翌日、玲香の様子が明らかにおかしかった。

普段の玲香なら絶対に犯すことのないミスが続き、周囲から心配の声も上がり出す。


「弥勒院君、どうしたのかね？いつもの君らしくないじゃないか。」

『いえ、大丈夫です。』


そう言う玲香は気丈に振る舞って見せるも、独歩だけはそれが空元気だと気付く。

化粧で隠しているつもりかもしれないが、玲香の目が泣き腫らしたものだと分かったからだ。


「（どうしたんだ…？）」


そんな時、


「弥勒院君！！」


焦りと怒りの混じった怒声。
それが玲香に向けられる。


「〇〇社から君が担当した件に不備があったとクレームが来ていてね…」

『えっ…！？』


信じられないとばかりに顔を上げる玲香。

この玲香のミスに周囲はざわつく。


「弥勒院さんがミス？」

「信じられない…あれだけ自信満々だったのに」

「所詮派遣だよねー」


玲香への陰口が飛び交い、課長が長ったらしい嫌味が始まる中、独歩だけが玲香のミスの原因に気付く。


「（待てよ…その話って昨日挨拶に行った会社のことだよな…）」

「弥勒院君！聞いているのかね！？」


震える手を握りしめ、玲香が重い口を開こうとした時、


『申し訳… 「申し訳ありません！！！」


突如謝罪と共に課長と玲香の間に割って入った独歩。

陰口と怒号で満たされていた社内が一気に静まり返る。


『え…？』

「えっと、その…お話を聞く限りですと、その件は僕の確認不足が原因かと思います…」

「また君か…観音坂君。」

「厳重に注意しておきますので…大変申し訳ありませんでした。」


なぜ独歩が割って入ったのか分からない玲香と、呆れた様子で矛先を独歩に向ける課長。

その様子に玲香へ向けられていた悪意は次第に薄くなる。


「なーんだ、観音坂さんのミスか。」

「そりゃ派遣に仕事丸投げなんてしないよね普通。」


平穏を取り戻した社内に戸惑いを隠せない玲香は、課長に促されようやく仕事に戻った。











玲香が働き始めて１つ理解したことがある。

この会社には基本的に定時退社という概念はないということだ。

現に今も当たり前のように残業を強いられ、時計の針はもう24時近くを差している。

そして目の前のデスクにも、同じく残業を強いられている独歩の姿があった。


「ハァ…」


玲香の向かいでパソコンを閉じ、短くため息をつく独歩。
一仕事終えた様子で席を立つと、玲香の元へと近づいてきた。


「弥勒院さんももう上がります？」

『…。』


声は発さずただ頷く玲香。


「その…昼間のことは気にしなくていいですよ、本当に僕の確認不足だったわけですし。
弥勒院さんは悪くないですから。」


玲香は独歩のフォローにも何も答えず、再び小さく頷く。


「…この時間だと終電ないですよね、タクシー呼びます？」


再び声もなく頷いた玲香とこれ以上居ることが気まずくなり、早くタクシーが着くことを祈りながらも2人は会社を後にした。

会社を出た頃には丁度タクシーが着いていて、独歩は玲香を車内に促す。


「では、僕は他のタクシーで帰りますので…お疲れ様です。」


独歩が車のドアを閉めようとしたその時、


『あの、』


今まで口を閉ざしていた玲香がようやく口を開いた。


『……………一緒に乗ってきます？』

「………………え？？？？？」


数時間ぶりに聞いた玲香の声は弱々しく、頼りないものだった。

冗談かと玲香を見直すと、泣き出しそうな目で独歩を見つめ返される。