねた。
私は隣で緊張の面持ちで立っている彼女に、少しだけ柔らかな視線を向けた。
「……分かりましたか?」
「はい、●●さん!」
ヒトミさんは私の手元を食い入るように見つめ、真似をしようと手を伸ばす。
だけど、彼女は泡にまみれて悪戦苦闘している様子だった。
その時、ガシャンという嫌な音が洗い場に響きわたった。
床には、見事なまでに割れた皿の破片が散らばっている。
「わわわっ!あぁっ、ごめんなさい!食器が勝手に手から逃げちゃったんです〜!」
慌てて落とした皿の破片を拾い上げようとする彼女に、周囲で作業していた他の使用人たちの視線が一瞬だけ突き刺さる。
そして、またすぐにそれぞれの仕事に戻っていく。
私は彼女の元へ歩み寄り、冷ややかな視線を向けた。
「……ヒトミさん。お皿は、生き物ではありません。食器は優しく扱ってください」
「はい!優しくですね!分かりました!」
ヒトミさんは威勢よく返事をした。
だけど、その数分後。
彼女は先ほどの説明を忘れてしまったのか、相変わらずガチャガチャと音を立てて洗い始めた。
そして、再び、ガシャンと食器が割れる音が洗い場に響いた。
「あわわっ!本当にすみません!」
このままでは、今日中に全ての食器を割られてしまう。
私は彼女の手から静かにスポンジを取り上げた。
「……もういいです。これ以上割られては、私の監督責任も問われます」
「あぅ……すみません……」
しゅんと耳を垂らした仔犬のように肩を落とす彼女に、私は布巾を差し出した。
「残りは私が洗います。アナタは、私が洗い終えたものを拭いていってください」
「はいっ!拭くのは得意です!」
その笑顔はあまりにも眩しく、先ほど一瞬だけ脳裏をよぎった不信感など、私の勘違いだったのではないのかと思わされるほどだった。
だけど、手渡した布巾を受け取る彼女の指先が、私の手に触れた瞬間。
「あ、●●さんの手。ふやけておばあちゃんみたいになってますよ?それに、あかぎれも酷いですし……。やっぱり、小豆洗いだからですか?」
クスクスと喉を鳴らして笑う彼女の瞳は、やはり笑っていなかった。
「……」
私は何も答えず、ただ次の皿を手に取った。
水面に映る私の顔は、自分でも驚くほど無表情だった。
