リクエスト
名前
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―「良い子だなぁっ、抱きしめてやろう…☆」
先輩である守沢千秋の台詞が冒頭のものだ。その声と共に迫ってくる彼を拒むのは当然のことなのかもしれない。彼はスキンシップが過剰なせいで後輩達からは煙たがれているが、その積極的なスキンシップに喜んで応えたい人物がここにいる。あんずと同じくプロデューサーの名前は彼の前で呆れたような溜め息をついた。バスケ部に顔を出せば彼は嬉しそうに笑い、いつも抱きしめてこようとする。本当は、その抱擁は大歓迎なのだ。そもそも、バスケ部の活動場所に訪れた理由だって、密かに思いを寄せている相手の千秋に会いたいというのが目的なのである。だが、そんなわけにもいかず「誰彼構わず抱きしめようとしないでください。あんずにも、そういうのやめてくださいね」と一応釘を刺しておく。「あんずにはやめろということは、名前だったら抱きしめていいんだな」と有無を言わさずに彼の腕に包まれ、彼女はドキドキと胸を高鳴らせた。言葉のあやというか、本当に抱きしめられるとは思っていなかった。「衣更は生徒会の仕事で来ないし、高峯も何故か来ていない。ふたりで対戦するか?」とこの状況下でそんな事を言う彼はムードも何も感じ取っていない。自分だけが彼を意識しているなんて惨めだと、彼女は彼の胸板を押し返した。
「私なら抱きしめてもいいってわけじゃありませんから。軽率にこういう事しないでください」
「それは約束できないなぁ…」
このように、彼との関係は良好と言える。しかし、それが恋愛に発展するとは言いきれない。現に、彼の口からは「あんずとの仲を取り持ってくれないか?名前にしか頼めないんだ」と。その言葉で彼女は自らの失恋を感じてしまった。そう。この事実を突きつけられてから、自分はどうしたってあんずには勝てないのだと思い込むようになってしまったのである。いつしか、彼が「可愛い彼女に弁当を作ってもらうのが夢なんだ」と言っていたのを覚えている。その彼女とはあんずのことであって、自分ではないのだと…悔しいけれど分かっていた。―「あんずは、守沢先輩のことどう思う?」「え。名前もしかして…」こんな話をしていた彼女は、あんずの気持ちに触れ、瞠目させられたと同時に困惑した。あんずの想い人が千秋ではなかった事実に安堵したが、千秋の言葉を思い出し、彼にどう伝えればいいのか。と考えあぐねた。しかし、その悩みは数日後に解消されることになった。
「私ね、明星くんと付き合うことになったんだ」
「そうなんだ。よかったね」
あんずがスバルと付き合っているということを名前が伝えるよりも早く、千秋に知れていた。流星隊のレッスンの日に、誰よりも早く部屋に着いていた名前の次に現れたのが彼だった。いつもの勢いもなく、「名前」と名前を呼ばれたかと思えば、静かに抱きしめられた。「あんずの幸せを喜んであげられないなんて、俺はヒーロー失格だ」と弱音を吐く彼は未だかつて見たことがなかった。ぽんぽんと慰めるような手つきで彼の背中に触れる名前は、胸の奥を切なく締め付けられていた。「こんなかっこ悪い俺を知られたくなかったが、悪いな。少しだけこうさせてくれ」と悲しげな声音を聞いて彼女は気持ちを抑えきれなくなった。「かっこ悪くなんてありませんよ。千秋先輩はいつでもかっこいい、私のヒーローです」と彼の腕の中で懸命にそう伝える彼女の言葉を聞いて、彼はその腕を解いた。
「名前は本当に優しいな。お前に好かれている男はさぞかし幸せだろうな…」
―あれから、数年の月日が流れ、千秋との仲に進展があったかと問われると名前はきっと苦々しく微笑むだろう。ある日の仕事帰りにスーパーに寄れば、そこで出会ったのは意中の彼、守沢千秋で。「宅飲みするのに一人じゃ寂しいと思っていたところなんだ。名前も一緒に飲まないか?」と既に缶ビールと酒の肴が入ったカゴを片手に彼に誘われる。断わる理由なんてなかった。彼女は果実系のカクテルチューハイを数本と惣菜の唐揚げとチーズを購入した。買い物袋を持ってくれている千秋に着いていき、彼の住むアパートに招かれた。部屋には戦隊ヒーローのフィギュアが置いてあったり、クッションが赤だったり、と簡素な部屋ながらも千秋らしさを感じた。
「家に誰かを呼んだのは名前が初めてだな」
和やかな雰囲気で二人きりの飲み会が開始された時には予想していなかった。久々に飲んだ酒が回ってしまい、彼の家に泊まることになるとは…。元々酒に強いわけではなかった彼女は、ついつい飲み過ぎてしまったことを後悔した。「名前はそんなに酒に強くないんだなぁ。顔が赤くなってるぞ」と近付いた彼は名前の頭を撫でた。「優しくされると好きになっちゃいますよ。いや…もうとっくに好きになってるんですけどね」酔った勢いというのは恐ろしいものだ。翌日の朝、目を覚ました彼女はこの時自分が告げた台詞を何も覚えていなかった。彼の膝の上で寝てしまったことも、そのままベッドに運んでくれたことも。ベッド上には彼女の姿しかなく、その格好は下着しか身につけていなかった。昨夜の記憶を思い出して、焦燥感に駆られた彼女は慌てて服を着てリビングへ飛び出した。この日は互いにオフ日だと昨日の段階で分かっていた。ソファーから起き上がってこちらを見つめる彼の瞳は寝ぼけ眼だった。「二日酔いはないか?」と心配してくれる彼の様子に、何事もなかったような彼の格好に、酔った勢いで身体の関係になってしまったのでは?という心配は杞憂だったのだとホッと胸を撫でおろした。
「酔っていたから覚えていないかもしれないが、名前が俺に惚れていると言ってくれて嬉しかったな」
「それは、お酒の力を借りないと言えなかった私の本音ですよ。よければ、私を先輩の彼女にしてくれませんか?」
ソファーに座る彼に腕を引かれたかと思えば、彼の膝の上に座る体勢で後ろから包まれ身動きがとれなくなった。温かな温もりを感じて涙が出そうになったが彼の返答を聞いて、その涙も引っ込んだ。「名前の優しさに甘えてばかりで情けないが、こんな俺でいいのなら喜んで名前の彼氏になろう 」と。「千秋先輩…好きです。高校生の時から…ずっと」我慢していた涙がついに溢れ出してしまった。照れたように苦笑して、彼はその涙を拭ってくれる。これで、自分は彼の一番になれたと思っていたのだが、昔からの疑心暗鬼というものは消えないもので…。
日にちは変わり、とある金曜日の夕方。ぼーっとする思考の中、「悪いけど、今日の飲み会は欠席します」という連絡をあんずに送信していた。本日の飲み会は、trickstarと流星隊、プロデューサーのふたりというメンバーで久々に行われるものだったが彼女は高熱を出してダウンしていた。一人暮らしなので看病してくれる家族がいるわけでもなく。かといって、今日の飲み会を楽しみにしている千秋を呼び出すのも気が引ける。それに、彼が高校時代に思いを寄せていたあんずも来るのだから自分の看病をしているよりもそちらに行きたいに決まっている。そう思い込んで助けも求められず、彼女は自らの額に熱さまシートを貼り、水分を取ってから再びベッドに横たわった。弱っていると、心まで弱くなるものなのか。と惨めな気持ちに蓋をするように涙の滲む瞳を閉じて深い眠りにおちていった。
―恋人である名前からは返信がなく、会場に着いてみてもそこに姿はない。この時から胸騒ぎを感じていた彼はtrickstarと共に登場したあんずの台詞に驚かされた。「守沢先輩。名前から欠席するって連絡がありました」と。原因も分からず、彼女が飲み会に来ないと告げられ、自分の携帯を確認してみるが既読も付かず返事は返ってきていなかった。自分に知られたくない秘密でもあるのでは?と勘繰った彼は、流星隊の他のメンバーに連絡し、あんずには「悪いが、俺も不参加だ。名前の様子を見に行ってくる」と一言告げ、その場から走り出した。かろうじて、彼は彼女の部屋の合い鍵を持っていた。お互い、何かあった時の為に。と、名前も千秋の部屋の合い鍵を渡されていた。この胸騒ぎが的中しないでほしい。などと願っていたが、彼女の部屋の扉を開ければ電気も着いていない。物音も聞こえない。と焦って部屋に上がった彼はすぐに彼女に駆け寄った。ベッド上で眠っている彼女の額に貼られているもの、火照った頬。頬に手を当ててみればまだ熱が高いのがよくわかった。よくよく見てみれば、彼女の目尻には泣き濡れたように涙の跡が残っている。その目尻にキスをして、彼は彼女の手を握った。ゆっくりと開かれた瞳が彼を捉えるが、「なんだ。夢か」と再び瞳を閉じてしまう。「夢じゃないぞ。俺は本物だ」と優しく彼女の前髪を撫で付けるその手を、彼女が掴んだ。信じられないと言いたげに目を見開いて彼と視線を絡ませる。「千秋先輩…どうして来てここに?飲み会は?」と問いかける彼女の手をぎゅっと握り、彼は想いを言葉にしていく。
「名前が欠席だと訊いて、心配になってな。どうして俺に連絡しなかった?俺はそんなに頼りないか?」
「先輩に迷惑かけたくなくて…。それに、あんずといるほうが楽し…っ」
あんずといるほうが楽しいでしょう。という彼女の台詞は彼の言葉で途切れさせられた。「何を勘違いしているんだ。あんずよりも、今日の飲み会よりも、名前が大事に決まってるだろう。迷惑なわけあるか。もっと頼ってほしいくらいだ」と。感極まった彼女は起き上がって彼に抱き着いた。「先輩があんずを好きだったのも知ってるし、どうしたってあの子には勝てないのも分かってる。それなのに…こんなに焼きもち妬いてごめんなさい」名前にこんなにも自信を持たせてやれないのは自分のせいだ。と、彼は感じていた。本当に、誰よりも愛しているのに中々伝わらないものだ。と彼は自らの力不足を痛感した。思い出せば、高校時代、失恋した自分に寄り添ってくれたのも彼女だった。あの日、酔っ払っていたとはいえ自分に想いを伝えてくれた愛しい名前。何を考えても、名前の姿が思い浮かぶ。「謝らなくていい。名前を不安にさせた俺が悪いんだ」とあやす様に添えられた手が頬に触れる。そのまま包み込まれ、唇が重なり合った。数える程しかキスをしていないが、いつも嬉しそうに、照れたように微笑む彼女の表情に、胸の奥が甘く締め付けられる感覚に陥らされる。愛する者に涙させて、何がヒーローだ。と自分自身の浅はかさを嘲笑いたくなった。しかし、そんな気持ちも吹き飛ばすのが、名前の笑顔である。
「先輩は、優しくてかっこいい私のヒーローです。今までも、これからも…ずっと大好きですよ」
「そんな可愛いことばかり言うな。理性が効かなくなるだろ。まだ熱があるんだから寝た方がいい。俺が添い寝してやるから」
END