砂の薔薇
名前
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―「昔、サバイバルナイフでザクっと切ってしまいましてねぇ。ただの古傷であります」
手の甲に残る傷跡は、そこだけ一直線に盛り上がっていた。彼は「ちょっとした怪我」というような具合に、何でもない事のように話すが、その内容は訊いているだけで心配になるようなものだった。一般的な生活を送っていたとしたら、絶対にしないような怪我の話。茨の生い立ちは想像を絶するようなものなのだろうと、彼の過去が見え隠れする度に、名前は胸が切なくなった。自分はきっと、茨のことを何も理解してあげられていないんじゃないか。そう思わされ、自分の無力さに打ちひしがれた。「今のやり取りが気に食わなかったのかと思っていたのですが、まさか傷跡に気付いて声をかけて下さったとは…」と、茨は予想外というように後ろの席に座る名前を見つめる。因みに、今のやり取りとは、茨の隣の席の女子が茨と手をくっつけて「茨くんの手、おっきいねぇ」と、あざとい行動をしていた事を言っている。ふたりのやり取りに苛々したわけではなく、目に止まった彼の古傷が気になったから声をかけたのだ。いや…違う。苛々しなかったというのは嘘だ。計算高い行為を目撃してから、名前はツンケンした態度で茨に接している。
「名前の手、細くて綺麗ですね」
白く細い指、自分よりも小さな名前の掌を、にぎにぎと握って茨は感慨深げに呟いた。そして、手を握られたまま教室から連れ出され、名前は「何処に行くつもり?」と問いかける。暫くして辿り着いた場所はEden専用ルームで。「ここならば、邪魔が入らずに話が出来ますね」と開口一番に彼が笑った。ソファーに隣同士に座り、茨が名前の顔を覗き込んだ。「先程から、泣きそうな顔をしているのでここにお連れしたのですが。ご不満ですか?」と彼は問う。一方の名前は「私、泣きそうな顔してた?」と自覚がなかった模様。「自分が、昔の話をしたせいですか?名前が気に病むようなことではないのですよ」と切なげに顔を歪めて茨は告げる。「あなたは、自分のような最低野郎に優しすぎるんですよ」と茨が言葉を続けると、彼女はぶんぶんと首を振った。茨はよく自らの事を最低野郎と称している。しかし、名前には、茨のどの辺が最低野郎なのか皆目見当もつかないのだった。確かに喋り方は胡散臭くて褒め殺しも信憑性がないが、「そんな自己卑下しないで」と主張した。
「自分は幼い頃、両親に捨てられまして、軍事施設のような所で育ちました。その後色々ありまして、そこを出て現在に至るわけですが…」
想像していたよりも悲惨な環境だった。こんなに淡々と語られてしまえるのが不思議なくらいに…。茨が学生とアイドル、そして事業経営を余儀なくされている理由も明らかにされた。あまりにも、育った環境が違いすぎる。暖かい両親の元で、大した苦労もなく育ってきた自分が、茨の気持ちを理解してあげられないのは当然のことだ。むしろ、分かったような口をきくのは茨に対して失礼なのでは?と感じた。気付けば、左手に彼の手が重ねられていた。温かくて、このまま離して欲しくないとすら願った。しかし、彼は体裁悪そうに手を離して謝罪をしてきた。「自分なんぞが名前に気安く触れてはいけませんね。申し訳ございません」と。「謝らないで」と、今度は名前の方から茨の手が握られた。「茨の手、握ってると落ち着くよ」とふわりと微笑む彼女に、茨は何も言えずに固まった。彼はその生い立ち故か、人の厚意に疎いところがある。優しさ、愛情を向けられるとどう反応していいのか分からなくなるのだ。
「こんなに自分と懇意にしていると、ジュンに誤解されますよ」
「なんでジュンくんが出てくるの?」
「名前の好きな相手、ジュンでしょう?」
「違うよ。誤解してるのは茨のほうじゃない?」
似たような環境で育ってきたジュンとは、共通の話題が多かった。小学生の頃の話、中学時代の話…など、茨は知らないような話題を世間話程度に話していたのだ。あの時代はあぁだった、自分の地域ではこうだった。なんていう大して重要じゃないようなことしか話していなかったが、その場面を見ていた茨にとっては、仲睦まじげに映ったらしい。「いちプロデューサーでしかない私が、Edenの誰かとスキャンダル起こせるわけないでしょ」と彼女は断言した。つまり、茨のことも恋愛対象ではない。と言われているようなものだった。しかし、ジュンとの関係が否定されたことで茨は安堵していた。腰に回された腕は、抵抗すれば離れていくのだろう。だが、名前にそんな選択肢はなく、やがて部屋に入ってきた凪砂の姿に驚いたふたりは咄嗟に距離をとった。しかし、彼は見逃さなかったようだ。彼らは純粋な問いかけに慌てふためいた。
「名前と茨は、そんなに仲良しだったの…?」
……To be continued