No Smoking Love
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「あ、切れちまってるな。ルリ、一本くれねぇか?」
「え、またですか?もぉ勘弁してくださいよ~ゲルガーさん私より給料もらってるじゃないですか。」
「みずくせぇこと言うなよ、俺も金欠でよ。次また返すから。な?」
「毎回そんなこと言って一回も返してくれたことないじゃないですか…ったくもぅ。」
そう言いながらもルリは渋々ゲルガーに一本煙草を手渡す。私生活は見れたものではないが兵士としては尊敬する先輩、その先輩の頼みを無下に断ることはできない。
ここは調査兵団の喫煙所。
喫煙所と言っても兵団本部の裏手に簡易的に作られた屋根に筒型の灰皿が一つだけ。名前がつくほどのものではない粗末な空間だ。
「次っていつです?前貸したのもまとめて返してくださいよ。」
「小姑みてぇに細けぇな。そんなんじゃ嫁に行けねぇぞ?きれいな顔してんのに勿体ねぇ。」
「褒めても無駄ですよ、結婚はもう諦めてるので。で、いつ…」
問いただそうとしたタイミングで昼休憩の終わる鐘が鳴り響く。
「おっ午後から立体機動の訓練だったな、お先!」
「あ!逃げた!」
逃げ足だけは早いゲルガー。あっという間に建物の角を曲がり姿を消した。
「はぁ…もぅ。」
ルリはため息をつきながら薬指と中指の間に挟んでいるタバコに口付ける。長い指で挟む少し独特な持ち方。ルリにはこの持ち方が吸いやすくてしっくりくる。
煙草の先がふわりと赤くなり肺のなかに一気に流れ込む煙。ニコチンが脳を刺激して安心感が胸を満たす。
(食後の一服…落ち着く。)
吸い始めたのは一月半ほど前。きっかけは壁外調査直前に必ず行われる激励会の飲みの席だった。
何事も経験と進められた一本の煙草。
むせにむせてその場に居た皆に笑われた。血管が収縮して眩暈も起き最悪な気分だったが、ニコチンの強い依存性にやられてしまったのか結局二本目にも手をだし今に至る。
(やば、そろそろ行かなきゃ。)
今日はミケ分隊長から同じ班に入った新兵に立体機動の指導をするよう言われていた。
煙草をギリギリのところまで堪能し、灰皿に捨てる。
一度部屋に戻って立体機動を装備しなければならないため小走りに兵舎に向かう。
途中、向こうから小柄な兵士が歩いてくるのが見えた。
人類最強の兵士リヴァイ兵士長だ。
リヴァイはすでに立体起動装置を装着し兵舎とは反対方向にある演習場へ向かうところだった。
(兵長相変わらず早い!私も早く行かなきゃ!)
ルリはリヴァイへ敬礼し軽く会釈をすると、早足でリヴァイの横を通りすぎた。
「ルリ、待て」
「は、はい!」
突然リヴァイから呼び止められ驚く。
リヴァイとは分隊も違うし雲の上の人のような存在。新兵で入団してからおそらく話した回数は片手で収まるぐらいだ。そんなリヴァイがまさか接点のない平兵士の自分の名前を知っていることに驚いた。
とりあえず敬礼すると、眉間に少しシワを寄せたリヴァイが腕組みしながらすたすたとこちらへ向かってきた。
かなり至近距離まで来られ思わず背を少し反らす
緊張のあまり嫌な汗がでる。
「チッ…」
(舌打ちっ!?)
「兵長、私何か怒らせるようなことを…」
「…臭ぇ」
「えっ?」
「てめぇ…臭うぞ、ルリ」
「私クサイですか?!」
ルリがとっさにクンクンとジャケットの上から両腕の匂いを交互に嗅ぐ。
(何で?!ちゃんとお風呂入ってるのに!こんなこと兵長に指摘されて恥ずかしいよ~)
ルリも直属の上官が匂いに敏感なミケということもあり、人並み以上に清潔感や香りには気を遣ってきた方だ。それがまさか自分が臭かったとは…
(まさか!何日も風呂入ってない時のハンジ分隊長レベルなんじゃ…)
モブリット副長とニファに両脇を固定され浴場に運ばれるハンジを一度見かけたことはあるが、すれ違っただけで強烈な悪臭だった記憶がある。
想像しただけでルリは青ざめる。
「兵長に不快な思いをさせてしまい申し訳ありません!すぐに全身洗ってきます!」
「オイ、待て。そんなこと言ってねぇだろうが。この匂い…喫煙所の近くにいたのか?煙草くせぇの移っちまってる」
ルリが踵を返し走り去ろうとするのをリヴァイが腕を掴み阻止する。なんだか今日はリヴァイとの距離がやけに近い。
「なんだ煙草の匂いだったんですね!良かった~てっきり体臭が臭いのかと思いました。」
ルリがほっとして笑顔を見せる。
「あ?良くねぇだろ。体にも悪ぃし、吸い殻だらけのあんなクソ汚ねぇところ近づかねぇほうがいい」
「でもあそこでしか吸えませんし、吸ったらどうしても匂い着いちゃうんです。あっでも今日はゲルガーさんに冗談で煙たくさん吹き掛けられたから尚更臭ってしまったかもしれません。」
「は?」
「?」
リヴァイが眉間のシワを一気に深くする。
「お前………煙草吸ってんのか?」
「はい。」
「いつからだ」
「一月半ほど前からです。」
「一日どのくらい吸うんだ」
「そ、そうですね…一日一本吸うか吸わないかぐら…」
「正直に答えろ」
「こ、ここ最近は毎食後吸ってます。あと起きた時と寝る前とかも数本、、」
「……………」
「……………」
重たい沈黙。
リヴァイはルリの喫煙を良くは思ってないようだ。おそらく潔癖症の彼のことなので臭いにおいは耐えられないのだろう。
「辞めろ」
「えっ」
「今日から禁煙しろ。これは命令だ」
「ちょっと待ってください!命令っ!?」
他の兵士だって何人も吸っている。それなのに何故自分だけ急に辞めなければならないのだろうか?しかも命令ときた。上官の命令は絶対だ。
「待たねぇ。一日それだけ吸ってりゃお前の給料じゃやってけねぇだろ。道理でいつまで経ってもお前の立体機動が上向きになってこねぇ訳だ…依存し過ぎだ、きっぱり辞めろ」
「そんな…」
確かにリヴァイの言う通りだった。煙草は紅茶のように超がつくほどの高額な嗜好品だ。一番安い煙草でも完全に赤字なのでなけなしの貯金を切り崩して買っていた。
「今持ってるものすべて出せ」
「………ないです。ひぃっ!」
「てめぇ、上官に虚偽の報告するたぁいい度胸だな」
リヴァイがブーツでルリのふくらはぎを蹴った。流石人類最強の蹴り。手加減はされているだろうがビリビリと骨に響く。
さらに怒りのような、軽蔑をするかのような、冷たい瞳に射ぬかれる。
(目線で殺される)
ルリはぶるぶると震えながら、右手でジャケットの左胸にあるポケットのボタンをプチっと開ける。
「あっ!」
煙草の箱を半分ほど取りだしたところでリヴァイが引ったくるように取り上げた。
「没収だ。処分しておく」
「な、処分ってどうするんですか!?」
「あ?決まってるだろ、こんなくせぇもん燃やす。もう午後の訓練が始まる、お前もさっさと準備してこい」
いつ死ぬか分からない調査兵。
極限の精神状態の中で、煙草だけがほっと一息できるルリの唯一の楽しみ。それを理不尽に取り上げられて黙ってなんかいられない。
たとえそれが人類最強の上官だったとしても…
「待って下さい!」
気づけば演習場に向かうため背中を向けたリヴァイの右手をすがりつくように握りしめていた。蹴られて脚がまだじんじんと痛いのによくこんな大胆な真似ができたと思う。
リヴァイも驚いたように少し目を見開いている。
「こ、この煙草で最後にします!これで絶対終わりにしますから!燃やさないで下さい…兵長お願いします。」
ルリはリヴァイに涙目で懇願していた。次は思いっきり顔面蹴られるかもしれない…そう思ったが止められなかった。ルリにとって既に煙草はなくてはならない生活の一部。
上官の命令を覆すことはできない。が、せめてある分だけでも返してほしかった。だってそれはルリが自分のお金で買った煙草なのだから。
「チッ、必ずこれで最後にしろ」
「はい!ありがとうございます!」
リヴァイはそう言うとルリに煙草の箱を渡し、顔を見ずにすたすたと歩いていってしまった。
訓練も終わり、夕食後自室に戻る。
ベッドに腰掛けリヴァイから返してもらった煙草の箱を胸ポケットから出した。
リヴァイの右手ごと思いっきり握りしめてしまったため箱がぐちゃぐちゃになっている。中を確認すると、くたびれた煙草が4本入っていた。
(あと4本しかない…こんなことになるならゲルガーさんにあげなきゃ良かった、、)
以前のように軽々しく吸うことはできない。そう思いながらもルリは煙草を口にくわえマッチで火をつけた。
(今日はいろいろあったから…落ち着こ)
立ち上がり窓をガタガタっと少し開ける。
夕日で赤く染まった空に半透明の白煙が溶け込んでいく。煙草を器用に咥えたまま窓際まで椅子を持ってくると、そこに脚を組んで座りルリはゆっくりと目を閉じた。
「ミケ」
「?なんだ、リヴァイか。」
とうに日が暮れた夜更け、幹部棟の階段を上がってきたミケを壁にもたれ掛かり待ち構えていたリヴァイが声をかける。
「てめぇの鼻ならルリが煙草吸いだした時に気づいてただろ」
「あぁ、その事か。最近本数が増えていたからな。お前もそろそろ気づく頃だと思っていた。」
「何で止めなかった」
「別に吸うのは個人の自由だろう。上官がそこまで介入することでもない。」
「限度ってもんがあるだろうが」
ミケが言うように勿論煙草を吸うのは個人の自由だ。
だが行き過ぎた行為は兵団の秩序を乱し、最悪壁外で要らぬ惨事を引き起こす。それを未然に防ぐのも上官の務めだ。
「俺が止める前にお前が行動を起こすと思っていた。彼女を遠くから眺めているだけなのもそろそろ飽きてきた頃だろう」
二人の視線が絡み、先に揺らいだのは青灰の三白眼だった。
「チッ……クソが」
数日後、ルリは食堂で一人昼食をとっていた。
4本あった煙草は必死に我慢したが、一本、また一本と減り昨夜とうとう最後の一本を吸い果たしてしまった。今朝吸いたくなる気持ちを抑えなんとか午前中を乗りきった。
(…いつまで持つだろ)
食事を早く食べ終えてしまうと口寂しくなり吸いたくなるので、コツコツと既に冷めてしまっているスープのジャガイモをスプーンで細かく砕きゆっくり咀嚼する。さらにゆっくりゆっくりとスープに浸したパンを口の中で行儀悪く転がした。
時間稼ぎがもどかしい。いつもならすぐ食べ終わって喫煙所に直行していたというのに…
「…ルリ…ルリ
……おいルリ、聞いてんのか」
「はい!」
ぼーっとしていて呼ばれていることに気づかなかった。気づけばリヴァイが目の前に立っていた。
「お疲れ様です!」
急いで立ち上がり敬礼のポーズをとる。
「調子はどうだ」
調子…
禁煙のことを言っているのだろう
「はい!順調であります!」
「注意力が散漫になってるみてぇだが」
「一時的なもので問題ありません!」
禁煙をすると最初の一週間、特にはじめの三日間はニコチンの離脱症状でイライラしたり集中力が削がれることは知っていた。さっきからぼっーとしたり自覚症状も出ていたため客観的に自分のことは判断できていた。
「そうか。もし辛くなったら俺の部屋に来い」
「えっ?」
「俺は喫煙したことがねぇから分からんが、吸わねぇと口寂しくなったりするもんなんだろ?茶でも飲ませてやる、遠慮せずにいつでも来い」
「はい!ありがとうございます!」
リヴァイはそう言うと、すでに食事を終えていたようですたすたと食堂から出ていった。
「マジか…」
ルリは驚きのあまり去っていくリヴァイの後ろ姿を視界から見えなくなるまで直立のまま凝視した。
(あのリヴァイ兵長が…気にかけてくれてる?)
兵長は潔癖症で口が悪いことは周知の上だが、部下思いで優しいと何人かの兵士から聞いたことがある。
ルリは実力No.2のミケ分隊長が班に居るため助けられたことはないが、壁外で助けられた兵士は皆兵長のファンになってしまうらしい。
そう言えば、過去二度ほど兵長の部屋に書類を持っていったことがあったがその時も茶でも飲んでいくかと声を掛けられた。
一回目は急ぎの書類だったことと、後に予定があったため断った。
二回目は急ぎの書類でもないし、予定もなかったが兵長と二人きりで沈黙した時が怖かったので適当に理由をつけて断った。
(紅茶本当にお好きなんだな…というか意外におもてなし精神のある方なのかな?)
思考が煮詰まったところで昼休憩の終わる鐘がなる。
兵長の心遣いに感謝しつつルリはちまちま食べていたスープとパンを胃に掻きこんだ。
*
「はぁ」
今の心情をとてもよく表した深い深い溜め息。
夕食も風呂も終わり、ルリは後頭部の後ろに手を組みベッドに仰向けに寝転がっていた。天井の木目のシミの輪郭をぐるぐると目で追う。
いつもならガタガタと窓を開けて今頃一服するところだがもちろんそんな煙草はどこにもない。
(吸いたい)
(吸いたい)
考えることはやはり煙草のことばかり。口に出すと余計吸いたくなりそうなので心のなかでずっと呟く。
(今からゲルガーさんのところ行けば一本ぐらい煙草くれるかな…でも給料日前だし、あの人絶対煙草も酒も切らしてるだろうな…)
(それに下手に動いて兵長にバレたら次はもっと手酷く蹴られそう…)
「ダメダメダメダメ!」
(なに私吸う前提で考えてんの?!もう吸わない!兵長と約束したし!しかも命令!)
ルリは上体を勢いよく起こしブンブンと頭をふり怠慢した思考を振り払う。ここが正念場なのだ。この数日を乗りきれば吸いたいという欲求は嘘のように消える。禁煙に成功した先輩兵士がそう言っていた。
(あと少し…水でも飲んでさっさと寝よう。)
ルリはベッドから降りると、食堂へ行くために部屋の扉を開けた。
「ルリ、ひどい飛び方だったぞ。」
「ハァハァ…申し訳ありません…以後、気をつけます…」
「もうすぐ壁外調査の日程が決まる。二週間以内に調整しておけ。」
「はい…」
ミケ分隊長に入団以来初めて辛辣に注意される。
立体機動の訓練中、ルリは初歩的なミスを連発した。
新兵…いやまるで訓練兵に戻ったような飛び方にゲルガーやナナバをはじめなんとエルヴィン団長にまで体調が悪いのか心配された。
「だ、大丈夫です…日ごろの不摂生が祟っただけですぐに戻します。」
苦し紛れの言い訳をする。
朝起きたときから体の倦怠感がものすごい。頭痛もあり全く集中できない。
ニコチンの離脱症状と言うものは自分が思っていたよりかなり手強いらしい。ニコチンに慣れた体がすぐに息を上がらせうまく動かない。
(これは…まずい…禁煙成功できるかな…それよりもどうしよう次の壁外調査が…)
ルリを言い知れぬ不安が襲う。
不安を掻き消すようにグッと目を瞑る。鉛のように重くなったその体をのそのそと動かし、ルリは兵舎へと戻っていった。
「はぁ…」
昨日と全く同じ溜め息。いや、それよりもさらに深い深い。
夕食と風呂を済ませルリは自室にいた。
魔の時間帯
就寝前。
禁煙三日目でわかったことだが一日の中で一番吸いたくなる時間帯だ。
備え付けの机に頭を突っ伏す。
カタカタカタカタカタ…
さっきから右足の貧乏揺すりが止まらない。
備え付けのテーブルランプが細動する。
(吸いたい)
(吸いたい)
(吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい)
「…はぁ〜。まずいよ~。」
考えることは煙草の事ばかり。もう気が狂いそうだ。薬物中毒者になった人は皆こんな気持ちなのだろうか?
―もし辛くなったら俺の部屋に来い―
(兵長のところ行こうかな…でも結構時間遅いし、いつでもって言われたけど流石に非常識だよな…)
上官に遠慮するなと言われても上下関係の厳しい兵士の世界。どこまで本気にしていいのか分からない。
ルリは顔を机に預けながら横に向けた。目線の先には二段ベッドがある。
ルリは今は一人部屋だが、少し前までは二人部屋だった。同室の兵士は一月半前の壁外調査で戻って来なかった。
ルリより2つ下の後輩で、「ルリさん、ルリさん」と自分をとても慕ってくれていた。
ルリもそんな彼女が妹のようにかわいくてしかたなかった。
プラチナブロンドの髪にブルーの瞳のまるでお人形のようだった可愛い彼女。
立体起動装置ごと巨人に丸飲みされ彼女は(何も)戻ってこなかった。彼女の最期を自分の目で見たわけではないが、同班だった兵士が丸飲みされる彼女を目撃している。
それでも元気な彼女がある日突然ひょこっと戻ってくるんじゃないかと今でも思ってしまう…
実は生きてましたとかで。
仲間を失うことは勿論はじめてじゃない。ルリの同期は4人居るが、当初は25人いた。一人また一人と居なくなった。
(まただ)
どうしようもない焦燥感と喪失感――…
わかっている。自分でも十分すぎるほどによく理解している。
彼女は託し、己は託された
嗚呼、それでも…
(煙草……
…吸いたい)
ジリジリと卓上に置かれた蝋燭の灯芯が火に炙られ音を立てる。今日も膨大なハンジの報告書に目を通すがその進みは遅い。「はっ」と短く息を吐き、まだ半分も行っていない所でとうとうリヴァイの手は完全に止まった。まだ半分ほど残る冷めきった紅茶のカップを手にとると、リヴァイは立ち上がり闇の広がった窓の外を見る。
ルリに禁煙を命じてから一週間ほど経つ。
今日の彼女の立体機動は見れたものではなかった。
主軸がぶれて、息も上がりまるで糸に吊るされた操り人形のようだった。周りの兵士もルリのあまりの状態に驚いていたし、エルヴィンが後でミケを呼び出したぐらいだ。ニコチンがきれて思考と身体がうまく働かないのだろう。
彼女の立体機動の技術は誰もが認めている。
冷静沈着にアンカーを適所に出す判断力の早さと、表面の筋肉に頼りすぎない高い柔軟性と体幹を生かした跳び方で難しい角度からでもうなじを確実に削ぐ。
新兵の頃からずっと索敵で培ってきた技だ。
人一倍努力もするし、後輩の面倒見もよく人望もある。実力でいえばとっくに班長になってもおかしくはないが、彼女はミケの班の平兵士止まりだ。
それは何故か―
彼女の兵士としての弱点――…
――感情の起伏が立体起動に出やすいのだ。
まるでいつ切れてもおかしくない危うい糸に、ルリはぶら下がっている。繊細で息をのむほどに張りつめた一本の糸。
ルリは脆く儚い。
時に、見ているこちらが苦しくなるほどに。
リヴァイはチラッと自室のドアに視線を投げかける。数日前に食堂で声をかけたが、今日も彼女が来そうな気配はない。
(…チッ)
ドアから向き直り窓の外を見ると、兵団の門扉の方へ走る人影を見つけた。リヴァイが怪訝そうにその三白眼を細めた。
ジリジリという音がいつしか消え、蝋燭の火が途絶えてもそのままに、ルリは暗闇の部屋にいた。
突如ムクッと机から頭を上げる。
椅子に座ったまま窓から見える月の位置で大体の時間を把握する。先程の彼女とは違い妙に冷静さを保っていた。
(…この時間だったら、確かリーブスさんのところまだ開いてる)
突如湧いて出た一つの考え。
そこに止めに入るいつものルリは居ない。導かれるままに、手元が見えるように直ぐ様卓上の消えてしまったロウソクに火をつけ、僅かな光を頼りにクローゼットを開けた。
黒のジーンズにシンプルな白の開襟シャツ、同じく黒のジャケットを羽織る。長い豊かな髪を纏め上げ、ダークトーンの中折れ帽子の中に押し込め目深に被る。
全財産を入れた財布をジャケットの内ポケットに入れ廊下に誰も居ない事を確認して静かに部屋を出た。
――
―――…
「…すみません…ハァハァ…煙草下さい」
「あいよ。あら!調査兵のお嬢ちゃんじゃないの!今日は来ないなと思ってたんだ。」
「あー仕事長引いちゃって…こんな時間になっちゃいました。」
「ふふっ、男装したつもりだろうけどあんたは肌が白い上に線が細いから女だってバレバレさ。いつものやつでいいのかい?」
(…秒でバレた。)
リーブス商会のいつも店番をしている恰幅のよい女性におもいっきり男装を見抜かれる。
はじめて煙草を買いに行ったとき、女性で煙草を買いに来るのが珍しいからか根掘り葉掘り聞かれポロっと調査兵であることを言ってしまった。
「一箱でいいです。」
「あら、随分と吸う量が減ったね!まぁ煙草は高いし百害あって一理なしだからね、少ないに越したことはないよ。」
ニカッと営業スマイルでルリに笑いかけると女性は後ろを向き整然と並んだ棚の引き出しの一つを開け一番安い煙草をカウンターに置いた。
「そういえば、あんたのとこの兵士長さんも今日紅茶買いにきたよ。びっくりしちゃったよ!普段馬に乗ってるところしか見ないだろ?意外にちっちゃいんだね!でもいい男だねぇ~色気があって。あの切れ長な瞳…ゾクゾクしちゃったよ!
驚きのあまり身体が跳ねる。
(兵長が来た!?何で?!)
女性の話しぶりだと初めて店に来たようだ。兵長は紅茶好きで有名だ。こんな混み合う給料日にわざわざ初めての店で愛飲する紅茶を買うだろうか?
「あの兵長何か言ってました?」
「?いんや」
「…あの、もしまた兵長が来て何か聞かれても私が今日煙草買ったこと内緒にしてもらえませんか?」
後、あたしが20年遅く生まれてたらね~と頬を赤らめているおばさんが代金を払ったルリの手をカウンター越しにガシッと掴んだ。
「安心しな!商人の口は石のように堅いんだ!」
フンッと鼻息荒く目を輝かせるおばさん。何かいろいろと勘違いしているようだ。
(駄目だ…この人絶対喋る。。)
そんな事を思ってももう遅い。煙草は己の手の中にしっかりと握られている。「やっぱり要らないです」なんて手放すことは、もうできない。
気をつけて帰りなよと上機嫌の女性に会釈をし、リーブス商会を後にする。
(…買った…とうとう買ってしまった)
罪悪感と興奮が入り交じる中足早に来た道を戻る。
「ハァハァハァハァ…」
月がずいぶんと高い位置に昇った。大した距離ではないが息が上がる。百害あって一理なし…リーブスのおばさんの言葉が胸に刺さる。
(わかってる……でも…どうしても吸いたい…一本だけ吸って、絶対やめる。)
今の精神状態は立体起動どころか生活に支障が出るほどに自分は冷静さを欠いている。兵長の命令に背く形になるが、とにかく一度落ち着くために煙草が必要だった。自分が自分で有り続けるために、無理矢理諸刃の暗示をかける。
兵団へもう少しのところで脚が止まる。喉の渇きのようにまた襲ってきた。
(吸いたい)
(吸いたいよ!)
ルリは大通りを走っていたが路地に入り込む。
(…我慢できない…ここで…)
ルリは置いてあった木箱のわきにしゃがみこむと買ったばかりの煙草を口に咥え、マッチを摩る。
なかなかマッチに火が着かなくてやきもきする。
シュッ…シュッ…シュッ…シュボッ
(ついた!)
その時、ルリの後ろで誰かが何かを踏みしめる音がした。
「こんなところで火遊びか、ルリ」
抑揚のない凄みのある低音。後ろを見なくても誰なのかすぐに分かった。縦に伸びた黒い影。
「ひっ!兵長っ!?どうしてっ」
ルリが驚きのあまり地面にへたりこむ。その拍子に口に咥えていた煙草と持っていたマッチが地面に転がる。
マッチが地面で水平になって燃える火が平たく大きくなり足元を明るく照らした。
照らされた先にリヴァイがコツコツと靴を鳴らしルリの目の前にゆっくり歩いて来る。最後の一歩でルリが口に咥えていた煙草をゆっくりと踏み潰した。
火を間にはさみリヴァイは静かにルリの前にしゃがみこむ。さっきから震えでルリの歯音がカチカチと止まらない。
私欲のために上官を二度も欺いた。
リヴァイは煙草を辞めることを命令と言った。上官の命令に背いたということは完全に兵規違反…懲罰房行きだ。
いや、その前に今からリヴァイにぼこぼこに殴らてからか……
すっとリヴァイの腕が伸びてきた。
「ひぃっ!」
やはり殴られると分かっていても怖いものは怖い。
ルリは目を瞑ると、ガサッと耳元で音がした。
リヴァイは無言でルリの後ろにあった木箱の上の煙草の箱を無言で掴むと、箱ごと足元の火で炙り出した。
「あっ!私の煙草!まっ…」
「黙れ」
リヴァイにピシャリと言い放たれる。
箱を燃やし大きくなった火がリヴァイの顔を闇夜にうつしだす。いつもの無表情で感情は読み取れない。
箱が燃え、次に中の煙草が燃え出した。
もくもくと火元には不釣り合いな量の白煙が上がる。
肺に入る筈だった煙がゆらゆらと舞い上がり夜空に消えていく。命を燃やし、死んでいった仲間と重なった――
訓練兵から苦楽を共にした同期達
そしてあの子
無意識の内に炎に向かって手が伸びていた
「っあつ!」
「おいっ!?」
気づいた時には思いっきり燃える煙草の箱を握り締めていた。
「馬鹿野郎!」
「一本だけ!お願いです!このままじゃ私っ何の役にも立たないまま次の壁外調査で死んでしまいます!死ぬならちゃんと最期ぐらいはっお役に立って死にたいんです!」
「黙れっ!死ぬなんてっ、軽々しく言うんじゃねぇ!」
「うぅっ…うぁ…あ…うっ…」
リヴァイはルリの両手首を掴み静止させる。
ルリの大きな瞳からぼろぼろと涙が泉のように溢れて地面に落ちた。
火が煙草をすべて焼き付くし、辺りが暗くなるまでルリは泣き続けた。
*
「落ち着いたか」
「はい…あの、先程は本当に申し訳ありませんでした。」
「気にするな。手の具合はどうだ?」
「大丈夫です。多分グリップも握れると思います。」
「そうか」
ルリが包帯が巻かれた右手をぎゅっと握る。どうやらおもいっきり箱を握ったがすぐに手を離したため軽度の火傷で済んだようだ。
あの後、ルリが一通り暗闇で泣いた後、すぐにリヴァイに手を引かれ兵舎に戻った。医務室を借りてリヴァイに手当てをしてもらい、今はリヴァイの私室でルリ落ち着くまで側に居てくれた。
「どうして煙草買いに行くって分かったんですか?」
「喫煙する兵士はほとんどリーブスの店で煙草を買っていることは前から知っていた。お前は後先考えず馬鹿みてぇに吸うからな。ひでぇ状態なのに俺の所にも来ねぇし買うなら今日だと思っていた。下手くそな男装しやがって、バレバレだ」
兵長はリーブスのおばさんにも確認したそうだ。口の堅い商人は本当に居るらしい。
「壁外調査後にお前の立体機動がしばらく乱れることはいつものことだ。だが今回は親しかった同室の兵士が死んだのにいつもより立ち直りが早くておかしいと思っていた。立ち直ったかと思えばお前の立体起動はどんどん崩れていく。その頃から煙草の本数増やしたんだろ」
「…はい」
すべて図星だった。
壁外調査後は皆仲間を失い、希望を失い失意のどん底に突き落とされる。泣きわめく兵士や退団する兵士も多い中ルリは感情を表に出すことはなかった。ただ黙ってひたすら飛ぶ。悲しみを纏って飛んで、気持ちを整理する。時間はかかるがこれがルリが前に進むための儀式なのだ。
「でも今回は違うんです。」
「何がだ」
「…あの娘のことはいつまで経っても駄目なんです。巨人に喰われたと証言があるのに…今でもふとしたときにあのこが戻ってくるんじゃないかって…私彼女はどこかで生きてるんじゃないかと本気で思ってるんです」
「そうか…」
「あのこの死を受け入れられない。」
ルリが右手の包帯を触りながら呟く。大きな瞳が揺れて声が震えている。仲間の死を受け入れるごとに、背負うものが増えるごとに、人は強くなる。人類は大きな代償を払いそれでも前進する。立ち止まることは死んだ者への冒涜だ。
「みんな仲間の死を乗り越えて前に進んでいるのに…私だけ立ち止まったままで、そんなときに煙草吸ってみたんです。そうしたら気持ちがすっきりして、私やっとあの娘の意志を継いで前に進めたって思ったんです。」
ニコチンは一時的に気持ちが晴れたり、集中力を高めたりする作用がある。壁外調査当日の朝に普段吸わない兵士も吸ったりすることは少なくない。
「お前は調査兵に向いてねぇ」
「はい」
「ここまで生き残ってきただけあるが、お前は感情の起伏が立体起動に影響しすぎる。感情で極端に飛びかたが左右されることは兵士として致命的だ」
精神面の弱さは自分でもわかっていたことだが、兵長に言葉に出して言われると胸がえぐられるように痛んだ。
「だがな、俺はそれを悪いと思ってねぇお前は別に弱くねぇ。無理して前を向かなくていいし、頭の隅にそいつを追いやらなくていい」
「兵長…」
「大切な人の死を受け入れられない事がそんなに悪いことか?そんなことねぇだろ、人として当たり前の感情だ。ここ(兵団)にいると次々と外(壁外)に出されて悲しむ暇も与えてくれねぇがな。焦ることはねぇ、そいつの事をとことん思ってやればいいじゃねぇか。お前の気が済むまで」
リヴァイの言葉に包帯を見つめていたルリの目が大きく見開く。リヴァイの容認する言葉にずっと苦しく押し込めていた気持ちが溢れてきた。
とても大切な人だった。
彼女が新兵で入ってきた時からずっと同室で、妹のようにかわいくもあり自分には無いものを持っていた彼女を尊敬していた。大好きだった。
また涙が泉のように溢れてきた。全く止まらない。拭っても追い付かないので諦めてそのまま声も出さずに静かにルリは泣いた。
「あんまり泣くと干からびちまうぞ」
いつの間にかリヴァイが紅茶を淹れてくれていた。
過去に食堂で一度だけ紅茶を飲んだことがある。
エルヴィン団長が内地に行ったついでにクッキーと紅茶をこっそり女子兵士にだけ買ってきてくれた時だ。
こんな香りのよい飲み物あるんだなと心底感動してずっと匂いを嗅いでいたら「冷めちゃいますよ」よ彼女に笑われた。
目の前に差し出された紅茶はそのときよりも香りが良くてきっと兵長の私物の高価なものなんだろう。それでも彼女と飲んだ紅茶の事を思い出して止まりかけた涙がまた溢れてきた。涙腺の蛇口が完全に馬鹿になってしまったようだ。
「さっさと飲まねぇと冷めるし、余計なもんが入ると不味くなる」
「はい」
リヴァイは先程からずっと紅茶に視線を落としたままだ。泣くルリの顔を見ないようにしているのだろう。人類最強の上官に気を遣わせてしまい、申し訳ない気持ちで一杯になりながら紅茶を一口飲んだ。
「あまい…」
「紅茶に砂糖を入れてある。甘ぇやつ飲んだことねぇか?」
「は、はい。紅茶自体人生二度目です。」
「口に合わなかったか?」
「いえ!とんでもありません…とても、美味しいです、こんな味知ってしまったら後が怖いです…」
「はっ、心配するないつでも飲ませてやるよ」
「ありがとうございます!」
兵長が笑ったところを初めて見た。イメージと違い過ぎてかなり戸惑うが、一口また一口と飲む紅茶のおかげで徐々に落ち着いてきた。何故先程まであんなに煙草を吸いたかったのか分からなくなった。
「どうして俺の部屋に来なかった。いろいろと限界だっただろ」
「行こうと思ったんですけど、時間が遅かったので…」
「お前…それ以外にもあるだろ。顔に書いてある」
「あ…ちょっと怖い方なのかなと思ってしまって…また蹴られるかなとか、すみません。」
「あれはまぁ挨拶みてぇなもんだ。躾も兼ねてのな。悪かったな」
「躾も兼ねてですか、」
リヴァイは悪びれもせずまた紅茶に視線を落とし独特な持ち方で飲んでいる。
今更だが理解した。何故みんな彼の虜になってしまうのか。接点がなかった上官の不器用な優しさ。リヴァイはただ強いだけではない。勿論口は悪いが、部下の話を聞いて心に寄り添ってくれる。彼の近くに居るだけで、暖まる。心も、身体も。この空間自体が柔らかく、暖かくなる。リヴァイはそんな人だった。
じっとリヴァイを見ていたら気づいたのか彼もこちらに視線を向け口を開いた。
「…ルリ」
「はい。」
「今までもだがこれから先も仲間に別れを告げながら俺達は壁外に出続ける。だが仲間の意志を受け継ぐことは義務ではない。ここ(兵団)から去って…少しでも死地から遠いところで穏やかに暮らす道もある」
「それはないです。」
「…そうか」
紅茶のカップを見ていたルリがまっすぐリヴァイを見る。
その瞳は嵐が去った直後の空のように、まだ厚い雲が横たわり湿り気を帯びている。それでも決して濁んではいない。
「そういやぁミケがお前のことを一度決めた事は曲げない頑固な女だと言っていたな」
「ミケ分隊長私のことそんな風に思ってたんですね。」
そうだったんだ…と呟きながら、ルリは恥ずかしそうに紅茶をズズッと一口飲んだ。
ルリは気持ちの切り替えも遅く器用な方ではない。彼女は失った仲間を想い長く、深く、堕ちる。
それでも次の壁外調査前には這い上がってくるのだ。その今にも切れそうな繊細な糸を必死に手繰り寄せ、彼女は仲間の為に。明日の自分の為に。
ルリの立体起動の動きは調査が近づくにつれ益々精度を増して調査日に最高のコンディションを持ってくる。
―今日のルリさん凄かったよな―
―あっ、それ俺も思った!先週よりもどんどん速くなってるっていうかあんな飛び方する人なんだな―
―あの人ずっと索敵でやってる人だろ?動きの早い奇行種もほとんど取りこぼしたことないらしいぞ―
―マジかよ!よかった~俺すぐ後方の伝達なんだ―
―ルリさん見てると不思議と俺もやってやるって気になるんだよな…必ず生きて帰ってこようぜ―
壁外調査直前には精神が不安定になる兵士が多い。そんなときに鬼気迫る彼女の姿を見てどれほどの者が勇気と希望を持つか。
「でも、私欲をコントロールできなかった無能な兵士ですし組織に不利益を与えるような存在ということでしたらあの、潔く辞めますので…」
「馬鹿野郎、そういうことを言ってんじゃねぇ。お前は唯一無二、兵団の主力だ。エルヴィンをはじめ俺もミケも全員がそう感じている」
「そうなんですか…じゃあ良かったです。。」
「ここ(兵団)に残るのならば、壁外で最高のパフォーマンスをしろ。無駄死には許さねぇ。同室だった兵士もそれを望んでねぇ。だから煙草はきっぱり辞めろ。お前の体質に煙草は合ってねぇ、吸いはじめてこんな短期間で調子狂わせやがって」
「すみません…」
「いいか、今は大切な人の死を受け入れられてなくてもお前はとべる。前よりもな。わかったか」
「はい!」
先程とは違った感情で目頭が一気に熱くなる。
こんなにも心を討たれる激励は生まれてはじめてだ。
「オイ、いい加減泣き止め…」
「すみません。兵長があまりにもお優しい言葉をかけて下さるので…もっと早くここにお邪魔すればよかったです。兵長と何喋ればいいのかなとか余計な事も考えてしまって…」
「馬鹿野郎、俺は元々結構喋る」
「あの…明日寝る前に紅茶頂きに来てもいいですか?寝る前が一番吸いたくなるので。」
「いつでも来いと言ったが寝る前か…そうか…兵服で来るならいいぞ」
「兵服ですか?お風呂入った後なので私服じゃ駄目ですか?」
「私服か…俺も自分のすべてをコントロールできるわけじゃねぇからな」
「兵長でもそんなことあるんですか!?」
「…お前、こういう事は結構どんくせぇな」
「?すみません。」
(ミケが言ったように眺めてるだけはもう潮時なのかもしれねぇな…)
リヴァイは紅茶を一口飲みながら思う。
その視線の先の紅茶の茶葉を湯に浸した時のように、柔らかい色彩が無機質な透明を彩っていく。気持ちは花開き、染みていく。心が緩やかに、それはもう元には戻らない。
「はっ」
「兵長?」
この煙草の一件で二人の距離は急速に縮まっていったのだった。
~fin〜
「え、またですか?もぉ勘弁してくださいよ~ゲルガーさん私より給料もらってるじゃないですか。」
「みずくせぇこと言うなよ、俺も金欠でよ。次また返すから。な?」
「毎回そんなこと言って一回も返してくれたことないじゃないですか…ったくもぅ。」
そう言いながらもルリは渋々ゲルガーに一本煙草を手渡す。私生活は見れたものではないが兵士としては尊敬する先輩、その先輩の頼みを無下に断ることはできない。
ここは調査兵団の喫煙所。
喫煙所と言っても兵団本部の裏手に簡易的に作られた屋根に筒型の灰皿が一つだけ。名前がつくほどのものではない粗末な空間だ。
「次っていつです?前貸したのもまとめて返してくださいよ。」
「小姑みてぇに細けぇな。そんなんじゃ嫁に行けねぇぞ?きれいな顔してんのに勿体ねぇ。」
「褒めても無駄ですよ、結婚はもう諦めてるので。で、いつ…」
問いただそうとしたタイミングで昼休憩の終わる鐘が鳴り響く。
「おっ午後から立体機動の訓練だったな、お先!」
「あ!逃げた!」
逃げ足だけは早いゲルガー。あっという間に建物の角を曲がり姿を消した。
「はぁ…もぅ。」
ルリはため息をつきながら薬指と中指の間に挟んでいるタバコに口付ける。長い指で挟む少し独特な持ち方。ルリにはこの持ち方が吸いやすくてしっくりくる。
煙草の先がふわりと赤くなり肺のなかに一気に流れ込む煙。ニコチンが脳を刺激して安心感が胸を満たす。
(食後の一服…落ち着く。)
吸い始めたのは一月半ほど前。きっかけは壁外調査直前に必ず行われる激励会の飲みの席だった。
何事も経験と進められた一本の煙草。
むせにむせてその場に居た皆に笑われた。血管が収縮して眩暈も起き最悪な気分だったが、ニコチンの強い依存性にやられてしまったのか結局二本目にも手をだし今に至る。
(やば、そろそろ行かなきゃ。)
今日はミケ分隊長から同じ班に入った新兵に立体機動の指導をするよう言われていた。
煙草をギリギリのところまで堪能し、灰皿に捨てる。
一度部屋に戻って立体機動を装備しなければならないため小走りに兵舎に向かう。
途中、向こうから小柄な兵士が歩いてくるのが見えた。
人類最強の兵士リヴァイ兵士長だ。
リヴァイはすでに立体起動装置を装着し兵舎とは反対方向にある演習場へ向かうところだった。
(兵長相変わらず早い!私も早く行かなきゃ!)
ルリはリヴァイへ敬礼し軽く会釈をすると、早足でリヴァイの横を通りすぎた。
「ルリ、待て」
「は、はい!」
突然リヴァイから呼び止められ驚く。
リヴァイとは分隊も違うし雲の上の人のような存在。新兵で入団してからおそらく話した回数は片手で収まるぐらいだ。そんなリヴァイがまさか接点のない平兵士の自分の名前を知っていることに驚いた。
とりあえず敬礼すると、眉間に少しシワを寄せたリヴァイが腕組みしながらすたすたとこちらへ向かってきた。
かなり至近距離まで来られ思わず背を少し反らす
緊張のあまり嫌な汗がでる。
「チッ…」
(舌打ちっ!?)
「兵長、私何か怒らせるようなことを…」
「…臭ぇ」
「えっ?」
「てめぇ…臭うぞ、ルリ」
「私クサイですか?!」
ルリがとっさにクンクンとジャケットの上から両腕の匂いを交互に嗅ぐ。
(何で?!ちゃんとお風呂入ってるのに!こんなこと兵長に指摘されて恥ずかしいよ~)
ルリも直属の上官が匂いに敏感なミケということもあり、人並み以上に清潔感や香りには気を遣ってきた方だ。それがまさか自分が臭かったとは…
(まさか!何日も風呂入ってない時のハンジ分隊長レベルなんじゃ…)
モブリット副長とニファに両脇を固定され浴場に運ばれるハンジを一度見かけたことはあるが、すれ違っただけで強烈な悪臭だった記憶がある。
想像しただけでルリは青ざめる。
「兵長に不快な思いをさせてしまい申し訳ありません!すぐに全身洗ってきます!」
「オイ、待て。そんなこと言ってねぇだろうが。この匂い…喫煙所の近くにいたのか?煙草くせぇの移っちまってる」
ルリが踵を返し走り去ろうとするのをリヴァイが腕を掴み阻止する。なんだか今日はリヴァイとの距離がやけに近い。
「なんだ煙草の匂いだったんですね!良かった~てっきり体臭が臭いのかと思いました。」
ルリがほっとして笑顔を見せる。
「あ?良くねぇだろ。体にも悪ぃし、吸い殻だらけのあんなクソ汚ねぇところ近づかねぇほうがいい」
「でもあそこでしか吸えませんし、吸ったらどうしても匂い着いちゃうんです。あっでも今日はゲルガーさんに冗談で煙たくさん吹き掛けられたから尚更臭ってしまったかもしれません。」
「は?」
「?」
リヴァイが眉間のシワを一気に深くする。
「お前………煙草吸ってんのか?」
「はい。」
「いつからだ」
「一月半ほど前からです。」
「一日どのくらい吸うんだ」
「そ、そうですね…一日一本吸うか吸わないかぐら…」
「正直に答えろ」
「こ、ここ最近は毎食後吸ってます。あと起きた時と寝る前とかも数本、、」
「……………」
「……………」
重たい沈黙。
リヴァイはルリの喫煙を良くは思ってないようだ。おそらく潔癖症の彼のことなので臭いにおいは耐えられないのだろう。
「辞めろ」
「えっ」
「今日から禁煙しろ。これは命令だ」
「ちょっと待ってください!命令っ!?」
他の兵士だって何人も吸っている。それなのに何故自分だけ急に辞めなければならないのだろうか?しかも命令ときた。上官の命令は絶対だ。
「待たねぇ。一日それだけ吸ってりゃお前の給料じゃやってけねぇだろ。道理でいつまで経ってもお前の立体機動が上向きになってこねぇ訳だ…依存し過ぎだ、きっぱり辞めろ」
「そんな…」
確かにリヴァイの言う通りだった。煙草は紅茶のように超がつくほどの高額な嗜好品だ。一番安い煙草でも完全に赤字なのでなけなしの貯金を切り崩して買っていた。
「今持ってるものすべて出せ」
「………ないです。ひぃっ!」
「てめぇ、上官に虚偽の報告するたぁいい度胸だな」
リヴァイがブーツでルリのふくらはぎを蹴った。流石人類最強の蹴り。手加減はされているだろうがビリビリと骨に響く。
さらに怒りのような、軽蔑をするかのような、冷たい瞳に射ぬかれる。
(目線で殺される)
ルリはぶるぶると震えながら、右手でジャケットの左胸にあるポケットのボタンをプチっと開ける。
「あっ!」
煙草の箱を半分ほど取りだしたところでリヴァイが引ったくるように取り上げた。
「没収だ。処分しておく」
「な、処分ってどうするんですか!?」
「あ?決まってるだろ、こんなくせぇもん燃やす。もう午後の訓練が始まる、お前もさっさと準備してこい」
いつ死ぬか分からない調査兵。
極限の精神状態の中で、煙草だけがほっと一息できるルリの唯一の楽しみ。それを理不尽に取り上げられて黙ってなんかいられない。
たとえそれが人類最強の上官だったとしても…
「待って下さい!」
気づけば演習場に向かうため背中を向けたリヴァイの右手をすがりつくように握りしめていた。蹴られて脚がまだじんじんと痛いのによくこんな大胆な真似ができたと思う。
リヴァイも驚いたように少し目を見開いている。
「こ、この煙草で最後にします!これで絶対終わりにしますから!燃やさないで下さい…兵長お願いします。」
ルリはリヴァイに涙目で懇願していた。次は思いっきり顔面蹴られるかもしれない…そう思ったが止められなかった。ルリにとって既に煙草はなくてはならない生活の一部。
上官の命令を覆すことはできない。が、せめてある分だけでも返してほしかった。だってそれはルリが自分のお金で買った煙草なのだから。
「チッ、必ずこれで最後にしろ」
「はい!ありがとうございます!」
リヴァイはそう言うとルリに煙草の箱を渡し、顔を見ずにすたすたと歩いていってしまった。
訓練も終わり、夕食後自室に戻る。
ベッドに腰掛けリヴァイから返してもらった煙草の箱を胸ポケットから出した。
リヴァイの右手ごと思いっきり握りしめてしまったため箱がぐちゃぐちゃになっている。中を確認すると、くたびれた煙草が4本入っていた。
(あと4本しかない…こんなことになるならゲルガーさんにあげなきゃ良かった、、)
以前のように軽々しく吸うことはできない。そう思いながらもルリは煙草を口にくわえマッチで火をつけた。
(今日はいろいろあったから…落ち着こ)
立ち上がり窓をガタガタっと少し開ける。
夕日で赤く染まった空に半透明の白煙が溶け込んでいく。煙草を器用に咥えたまま窓際まで椅子を持ってくると、そこに脚を組んで座りルリはゆっくりと目を閉じた。
「ミケ」
「?なんだ、リヴァイか。」
とうに日が暮れた夜更け、幹部棟の階段を上がってきたミケを壁にもたれ掛かり待ち構えていたリヴァイが声をかける。
「てめぇの鼻ならルリが煙草吸いだした時に気づいてただろ」
「あぁ、その事か。最近本数が増えていたからな。お前もそろそろ気づく頃だと思っていた。」
「何で止めなかった」
「別に吸うのは個人の自由だろう。上官がそこまで介入することでもない。」
「限度ってもんがあるだろうが」
ミケが言うように勿論煙草を吸うのは個人の自由だ。
だが行き過ぎた行為は兵団の秩序を乱し、最悪壁外で要らぬ惨事を引き起こす。それを未然に防ぐのも上官の務めだ。
「俺が止める前にお前が行動を起こすと思っていた。彼女を遠くから眺めているだけなのもそろそろ飽きてきた頃だろう」
二人の視線が絡み、先に揺らいだのは青灰の三白眼だった。
「チッ……クソが」
数日後、ルリは食堂で一人昼食をとっていた。
4本あった煙草は必死に我慢したが、一本、また一本と減り昨夜とうとう最後の一本を吸い果たしてしまった。今朝吸いたくなる気持ちを抑えなんとか午前中を乗りきった。
(…いつまで持つだろ)
食事を早く食べ終えてしまうと口寂しくなり吸いたくなるので、コツコツと既に冷めてしまっているスープのジャガイモをスプーンで細かく砕きゆっくり咀嚼する。さらにゆっくりゆっくりとスープに浸したパンを口の中で行儀悪く転がした。
時間稼ぎがもどかしい。いつもならすぐ食べ終わって喫煙所に直行していたというのに…
「…ルリ…ルリ
……おいルリ、聞いてんのか」
「はい!」
ぼーっとしていて呼ばれていることに気づかなかった。気づけばリヴァイが目の前に立っていた。
「お疲れ様です!」
急いで立ち上がり敬礼のポーズをとる。
「調子はどうだ」
調子…
禁煙のことを言っているのだろう
「はい!順調であります!」
「注意力が散漫になってるみてぇだが」
「一時的なもので問題ありません!」
禁煙をすると最初の一週間、特にはじめの三日間はニコチンの離脱症状でイライラしたり集中力が削がれることは知っていた。さっきからぼっーとしたり自覚症状も出ていたため客観的に自分のことは判断できていた。
「そうか。もし辛くなったら俺の部屋に来い」
「えっ?」
「俺は喫煙したことがねぇから分からんが、吸わねぇと口寂しくなったりするもんなんだろ?茶でも飲ませてやる、遠慮せずにいつでも来い」
「はい!ありがとうございます!」
リヴァイはそう言うと、すでに食事を終えていたようですたすたと食堂から出ていった。
「マジか…」
ルリは驚きのあまり去っていくリヴァイの後ろ姿を視界から見えなくなるまで直立のまま凝視した。
(あのリヴァイ兵長が…気にかけてくれてる?)
兵長は潔癖症で口が悪いことは周知の上だが、部下思いで優しいと何人かの兵士から聞いたことがある。
ルリは実力No.2のミケ分隊長が班に居るため助けられたことはないが、壁外で助けられた兵士は皆兵長のファンになってしまうらしい。
そう言えば、過去二度ほど兵長の部屋に書類を持っていったことがあったがその時も茶でも飲んでいくかと声を掛けられた。
一回目は急ぎの書類だったことと、後に予定があったため断った。
二回目は急ぎの書類でもないし、予定もなかったが兵長と二人きりで沈黙した時が怖かったので適当に理由をつけて断った。
(紅茶本当にお好きなんだな…というか意外におもてなし精神のある方なのかな?)
思考が煮詰まったところで昼休憩の終わる鐘がなる。
兵長の心遣いに感謝しつつルリはちまちま食べていたスープとパンを胃に掻きこんだ。
*
「はぁ」
今の心情をとてもよく表した深い深い溜め息。
夕食も風呂も終わり、ルリは後頭部の後ろに手を組みベッドに仰向けに寝転がっていた。天井の木目のシミの輪郭をぐるぐると目で追う。
いつもならガタガタと窓を開けて今頃一服するところだがもちろんそんな煙草はどこにもない。
(吸いたい)
(吸いたい)
考えることはやはり煙草のことばかり。口に出すと余計吸いたくなりそうなので心のなかでずっと呟く。
(今からゲルガーさんのところ行けば一本ぐらい煙草くれるかな…でも給料日前だし、あの人絶対煙草も酒も切らしてるだろうな…)
(それに下手に動いて兵長にバレたら次はもっと手酷く蹴られそう…)
「ダメダメダメダメ!」
(なに私吸う前提で考えてんの?!もう吸わない!兵長と約束したし!しかも命令!)
ルリは上体を勢いよく起こしブンブンと頭をふり怠慢した思考を振り払う。ここが正念場なのだ。この数日を乗りきれば吸いたいという欲求は嘘のように消える。禁煙に成功した先輩兵士がそう言っていた。
(あと少し…水でも飲んでさっさと寝よう。)
ルリはベッドから降りると、食堂へ行くために部屋の扉を開けた。
「ルリ、ひどい飛び方だったぞ。」
「ハァハァ…申し訳ありません…以後、気をつけます…」
「もうすぐ壁外調査の日程が決まる。二週間以内に調整しておけ。」
「はい…」
ミケ分隊長に入団以来初めて辛辣に注意される。
立体機動の訓練中、ルリは初歩的なミスを連発した。
新兵…いやまるで訓練兵に戻ったような飛び方にゲルガーやナナバをはじめなんとエルヴィン団長にまで体調が悪いのか心配された。
「だ、大丈夫です…日ごろの不摂生が祟っただけですぐに戻します。」
苦し紛れの言い訳をする。
朝起きたときから体の倦怠感がものすごい。頭痛もあり全く集中できない。
ニコチンの離脱症状と言うものは自分が思っていたよりかなり手強いらしい。ニコチンに慣れた体がすぐに息を上がらせうまく動かない。
(これは…まずい…禁煙成功できるかな…それよりもどうしよう次の壁外調査が…)
ルリを言い知れぬ不安が襲う。
不安を掻き消すようにグッと目を瞑る。鉛のように重くなったその体をのそのそと動かし、ルリは兵舎へと戻っていった。
「はぁ…」
昨日と全く同じ溜め息。いや、それよりもさらに深い深い。
夕食と風呂を済ませルリは自室にいた。
魔の時間帯
就寝前。
禁煙三日目でわかったことだが一日の中で一番吸いたくなる時間帯だ。
備え付けの机に頭を突っ伏す。
カタカタカタカタカタ…
さっきから右足の貧乏揺すりが止まらない。
備え付けのテーブルランプが細動する。
(吸いたい)
(吸いたい)
(吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい)
「…はぁ〜。まずいよ~。」
考えることは煙草の事ばかり。もう気が狂いそうだ。薬物中毒者になった人は皆こんな気持ちなのだろうか?
―もし辛くなったら俺の部屋に来い―
(兵長のところ行こうかな…でも結構時間遅いし、いつでもって言われたけど流石に非常識だよな…)
上官に遠慮するなと言われても上下関係の厳しい兵士の世界。どこまで本気にしていいのか分からない。
ルリは顔を机に預けながら横に向けた。目線の先には二段ベッドがある。
ルリは今は一人部屋だが、少し前までは二人部屋だった。同室の兵士は一月半前の壁外調査で戻って来なかった。
ルリより2つ下の後輩で、「ルリさん、ルリさん」と自分をとても慕ってくれていた。
ルリもそんな彼女が妹のようにかわいくてしかたなかった。
プラチナブロンドの髪にブルーの瞳のまるでお人形のようだった可愛い彼女。
立体起動装置ごと巨人に丸飲みされ彼女は(何も)戻ってこなかった。彼女の最期を自分の目で見たわけではないが、同班だった兵士が丸飲みされる彼女を目撃している。
それでも元気な彼女がある日突然ひょこっと戻ってくるんじゃないかと今でも思ってしまう…
実は生きてましたとかで。
仲間を失うことは勿論はじめてじゃない。ルリの同期は4人居るが、当初は25人いた。一人また一人と居なくなった。
(まただ)
どうしようもない焦燥感と喪失感――…
わかっている。自分でも十分すぎるほどによく理解している。
彼女は託し、己は託された
嗚呼、それでも…
(煙草……
…吸いたい)
ジリジリと卓上に置かれた蝋燭の灯芯が火に炙られ音を立てる。今日も膨大なハンジの報告書に目を通すがその進みは遅い。「はっ」と短く息を吐き、まだ半分も行っていない所でとうとうリヴァイの手は完全に止まった。まだ半分ほど残る冷めきった紅茶のカップを手にとると、リヴァイは立ち上がり闇の広がった窓の外を見る。
ルリに禁煙を命じてから一週間ほど経つ。
今日の彼女の立体機動は見れたものではなかった。
主軸がぶれて、息も上がりまるで糸に吊るされた操り人形のようだった。周りの兵士もルリのあまりの状態に驚いていたし、エルヴィンが後でミケを呼び出したぐらいだ。ニコチンがきれて思考と身体がうまく働かないのだろう。
彼女の立体機動の技術は誰もが認めている。
冷静沈着にアンカーを適所に出す判断力の早さと、表面の筋肉に頼りすぎない高い柔軟性と体幹を生かした跳び方で難しい角度からでもうなじを確実に削ぐ。
新兵の頃からずっと索敵で培ってきた技だ。
人一倍努力もするし、後輩の面倒見もよく人望もある。実力でいえばとっくに班長になってもおかしくはないが、彼女はミケの班の平兵士止まりだ。
それは何故か―
彼女の兵士としての弱点――…
――感情の起伏が立体起動に出やすいのだ。
まるでいつ切れてもおかしくない危うい糸に、ルリはぶら下がっている。繊細で息をのむほどに張りつめた一本の糸。
ルリは脆く儚い。
時に、見ているこちらが苦しくなるほどに。
リヴァイはチラッと自室のドアに視線を投げかける。数日前に食堂で声をかけたが、今日も彼女が来そうな気配はない。
(…チッ)
ドアから向き直り窓の外を見ると、兵団の門扉の方へ走る人影を見つけた。リヴァイが怪訝そうにその三白眼を細めた。
ジリジリという音がいつしか消え、蝋燭の火が途絶えてもそのままに、ルリは暗闇の部屋にいた。
突如ムクッと机から頭を上げる。
椅子に座ったまま窓から見える月の位置で大体の時間を把握する。先程の彼女とは違い妙に冷静さを保っていた。
(…この時間だったら、確かリーブスさんのところまだ開いてる)
突如湧いて出た一つの考え。
そこに止めに入るいつものルリは居ない。導かれるままに、手元が見えるように直ぐ様卓上の消えてしまったロウソクに火をつけ、僅かな光を頼りにクローゼットを開けた。
黒のジーンズにシンプルな白の開襟シャツ、同じく黒のジャケットを羽織る。長い豊かな髪を纏め上げ、ダークトーンの中折れ帽子の中に押し込め目深に被る。
全財産を入れた財布をジャケットの内ポケットに入れ廊下に誰も居ない事を確認して静かに部屋を出た。
――
―――…
「…すみません…ハァハァ…煙草下さい」
「あいよ。あら!調査兵のお嬢ちゃんじゃないの!今日は来ないなと思ってたんだ。」
「あー仕事長引いちゃって…こんな時間になっちゃいました。」
「ふふっ、男装したつもりだろうけどあんたは肌が白い上に線が細いから女だってバレバレさ。いつものやつでいいのかい?」
(…秒でバレた。)
リーブス商会のいつも店番をしている恰幅のよい女性におもいっきり男装を見抜かれる。
はじめて煙草を買いに行ったとき、女性で煙草を買いに来るのが珍しいからか根掘り葉掘り聞かれポロっと調査兵であることを言ってしまった。
「一箱でいいです。」
「あら、随分と吸う量が減ったね!まぁ煙草は高いし百害あって一理なしだからね、少ないに越したことはないよ。」
ニカッと営業スマイルでルリに笑いかけると女性は後ろを向き整然と並んだ棚の引き出しの一つを開け一番安い煙草をカウンターに置いた。
「そういえば、あんたのとこの兵士長さんも今日紅茶買いにきたよ。びっくりしちゃったよ!普段馬に乗ってるところしか見ないだろ?意外にちっちゃいんだね!でもいい男だねぇ~色気があって。あの切れ長な瞳…ゾクゾクしちゃったよ!
驚きのあまり身体が跳ねる。
(兵長が来た!?何で?!)
女性の話しぶりだと初めて店に来たようだ。兵長は紅茶好きで有名だ。こんな混み合う給料日にわざわざ初めての店で愛飲する紅茶を買うだろうか?
「あの兵長何か言ってました?」
「?いんや」
「…あの、もしまた兵長が来て何か聞かれても私が今日煙草買ったこと内緒にしてもらえませんか?」
後、あたしが20年遅く生まれてたらね~と頬を赤らめているおばさんが代金を払ったルリの手をカウンター越しにガシッと掴んだ。
「安心しな!商人の口は石のように堅いんだ!」
フンッと鼻息荒く目を輝かせるおばさん。何かいろいろと勘違いしているようだ。
(駄目だ…この人絶対喋る。。)
そんな事を思ってももう遅い。煙草は己の手の中にしっかりと握られている。「やっぱり要らないです」なんて手放すことは、もうできない。
気をつけて帰りなよと上機嫌の女性に会釈をし、リーブス商会を後にする。
(…買った…とうとう買ってしまった)
罪悪感と興奮が入り交じる中足早に来た道を戻る。
「ハァハァハァハァ…」
月がずいぶんと高い位置に昇った。大した距離ではないが息が上がる。百害あって一理なし…リーブスのおばさんの言葉が胸に刺さる。
(わかってる……でも…どうしても吸いたい…一本だけ吸って、絶対やめる。)
今の精神状態は立体起動どころか生活に支障が出るほどに自分は冷静さを欠いている。兵長の命令に背く形になるが、とにかく一度落ち着くために煙草が必要だった。自分が自分で有り続けるために、無理矢理諸刃の暗示をかける。
兵団へもう少しのところで脚が止まる。喉の渇きのようにまた襲ってきた。
(吸いたい)
(吸いたいよ!)
ルリは大通りを走っていたが路地に入り込む。
(…我慢できない…ここで…)
ルリは置いてあった木箱のわきにしゃがみこむと買ったばかりの煙草を口に咥え、マッチを摩る。
なかなかマッチに火が着かなくてやきもきする。
シュッ…シュッ…シュッ…シュボッ
(ついた!)
その時、ルリの後ろで誰かが何かを踏みしめる音がした。
「こんなところで火遊びか、ルリ」
抑揚のない凄みのある低音。後ろを見なくても誰なのかすぐに分かった。縦に伸びた黒い影。
「ひっ!兵長っ!?どうしてっ」
ルリが驚きのあまり地面にへたりこむ。その拍子に口に咥えていた煙草と持っていたマッチが地面に転がる。
マッチが地面で水平になって燃える火が平たく大きくなり足元を明るく照らした。
照らされた先にリヴァイがコツコツと靴を鳴らしルリの目の前にゆっくり歩いて来る。最後の一歩でルリが口に咥えていた煙草をゆっくりと踏み潰した。
火を間にはさみリヴァイは静かにルリの前にしゃがみこむ。さっきから震えでルリの歯音がカチカチと止まらない。
私欲のために上官を二度も欺いた。
リヴァイは煙草を辞めることを命令と言った。上官の命令に背いたということは完全に兵規違反…懲罰房行きだ。
いや、その前に今からリヴァイにぼこぼこに殴らてからか……
すっとリヴァイの腕が伸びてきた。
「ひぃっ!」
やはり殴られると分かっていても怖いものは怖い。
ルリは目を瞑ると、ガサッと耳元で音がした。
リヴァイは無言でルリの後ろにあった木箱の上の煙草の箱を無言で掴むと、箱ごと足元の火で炙り出した。
「あっ!私の煙草!まっ…」
「黙れ」
リヴァイにピシャリと言い放たれる。
箱を燃やし大きくなった火がリヴァイの顔を闇夜にうつしだす。いつもの無表情で感情は読み取れない。
箱が燃え、次に中の煙草が燃え出した。
もくもくと火元には不釣り合いな量の白煙が上がる。
肺に入る筈だった煙がゆらゆらと舞い上がり夜空に消えていく。命を燃やし、死んでいった仲間と重なった――
訓練兵から苦楽を共にした同期達
そしてあの子
無意識の内に炎に向かって手が伸びていた
「っあつ!」
「おいっ!?」
気づいた時には思いっきり燃える煙草の箱を握り締めていた。
「馬鹿野郎!」
「一本だけ!お願いです!このままじゃ私っ何の役にも立たないまま次の壁外調査で死んでしまいます!死ぬならちゃんと最期ぐらいはっお役に立って死にたいんです!」
「黙れっ!死ぬなんてっ、軽々しく言うんじゃねぇ!」
「うぅっ…うぁ…あ…うっ…」
リヴァイはルリの両手首を掴み静止させる。
ルリの大きな瞳からぼろぼろと涙が泉のように溢れて地面に落ちた。
火が煙草をすべて焼き付くし、辺りが暗くなるまでルリは泣き続けた。
*
「落ち着いたか」
「はい…あの、先程は本当に申し訳ありませんでした。」
「気にするな。手の具合はどうだ?」
「大丈夫です。多分グリップも握れると思います。」
「そうか」
ルリが包帯が巻かれた右手をぎゅっと握る。どうやらおもいっきり箱を握ったがすぐに手を離したため軽度の火傷で済んだようだ。
あの後、ルリが一通り暗闇で泣いた後、すぐにリヴァイに手を引かれ兵舎に戻った。医務室を借りてリヴァイに手当てをしてもらい、今はリヴァイの私室でルリ落ち着くまで側に居てくれた。
「どうして煙草買いに行くって分かったんですか?」
「喫煙する兵士はほとんどリーブスの店で煙草を買っていることは前から知っていた。お前は後先考えず馬鹿みてぇに吸うからな。ひでぇ状態なのに俺の所にも来ねぇし買うなら今日だと思っていた。下手くそな男装しやがって、バレバレだ」
兵長はリーブスのおばさんにも確認したそうだ。口の堅い商人は本当に居るらしい。
「壁外調査後にお前の立体機動がしばらく乱れることはいつものことだ。だが今回は親しかった同室の兵士が死んだのにいつもより立ち直りが早くておかしいと思っていた。立ち直ったかと思えばお前の立体起動はどんどん崩れていく。その頃から煙草の本数増やしたんだろ」
「…はい」
すべて図星だった。
壁外調査後は皆仲間を失い、希望を失い失意のどん底に突き落とされる。泣きわめく兵士や退団する兵士も多い中ルリは感情を表に出すことはなかった。ただ黙ってひたすら飛ぶ。悲しみを纏って飛んで、気持ちを整理する。時間はかかるがこれがルリが前に進むための儀式なのだ。
「でも今回は違うんです。」
「何がだ」
「…あの娘のことはいつまで経っても駄目なんです。巨人に喰われたと証言があるのに…今でもふとしたときにあのこが戻ってくるんじゃないかって…私彼女はどこかで生きてるんじゃないかと本気で思ってるんです」
「そうか…」
「あのこの死を受け入れられない。」
ルリが右手の包帯を触りながら呟く。大きな瞳が揺れて声が震えている。仲間の死を受け入れるごとに、背負うものが増えるごとに、人は強くなる。人類は大きな代償を払いそれでも前進する。立ち止まることは死んだ者への冒涜だ。
「みんな仲間の死を乗り越えて前に進んでいるのに…私だけ立ち止まったままで、そんなときに煙草吸ってみたんです。そうしたら気持ちがすっきりして、私やっとあの娘の意志を継いで前に進めたって思ったんです。」
ニコチンは一時的に気持ちが晴れたり、集中力を高めたりする作用がある。壁外調査当日の朝に普段吸わない兵士も吸ったりすることは少なくない。
「お前は調査兵に向いてねぇ」
「はい」
「ここまで生き残ってきただけあるが、お前は感情の起伏が立体起動に影響しすぎる。感情で極端に飛びかたが左右されることは兵士として致命的だ」
精神面の弱さは自分でもわかっていたことだが、兵長に言葉に出して言われると胸がえぐられるように痛んだ。
「だがな、俺はそれを悪いと思ってねぇお前は別に弱くねぇ。無理して前を向かなくていいし、頭の隅にそいつを追いやらなくていい」
「兵長…」
「大切な人の死を受け入れられない事がそんなに悪いことか?そんなことねぇだろ、人として当たり前の感情だ。ここ(兵団)にいると次々と外(壁外)に出されて悲しむ暇も与えてくれねぇがな。焦ることはねぇ、そいつの事をとことん思ってやればいいじゃねぇか。お前の気が済むまで」
リヴァイの言葉に包帯を見つめていたルリの目が大きく見開く。リヴァイの容認する言葉にずっと苦しく押し込めていた気持ちが溢れてきた。
とても大切な人だった。
彼女が新兵で入ってきた時からずっと同室で、妹のようにかわいくもあり自分には無いものを持っていた彼女を尊敬していた。大好きだった。
また涙が泉のように溢れてきた。全く止まらない。拭っても追い付かないので諦めてそのまま声も出さずに静かにルリは泣いた。
「あんまり泣くと干からびちまうぞ」
いつの間にかリヴァイが紅茶を淹れてくれていた。
過去に食堂で一度だけ紅茶を飲んだことがある。
エルヴィン団長が内地に行ったついでにクッキーと紅茶をこっそり女子兵士にだけ買ってきてくれた時だ。
こんな香りのよい飲み物あるんだなと心底感動してずっと匂いを嗅いでいたら「冷めちゃいますよ」よ彼女に笑われた。
目の前に差し出された紅茶はそのときよりも香りが良くてきっと兵長の私物の高価なものなんだろう。それでも彼女と飲んだ紅茶の事を思い出して止まりかけた涙がまた溢れてきた。涙腺の蛇口が完全に馬鹿になってしまったようだ。
「さっさと飲まねぇと冷めるし、余計なもんが入ると不味くなる」
「はい」
リヴァイは先程からずっと紅茶に視線を落としたままだ。泣くルリの顔を見ないようにしているのだろう。人類最強の上官に気を遣わせてしまい、申し訳ない気持ちで一杯になりながら紅茶を一口飲んだ。
「あまい…」
「紅茶に砂糖を入れてある。甘ぇやつ飲んだことねぇか?」
「は、はい。紅茶自体人生二度目です。」
「口に合わなかったか?」
「いえ!とんでもありません…とても、美味しいです、こんな味知ってしまったら後が怖いです…」
「はっ、心配するないつでも飲ませてやるよ」
「ありがとうございます!」
兵長が笑ったところを初めて見た。イメージと違い過ぎてかなり戸惑うが、一口また一口と飲む紅茶のおかげで徐々に落ち着いてきた。何故先程まであんなに煙草を吸いたかったのか分からなくなった。
「どうして俺の部屋に来なかった。いろいろと限界だっただろ」
「行こうと思ったんですけど、時間が遅かったので…」
「お前…それ以外にもあるだろ。顔に書いてある」
「あ…ちょっと怖い方なのかなと思ってしまって…また蹴られるかなとか、すみません。」
「あれはまぁ挨拶みてぇなもんだ。躾も兼ねてのな。悪かったな」
「躾も兼ねてですか、」
リヴァイは悪びれもせずまた紅茶に視線を落とし独特な持ち方で飲んでいる。
今更だが理解した。何故みんな彼の虜になってしまうのか。接点がなかった上官の不器用な優しさ。リヴァイはただ強いだけではない。勿論口は悪いが、部下の話を聞いて心に寄り添ってくれる。彼の近くに居るだけで、暖まる。心も、身体も。この空間自体が柔らかく、暖かくなる。リヴァイはそんな人だった。
じっとリヴァイを見ていたら気づいたのか彼もこちらに視線を向け口を開いた。
「…ルリ」
「はい。」
「今までもだがこれから先も仲間に別れを告げながら俺達は壁外に出続ける。だが仲間の意志を受け継ぐことは義務ではない。ここ(兵団)から去って…少しでも死地から遠いところで穏やかに暮らす道もある」
「それはないです。」
「…そうか」
紅茶のカップを見ていたルリがまっすぐリヴァイを見る。
その瞳は嵐が去った直後の空のように、まだ厚い雲が横たわり湿り気を帯びている。それでも決して濁んではいない。
「そういやぁミケがお前のことを一度決めた事は曲げない頑固な女だと言っていたな」
「ミケ分隊長私のことそんな風に思ってたんですね。」
そうだったんだ…と呟きながら、ルリは恥ずかしそうに紅茶をズズッと一口飲んだ。
ルリは気持ちの切り替えも遅く器用な方ではない。彼女は失った仲間を想い長く、深く、堕ちる。
それでも次の壁外調査前には這い上がってくるのだ。その今にも切れそうな繊細な糸を必死に手繰り寄せ、彼女は仲間の為に。明日の自分の為に。
ルリの立体起動の動きは調査が近づくにつれ益々精度を増して調査日に最高のコンディションを持ってくる。
―今日のルリさん凄かったよな―
―あっ、それ俺も思った!先週よりもどんどん速くなってるっていうかあんな飛び方する人なんだな―
―あの人ずっと索敵でやってる人だろ?動きの早い奇行種もほとんど取りこぼしたことないらしいぞ―
―マジかよ!よかった~俺すぐ後方の伝達なんだ―
―ルリさん見てると不思議と俺もやってやるって気になるんだよな…必ず生きて帰ってこようぜ―
壁外調査直前には精神が不安定になる兵士が多い。そんなときに鬼気迫る彼女の姿を見てどれほどの者が勇気と希望を持つか。
「でも、私欲をコントロールできなかった無能な兵士ですし組織に不利益を与えるような存在ということでしたらあの、潔く辞めますので…」
「馬鹿野郎、そういうことを言ってんじゃねぇ。お前は唯一無二、兵団の主力だ。エルヴィンをはじめ俺もミケも全員がそう感じている」
「そうなんですか…じゃあ良かったです。。」
「ここ(兵団)に残るのならば、壁外で最高のパフォーマンスをしろ。無駄死には許さねぇ。同室だった兵士もそれを望んでねぇ。だから煙草はきっぱり辞めろ。お前の体質に煙草は合ってねぇ、吸いはじめてこんな短期間で調子狂わせやがって」
「すみません…」
「いいか、今は大切な人の死を受け入れられてなくてもお前はとべる。前よりもな。わかったか」
「はい!」
先程とは違った感情で目頭が一気に熱くなる。
こんなにも心を討たれる激励は生まれてはじめてだ。
「オイ、いい加減泣き止め…」
「すみません。兵長があまりにもお優しい言葉をかけて下さるので…もっと早くここにお邪魔すればよかったです。兵長と何喋ればいいのかなとか余計な事も考えてしまって…」
「馬鹿野郎、俺は元々結構喋る」
「あの…明日寝る前に紅茶頂きに来てもいいですか?寝る前が一番吸いたくなるので。」
「いつでも来いと言ったが寝る前か…そうか…兵服で来るならいいぞ」
「兵服ですか?お風呂入った後なので私服じゃ駄目ですか?」
「私服か…俺も自分のすべてをコントロールできるわけじゃねぇからな」
「兵長でもそんなことあるんですか!?」
「…お前、こういう事は結構どんくせぇな」
「?すみません。」
(ミケが言ったように眺めてるだけはもう潮時なのかもしれねぇな…)
リヴァイは紅茶を一口飲みながら思う。
その視線の先の紅茶の茶葉を湯に浸した時のように、柔らかい色彩が無機質な透明を彩っていく。気持ちは花開き、染みていく。心が緩やかに、それはもう元には戻らない。
「はっ」
「兵長?」
この煙草の一件で二人の距離は急速に縮まっていったのだった。
~fin〜
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