愛のカンパネラを鳴らせ-第2章-
名前
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-「名前姐さん…?」
朝陽が差し込む穏やかな空間とは裏腹に、悲しげな呼びかけが響く。自身も別れの時を悟っていたし、いつかはこうなると覚悟していた筈なのに。いざ空っぽの部屋に帰ってきてしまうととてつもない喪失感が湧き上がってきて涙が零れる。昨夜の熱い情事をありありと思い出せるのに、この腕の中に彼女はいない。自分の名を呼ぶ切なげな声。きめ細かな柔らかい肌、さくらんぼのような瑞々しい唇が…目を閉じれば鮮明に浮かんでくる。諦めているのにどこか期待してしまう自分もいて、キッチンで料理しながら耳を澄ませる。
「ニキ…?どうした?」
この足音は名前のものではない。分かっているのに振り向いてしまう。目が合った同居人天城燐音はぎょっとした顔をしていた。「玉ねぎのせいで涙が」とあの日の彼女と同じように言い張ったが、今朝の朝食に玉ねぎは使われていない。ニキの異変に気付いた燐音が「何かあったのか?」と問いかけるが、「何でもないっす」と朝食はそのままで部屋に引っ込んでしまった。あのニキがどうした?と燐音が扉をこじ開けると猫のように丸まってタオルケットで身を隠している彼の姿が。そしてぽつりと「大事な人とさよならしただけっす」と。
「もう一度会えたら…」
夏の夜、別れの時を感じて泣いていた彼女に「きっともう一度会える」と言ったのは彼女の涙を止める為だろうか。無責任なことを告げたかもしれない。未来を予測できるわけじゃない。あれはただの願望だ。でも…自分がある日突然別の世界に行ってしまったように、彼女がこの世界に現れるかもしれないし。と前向きに考えてみたら急にお腹が空いてきた。そういえば、「ニキくんの笑顔を見るだけでご飯が進む」と言われたな。と、ふとした瞬間に甦る思い出。自分の作った料理を幸せそうに食べてくれた。一緒に料理を作った。
「食欲戻ったのかよ」
「今日の朝食、しょっぱいっす」
-ESビルのエントランスで偶然目に止まったひとりの小柄な女性。タイトなスカートが際どいところまで捲れていた。じっと眺めてしまうのはきっと男の性(さが)だろう。綺麗なお姉さん系だ。自分が声をかける前にEdenの乱凪砂が声をかけていた。知り合いなのかもしれないと思ったが、後に凪砂の口から「初めて見る子だったよ」と衝撃の事実が。新しい事務員、または食堂のスタッフか。と今度こそ話しかけようと密かに計画していた燐音は、いくら探しても彼女に遭遇しないことを不審がっていた。
「ニキ。新入りっぽい綺麗なおねーさん見なかったか?」
「燐音くん。その人ウェーブヘアで身長はこれくらいじゃなかったっすか?」
「んー。だいたいそんな感じっしょ」
名前の見た目と全く同じ特徴を持つ女性の目撃情報。もしかしたら、彼女はこの世界に…同じ建物の中にいるのかもしれない。という期待も虚しくそれらしき人物は見つからない。燐音が見た人物はよく似た別人だったのかと落胆した。
-「ニキくんお嫁においで」
誰もいない空中庭園でぐーっと伸びをして茜色に染まった空を見上げる。冗談めかして笑う名前に何度も言われた台詞をふと思い出した。男の自分がお嫁さん扱いされるのは釈然としないが名前と結婚したら幸せな家庭を築けるに違いないと思う。そういえば、彼女に言い寄ってきた元カレの男がいたなぁ。それにお見合いの話がきていると彼女の母親から訊いた。彼女は自分ではない誰かと結婚して家庭を持つのだろう。忌まわしい痕を付けられて泣いていた名前に自分のものだという印を刻み込んだのに。と、涙が滲む目元を拭った彼は深く息を吐いた後、足早に去っていった。
「おねーさん。何か落としたな〜」
ニキの瞳の色と同じ水色の石がぶら下がるイヤリングの片方。それを拾った青年は名前を見るなり「おねーさん不思議な色な〜。嬉しい色と悲しい色…?」と呟いた。「ありがとう」とイヤリングを受け取った彼女は目の前のビルに入ることはせずに踵を返して歩き去る。ニキが働くカフェシナモンには、きっと関係者しか立ち入れないだろう。こうすれば会えるという確信があるのに、それがどうにも実現できない。もう何度目の溜め息だろう。彼と離れてから溜め息と涙の数だけが増えていく。
……To be continued