七種茨短編
巴日和
名前
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-「名前さんの婚約者が、巴日和さんだなんて妥協したのかしら…」
-「選べるなら、英智様のほうがいいに決まってるわ」
「とか言っちゃってさぁ…みんな、日和くんの良さを分かってなさすぎるんだよね!」
彼女、名前はこの前のお茶会で耳にした他の令嬢達のコソコソ話の内容をジュンに愚痴っていた。場所は秀越学園内にあるレッスン室だ。日和のユニットパートナーであるジュンならば私の気持ちも分かってくれる筈。と、期待していた。だが、残念な事に名前はジュンの心情を知らなかった。何故こんなにも距離が近いのか、壁際に追い込まれているのか…。「おひいさんのあの性格じゃ他の令嬢に敬遠されるに決まってますよぉ?ねぇ、名前さん…俺みたいな男はタイプじゃありませんか?」と、顔に添えられた彼の手、そして親指が彼女の下唇をなぞる。びくりと肩を揺らす彼女は近頃のジュンの様子に困惑していた。何故、こんなにも愛おしい者を見るような視線を自分に向けるのだろうか…と。そんなジュンに臆せず、名前は正直に答える。
「私にとって、ジュンくんは可愛い後輩だよ。それに、私の好きなタイプは日和くんだからね」
「日和くん日和くんて、おひいさんの何処がそんなに好きなんすか?」
「そんなの…いっぱいありすぎて、」
いっぱいありすぎて言い尽くせない。彼女がそう言い終わる前に当の本人が部屋に入ってきてしまった。日和は、ジュンと自分の恋人が何を話しているのか凄く気になっていたのだが、彼らの関係で胸騒ぎも覚えていた。必要以上に距離が近い気がする。だからこそ、名前の肩を抱いて攫うようにジュンから距離を取らせた。「僕の居ないところで二人で喋ってるなんて狡いね!仲間外れは良くないね!」と日和は不機嫌になってしまった。こうなれば、頭を悩まされるのはジュンなのだが、名前が日和の腕に絡みつけば、些か機嫌が直ったように見える。ジュンの想像以上に名前は日和を好きであるし、名前にとっては想定外なことに、ジュンは名前に片想いしていた。そして、ついに彼が行動に出てしまうのだ。
「名前さん。俺のこと、男として見てくださいよ。俺、名前さんが好きです」
誰も居ないローズガーデンを散歩している彼女の前に現れたジュンは想いを明かすが、この場面を物陰から日和が見ているとは彼らは全く気付かなかった。自分の嫌な予感が当たってしまったと、呆然とする日和は彼の告白を阻止することも出来ず恐る恐る傍観するしかなかった。恋人にもユニットパートナーにも見捨てられてしまったら、自分はどうしたらいいのだろう。と、途端に不安に駆られ、彼はその場から走り去ってしまった。ジュンに彼女がどんな返事をしたかも知らずに…。
-「今日はレッスンもないし、日和くん家に行ってもいい?」
いつもの日和ならば「大歓迎だね!」と笑顔になるだろうが、今日ばかりはそうはいかなかった。不貞腐れたように唇をへの字に歪めて拒絶して告げる。「名前はジュンくんと一緒に居ればいいんだね!ぼくに付き纏うのはやめてほしいね!」と。彼のこの対応は、まるで八つ当たりのようなものだった。だが、嫌悪感に我を見失っている彼は離れていく彼女の背を見送るしかなかった。いつもならば、レッスンのない日はどちらかの家でお茶会をしていた。彼の好物のキッシュも用意していたのだが、肝心の彼が居なければ意味が無い。香り立つ紅茶を口にして、顔を上げる。向かいの席には誰も居ない。「このキッシュ、美味しいから名前も食べるといいね!」と笑いかけてくれた先週の彼を思い出して、知らず知らずのうちに涙が彼女の頬を伝っていた。大好きな紅茶も、今は味が感じられない。「ジュンくんも、日和くんも…何も分かってなさすぎ」と一人きりのテラスで独りごちた彼女は澄んだ赤焼けに染まる空を見上げて溜め息をついた。
-「ジュンくんの気持ちは嬉しいけど、君にはもっと大事にすべき女の子がいると思う。それに、私は日和くんの事が大好きだから、心変わりなんてする筈ないよ」
これが、日和が去った後に彼女がジュンにした返答だった。日和が自己中心的で貴族すぎる性格であることは確かだ。しかし、いつも自分には愛情を注いでくれていた。-「ぼくの名前は今日も綺麗だね!」-「ぼくの名前にダンスを申し込むなんて、身の程をわきまえるべきだね!」何かと「ぼくの名前」発言をしていたが、彼女は恥ずかしいながらも内心とても嬉しがっていたのを日和自身は全く知らない。「はぁ…。私、日和くんに嫌われちゃったかなぁ…」と涙を拭うこともなく、憂いを帯びた表情で遠くを見据える彼女に一つの影が重なった。振り返らなくても分かる。しなやかな腕、この温もりは恋人の日和のものだ。
「それはぼくの台詞だね。恋人を泣かせるなんて、嫌われても仕方ないかもね」
「日和くん…」
大好きな彼が…会いたかった彼が…抱きしめてくれたのに、涙が止まらない。悲しげな声音は彼も傷付いていることを表していた。涙で濡れた頬を彼の両手で拭われる。その手の温かさに胸がキュッと切なくなる。いつも気持ちを伝えてくれる日和に比べて、自分はあまりにも言葉にしなさすぎたのではないか。と、彼女はふと気が付いて立ち上がった。振り向けば、今にも泣き出しそうな表情で自分を見つめる彼がいる。いつも明るい彼に、こんな悲痛な顔をさせてしまったのは自分だ。ありのままに気持ちを伝えてしまおう。と、名前は正面から彼に抱き着いた。自分よりも高い身長、優しく髪を撫でてくれる手、彼の匂い…全てが愛おしい。「嫌いになんてなるわけないよ。私は日和くんの思ってる以上に、日和くんが大好きなんだから!」
「日和くんこそ、私を嫌いなったんじゃないの?」
「ぼくが名前を嫌う?有り得ないね!」
どちらともなく、唇が重ねられた。仲直りの口付けはいつもよりも何倍も甘く感じる。もっともっと、と名前を求めるような深い口付けをして、日和は唇を離す。紅潮した顔で、日和を自室に案内する彼女は、ジュンとEveのマネージャーの彼女を案じて振り返る。「ジュンくんとあの子…上手くいくといいね」と柔らかな笑顔を浮かべて。日和は彼らの関係性をある程度理解している為、同意するように頷いた。「本当に大切なものなんて、離れてみないと気付かないからね!ジュンくんもきっと分かってると思うね!」と。しかし、ジュンの事よりも、今は自分の置かれた状況を真剣に考えたほうがいいかもしれない。と、彼は思った。「私、今日は日和くんと離れたくないな」と、ベッドの上で彼の肩に頭を乗せて、腕にしがみつく彼女が可愛すぎる。
「名前はぼくを煽ってるね!ぼくも男だっていうのに…危機感なさすぎだね!」
「煽ってるんだよ。ふしだらな恋人でごめん…」
END