七種茨短編
春企画
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
―秀越学園の、桜の樹がよく見える場所にあるベンチの上で名前は先日切ったばかりの自らの髪に触れた。水溜まりに浮かぶ桜の花弁を見つめながら、彼を思い浮かべる。「私が欲しいのは、愛すべき隣人」いつしか、そう言っていたのを覚えている。つまり、寄り添える仲間がいればいいだけで、恋人が欲しいわけではないのだろう。そんな彼女の、想う相手というのは同じクラスの乱凪砂だった。何処か浮世離れしていて世間知らずで、何だか放っておけない存在。それなのに…何でも出来て、見るもの全てを魅了する美しさも併せ持っている彼。自分なんぞが片想いすることすら畏れ多いのかもしれない。春の陽射しは暖かいのに、何だか感傷的な気持ちに染まってしまう。ふぅ…と、深い溜め息をついた瞬間、何者かと影が重なり、俯いていた顔を上げた。それと同時に愛しい彼の声が響く。「名前って、本当は桜の妖精?」と。そんなファンタジーな問いかけをして、彼は隣に座った。「髪に花弁が付いてる」と、それを摘んで取ってくれる。そんな些細な事でさえ、ドキドキと胸が高鳴る。
「もし私が桜の妖精だとしたら、この桜が散ってしまったと同時に消えてしまったりするのかもね…」
「え?そんなの嫌だ。お願いだから、消えないで」
こんなの冗談だ。桜の妖精でもなければ、消えてしまうことだって勿論ない。それなのに、彼は焦った様子で名前をぎゅっと腕の中に閉じ込めた。純粋な彼を騙してしまったことに罪悪感を感じながらも、もう少しだけこのままでいたい。と彼女は願った。しなやかな腕、彼の匂い。束の間の幸せでもいい。「なーんて、冗談。私は桜の妖精じゃないし、消えたりしないよ」と名前が笑うと、「良かった」と安心したようで、抱く力が強くなった。そろそろ離してくれないと心臓がもたないと身悶えている彼女の耳元で、彼から予想外の問いかけがされた。今度は先程のファンタジーなものではなかっただけに驚かされた。「名前が髪を切ったのは、恋愛が原因?」と。「失恋すると髪を切る女性もいるって…茨が言ってたから」と彼はこの質問に至った経緯を明かす。確かに世間ではそういう風潮も見られるし、茨の見解が間違っているわけではない。しかし、このまま凪砂に誤解されているのは嫌だった。「暖かい季節になったし、髪を切ったのはただのイメチェンだよ。似合ってないかもしれないけど…」と自嘲的な笑みを滲ませて苦笑する彼女の髪をくしゃりと撫ぜて、凪砂は微笑む。「似合ってないわけない。長い時の名前も可愛かったけど、短くてフワフワした髪もすごく似合ってる」と、茨とはまた違うタイプの褒め殺しが…。「そもそもね…好きな人に告白すら出来てないのに失恋どころじゃないよ」自虐ネタに笑ってくれたらどんなに楽だっただろう。しかし、相手は凪砂。こんな自虐を笑うどころか根掘り葉掘り訊ねてくるような性分だ。「名前の好きな人って日和くん?」と自信満々な問いかけに彼女は首を振った。すかさず、「じゃあ、茨か」とEdenプロデュース関連のことで頻繁に話している相手なだけに、茨との関係まで疑われる始末。
「でも、困ったなぁ…。私は心が狭いのかな?他の誰かが名前を幸せにするんじゃなくて、私が名前を幸せにしたいって…思ってしまうんだ」
ふいに零された凪砂の一言は荒唐無稽なもので、彼女は信じられず、すぐに返答することも躊躇われた。彼の口振りからすると、まるで両想いであるかのようだ。「人を愛するって…私にはよく分からないんだけど、この感情がそうなのかな?」と、こてっと首を傾げる彼は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。「凪砂くんは、心が狭くなんてないよ。だって…私も同じ気持ち。他の誰でもなく、凪砂くんがいい。そう思ってしまうから…」きっと、この感情に名前を付けるとしたら、愛以外には当てはまらない。遠回しな言い方では、きっと凪砂には伝わらない。彼はいつもストレートな感情を伝えてくれるから、こちらもそれに応えよう。名前はそう決心して彼の肩に凭れかかった。「名前?どうしたの?」と彼が問う。「人を愛するって、きっとこういうこと。その人に触れたい、近付きたい。って…思う気持ちが溢れてる」視線は目の前の桜の樹に向けながら、彼女は淡々と言葉を並べていく。それを聞いて、彼は自らの気持ちがどういうものなのかを自覚することになった。「それ、私の気持ちと同じだ。名前に触れたいって…誰よりも傍にいたいって…強く思う。私は、名前が大好きだからね」こんな告白をして、無自覚だとしたらタチが悪い。
「ねぇ、名前。キスしてもいい?」
END