七種茨短編
巴日和
名前
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-「手作りとか重いんだよ」
そうか。私は重たい女なんだ。と、自己嫌悪に苛まれる。ふとした瞬間に嫌なことを思い出してしまった。それなりに良好な関係だった許嫁に、一方的に婚約破棄されたのが私だ。好きな人ができたからというのが原因だった。あ~やだやだ。と、頭(かぶり)を振る。キッチンにはバターの香ばしい匂いが立ちこめ、焼きあがったクッキーとマドレーヌをお皿に並べる。パティシエが作るものと違って味気ないかもしれないし、日和くんはこんなもの口に合わないかもしれないし…などとぐるぐる物思いに耽っていたら唐突な温もりに包まれて動けなくなった。
「え…っ。なに…!?」
「抵抗しないでほしいね!ぼくは名前ちゃんに会いたかっただけだね!」
私を抱きしめた人物こそ、現在の許嫁巴日和だった。昔のことを思い出してブルーな気分になっていたのに、日和くんの顔を一目見たら一気に元気になれるのだから不思議なものだ。近くに迫る整った顔に、頬を撫でる繊細な指に、胸がきゅうっと音をたてる。きっと日和くんはあの人とは違う。その証拠に、出来たてのクッキーをひとつ摘んで口にした彼が「美味しいね!」と笑ってくれたのだ。「手作りのものなんてやめてくれよ」と怪訝な顔をした元許嫁とは大違いである。今をときめく人気アイドルでもある彼は今日も一段とかっこいい。
「日和くん。いつももっと美味しいお菓子食べてるでしょ?口に合わないんじゃない?」
「ぼくは嘘はつかないね!名前ちゃんがぼくの為に作ってるって、君ん家のシェフから訊いたね!」
この眩しい笑顔が、いや…日和くんのことが愛おしくて堪らない。「日和くん大好き!」と、抱きつくと高貴なコロンの香りが鼻腔を擽った。思わず抱きついてしまったけれど、本当は内心ドキドキしている。彼とはまだ身体の関係どころかキスもしていないのだ。私としては早く日和くんとそういう仲になりたいけれど。日和くんはそうじゃないかもしれないし…。なんて彼の腕の中で考えていたら顎を掬われ視線がぶつかる。黙っていれば美人さんなので、許嫁とはいえ照れる。彼に見惚れてぼんやりしていた私に、彼が問いかける。「名前ちゃんは、ぼくのことどう思ってる?」と。きっと日和くんは、私の元許嫁との経緯も知っているのだろう。
「私は日和くんが大好きで、アイドルにこんなこと言っていいか分からないけど…いずれ結婚したいと思ってるよ」
「うんうん!ぼくも名前ちゃんが好きだね!」
「ぼくと結婚できるなんて幸せ者だね!」と相変わらずの言動だけど、この人が許嫁でよかったなぁ…なんて実感する。背の高い彼を見上げると、不意打ちで口付けを落とされて心臓が止まるかと思った。日和くんとの初めてのキスだ。綺麗な顔が近くにあるとドキドキして何も言えなくなってしまう。けど…もっとキスしたい。ふしだらな許嫁でごめん日和くん。エプロンつけたままのムードのない格好でごめん。とか考えている余裕もなく、再び唇が重なり合った。しかも、今回は舌を絡めた濃厚なもので。息が乱れて、キスに応えるのに必死だ。慣れていないのがバレてしまいそう。
「突然キスしてごめんね。名前ちゃんは嫌だった?」
「嫌なわけない。私も日和くんとキスしたかったし、それ以上のことも…」
言い終わるより先に人差し指が唇に当てられ、彼は「しー!」というポーズをとる。どんなポーズも様になるなぁ。なんて惚れ惚れする。「ぼくを煽るなんて名前ちゃんは悪い子だね!」と悪戯っぽく微笑む。「キス以上のことはお預けだね!」なんて余裕たっぷりだから、今度は自分から。ディープなんて到底無理で、ほんの少し触れるだけの普通のキスだけど。
「名前ちゃん!ぼくは今夜、ここに泊まることにしたね!」
「え…っ。キス以上のことはまだなんじゃ…」
END