七種茨短編
巴日和
名前
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-「まったく。あのクソアホ貴族の相手は疲れるっすよぉ…」
普段は玲明学園の寮に住んでいる弟のジュンが実家に帰ってくる度に、彼の姉名前は愚痴を聞いてあげている。玲明学園のカースト制度を知っている彼女としては弟とユニットを組んでくれている日和に恩義を感じていると共に彼に興味を抱いているのも事実だった。テーブルで彼女お手製のサンドイッチを頬張る彼の向かいでは名前が神妙な顔つきでアイスコーヒーを飲んでいる。「そんなに疲れてるなら、ジュンの代わりに私がおひいさんの相手しようか?」と、その提案はジュンの「おひいさんが、「庶民デパートへ行ってみたいね!」とか言い出した」という話から思いついたものだった。「どうせ明日は予定もないし、ジュンは家で休んでてよ」と自己完結させた彼女だが、ジュンとしては複雑な心境だった。
「姉さんに任せていいんすかねぇ。おひいさん、まじで我儘放題なんすよ…」
「そんな事言われると、逆に気になるんだよね。おひいさんて、私と同い年だし。美形でお金待ちの御曹司なんでしょ?」
「おひいさんに夢を見ないほうがいいっすよぉ」と彼の忠告も右から左に聞き流し、名前と日和の初対面は翌日に決まったのである。
-「ジュンくんから連絡があったけど。君、ぼくのファンなんだね!ジュンくんと違って見る目があるね!」
ショッピングモールに現地集合し、高級車から出てきた一人の青年を見つけた彼女が駆け寄る。新しい玩具を貰った子供のようにキラキラとした視線を向けられたと思えば冒頭の台詞を告げられ「特別に、握手してあげようね!」と握手まで交わしていた。ジュンがどんな伝え方をしたかは明確ではないが、どうやら名前は日和のファンであり彼と会えて感激しているというような設定があるようだ。ジュンから得た情報により、おひいさんに口答えはタブーであると分かっているから敢えて否定はしない。それに見た目は完全に好みのタイプなので、これくらいは許容範囲だ。「ジュンがいつもお世話になっております。今日は宜しくね」と告げると同時に手をグイグイ引かれてモールの中に足を踏み入れた。
「あれはなんだろうね!行列が出来てるね!」
こんな庶民の飲食店なんかで貴族が満足してくれるものなのかという彼女の心配は杞憂にすぎなかった。物静かな和食の店を選んだにも関わらず、彼は終始テンションが高かった。きっちりとデザートまで食べ終えて、会計は御曹司の彼がしてくれるもの…なわけがなかった。会計を済ませた彼女は急いで彼の後を追いかける。目を離すと何処に行ってしまうか分からない。人混みから抜けた場所に出ると「名前が迷子にならないように、手を繋いであげるね!」と心底嬉しそうに顔を綻ばせる彼は名前の瞳をじっと見つめて口角を上げ、にぎにぎと彼女の手を握る。相手がいつも弟を困らせている張本人だと分かっているにも関わらず、胸がドキドキと早鐘を打つ。いくら相手がおひいさんでも、現在恋人がいない彼女からすれば、否が応でも意識させられてしまう。
「そういえば、日和くんは許嫁はいないの?」
「御曹司なら、そういう縁談の話も沢山あるんでしょ?」と、言葉とは裏腹に胸がちくりと痛む。庶民の自分とは遠くかけ離れた世界に、彼は居る。彼は確かに我儘放題のお坊ちゃんかもしれない。だが、その無邪気な笑顔や何気なく手を握ってくれる彼を愛おしいとすら感じてしまう自分が居るのも事実。「そんな心配しなくても、ぼくには許嫁は居ないね!安心していいね!」といつもと変わらぬ様子の彼はきっと名前の気持ちに気付くことはないだろう。しかし、彼なりに思うところはあるようで。「だけどもし、フィアンセを選ぶとしたら…名前みたいな娘がいいね!僕にこんなに構ってくれて、笑顔を見せてくれるし」と彼は呟く。その一言にドキリとさせられたが、よくよく考えれば、「名前みたいな娘」というだけであり、自分を選びたいわけではない。こんな事で一喜一憂させられるなんて、なんだか滑稽だ。と彼女は落胆した。
「ねぇ、名前!君、水着は持ってる?」
「着る機会もないんだから、持ってないよ」
彼女の返事を訊いた彼は「服売り場なら、上の階だよ」と促され、人波を切り抜けながら女性物の水着売り場に直行する。Edenの巴日和がこんなところで女性と手を繋いで歩いているなど、パパラッチされたらまずいんじゃないかと彼女は手を離そうとするが、依然ぎゅっと握られたままで離してくれそうもない。女性客がまばらに居る水着売り場の側で振り向いた彼は、物陰で彼女に身を寄せ、耳元でその真意を教えてくれた。だが、その言葉は庶民の名前にはあまりにも現実味のないものだった。「今度のバカンスには名前も連れていくからね!水着は必要だね!」と。「水着はぼくが選んであげるね!僕のセンスを信じるといいね!」と彼は色とりどりの水着の中でホルターネックのセクシーなデザインでライトグリーンのビキニを手に戻ってきた。「こんなきわどい水着似合うかなぁ?」と彼女の困惑をものともせず、「名前にぴったりだね!君の水着姿はぼくだけに見せてほしいね!」と彼は笑う。「この支払いは僕がするね!」と珍しく自らレジに向かう彼だが、これなら名前が自分とバカンスに行くのを断ることはないだろうという思惑も含まれていた。
-「え!?名前姉さんがおひいさんとバカンスに?」
「水着まで買ってくれたし…断れないよ」
「俺、おひいさんが義理の兄とか嫌なんすけど…」
END