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エレンが居なくなった。
ミカサやアルミン、兵長も、みんな注意を払っていたのに、ちょっと目を離した隙に姿が見えなくなった。
国際討論会で非情な現実を突き付けられた後の、ほんの一瞬だった。
きっと何処かふらっとして油を売っているに違いない…
あんな話の後だから…
相変わらず世話がやける奴…
みんな口々に、早口に喋った。
でももうこの時点で、綻び始めていた何かが、良からぬ方向へ進み始めた運命が、もう元には戻らないって気づき始めていたのかもしれない。
私たちは希望を芽を持って遙々パラディ島から船に乗ってきたわけだけど、目の前でそれをきれいさっぱり摘み取られていった。
落ち着いて、
深呼吸して、
ほら、私たち調査兵団はこれまでずっと負けっぱなしだったでしょ?
それでも前を向いて前進してきた。どんな地獄を見ようとも、目を細めればぼんやりとだが一筋の光がそこにあった。
待てども探せどもエレンは帰ってこない。
とうとう私たちは、見慣れない白の軍服に袖を通す。万が一何かに役に立つかもしれないとハンジさんとオニャンコポンが船の積み荷に忍ばせてきたものと、現地で調達したもの。
ハンジさんの発案で、マーレ兵に扮すれば大胆に動いても気付かれないだろうって。相変わらず我が兵団は博打ち。
でもそうでもしないといけないぐらいに私達は追い詰められていた。刻一刻と帰る期限が迫っている。これ以上マーレの潜伏期間が長くなれば、何処からか嗅ぎ付けられて、私達も、アズマビトにも良いことは何もない。
アズマビトの屋敷で、マーレの軍服に袖を通す。まさかこれを着る日がくるなんて。タイなんて普段しないから部屋に備え付けの真鍮のウォールミラーで悪戦苦闘しながらなんとか結んだ。
最後にチェックして部屋を出ると、同時に隣の部屋から右手首を首元に上げて、金色のカフスをとめながら兵長が出てきた。
「曲がってる」
「あ、すみません。」
ネクタイばかりに気を取られて、コートの襟につけている勲章が曲がっていることに気付かなかったようだ。
「兵長白い服似合いますね…」
「あ?何言ってんだ、行くぞ」
私の正面に立って勲章の角度を直してくれている兵長に素直な感想を言ったら睨まれた。
いつもの深緑のマントじゃないら、違和感がそう思わせるのか。でも白い布地に艶のある黒髪が映えて本当に似合っていると思ったのだ。まるで本物の異国の軍人のよう。
兵団の服よりも厚みがあるのにしなやかで上質なきなり色の衣。腕章のないそれを、今日私たちはエルディア人ではなくマーレ人として身に纏う。
「ジャン、コニーと一刻後ここで落ち合う」
「了解」
二人一組になり、目星をつけていたエリアを歩きながら四方に目を凝らす。ここはマーレ軍の駐屯地がある街。危険は承知だ。アズマビトの邸宅から怪しまれないように先に出発したハンジさんとオニャンコポンのペアは裏通りから既に捜索を開始している。
途中前方からマーレの兵士が二人歩いてきたが、すれ違うときに携行していたライフルとは反対側の腕で聞いていた敬礼のポーズをして無難にやり過ごすことができた。
「バレてないみたいですね…」
私の問いかけに兵長は答えず「もっと堂々と歩け」と目線だけを投げ掛けた。
マーレは今日も晴天で、市場のテントが届かない道ギリギリのところまで新鮮な果物や見たこともない鮮魚が並んでいる。
その雑多とした道を、精神疾患の疑いがある脱走兵を探していると偽ってエレンを捜索する。
兵士の格好をしているからか、露店商のおじさんが「お勤めご苦労様」と笑顔で労ってくれた。
彼等と私達と見た目は大差ない。
巨人になれるかなれないかという大きな違いはあるけれど
ただ、生まれた場所と人種がちょっと違った。
2000年の歴史なんて急に言われてもなんだかピンとこないから、ただ、それだけだと私は思ってしまう。
人を愛し、支え合いながら、生まれた土地で
身に纏っているものを脱ぎされば、誰だって願いは同じなのに…
何も知らず巨人と戦っていたときよりも迷いが増えた。何度も何度も同じところをたどって、私は出口のない迷路をさ迷い続けている。
「あっ、大丈夫?」
そんな事を考えていたら、私と兵長の目の前で女の子が転んだ。泣いてしまった女の子を兵長が「怪我はねぇか」と声をかけて抱き起こしてあげている。兵長は白の軍服が汚れるのを気にせずに、片膝を地面について少女の頬についた砂を人差し指の背で優しく落とす。
私も彼女の服についてしまった土をはらっていたら、少女を探していたのであろう母親が駆け寄ってきてぺこぺこと頭を下げてお礼を言われた。笑顔で手をふる女の子に私は手を振り返した。
きっと私たちが悪魔の末裔だと知ったら、母親は狂乱して持っているバスケットの中の林檎を投げつけくるだろう。
外の世界が愛と憎悪に満ちていなくて、悪い巨人だけだったらどれほどわかりやすかったか
正義と悪。
子供でもわかるとっても簡単な方程式。
私達はただ、壁の外の巨人を全部倒したら幸せになれるとばっかり…ただそればっかり…
「ルリ」
「は、はいっ!」
気づけばいつまでも立ち上がらない私を、兵長が上から見下ろしていた。
「時間だ。行くぞ」
兵長は懐中時計をきっちりと前を締めたコートの胸ポケットから取り出して、時刻を確認するとしゃがみ込んだままだった私の手を取り、立ち上がらせてくれた。
「あ…」
立ち上がった後も兵長は私の手を掴んだまま、じっとこちらを見つめている。
兵長と、こんな太陽が高く昇っている時から手を繋ぎ合うなんていつぶりだろう?
薄暗いランプの灯火を頼りに、普段はベッドの中で繋ぎ合うことしかないからなんだか無性に恥ずかしくなって目を反らしたくなった。
太陽の光を沢山取り込んだ、いつもより明度の高い瞳を見ていたら心臓が張り裂けそうに脈をうつ。
「今すべき事は何だ」
「…エレンを、連れ戻すことです」
「なら今できる最善の事をやれ。考えるのは後だ」
「はい」
全てを見透かしていた兵長は、闇に沈みそうだった私の心も一緒に引き上げてくれた。異国の軍人なんかじゃない、兵長はずっと兵長のままだ。
「兵長…ありがとうございます」
「…俺が居る。あいつらもだ」
兵長の背後には、マーレ軍に扮したジャンとコニーが遠くから歩いてくるのが小さく見えた。兵長は私と手を繋いだまま、仲間の元へ歩いていった。
翌日、エレンから手紙が届いた。
兵長の横で手紙を覗き込み内容を読み終わると、絶望への拒絶反応なのか、体が震える。
もう未来を見続けることができないかもしれない。
その時、片手が優しく包まれた。温かな、力強い感触。
手元を見ると、手紙をもっていない方の手で兵長が私の手を握ってくれていた。
兵長と目があって「俺が居る」と皆に聞こえない程度の声が囁く。泣きたくなる程に、気高く憂いを帯びた声だった。私はそれにコクりと頷くと、兵長の手をぎゅっと握り返す。
光はこれまで幾重にも私達に仲間の死を照らし出してきた。
嗚呼、それでも。
私はそれでも貴方との未来を願わずにはいられない。
震えが止まる。
兵長はいつも私を光の方へ導いてくれる。
それと同時に、あなたは私にとって何ものにも代えることのできないかけがえのない光そのものなのです。