シンデレラの大罪
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ポツポツと降りだした真冬の雨が、窓ガラスを通して冷気を運んでくる。
「急にごめんね、来てくれてありがとう。」
「あ、いえ。」
目の前に突如現れて、半ば強引に自分をこんなところまで連れて来たメガネの女性が申し訳なさそうに謝っている。
「ずっとあそこに一人で住んでたの?」
「……」
「あ〜!まぁ!まぁ!まぁ!言いたくなかったら別にいいんだけどさ!!」
ルリが機嫌を損ねて帰ると言い出すと思ったのか女性は大袈裟に手を振りなら質問を撤回した。結局その後女性とは目的地に着く間まで一言も言葉は交わされず、灰色の空に最も近いハイウェイはルリをどこまでも運んでいった。
「病院?」
連れていかれた所は予想外の場所だった。
「あぁ。極秘入院だから公にはなってない。」
「あのっ、リヴァイさんどこか悪いんですか?」
「会えばわかるよ。リヴァイと最後会わずに別れたんだよね?」
「…っ、」
「潔癖すぎて嫌だったとか、このむっつりスケベ!とか何でもいいから一言会って言ってやってくんないかな~?どうすればいいか私達も分からなくてさ、頼むよ。」
メガネの女性は降参とばかりに頭をポリポリと掻くと丁度来たエレベーターに乗り込み最上階のボタンを押した。
*
私とリヴァイさんが出会ったのは小さなカフェだった。
都内の大学を卒業してそのまま就職したはいいが、しがない零細企業のOL。何年たっても上がらない給料と中々減らない奨学金の返済。漠然とした不安から会社に内緒で週に数回アルバイトを始めた。
始めたお店は紅茶好きなマスターが定年後に開いた小さなカフェで紅茶の種類が豊富なところを売りにしていた。
この店で働きだしたのは別に紅茶が特別好きだったというわけではない。緑色に人魚がロゴの大手チェーンのようなカウンター形式で、ただ単に注文を採ったり片付けたりと忙しく店内を動き回らなくてもよいと思ったからだ。そして幸いな事に働きだしてから紅茶を淹れる行程が結構好きなことに気がづいて、本業のOL より楽しくやっていた。
「いらっしゃいませ」
「ストレートの紅茶」
「かしこまりました」
その店に閉店時間ギリギリによく来る小柄な男性。それがリヴァイさんだった。リヴァイさんは既にこの店の常連客らしく店長ともポツリポツリと会話をし、きまってストレートの紅茶をテイクアウトで注文し、たまに自宅で淹れる為の茶葉を買って帰っていった。
「お待たせしました。」
「あぁ…あんた最近入ったのか」
「え?あ、はい。」
「…そうか」
「?」
リヴァイさんは急に喋りかけてきたと思ったらいつの間にか会話が終わってしまったり、注文以外何も喋らない時があったり、独特の雰囲気を持ったお客さんだった。
「昼間は働かねぇのか」
「お昼は会社に行ってるので…」
「そんなに働いてんのか」
「薄給平社員ですから。。」
「…今度旨いもん食わせてやろうか」
「えっ?!そんないいですよっ」
「そういやぁ名前、聞いてなかったよな」
「え、あ、ルリです…」
「ルリか…良い名前だな」
「どうもありがとうございます。。(普通順番逆じゃない?)」
急に積極的になったり、なにか順序が逆だったり。リヴァイさんは本当に掴めない人で、彼が来る度に(違う意味で)心臓がドキドキした事を覚えている。
「ギター弾かれるんですか。」
「まぁな。一応これで生計を立てている」
「(ミュージシャン?)へぇ~すごいですね。」
「お前好きなアーティストとか居るのか」
「居ません。音楽はあまり聞かないので。」
「じゃあ…気づいてねぇんだな」
「え?」
「はっ…いや、何でもねぇ」
「?」
時折リヴァイさんは使い込まれたギターケースを肩にかついでやって来た。
ギターの話題を初めてしたとき、珍しくリヴァイさんがとても面白そうに笑って、危うく計量の時に使うスプーンを茶葉ごと落としてしまいそうになった。だって、その時の笑顔がまるであどけない少年のように魅力的で私は一瞬で心を奪われてしまったから。
その後は夜遅いからと車で家で送ってくれるようになって、リヴァイさんが私のどこを良いと思ったかはわからないが付き合うまでにそれほど時間はかからなかった。
「リヴァイさんって曲を作ってるんですか?」
「あ?」
情事が終わって腕枕をしていてくれるリヴァイさんにふと疑問が湧いて訪ねてみる。
「…作ったものを歌っている」
「えっ!?」
「何だよ、そんなに驚くことか?」
「だってリヴァイさん歌うイメージないから!どんな歌うたってるんですか?」
「………ロックだ」
「えぇーーーー!!!!?」
「おい、さみぃだろうが」
まさかのカミングアウトに思わずシーツを握りしめながら体を勢いよく起こしてしまったので上半身がはだけたリヴァイさんが困ったようにシーツを整える。
「リヴァイさんが歌ってるところ見たいです。」
「見てぇか?」
「見たい!」
「そうだな…考えといてやるよ」
「んっ…」
リヴァイさんはちょっと悪戯っぽく笑い、私の腕を引っ張るとまた白いシーツの中にキスをしながら縫い止めた。
そして見たいと言った願いが叶うその日はそんなに遠くなくて、ある日突然やって来た。
「――跪け、豚共が」
台詞の直後、甲高い女性達の黄色い歓声が会場を埋め尽くす。まるで地鳴りのように立っている場所が揺れて、とんでもないエネルギーのコアに私はいた。
ゾクゾクと背筋から脳天まで突き抜ける艶やかな低音…
「嘘でしょ…」
「俺だけを見ろ、いくぞ!」
覆面の超人気ロックハンド「NO NAME」
最近CMやドラマの主題歌に器用され音楽に疎いルリでさえも知っている超有名な三人組のロックバンド。
そのボーカルを務める絶対的存在L
最前列なので服の皺から飛び散る汗までよくわかる。着崩したスーツのシャツから覗く見事な腹筋や顎のライン。見た事があった、ベッドの中で何度も。
柵に掴まりながら思わず片手で口を覆った。
スポットライトを浴びて大歓声の中歌っていたのは紛れもないリヴァイさんだった。
放心状態のまま会場を後にする。
この会場に来たときに誰のライブがあるとでかでかと書いてありさすがに気がついた。いや、そもそも何故今まで気づかなかったんだろう。
ボーカルのLがリヴァイさんに似ている気がする…
でも何かの冗談だと思い言われた通り裏口で名前だけ告げたらスタッフに最前列に連れていかれた。そして予想は当たり…今見てきたことは本当に現実なのだろうか…
ふと気がつくと、ポケットに入れていたスマホが揺れている。
「もっ!もしもしっ!?」
「お前、借りてきた猫みてぇに柵にしがみついてたな。しかも俺の言葉にくそ真面目に頷きやがって。そんなやつ初めてだ。クックッ…」
ライブが終わったばかりで昂っているのかリヴァイさんが電話の向こうで珍しく声を出して笑っている。
「リ、リヴァイさんNO NAMEのLだったの?!早く言ってよ!」
「俺のバンド知ってたか?」
「知ってるにきまってる!だ、だってすごい有名…こんなことってあるの…信じられない…どうしよう…」
自分が付き合っている人がまさか超人気アーティストだったなんて…何故か分からないが無性に泣きたくなってきた。普通の女の子なら、こんな時飛び上がって喜ぶのかもしれなが、私はそんな気にはなれなかった。ある日突然普通が普通じゃなくなる事は、平凡な私にとっては幻妖を手にとっているようでとても恐ろしいと感じた。
「……俺と付き合ったこと、後悔してるのか?」
リヴァイさんはとても鋭くて、電話越しに私が戸惑っている事を感じ取っていた。
「そ、そんなことないよ!少し、混乱してるだけ。だってこんなシンデレラストーリーみたいな…私芸能人でもないし…ただの会社員で…」
「くだらねぇ心配してんじゃねぇ。別になりゃいいじゃねぇか、シンデレラに」
リヴァイさんがとんでもなくキザな事を言った。こんなこと言って様になってしまう人なんて世界中探してもリヴァイさんぐらいだろう。
「ルリ、ずっと俺の側に居てくれ。ずっとだ」
「…うっ、うん!もうっ!リヴァイさんそんなかっこいいことさらっと言わないでよ!」
「あ?」
驚きと感動で返事をする声が震えた。リヴァイさんは私の反応が面白かったのかまた電話の向こうで声を出して笑っていた。
それから私の生活は一変した。
「な、なにここ?!」
「あ?ただの部屋だが」
外で気軽にデートできない私たちはホテルのスイートルームをよく利用した。各部屋に薔薇の花が飾ってあってベッドや大きなジャグジーには薔薇の花びらがロマンチックに散らしてある。
ふかふかの絨毯の上を恐る恐る歩いて夜景が広がる全面窓までたどり着く。窓に半反射した自分の顔と宝石をちりばめたような夜景が重なっている。
「すごい…きれい…」
そんな光景に目が釘付けになっていると、そっと後ろから逞しい腕の中に包まれた。
「この部屋が気に入ったんならしばらく滞在するか?」
「え?!こんな凄い所私には勿体ないよ!」
「そんなことねぇ、お前にぴったりだ」
リヴァイさんは耳元でそんなことを囁きながら振り向いた私に優しいキスをした。
「仕事、辞めちまえよ」
「え?」
「別に好きでやってる訳じゃねぇんだろ?朝から晩まで働いて身体壊さねぇか心配だ。俺と一緒に住んで好きにすりゃいい」
夜景の見える大きなジャグジーの中でリヴァイさんが私を後ろから抱きしめながら耳元で囁く。リヴァイさんは私を心配してよくこんな話をしてきた。
リヴァイさんが私の左手を湯船の中から導き上げると薬指のところにちょうど真っ赤な薔薇の花弁がのっていて、それはとてもとても美しかった。
「甘えすぎだよ。そんなの。」
「ルリ…」
「いいの。こんな素敵なところに連れてきてもらえるだけで幸せ。それにカフェの仕事は好きでやってるから。」
「……欲がねぇなぁ」
「あっ、」
背後からもう片方のリヴァイの掌が伸びてルリの赤く色付いた胸の飾りを下から撫でる。超スーパースターのリヴァイさんと超凡人な私。
そんなことを言われるたびに「分相応」「身の丈にあった暮らし」というフレーズが頭をよぎった。
それにおとぎ話のシンデレラようにある日突然12時を知らせる鐘がなって、リヴァイさんも、綺麗なドレスも、カボチャの馬車も、
すべて消えてしまうようなそんな怖さを感じていた。
リヴァイさんはとても多忙でカフェで毎回会える訳でもないし(自分が来れない日はタクシーを使えとカードをくれた。)デートもホテルやリヴァイの自宅ばかりでどこかに出掛けるということはなかった。
「悪いな」
「え?」
「色々と連れていってやれなくて」
「別に気にしてないよ。元々そんなに出歩く方でもないし充分楽しいよ。」
それは本当だった。同世代の女の子の中では自分は地味な方だし、アクティブに動く方でもない。それよりもリヴァイさんの目の下のくまがびっくりするぐらいに酷いときがあってちょっとでも休んで欲しかった。
リヴァイさんと世間話をして、彼が時折見せる控えめな微笑みを見ればそれで満足していた。
そんな慎ましやかな二人の生活はあっけなく終わりを告げる。
「ちょっとよろしいですか?NO NAMEのLさんですよね?」
「あ?誰だてめぇ」
いつものようにカフェの裏口から二人で出てきたところを週刊誌に写真を撮られた。
その日は寒さが一段と厳しくなった日で、澄んだ冬の空に並木に飾られたイルミネーションが映えてとても綺麗だと話していた所だった。
青白い光が幻想的で、どちらからともなく初めて外で手を繋いだ。そんなところを週刊誌に撮られた。
「週刊パラディの記者をして居る者です。Lさん、そちらの女性以前からお付き合いされている方ですよね?」
記者がリヴァイさんに名刺を渡しながら、ひどく丁寧な口調で話しかけてくる。
(どうしよう…)
リヴァイさんがこの店の常連で、ずっと前からマークされていたのかもしれない。後悔してももう遅かった。
「こいつは一般人だ。撮るんじゃねぇよ」
リヴァイさんは記者から自分を隠すように前に出て、後ろで繋いだままの手にぐっと力が籠った。
『熱愛スクープ!!
カリスマロックバンドNO NAMEボーカルL
清楚系美女と真剣交際!!
お相手は都内在住飲食店勤務の一般人女
性!!』
翌日手を繋いだ写真と一緒にでかでかと報道された。テレビも芸能ニュースはその話しで持ちきり。今までモデルやらセレブやらそうそうたる女性陣と浮き名を流してきたミステリアスなLがまさかごくごく普通の一般人と熱愛するなんて信じられないと芸能リポーターが興奮ぎみに捲し立てた。
ルリはというと写真からカフェの場所まで特定され働くどころではなくなった。
「社内規約違反になりますから今月いっぱいで退職してください。」
「…はい。ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。」
目は隠されていたが写真が私にそっくりということで会社に事情を聞かれ、副業をしていたことがバレて、本来ならば戒告で済むが、騒ぎを起こした責任も暗に問われあっさり解雇された。
「ここでほとぼりが冷めるまで隠れていた方がいい。リヴァイとは少し会えないがいつも通り連絡はとってもらって構わない。心配しなくても大丈夫、時間が立てば騒ぎも収まるし今まで通りの生活に戻れるから。」
「はい。あの…本当にすみません、私のせいで…」
「君のせいじゃない。彼ら(マスコミ)もあれが仕事だし、売名行為やら何やらでリヴァイに近づく女性は後を立たないから私たちもこういうことには慣れてるんだ。何か欲しいものがあったら遠慮なく私か事務所のスタッフに言うんだよ。」
「はい。」
勤務していた会社の誰かが私の情報を漏らしたらしく自宅まで特定されてしまったため、リヴァイさんが所属する事務所の代表というエルヴィンさんがセキュリティの高いマンションを新たに用意してくれた。
「それとテレビやSNSの情報はあまり信用しないように。間違っても自分を攻めないで。」
「はい」
エルヴィンさんは優しい言葉をかけてくれてマンションを出ていった。
(言われた通り早く辞めていればよかった…)
自分を攻めるなと言われるが、これは自分が働きたいと駄々をこねた結果。攻めないでいられなかった。ただでさえ忙しいリヴァイさんに迷惑をかけた事をとても後悔した。
「悪いな、こんなことになっちまって」
「仕事は自分の責任だから…私の方こそごめんなさいこんなことになってしまって。リヴァイさんにも、事務所の人にも、たくさんの人に迷惑をかけてる。」
「大したことねぇよ。また連絡する。騒ぎが落ち着いたら必ず迎えにいく」
「うん。」
リヴァイさんはこの時、ワールドツアーをやる事が決まってさらに多忙になっていった。
エルヴィンさんに言われたことを守り私はテレビもネットも殆ど見なかった。チラリと観たワイドショーでは自分が実はプロ彼女なのではないかとか、女性側から週刊誌にリークしたのではないか等デマが飛び交っていた。
私は、一日を殆ど何もすることなく過ごした。
ソファーに座って自宅から持ってきたNO NAMEのCDをずっと聞いた。これはリヴァイさんと付き合い出してから買ったものだ。
それまでNO NAMEのことはバンド名とテレビで流れるちょっとした曲のサビを知っているぐらいで殆ど知らなかったから、コンサートに呼んでもらった日の翌日にレコードショップに行って過去の曲からツアーのDVDまで全部買った。
リヴァイさんは作曲もするけど作詞を主に手掛けていた。激しい曲調のものが多いが、歌っている内容はどれも繊細に人の感情を表現していて心を揺さぶられるものばかり。
私は一曲一曲歌詞カードを見ながら丁寧に聞いた。リヴァイさんは何もないところからこんなにも素晴らしいものを生み出して、多くの人々の心を豊かにする。そんなことを再認識して改めて涙が出た。
「海外でレコーディング?」
「あぁ。スケジュールの都合が合わなくて急遽この日程になっちまった。」
「そうなんだ。」
「一緒に来い」
「え?」
「いいところだぞ。静かで街並みも綺麗だ。人の目を気にしなくてもいいし、きっとルリも気に入る」
エルヴィンさんに用意されたマンションで一月ほど過ごし、私はリヴァイさんのマンションで暮らすようになっていた。
「いいよ、ここで待ってる。」
「もうすぐ誕生日だろ?少し長く滞在して向こうで迎えるのも悪くねぇと思うが…」
「ううん、待ってるよ。」
「……そうか」
リヴァイさんは公私混同しない人だ。自分が着いていくと仕事に集中できないかもしれないと思い、これ以上迷惑をかけたくなくて渡米することを断った。
「行ってくる」
「うん、気をつけてね。」
「向こうに着いたら連絡する」
「分かった。いってらっしゃい。」
「ルリ」
「何?…ん」
「帰ったら大事な話がある」
「?…うん、分かった。」
玄関で見送る私にキスをしながら、綺麗な三白眼が何かを訴えている。
「愛してる」
「私も。急にどうしたの?」
「恋人との別れが辛くねぇのかよ」
「それは寂しいけど…」
「俺に変に遠慮するなよ。じゃあな」
「っ、バイバイ。」
リヴァイさんは少し眉根を下げて困ったような顔を一瞬したが、いつもの表情に戻るとスーツケースを持って出掛けていった。
結果的にリヴァイさんと会って話をしたのはこれが最後となる。
週刊誌にリヴァイさんとの関係をすっぱぬかれて早二ヶ月。人の気持ちは移ろいやすいもので、テレビでは数日前にスキャンダルとなった二枚目俳優と売れっ子女優のW不倫でワイドショーの芸能ニュースは持ちきりだった。一時はどうなるかと思ったが、日に日に落ち着いていく周辺に安堵しながら何気なくテレビのチャンネルを回した。
『Lの熱愛報道ですかね~ファンなんでもう本当にショックで~夜も眠れなくなりましたぁ~なんで私じゃないのぉ~って!キャハハッ!』
目に飛び込んできたのは、午前中の情報番組の中でテーマを毎回決めて街角の人にインタビューをするコーナー。最近ショックだった出来事を聞いていた。
(ショック…そうだよね…)
応援してきた人が突然得体のしれない一般人と付き合ってると言われれば誰だってショックを受けるだろう。
(たくさんいるのかな…)
―あまりテレビやSNSの情報は信用しないように―
エルヴィンから忠告されていたにも関わらずふと目の前に置いてあったスマホに「L 熱愛報道」と打ち込んだ。
「変わりねぇか」
「うん、いつも通りだよ。そっちは順調?」
「あぁ、マスゴミの野郎がいねぇから仕事がはかどる」
「ふふっ」
リヴァイさんは今回の件で前々から好き勝手書き散らすマスコミに相当頭にきたらしく、(テレビに向かってよく中指を立てたりしていた)きっと狭い国内よりも海外でのびのび暮らす方が彼には合っているんだと思う。
「あ、今度地元で同窓会があるんだけど、行こうか迷ってて。今回の騒ぎはみんなまさか私だとは思ってないと思うけど…」
「行ってこればいいじゃねぇか。お前も気晴らしになるだろ」
「いいと思う?」
「あぁ、勿論だ。行ってこいよ」
「うん、ありがとう。」
リヴァイさんは私が好きだったカフェの仕事も辞めざるお得なくなってしまった事を少し気にしているようで、私のリフレッシュになるような事は積極的に勧めてくれた。
―L 熱愛報道 ファン―
初めてスマホで熱愛報道を検索してからふとしたときにネットでこんなワードを検索するようになった。
―ショック、死にたい―
―たまたま運が良かった勘違い女。すぐに捨てられる―
―芸能人でもないただのブス―
―お前の代わりなんていくらでもいるんだよ―
―死ね。消えろ―
―みんなのLを返して―
(みんなの…L…)
ネットにはLの熱愛を悲観し、自分に対しての酷い誹謗中傷が繰り広げられていた。ぎゅっと胸が締め付けられる。
自分を責められて傷つくが、腹が立つ事はなかった。それは自分が特別な人間ではないことは重々理解していたし、そんなに自分に自信もないから。そのかわり同じ中傷を繰り返し受けていると洗脳のように不思議とそれが正しいように思えてくる。
(どうして、リヴァイさんは私なんかと付き合ったんだろう…)
画面の文字から放たれる無数の妬みと憎悪の矢が気づかぬうちにルリの心を次第に蝕んでいった。
「どうした?」
「え?何が?」
「いや…なんか元気ねぇなって。何かあったらすぐエルヴィンに言えよ。あいつなら何とかしてくれる」
「分かった。ねぇリヴァイさん…」
「なんだ」
「たまに不思議に思うの。どうしてリヴァイさんみたいな凄い人が私と付き合ってくれたのかなって」
「…」
「リヴァイさん?」
「二度と、そんな事言うんじゃねぇ。二度とだ」
リヴァイさんの感情を押し殺したような声。言ってはいけないことを言ってしまったと思った。
「ご、ごめんなさいっ、もう言わないよ。」
「…機材の故障とかいろいろあって帰るのが予定より遅れる。お前の誕生日までには必ず帰るから」
「無理しなくてもいいよ。もういい大人だしお祝いするなんて歳じゃない。気持ちだけで十分だよ。」
「ルリ…頼むから俺にもっと我が儘を言ってくれ。お前の望みなら何だって叶えたい。俺にとってお前は特別で代わりなんてどこにも居ないんだ」
「リヴァイさん…うん、ありがとう。」
リヴァイの言葉に泣きそうになった。
それでももうその時には、その優しさで埋められないところまで着てしまっていたのかもしれない。
多くの人が寝静まった深夜、気づくとまたスマホを片手にリビングのソファーに座っている。最近はほぼ毎日。暗闇の中で自分の持つスマホの四角い画面だけが青白く光っている。
―釣り合わない―
―マジで消えてほしい―
―Lを盗らないで―
―Lを返せ!この泥棒!―
ネットサーフィンを続けていると、とあるサイトに行き着いて過激な内容の書き込みを一つ一つ読んでいく。読まなければいいのに、気持ちとは裏腹に震える指はどんどん下にスクロールを続ける。
涙がはらりはらりと膝に落ちた。
雲の上のような人に偶然出会って、好きになって、付き合って、多くの人を傷つけて…――
私は罪を犯したかもしれない…
「ごめんなさい」
12時の鐘が鳴り魔法は完全に解けた
「飛行機が悪天候で全部飛ばねぇんだ。チッ何でこんな時に…すまない」
リヴァイさんは現地の空港にいるようでスマホ越しに英語のアナウンスがずっと流れていた。
「天気は仕方ないよ。」
「お前の誕生日にどうしても伝えたいことがあったんだ。飛ぶようになり次第そっちに…」
「リヴァイさん、私もリヴァイさんに話したいことがあってね…」
「何だ?」
「私と別れてもらえませんか」
泣くかと思ったがその言葉は自分でも驚くほどハッキリとしていた。リヴァイが息をのんだ気配が電話越しに伝わってきた。
「っ、…………な…、…」
「突然ごめんなさい」
「………ずっとルリには不自由な思いをさせて悪かったと思ってる…本当だ……会って話し合いたい…」
「リヴァイさんのせいじゃないの。不自由だと思ったことなんて一度もない。本当に良くしてもらったと思ってる。…私…好きな人ができてしまって…話し合っても、たぶんこの気持ちは変わらないと思うの。」
リヴァイさんはきっと自分を責めてしまうから、考え付く限りの嘘をついた。彼を傷つけて自分でも最低な事をしていると分かっている。それでも必ず別れなければならないと思った。
「誰だ」
声だけで殺されてしまいそうな迫力だった。初めてリヴァイさんの怒った声を聞いた。
「地元の、同級生で…この前の同窓会で久しぶりに会って、いろいろ話すうちに…地元に戻って一緒に暮らそうって言ってくれて…」
「…………」
「お店をやってるから、私もそのお店を手伝おうと思ってる。本当にごめんなさい…」
よくこんなにもペラペラと嘘がつけたと思う。自分が平気で愛する人を傷つける人間だったということにも自己嫌悪した。
長い沈黙
「……お前がそいつを必要として…そいつはお前の傍に居てやれるんだな……」
「そうか……分かった…
別れよう――…」
*
「あの、どうして私の住んでる場所が分かったんですか?」
リヴァイと別れた後、地元には戻らず都心から離れた縁もゆかりもない地方都市でカフェで働きながら生活していた。
「あーごめんね、エルヴィンとちょっと調べちゃったんだ~地元に帰ってなかったみたいだし、それにリヴァイと別れてから私たちのファンクラブに入ってるじゃないか!ライブには来てくれてなかったみたいだけど、別れた後もずっと陰でリヴァイの事を応援してたんだよね?!」
「っ…」
「も~いじらしいなぁ~!リヴァイが追いかけたくなる気持ちも分かるかも。あなたみたいな子絶滅危惧種だもん!」
メガネの女性(風貌からしておそらく彼女がHなのだろう)がルリに馴れ馴れしく肩を組むと丁度エレベーターが開いたところだった。
「リヴァ~イ!入るよ~!」
「オイ何度も言わすな、返事する前に開けてんじゃ…っ、」
個室のスライドドアが勢いよく開き、互いが認識したのはほぼ同時だった。
「ごめんごめん!じゃあごゆっくり~!!」
ハンジはルリを部屋に案内すると役目は終えたとさっさと去っていった。
「……そんなとこに突っ立ってねぇで、…入れよ」
ずいぶんと長い沈黙が流れたが最初に口を開いたのはリヴァイだった。広い個室を歩き、中央に設置されたリクライニングの背もたれが上げられたベッドの側で立ち止まる。備え付けのテーブルには次のライブ資料なのか重要そうな書類がのっていた。
「…元気にしてたか」
「…うん。ワールドツアーの成功おめでとう。」
「あぁ…ありがとうな」
リヴァイと別れた後、NO NAMEは一気に飛躍し快進撃を続けた。ワールドツアーを成功させ、帰国後5大都市で行われた凱旋ツアーに次いで初のベストアルバムを二枚同時リリースし、もう彼らを見ない日はないというほどに押しも押されぬトップアーティストとなっていた。
それはリヴァイと別れたことが正しかったという証明であり、渡米を断ったことも、あの時飛行機が飛ばなかったことも、すべてはこの成功に繋がったのだとルリは思っている。
「あの、体調は…」
「ちょっと疲れがたまっただけで大したことねぇ。医者が泊まってけってうるせぇから。もう明日には退院する」
「そっか…お大事に。…じゃあ」
「待て。……少し、痩せたんじゃねぇか。顔色も良くない」
「っ、…変わってないよ」
嘘だった。もともと細身なほうだがリヴァイと別かれてからなんとなく活力がなくなって数ヵ月前に一度体重を計ったときは付き合っていた時から5キロほど落ちていた。
「嘘をつくな」
「…嘘なんて、ついてない」
「俺の目を見て言え」
「ついてなんか…」
「ルリ…おい…」
リヴァイの目を見ようとしないルリの震える手を、ベッドから身を乗り出したリヴァイが掴んだ。
あの時は電話越しでなんとか平常心を保っていたが、リヴァイの目を見て嘘を突き通せる自信がない。だが今日のリヴァイは一年半前と違ってルリを逃さない。
「…あの時、なんで私と付き合ったのかって聞いてきたよな?俺はそれを聞いて、馬鹿みてぇに焦った」
「え?」
「…店でお前を初めて見たとき、手がやけに綺麗な女だと思った。なんでか分かんねぇが、お前が淹れた紅茶は自分や他の人間が淹れるより美味く感じた。多分その時には惚れちまってたんだと思う」
そんな話、今初めて聞いた。
「どうしてもお前と接点を持ちたくて、柄にもなく必死に話かけた。お前俺の事最初少し変な奴だと思ってただろ」
リヴァイは掴んだルリの手を懐かしむように見つめている。
「お前が不安に思っている時に、俺は帰国しなかった。薄っぺらい言葉をかけるより、さっさと仕事終わらして形で示した方が安心すると思ったんだ。クソみてぇな男のプライドだ。すぐに帰って抱き締めていればお前を失うことはなかったんじゃないかと今でも後悔している」
「リヴァイさん…」
「一年半も経ってんのに未練たらしいが今だにふとしたときにお前の事を考える。だが俺はお前が側に居て欲しいときに居なくて、結果お前は別の男を選んだ。その男を殺してやりてぇほど憎んだが俺と居るより幸せになるのなら…そう思って身を引いたんだ」
間近で見たリヴァイの顔は目の下のくまが今までで一番ひどくやつれていた。
「ルリ、お前は今幸せなのか?」
リヴァイの手の力が強まる。
「わ、私…」
「俺の目を見て言ってくれねぇと、俺はこの手をずっと離せねぇ」
ガラス玉のような繊細な瞳が最後のけじめを着けるためにルリの瞳を見つめてくる。いつも隠されているこの瞳を間近で見ることができるのは彼女の特権だなと浮かれたこともあった。
リヴァイは何も変わってない。出会ったころから誠実で真っ直ぐだ。この曇りのないブルーグレーの瞳を見て嘘をつける自信がなくてリヴァイが帰国する前に逃げるように彼のマンションから出ていった。鍵をポストに入れて、携帯番号まで変えて。それなのに…
「…なの」
「?」
「…全部…嘘なの」
「………は?」
「うっ…うっ…ごめんなさい、ごめんなさい。…私なんかがリヴァイさんと付き合ってたら駄目だと思ったの。付き合ってると沢山の人が悲しむから…別れなきゃって…どうしよう、リヴァイさんがこんなことになるなんて…」
「おま、全部嘘って、全部か?」
「うん、同窓会も結局行かなかった。好きな人ができたことも地元に帰るっていったのも全部嘘なの…」
衝撃の事実に目を見開いて固まったリヴァイと手を繋いだままルリはその場で泣きじゃくった。リヴァイをこんなにも傷つけてボロボロにした。代わりの人間はいくらでもいると思って取り返しのつかないことをしてしまった。
「俺のファンが、悲しんでるだと?」
「うん、だってネットにいっぱい書いてあった。Lを返してって。リヴァイさんはファンをとても大切にしてたから…だから…」
「馬っ鹿野郎、そんなもん真に受けやがって!そんな奴らファンじゃねぇ、顔が見えねぇからって人を平気で傷つけてストレス発散してるクソだ」
リヴァイが吐き捨てるように言った。怒るのも無理はない、この一年半ルリの茶番にリヴァイは振り回され続けたのだ。
リヴァイはベッドサイドにある引き出しから何かを取り出すとルリに手渡した。
「読んでみろ」
「?」
それはリヴァイに届いたファンからの手紙だった。言われた通り便箋を開けて、一文字一文字丁寧に書かれた文章を読んでいく。
「…そんな…どうして…」
「こいつら結婚はいつですかだの、俺が選んだ相手だから素敵な人なんでしょうねだの、こっちはとっくにフラれてるっつうのに事情を知らねぇから容赦なく傷をえぐりやがる」
そこにはリヴァイと自分の交際にびっくりしたが応援していますという文が書かれていた。どの手紙もすべて同じだった。
「俺のファンを見くびるんじゃねぇよ。俺に特定の相手が居たってのは初めはショックらしいがみんな俺達が幸せになることを望んでいる。好きな奴の幸せを願うのは当然の事だろう」
「………」
「俺も、お前も、互いの幸せを願ったから身を引いたんだ。それなのになんだこの様は」
リヴァイはルリの痩せ細り乾燥した手を労るように指で撫でた。
「ごめんなさい…私とんでもない間違いを…」
「あぁ、てめぇのやったことは大罪だ。クソが」
リヴァイは悪態をつきながらファンの手紙をゴソゴソと机の引き出しに片付けた。
「で、お前の今の気持ちはどうなんだ。嘘はもうやめろよ」
リヴァイはベッドに腰かけて側に立つルリの手を握り締めずっとルリの顔を見上げている。
「…純粋なファンになろうとしたけど…できなかった。」
「お前は俺のことまだ好きなのか?」
「まだって…ずっと好きだよ。ずっとずっと大好きで…忘れられなくて…」
未だに付き合っていた頃の夢を見る。期間は短かったけれど、一生分ぐらいに愛し合った幸せな時間。
「じゃあ俺ともう一度付き合え」
「でも私リヴァイさんにすごい酷いことした…」
「あぁ。この罪は一生をかけて償え」
左手の薬指に固くて冷たいものが通された。それは白金のエンゲージリング。
「なっ?!」
「チッ、指まで痩せちまってんじゃねぇか」
リヴァイはルリの薬指に通したスカスカの指輪を見ながら悪態をついた。
「本当はお前の誕生日に渡そうと思って用意していた。目に見える形でなら安心して喜ぶんじゃねぇかって…俺は人生で最大のミスを犯した。言葉で夢売る仕事してんのに。飛行機は飛ばねぇわ、お前にはフラれるわ…それでも捨てられず女々しくずっと持ってた。ここは洒落た店でもなんでもねぇ。俺は世界一泥臭くて諦めの悪い間抜けな男だ」
リヴァイはじっとルリの目を見つめる。
「それでもついてきてほしい。来年には海外に拠点を移す」
「い、いいの?私なんかで…」
「馬鹿野郎、自分を卑下するな。お前は俺に力を与える唯一の存在だ」
まさかリヴァイがそんなことを考えていたなんて。もう一つの真実を知りボタボタと繋いだ手に涙が落ちた。
「そういやぁお前はいつもそうだったな、自分の事は二の次で…周りの幸せばかりを願ってた」
リヴァイは付き合っていた頃を懐かしむようにルリの涙を拭った。
「遠回りしちまったが今度こそ幸せにする。もう俺から離れるな」
「はい、リヴァイさん。」
fin