月夜綺譚
「もう一度、始めよう」
力を使い出した始は、清々しい程に、笑っていた気がした。
ぱちり。暗転した世界から意識が覚醒した。少しずつ目を開けていけばそこに広がる無の世界。虚無、絶望、虚。見渡しても水平線を探しても境目がわからないこの世界に俺と隼、そして一冊の本が放り出されていた。
「隼、起きろ。隼!」
ゆさゆさと左右に揺らせば、ぅんん…。と言葉にならない声を発した隼が起きる。
「やあ始。おはよう」
「おはよう。…で、ここは」
「うん。突然だけど僕達、やっぱり傍観者になっちゃったみたい」
困ったように笑う隼は、ほらここ。と指を指す。
「…春?」
指された1つの空間、その場所をみれば見知った顔が5つ。耳を澄ませば聞こえる声に意識を集中させると聞こえる春の声。
「今日は大切な式典です。皆さん、楽しんでいってください!」
中庭に茶菓子を用意しました!
美味しいお茶も!
さああちらに!
葵くん葵くん、俺も食べたい
ええ?ちょっと待ってて新!
すみませーん!遅くなりました!
陽の私用のせいで
夜さーん?
あ、はははは
陽、ウケる
わいわいがやがや。賑やかな連中の楽しそうな声に、俺はちゃんと元に戻せたんだと胸を撫で下ろした。
「…あのね、始」
「何だ?」
傍で俺の様子を見ていた隼は、手の届く所にあったその本をそっと撫でた。
「僕達は元々、産まれる事が珍しい存在なんだ。力が強すぎてね、そうぽんぽん産まれてしまうと世界の均衡が崩れてしまうから。だから、もしかしたら、」
僕達のいない今この世界が、本当の世界かもしれないね。静かに語り出した隼は、ふっと笑って目を伏せた。その目線を追って、もう一度春達の空間を眺めれば白と黒の兎達は楽しそうに茶会を開いていた。
「俺達のいない世界が本当の世界だとしても、悔いはない。あいつらを守れて良かった」
それに、物語は紡ぐものだろ?何て隼に伝えれば一瞬キョトンとし、そしてふふっと笑った。
「そうだねぇ。僕達はストーリーテラーでもあるからねぇ。…でも始。その役に回るのは、まだ早いみたいだよ?」
「何言っ、」
「始さん!」
「っ」
突然聞こえた名前に振り返る俺の姿を、後ろで隼はどんな思いで見ていたのだろう。
「そうだ、始さん…!」
なんで忘れてたんだ…!
大切な人!
アップルパイが好きな人
俺の頭を優しく撫でてくれるあの手の人!
ここにいない人物がいたじゃないか!
各々の想いを言葉にする黒兎達とその言葉を聞いて辛そうに眉を下げた始に、やっぱりねぇ…。と目を伏せた。君はここにいちゃいけない。二人っきりは嬉しかったけど、君は、君には居場所がある。
「…ねぇ、始」
君は、帰る場所に帰ろうか。繋げようとした言葉を飲み込む。何故って?だってほら、僕も嬉しいからさ。
「隼…!魔王様!」
隼さん!どこですか!
ったく、あの人騒がせ!
隼さーん!
隼…?
僕の名前を呼んでくれる僕の大切で大好きな白兎達に、君達の中でも僕は大きい存在だったんだって嬉しくなった。
「…隼、」
「うん。分かってる。…嬉しいねぇ。名前なんて、必要となんてされると思ってなかったから、」
思い出すなんて思ってなかったから。そう始に向けて言えば始は嬉しそうに笑った。
「…行こう、始。必要とされた僕らはもう、傍観者でもストーリーテラーでもない。ただの人間さ」
「そうだな」
立ち上がり、始に手を差しのべる。その手をとった始の手を握り、立ち上がらせる。ふと横を見れば傍にあるあの一冊の本。
「…君も、一緒に行こうね」
表紙のタイトルをそっと撫で、微笑む。胸元で抱き締めるように本を抱え、始の方を向く。
「僕達は対。光と影。裏と表。月と太陽。どちらか片方じゃない、どちらも必要な存在。だから始、僕と一緒に、いや、僕達みんなで、歩いていこう」
だって僕達、やっと逢えたんだから。そう言って笑えば、やれやれと目を伏せた始は、やっぱり笑ってた。
始まりの黒、終わりの白
(何度も呼ばなくても聞こえてる)
(必要としてくれたから、また戻ってこれたよ)
((ただいま))
((((((((おかえりなさい!))))))))))
20190330
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