Etude Dance*
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その日、リヴァイは仕事を早めに切り上げてエルヴィンとの待ち合わせ場所であるバンクに向かっていた。乗ってきた環状線は、朝の通勤ラッシュとは打って変わり人がまばらだ。乗った時には快適だと思われた車内は冷房の効きが酷く、リヴァイの少し乾燥気味の白い肌には刺激が強かった。
子供連れやお年寄り、朝の顔ぶれにはない人種の人々が陽気に喋りながら乗り降りするたびに生暖かい空気が出入口付近に立っているリヴァイの肌から三白眼の表面までゆっくりと撫でていく。それが三回ほど繰り返された後、リヴァイは観念して瞼を閉じて一定の揺れに身を任せた。
聴覚だけを機能させて、動く箱に乗った無数の人々が運ばれていくのをイメージする。まるで物流の一端になったような気分だ。ふと思う。例えば、自分と高確率で適合したという人物が同じように電車に乗ってすれ違っていたとしたら、その確率はどれ程のものになるのだろうか? きっといくら電車に乗ろうとも、目を凝らして辺りを見ようとも気づくことは無かっただろう。この世界は数で支配されている。埋もれてしまった存在を、一体誰が見つけだしたのだろう。世界は時に、思ってもみない方向にリヴァイを乗せて進んでいく。
暫く耳にだけ神経を集中する。そしてリヴァイが次に目を開けた時には、車窓の先に都心のビル群の中に不自然に広がる緑が確認できた。
地下鉄の出入口からほど近く、リヴァイは新緑の中を歩いていく。
ケヤキ、ハクモクレン、ソメイヨシノ……道は整備され両脇の木々達には存在を主張するようにプレートに名前が書かれ吊り下げられている。
リヴァイがこの中で知っている木と言えばソメイヨシノぐらいだ。今は他の木々と同じように青々をした葉を茂らせているが、春になると薄桃色の花が咲く。ある日を境に視界のすべてを埋め尽くさん勢いで狂い咲き、あっけなく存在を散らすその様を、花に疎いリヴァイでも知っていた。
しばらく緑豊かな敷地内を散歩するように歩いていると、無機質な白い箱のような建物が見えてきた。全面ガラス張りのドアは今日も徹底的に磨き上げられ、周りの木々達の影を鮮明に映している。ここがエルヴィンとの待ち合わせ場所だ。近くまで歩み寄ると、待つこともなく無音で扉が開きバンクはリヴァイだけを優しく迎え入れた。
一歩建物内に踏み込むと、今まで聞こえていた風の囁きや、音になり切れなかった空気の動き、リヴァイにまとわりついて一緒に入ってこようとしていた午後の日差し達は容赦なく締め出された。全館空調が行き届いた流動を感じない建物の中。ここに季節は存在しない。
人にとって最も適した環境に設定されているというバンク。それなのにリヴァイはそれが昔からどうも気に入らず、この建物に近寄ろうとしなかった。
この真空パックのような味気ない空間よりも、来るまでに感じた蒸し暑さや、居心地の悪さを愛しく思う。
「こちらでお待ちください」
受付の女性にエルヴィンとアポイントがあることを伝えると、中庭がよく見渡せる広いフロアに案内された。席は自由らしく、なんとなく目についたキューブ型の黒い椅子腰掛けた。
今では多くのリプロダクト品が出回っている不朽のデザインだが、これは座っただけで本物だとわかる。金属とレザーの質感が絶妙だ。人をリラックスさせるために作られただけあって無重力に浮いているかのように筋肉の緊張が解かれていく気がした。
深呼吸をし、背もたれにもたれながら他にも規則性の無いデザインの椅子たちを眺める。それらは不規則にテーブルとセッティングされ、誰かに使われることを待っている。
「お待たせ。すまない、タイミング悪く電話が入ってしまった」
「気にするな、俺も今来たところだ」
椅子を見るのに飽きて今度は中庭を眺めていると、エレベーターホールの方からまっすぐこちらに歩いてくるエルヴィンが現れた。
エルヴィンは笑顔でリヴァイのテーブルを挟んだ向かい側にあるレザー使用のエッグチェアに腰を下ろして足を組んだ。かっちりとしたネイビーのスーツを着たリヴァイとは違い、エルヴィンは真っ白なワイシャツにラフなベージュのスラックスを履いていて、その彼の無垢な姿を個性的な丸みを帯びたチェアは母性の象徴のように優しく包み込んでいた。
「リヴァイ、改めておめでとう。パートナーが見つかったこと、とても嬉しく思うよ」
「ああ、俺もそれに関しては早く見つかってよかったと思っている。そこで終わってくれりゃあよかったんだが」
「そうだね」
リヴァイはエルヴィンを待っている間に受付のスタッフが持ってきた紅茶に口をつける。視線でリヴァイが話の続きを促していることを感じ取ったのか、エルヴィンは持ってきた資料に目を通しゆっくりと話し始めた。
「お相手は二十代後半の女性だ。現在は夜間のビルの清掃員をしている」
「ほぅ……それで、俺と会わねぇ理由は何だ? 番を持つことが怖くなったのか?」
「俺も最初はそう思ったんだが……」
エルヴィンがシルバーフレームの繊細な眼鏡を外しガラスのテーブルに置きながら、バインダーに挟んであった資料から顔を上げた。ここに来た時のリラックスした態度とは打って変わり少し難しそうな表情をしている。
「彼女の主張では、元々バンクに登録していないそうだ」
「……は?」
予想外の答えにいつものように脚を組んでもう一口紅茶を飲もうとしていたリヴァイの手がとまる。エルヴィンと顔を見合わせて、暫し固まった。
「一体どういうことだ」
「俺も最初全く同じ反応をしたよ」
エルヴィンもリヴァイに同調するようについ先ほど自分の前にも運ばれてきた紅茶をゆっくりと口に含んだ。相手方は単純に番になるのに怖くなっただけなのかと思っていたが、それならまだしも、最初から番を探していなかったとなれば話は随分と違う方向に変わってくる。
「彼女は身に覚えが全くないと言っている。つまり、彼女がオメガだと知る誰かが代理を装って勝手にバンクに資料を送ったという可能性が高い。現に、提出元は彼女本人ではなく代理提出だった」
「こんなことあるのかよ」
「正直なところ、こういう事例は後を絶たないよ。毛髪、煙草の吸殻、臍の緒……親しい間柄の者なら簡単に資料は手に入るし、バンクにオメガの資料を提供すると謝礼金がもらえるからね。過去には婚約者がバースタイプを偽ってないか調べたくて体液の付着した衣類を持ち込んだ事例もあった。勿論正当な理由ではないから受理されなかったが」
「クソ野郎の腰抜けが」
「本人の同意のなかった提出だと判明した時点で本人から希望があれば登録を抹消するが、今回のようにパートナー(適合率が五十パーセント以上のアルファとオメガ)が先にマッチングしたというのは初めての事例だ。我々もマッチングした以上彼女の登録を抹消して振り出しに戻るのは避けたいが、無理を通すとオメガの保護団体が黙っちゃいない。ほら、最近よく聞く……」
「フリーフライ」
「それだ。あの団体はバンクを政治的権力のあるアルファの息のかかった傘下の組織だといって目の敵にしているからね。オメガの根源的自由を理由に登録も反対している」
「成程な」
「何をやっても批判される。今は耐える時期だね」
エルヴィンは少しオーバーに肩を竦め自虐ぎみに嗤った半面、連日対応に追われているのか疲労の色が目の下に現れていた。
オメガはその存在が希少過ぎる故にいつも詐取される側だ。
そしてまたリヴァイたちアルファも、近年圧倒的な数の前では消費される側に回りつつある。
もうアルファが一番栄華を誇ったと言われる王政時代は百年前に崩壊し、威厳の復刻という甘い言葉を使って周りはあわよくばアルファを引きずりおろそうとする奴らばかりだ。
「一度会う機会を設けろ」
リヴァイが深く腰掛けているチェアに肘を付きながら、風で揺れる青葉を眺めて呟いた。
「無理難題だな……彼女と電話で話したが、かなり動揺していたし意志は固いように思えた」
「それを何とかするのがコーディネーターの仕事だろう」
「ハハ、お前は相変わらず手厳しい」
大学時代の先輩にあたるエルヴィンに注文をつけ、リヴァイはティーカップをソーサーに戻す。その流れでリヴァイの鋭い視線がエルヴィンの瞳を射抜いた。エルヴィンは今日も穏やかだ。
「わかってるよ、リヴァイ。策はある」
「ならいい」
二人しか居ない清潔なバンク内のフロア。
フロアは近代美術館のように極限まで洗練され、何もないただの白い箱だ。
「ただの」箱だが、それは二人の存在をより明確に際立たせるためにある。髪一本から形に残らない声まで。確かにこの世界に存在している事を明確にする。
エルヴィンは口癖のように言う。この場所は自分を再認識するためにとても重要で、大きな意義を持っていると。真っ白な空間に一つだけある大きな窓から差し込む自然光。生命力溢れる新緑の若葉が初夏の風に揺れていた。
子供連れやお年寄り、朝の顔ぶれにはない人種の人々が陽気に喋りながら乗り降りするたびに生暖かい空気が出入口付近に立っているリヴァイの肌から三白眼の表面までゆっくりと撫でていく。それが三回ほど繰り返された後、リヴァイは観念して瞼を閉じて一定の揺れに身を任せた。
聴覚だけを機能させて、動く箱に乗った無数の人々が運ばれていくのをイメージする。まるで物流の一端になったような気分だ。ふと思う。例えば、自分と高確率で適合したという人物が同じように電車に乗ってすれ違っていたとしたら、その確率はどれ程のものになるのだろうか? きっといくら電車に乗ろうとも、目を凝らして辺りを見ようとも気づくことは無かっただろう。この世界は数で支配されている。埋もれてしまった存在を、一体誰が見つけだしたのだろう。世界は時に、思ってもみない方向にリヴァイを乗せて進んでいく。
暫く耳にだけ神経を集中する。そしてリヴァイが次に目を開けた時には、車窓の先に都心のビル群の中に不自然に広がる緑が確認できた。
地下鉄の出入口からほど近く、リヴァイは新緑の中を歩いていく。
ケヤキ、ハクモクレン、ソメイヨシノ……道は整備され両脇の木々達には存在を主張するようにプレートに名前が書かれ吊り下げられている。
リヴァイがこの中で知っている木と言えばソメイヨシノぐらいだ。今は他の木々と同じように青々をした葉を茂らせているが、春になると薄桃色の花が咲く。ある日を境に視界のすべてを埋め尽くさん勢いで狂い咲き、あっけなく存在を散らすその様を、花に疎いリヴァイでも知っていた。
しばらく緑豊かな敷地内を散歩するように歩いていると、無機質な白い箱のような建物が見えてきた。全面ガラス張りのドアは今日も徹底的に磨き上げられ、周りの木々達の影を鮮明に映している。ここがエルヴィンとの待ち合わせ場所だ。近くまで歩み寄ると、待つこともなく無音で扉が開きバンクはリヴァイだけを優しく迎え入れた。
一歩建物内に踏み込むと、今まで聞こえていた風の囁きや、音になり切れなかった空気の動き、リヴァイにまとわりついて一緒に入ってこようとしていた午後の日差し達は容赦なく締め出された。全館空調が行き届いた流動を感じない建物の中。ここに季節は存在しない。
人にとって最も適した環境に設定されているというバンク。それなのにリヴァイはそれが昔からどうも気に入らず、この建物に近寄ろうとしなかった。
この真空パックのような味気ない空間よりも、来るまでに感じた蒸し暑さや、居心地の悪さを愛しく思う。
「こちらでお待ちください」
受付の女性にエルヴィンとアポイントがあることを伝えると、中庭がよく見渡せる広いフロアに案内された。席は自由らしく、なんとなく目についたキューブ型の黒い椅子腰掛けた。
今では多くのリプロダクト品が出回っている不朽のデザインだが、これは座っただけで本物だとわかる。金属とレザーの質感が絶妙だ。人をリラックスさせるために作られただけあって無重力に浮いているかのように筋肉の緊張が解かれていく気がした。
深呼吸をし、背もたれにもたれながら他にも規則性の無いデザインの椅子たちを眺める。それらは不規則にテーブルとセッティングされ、誰かに使われることを待っている。
「お待たせ。すまない、タイミング悪く電話が入ってしまった」
「気にするな、俺も今来たところだ」
椅子を見るのに飽きて今度は中庭を眺めていると、エレベーターホールの方からまっすぐこちらに歩いてくるエルヴィンが現れた。
エルヴィンは笑顔でリヴァイのテーブルを挟んだ向かい側にあるレザー使用のエッグチェアに腰を下ろして足を組んだ。かっちりとしたネイビーのスーツを着たリヴァイとは違い、エルヴィンは真っ白なワイシャツにラフなベージュのスラックスを履いていて、その彼の無垢な姿を個性的な丸みを帯びたチェアは母性の象徴のように優しく包み込んでいた。
「リヴァイ、改めておめでとう。パートナーが見つかったこと、とても嬉しく思うよ」
「ああ、俺もそれに関しては早く見つかってよかったと思っている。そこで終わってくれりゃあよかったんだが」
「そうだね」
リヴァイはエルヴィンを待っている間に受付のスタッフが持ってきた紅茶に口をつける。視線でリヴァイが話の続きを促していることを感じ取ったのか、エルヴィンは持ってきた資料に目を通しゆっくりと話し始めた。
「お相手は二十代後半の女性だ。現在は夜間のビルの清掃員をしている」
「ほぅ……それで、俺と会わねぇ理由は何だ? 番を持つことが怖くなったのか?」
「俺も最初はそう思ったんだが……」
エルヴィンがシルバーフレームの繊細な眼鏡を外しガラスのテーブルに置きながら、バインダーに挟んであった資料から顔を上げた。ここに来た時のリラックスした態度とは打って変わり少し難しそうな表情をしている。
「彼女の主張では、元々バンクに登録していないそうだ」
「……は?」
予想外の答えにいつものように脚を組んでもう一口紅茶を飲もうとしていたリヴァイの手がとまる。エルヴィンと顔を見合わせて、暫し固まった。
「一体どういうことだ」
「俺も最初全く同じ反応をしたよ」
エルヴィンもリヴァイに同調するようについ先ほど自分の前にも運ばれてきた紅茶をゆっくりと口に含んだ。相手方は単純に番になるのに怖くなっただけなのかと思っていたが、それならまだしも、最初から番を探していなかったとなれば話は随分と違う方向に変わってくる。
「彼女は身に覚えが全くないと言っている。つまり、彼女がオメガだと知る誰かが代理を装って勝手にバンクに資料を送ったという可能性が高い。現に、提出元は彼女本人ではなく代理提出だった」
「こんなことあるのかよ」
「正直なところ、こういう事例は後を絶たないよ。毛髪、煙草の吸殻、臍の緒……親しい間柄の者なら簡単に資料は手に入るし、バンクにオメガの資料を提供すると謝礼金がもらえるからね。過去には婚約者がバースタイプを偽ってないか調べたくて体液の付着した衣類を持ち込んだ事例もあった。勿論正当な理由ではないから受理されなかったが」
「クソ野郎の腰抜けが」
「本人の同意のなかった提出だと判明した時点で本人から希望があれば登録を抹消するが、今回のようにパートナー(適合率が五十パーセント以上のアルファとオメガ)が先にマッチングしたというのは初めての事例だ。我々もマッチングした以上彼女の登録を抹消して振り出しに戻るのは避けたいが、無理を通すとオメガの保護団体が黙っちゃいない。ほら、最近よく聞く……」
「フリーフライ」
「それだ。あの団体はバンクを政治的権力のあるアルファの息のかかった傘下の組織だといって目の敵にしているからね。オメガの根源的自由を理由に登録も反対している」
「成程な」
「何をやっても批判される。今は耐える時期だね」
エルヴィンは少しオーバーに肩を竦め自虐ぎみに嗤った半面、連日対応に追われているのか疲労の色が目の下に現れていた。
オメガはその存在が希少過ぎる故にいつも詐取される側だ。
そしてまたリヴァイたちアルファも、近年圧倒的な数の前では消費される側に回りつつある。
もうアルファが一番栄華を誇ったと言われる王政時代は百年前に崩壊し、威厳の復刻という甘い言葉を使って周りはあわよくばアルファを引きずりおろそうとする奴らばかりだ。
「一度会う機会を設けろ」
リヴァイが深く腰掛けているチェアに肘を付きながら、風で揺れる青葉を眺めて呟いた。
「無理難題だな……彼女と電話で話したが、かなり動揺していたし意志は固いように思えた」
「それを何とかするのがコーディネーターの仕事だろう」
「ハハ、お前は相変わらず手厳しい」
大学時代の先輩にあたるエルヴィンに注文をつけ、リヴァイはティーカップをソーサーに戻す。その流れでリヴァイの鋭い視線がエルヴィンの瞳を射抜いた。エルヴィンは今日も穏やかだ。
「わかってるよ、リヴァイ。策はある」
「ならいい」
二人しか居ない清潔なバンク内のフロア。
フロアは近代美術館のように極限まで洗練され、何もないただの白い箱だ。
「ただの」箱だが、それは二人の存在をより明確に際立たせるためにある。髪一本から形に残らない声まで。確かにこの世界に存在している事を明確にする。
エルヴィンは口癖のように言う。この場所は自分を再認識するためにとても重要で、大きな意義を持っていると。真っ白な空間に一つだけある大きな窓から差し込む自然光。生命力溢れる新緑の若葉が初夏の風に揺れていた。