Etude Dance*
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木造二階建ての古いアパート。
日当たりが悪く、周囲はアスファルトで舗装されていないからか数日前に降った雨の余韻が湿り気として地面にまだ残っている。踏み荒らされたぬかるみに足を取られぬようにふらふらと歩き、数日見ていなかった階段下の集合ポストにたどり着いた。
湿気を大量に吸った印刷の荒いチラシ達は無理やり錆びた四角いポストにねじ込まれている。重みで開きかかっっていた扉を開いてみれば運悪くばさばさと音を立ててひび割れた打ちっぱなしのコンクリートに郵便物は散らばった。
「……さいあく」
仕方なくしゃがみこみチラシを拾っていく。何だかこの薄汚いポストにさえ弄ばれているような気分になった。
入れられるチラシはいつも大体同じ。
闇金の携帯番号がでかでかと書かれたもの、高収入確実だなんて嘘くさい戯言を並べたセミナーの知らせ、風俗への勧誘……
こんなところに住んでいるから足元を見られるのか、どれもこれも金が絡んだものばかりだ。
誰が置いたか知らないがポストの下にある錆びたドラム缶が共同のゴミ箱がわりになっていて、いつもポストに入りきらなくなったら中身を見ずにそのまま全部捨てていたが、今日は入っている紙を選別し個人情報が書かれた電気料金の明細だけ持ち帰った。
重たい鉄の扉を開けて自宅に戻ると何故だかどっと疲れて鞄を玄関にほっぽりだして
ベッドに腰掛ける。腿の上に項垂れるように置いた骨のような白い手首を見つめて、考えることはやはり一つだけだ。
突如現れた自分と適合しているというリヴァイ・アッカーマンと名乗る男。
その男からの提案を受け入れられないと押し問答を繰り返していたが、とうとう押しきられ首を自ら縦にふった。
流石アルファというべきか、押しに強い。
必死に抵抗したが永久凍土の氷のようなあの青みがかった灰色の瞳に見据えられると全身が粟立ってどうにもできなかった。
(こんなことになるのなら、最初から会わなければよかった……)
そんなことを思ってももう遅い。
なんせ主治医のハンジもアルファなのだから。
完全に彼女のペースにのまれた。
意思の弱い自分が本当に嫌になる。
イライラしてきて枕元にあった煙草に手を伸ばそうとしたとき、ジーンズのポケットに入れていたスマートフォンが振動とともに光り始めた。
ポケットから取り出してみると画面には知らない番号……いや、知らされたが登録していない番号からの通知だった。
「……はい」
「出ねぇかと思った。この時間は大体いいのか?」
耳馴染みの良いテノール。
心地いいと嫌悪感が絶妙に混ざり合い耳の中の産毛が逆立ちこそばゆくなった。
「できたら夜にしてください。今帰ってきたところで、疲れてるので」
これは本当のことだ。一分一秒でも早く乱暴に意識を手放したい。
「分かった。明日からはそうしよう」
「もういいですか?」
「嗚呼」
二人の初めての通話は二十秒そこらで終了した。
男はバンクで会った時のようにもっと強引に来るのかと思いきや、意外にもあっさりと引き下がり電話を切った。
リヴァイ・アッカーマンが出した条件は四つ
・毎日通話をする事(できない日は事前に言う。ヒート中はしなくていい)
・他の人間と付き合わない(そんな気更々ない)
・体調の変化があれば必ず言うこと
・一年後必ず会うこと
なんだかんだ言って 肉体関係を強要されるかと思いきや、毎日の通話は面倒だがそれほど日常に支障は無いものだった。
今日のようにあっさりした電話で、一年後会ったときに絶対に流されない。
そうすればいい。ただそれだけだ。
「絶対に、流されない」
ブラックアウトしたスマホの画面に映る自分に暗示の様に言い聞かせる。
言葉に出して結論付ければ少しすっきりして、それと同時に襲ってきた眠気に勝てず背中からベッドにダイブした。
「今日も仕事か?」
「えぇ……まぁ」
「よく働くな」
「……もういいですか」
「わかった」
夜勤の仕事に行く少し前の時間に合わせて、男は電話をしてきた。
彼から何か質問をされて、答えて、切る。
この繰り返し。自分からは何も聞かない。
当たり前だがこの男に全く興味が無いし、寧ろ煩わしいと思っているからだ。
(……嫌みな男)
誰も夜通し十時間以上ぶっ通しで働きたくなんかない。日光に殆ど当たってないせいか疲れもずっととれないし、薄っぺらいカーテンから光が漏れて眠りも常に浅い。
オメガを保護するなんて法律もあるが、現実はこれだ。
ヒートがあるので昼の仕事はまず採用されない。
この仕事だってやっと在りついたのだ。これがもしクビになれば後は水商売しかないだろう。アルファやベータに愛想を振りまいて機嫌をとるなんてまっぴら御免。立ち回りの上手いオメガは人の金で優雅な暮らしをしているらしいがそんな家畜に成り下がった人生は嫌だ。
きっとあのリヴァイとかいう男には自分の生活は想像がつかないだろう。生まれた瞬間から全てが手に入ることを保証されているアルファと、何もないオメガの毎日続く奇妙な通話。
正直馬鹿らしくて仕方がない。
掛けるほうも馬鹿だが、受けるほうも馬鹿だ。
世間知らずのアルファの気まぐれを断ち切ってしまいたい。
いっそのこと、すべてを終わりにしたい。
いつからか、そんなリセットを夢見るようになっていた。
六月──
外はこの時期特有の長い雨が降り続いている。最近の空はいつも灰色。それはまるで自分の心を表しているようだ。
雨は嫌いだ。
気分が滅入るあの色合いも、気持ち悪く纏わりついてくるような生ぬるい湿度も、何もかもが陰湿で鬱陶しい。
特にあの地面から咽かえるように立ち込める悪臭。あれはとても気分が滅入る。臭いがないところに移動しても、嗅覚が狂ってしまい自分自身が臭くなってしまったような錯覚に陥る。急いで体を洗っても、残念ながら臭いは取れない。擦っても、擦っても、気になって仕方がない。最終的に擦りすぎてしまいシャワーの水が皮膚に沁みる頃になってからふと我に返る。そして猛烈に自分が惨めになるのだ。
今日も時間通りに弾けるような軽い音を立てて十錠入りの薬剤包装からプラスチックの部分を親指で潰し、裏側の破れた薄いアルミニウムから錠剤を一つ取り出す。手の平に乗せたのは白と青で綺麗にセパレートされたつるりとしたカプセルだ。
それをまだ煙草の煙が充満する口の中に放り込んで水で煙ごと喉奥に流し込む。
今飲んだのはインヒビター(抑制剤)だ。
あと一週間程でヒート(発情期)がくる。三ヶ月に一度定期的にくるが、体調で日が若干ずれたりするので予定日より早めに飲んでおくのが常だ。
保険の効かないこの薬に給料の約半分が消えていく。後は煙草と家賃と生活費を払えば綺麗さっぱり残らない。
保険の効く薬もあるが、それは効果が殆どない弱い薬だ。誰もそんなもの使っていない。
昔は節約の為に予定日の数日前まで安い薬を飲んでいたが、匂いがいつの間にか漏れ出ていたのか下の階に住む気の狂った老婆(残念ながら彼女のうなじには古い噛み跡がある)から賤しい売女と罵られたり夜道に一度危ない目にあったので止めた。
オメガの人権を保護する法律ができて十数年。
結局何も変わらない。仕事も、薬も、バンクだってそうだ。いくら足掻こうとも道は開かれない。結局世界の仕組み自体がオメガからアルファを孕ませることしか考えていないのだと思っている。
後数時間したら仕事が待っている。
少しでも日の光を浴びておこうと窓を開けて両腕で膝を抱え込むように出窓に横向きに座る。キャミソールから剥き出しになった青白い腕が雨のミストで濡れた。
日の光を求めて窓を開けたはいいが、生憎空は曇天で求めていたものは何も無かった。
手を伸ばしたら届きそうな低層の空には油絵のような重厚な雲が折り重なって隙間はどこにも無い。アスファルトから蒸せかえる雨の匂いと小さなノイズ音が鼓膜に遠慮がちに届いている。
まるで上からも下からも厄介者扱いされて早く出ていけと言われているようだ。自分の居場所はこの錆びれたボロアパートの中にすらない。
きっと世界中どこに行っても、居場所はないのだと思う。
ふとベランダの下を見ると荒れた花壇に手入れされていない紫陽花が咲いていた。
枯れた葉と新緑に混じって咲く毒々しい斑の赤紫は美しいというより見ていて落ち着かない。じっとそれを見ているとまるで花弁の一枚一枚が蠢くように動いているように見えた。暫くそれを見ていたら、紫陽花は土のペーハーで色が変わると再放送の古くさいドラマでやっていた事を唐突に思い出した。
眼下に咲いている紫陽花は澄んだ青紫ではなくどす黒い赤紫だ。
(赤は……死体が埋まってるんだっけ?)
あの日、バンクで見た桜を思い出した。
あの満開に咲いていた血を薄めたような色をしていた美しい花。あの花も何かしらの不純な養分を吸い取っているから狂ったように咲いていたのだろうか?
「は……」
雨の匂いが吐きそうになるくらい臭く、蝿のたかる塊が頭に浮かんだところで自分の想像力が意外にも豊かだったことに笑ってしまった。
膝を抱えて一通り感情が通り過ぎるのを待っていたら、次第に生暖かい湿度がからだにまとわりついて今度は眠たくなってきた。薬が効いてきたのか瞼が異様に重い。
すぐ側にある灰皿を取ってくるのすら面倒で、錆びた手摺のちょうど雨雫のできたところで煙草を揉み消す。寝よう。このまま仕事に行って居眠りしているところでも見られたら確実にクビになる。だから最後の力を振り絞って、吸い殻を忌々しい紫陽花めがけてピンっと放った。
「体調が悪いのか?」
「え?」
「いや……いつもみてぇにすぐ切らねぇから」
「……」
リヴァイとのお決まりの電話。
一言二言定型文のような会話をし、いつもならすぐに電話を切ってしまうのに、いつまでも切ると言い出さない彼女をリヴァイが不思議に思ったようだ。
今日は頭がぼうっとして彼が何を聞いてきたかももう忘れてしまった。
「もうすぐヒートか?」
「……そうです」
「薬は?」
「もう飲んでます。副作用で少し眠いだけです」
「そうか……何かできることはあるか」
「何が?」
「だから、俺が協力できること」
驚いてもう一度聞き返してしまった。
あのアルファの男が言っているとはにわかに信じがたい。面会室の高圧的な姿との違いに少し混乱した。
「ヒートが始まれば食事を作ったり家事もままならないだろう? 誰か身の回りの世話をしてくれるやつは居るのか?」
「別に、居ませんけど……」
「一人で大丈夫か? 知り合いに腕の良い家事代行が要るんだが……もちろんベータの女性で信頼できる奴だ。なんならそいつに……」
「そこまでしてもらわなくて結構です。慣れてますから。もう切ります。明日からは電話できません」
「……わかった。何かあったら遠慮せず連絡しろ」
リヴァイは自分の提案を強く否定されたことで悟ったのか、それ以上は何も言わず電話を切った。
火傷したかと思った。
突然無防備でいる時に恐ろしく熱いものが触れて、熱と痛みが同時に伴った。心配されるのなんて久しぶり過ぎてどうやってこの感情を処理すればよいのか分からない。これが飴と鞭の手法ならばこの男はとんでもないペテン師だ。
心臓が、泣きたくなるくらいに苦しい。
やはりリヴァイ・アッカーマンという男は自分にとって遠ざけねばならない存在だ。
「はぁ……はぁ……は……くるし……」
熱のこもりが早いと思ったら、予定より三日も早くヒートが来た。今回のヒートは心身が不安定だったからか、厄介なことにかなりの苦痛を伴った。呼吸が苦しくて、まるで熱されたフライパンか、灼熱の砂漠に打ち揚げられた魚のようにただただベッドの上で転げ回る。
「はぁ……は、もうやだ……なん、で」
愛してる──
身体の疼きと熱の中で、
随分と昔の記憶を思い出した。
「もう大丈夫なのか?」
「はい」
ヒートで家に引きこもっていた間に、鬱陶しかった雲は過ぎ去り世間は梅雨が明けていた。目を細めたくなるようなパステルブルー。開放的な季節の始まりだ。
「あまり無理するな、声が枯れてる。ちゃんと水分をとって……」
「何も知らないくせに知ったような口利かないで」
悪夢のようなヒートが終わった後は熱の余韻が長引いて気が立っている。
最近慣れてきていた男の声が今日は面白いように神経を逆撫でする。もちろん彼はヒートがないアルファだから、ヒートの辛さなんて知る由もない。そんなこと分かっているのに理不尽に苛立ってしまう。これは何に対する怒りだろう。まるでわざと手を焼かせる子供みたいだ。
「すまない、軽率だった」
「別に謝ってほしいわけじゃない」
男は言い訳もせず素直に謝ったが、素直になれない自分はそのまま沈黙の殻に閉じこもった。暫くして、男は話題を変えた。
「明日から三日間仕事で電話が出来ない」
「分かりました。じゃあ」
「……嗚呼」
男は何か言いたそうにしたが、今日は特に早く通話を終えたかったのでこのタイミングを逃さず切った。
(よくわからない……)
別に男は悪くないのだから突っかかってこればいいものを、ああもあっさりと謝られてしまうとバンクでの強引さを知っているから拍子抜けする。肩すかしを食らった気分だ。番になることを断られない為に下手に出ているのか、一体何を考えているのか。自分の感情も引っ張られてよくわからなくなった。
ただ一つ分かったことと言えば、男の仕事は貿易業らしく最近は繁忙期なのか出張で電話が出来ない日が増えた。彼は季節によって生活スタイルが変わっていくらしい。だが自分はいつでも変わらない。夕方にのそのそとベッドから這い出て、皆が愛する人と肩を寄せ合って食卓を囲むときに誰にも知られず家を出る。
夏の入道雲もあまり見ない。同じ行き帰りの道とワンルーム。それが自分の世界の全て。
肌で感じる湿度と、乾燥と、熱さと、冷たさと、煙草のメンソールの匂い。
白と黒と、時々グレーの小さな世界。
「え」
男が電話できないと言った二日後、早めにシャワーを浴びて一服しながら夜風にあたっていると、突如スマホの画面が光った。自分のスマホを鳴らすなんて一人しかいない。しかも何故か今日はビデオ通話でかかってきている。昨日から電話が出来ないと言っていたが……
(何なの一体……)
自分勝手なコールに無視しようかと思ったが、しつこく鳴り続けるしどうも気になる。仕方なく小さく溜息をつくと、カメラをオフにして電話に出た。
「……はい」
「俺だ。今電話できるか?」
「できますけど……今日は無いんじゃなかったんですか?」
「少し時間かできたから連絡した。お前もビデオ通話にしろ」
「顔見て喋るの嫌なんですけど……」
「対面で喋らねぇよ。見せたいものがある。時間がない、さっさとしろ」
「……(今日は強引……)」
まだビデオ通話になっていないスマホに向かって思いっきりしかめっ面をし、渋々ビデオ通話のボタンを指でタップした。
その瞬間、眼前に色彩の閃光が貫く。
「(眩しっ)……何?」
怪訝そうに画面を覗く。ステンドグラス? いや、もっと立体的で開放的な……
「傘?」
「あぁ。見たことあったか?」
「初めて……どうなってるの? 何で傘が浮いてるの?」
色とりどりの傘。
まるでそれらは一定の重力を忘れてしまったかのように宙に浮いていている。スマホの画面は確かに青お空w向いていて、だがその青をコンパスで線を引いたように丸い傘が切り取っていた。ビビッドな色同士がぶつかり合って、重なりあって、寄り添い合って、陽気なダンスを踊っているみたいだ。
「アンブレラスカイプロジェクトって知らねぇか? 夏になると世界各地でやってんだがここが発祥の地らしい。街起こしと日射病対策でやるようになったらしいが随分と有名になっちまって観光客がわんさか居やがる」
リヴァイの姿はなく声だけがスマホ画面から聞こえてくる。こちらは夜だが昼日中のスマホの向こう側は、「アゲタグエタ」という芸術祭でとても賑わっていた。ぎらつく太陽と人々の熱量がとても眩しくて色彩に慣れていない虹彩を一端落ち着かせるために目を細めた。
「最近はスカーフなんかでやってるところもある」
「へぇ……」
定点カメラ(どうやらリヴァイのスマホはテラス席に置かれているようだ)がこちらに送ってくる映像は人々の情熱的なエネルギーをスマホ画面いっぱいに送ってくる。
人々が空を見上げて肩を組んでいたり、お揃いのタトゥーに白のタンクトップを着た恋人達は開放的になってキスをしている。そんな人々の姿をスマホに食い入るように見入っていると、突如ふわりと映像が空を舞った。
「対面しないって言ったじゃない」
「どんな面して見てんのかと思ってな。元気にしてたか?」
「普通よ」
「そんな格好だと風邪引くぞ。お前煙草吸うのか、程々にしとけよ」
約四か月ぶりに見たリヴァイは、対面しないと言ったくせに平然と約束を破り顔を覗き込んで説教を垂れてきた。そんな自分勝手なリヴァイに言い返すのも面倒で、無言で短くなった煙草を灰皿に押し付けてだらしなく肩から落ちてしまっていたキャミソールの紐を薄っぺらい肩の上に直した。直したついでに肌の露出が急に気になって、胸の前でクロスさせた手を肩に乗せた。
「この前は悪かったな」
「え? あぁ……」
一昨日の会話の事だ。
「別に、あなたが謝ることじゃないでしょ」
「気を悪くさせたことには変わりない」
「ただ気が立ってただけ。今回のヒートは、結構辛かったから……ただの八つ当たりよ」
やはり対面は好きじゃない。落ち着かなくてもうずいぶん前に乾いている髪や煙草の箱を肩に乗せていない方の手で触ってしまう。ましてや画面を見て視線なんて合わせれる訳がない。こういう時は、素直に自分が謝るべきなのだろうか?
「主治医からあまり知られていないが、オメガのヒートは場合によっては苦痛を伴なうと聞いた。何か俺にできることがあれば遠慮なく言ってほしい」
「……分かった」
微かにだが、男がふっと笑ったような気配がした。
「もうすぐ仕事か?」
「今日は休み。ねぇ、さっきの空をもう一度映して」
「気に入ったか?」
「物珍しいだけ」
「生憎これから商談で電話はここまでだ。休みだったのか、残念だ。もう少しゆっくり話がしたかった」
商談というワードを口にしたリヴァイは少し仕事モードになったのか雰囲気がさっきよりも洗練されシャープな印象になった。こうやって自分の精神をいとも簡単にコントロールすることができるアルファ。隙がなく、やはり怖いと思う。でも残念な事に、既に自分はこの男の一言一言に過敏に反応し、翻弄されてしまっている。もう手遅れなのだろうか。まだ先だけど、次会うのが怖い。
リヴァイは本当に時間が迫っているらしく、通話を続けたままテラス席を立ち上がるのが見えた。スタイリッシュなトムフォードのオーダースーツに身を包み、流れるような所作でアタッシュケースをテーブルの上に乗せる。ジャケットの内ポケットから取り出したスーツと同じブランドのサングラスをかけて、インサイドカメラになっているスマホを右手で持ちながら陽射しの強いアゲタの街を歩き出す。
(シチリアマフィアかよ……)
商談内容は銃? 麻薬? はたまた人身売買?
カラフルな街に全く溶け込んでいない完璧なスーツ姿で歩くリヴァイの涼しげな横顔を眺めながら、理由はどうあれ初めてこの強面のアルファに強く興味を抱いた。
「気に入ったんなら後で写真撮って送ってやろうか?」
「……うん」
「じゃあな」
数日後、スマホに送られてきた写真を見て思わず手の甲を口に宛てた。
てっきり一枚だけ送られてくると思っていた写真は、律儀にアルバムまで作成されなんと十数枚送られてきた。
リアルタイムで見たカラフルな傘の浮いた空。シンプルなものからロリポップのようなデザイン性の高い傘もある。傘の色が写り込んだレンガ通りの白いタイルや、漆喰の家のアイアンのベランダから飾られた傘と壁をつたう真っ赤なブーゲンビリアの花
レインボーカラーに荒く塗られたベンチと階段
たまたま壁に映り込んだプリズム
美しい街並み、踊り子、はしゃぐ子供たち──
そんなものまで写真に納められていた。あのマフィアのような仏頂面の男が、こんな可愛らしい写真をスマホを掲げて撮ってきたのかと思うと込み上げてくる笑いを堪えられない。しかも結構センスがいい。
スマホを顔の前に掲げ、硬いスプリングベッドを軋ませながらベッドに仰向けに寝転がる。最初はチカチカとして目を開けるのすら辛かったが、いつの間にか慣れた。
色鮮やかすぎる覗き窓の向こう側。目を閉じても残像まで美しい。
画像を見ていたら、リヴァイからショートメッセージが届いた。
『こういうの好きか?』
たった一言。
メッセージの好きという言葉を見た瞬間、チリッとうなじが熱を持った気がした。
『悪くないかも』
メッセージ画面を閉じぬまま短くリヴァイに返信する。とても短いスパンだ。
『またあったら送る』
『分かった』
『おやすみ』
『おやすみなさい』
ブーゲンビリアの花言葉
『あなただけしか見えない』