第三章

突然の睡魔に誘われ抗うまもなく眠りについたマチルダ。 次に彼が目を開けると、視界に入ってきたのは先程まで居た脱衣所や宿泊用の施設ではなく、何もない真っ白な景色が広がる空間に立っていた。

(!?……)
一瞬何が起きたのか全く分からなかったが、冷静に考えてみるとこの空間には見覚えがある。確か…そう、ミクリアに渡された当主の指輪を嵌めたとき、導かれるように眠りについて…そして次に目覚めた時に訪れた場所だ。と

 急な状況変化にも関わらず、彼は自分の状況を至極冷静に分析していた。どこか他人事のように感じているのは、恐らくここ数日で様々な事が重なりすぎて感情がマヒしているからだろう。
(でも何で急に…。指輪は…嵌めているな。じゃあカナメ様から離れすぎたからか?……それも違う気がするな…。俺はさっきまで脱衣所に居たはずなのに…)
何故この空間にやって来たのか色々考えていると、ふと背後に気配を感じた。振り返るとそこにはいつの間にかカナメの姿があった。

『童、貴様ここにおったのか』

いつもの聞き慣れた彼女の声。声や表情は特に変わりないので読み取れないが…少し前に彼女とは口論…というよりは、半ば一方的に説教された言葉に耐えきれず、思わず逃げ出してしまってからの再会。カナメの方から何かしらまた説教が飛んでくると思っていたが、意に反して彼女は何も言わない。

無音の時間が続く中、何一つ心の準備もしていなかったマチルダは狼狽えつつも何とか必死に言葉を紡ぐ。
「カ…カナメ、様……っ。あの…俺…すみませんでした。大事な御霊流しの最中に私情を挟んだり……逃げ出したりして」
マチルダは頭を下げ謝罪の言葉を述べた。今、自分が出来るのはこれくらいしか無い。許してくれるかは分からないが……それでも誠意を見せるしかない。と だが彼女はそれを不要だと言わんばかりに手で制した

『…謝罪など不要じゃ。 しかしまぁ…貴様、随分と冷静に身構えておられるのぉ?どこをほっつき歩いておるかは知らぬが、普通なら急に意識を失って目覚めたらこの状況になっている件に対してもう少しぐらいは慌てるじゃろ?それとも……この短時間で随分と図太くなったのかえ?』

「……。実感が無いだけですよ…何もかも。だから、この今の状況でさえも俺は他人事のようにしか感じていないんです」

 実際……この数日間の出来事があまりに衝撃的すぎて、自分自身ですら自分の事を客観的に見ているような気持ちだった。
目を伏せながら精一杯の愛想笑いで返すのだが、引きつった口角や震えている指先が正直な今の心情を物語っていた。
そんな心情を察してか、カナメもそれ以上はあえて踏み込むことはせず本題へ入った。

『雑談はここまでじゃ。こうやって会話できておると言うことは肉体に問題は無いと言う事だからのぅ
さて、今から貴様も一度体験したと思うが海を呼び出すぞ?…なぁにここでは溺れはせぬ』
普段と変わらない口調の筈なのだが…何となくだが言葉の端々に感じるニュアンスが違う。妙に威圧感を感じる…と言うのだろうか? どこかよそよそしい彼女の言動に違和感を感じて戸惑っていると、彼女は指をパチンッと弾いて鳴らす。するとそれを合図に真っ白な空間内に突如として足下から水が湧き出てくる。

湧き出た水は瞬く間に二人の身体を飲み込んだが、彼女の言うとおり息苦しさや水圧の圧迫などは無く呼吸も普通に出来るのだが…水中に身体が沈んだと同時に、以前見た様々な人の記憶が四方八方に映し出される。まるで映像が乱反射するように無数の光景が映し出される。

 それはある時は戦場であったり、ある時は貴族の令嬢の恋模様であったりと様々だ。どれもこれも断片的な映像であり、例えるなら1つ1つの映画がその場で無数に放送されている感じだろうか?

一度は経験済みと言え、あまりの情報量の多さに脳が処理しきれず頭がクラクラする。目眩がして気分が悪くなり、顔を歪ませながら耳を塞ぎ目もぎゅっと強く瞑って堪えるが、そんな事はお構いなしに情報は流れ込んでくる。


──あぁ駄目だ、これは……無理だ。これ以上は耐えられない。


意識が飛びそうになったその瞬間、ふわりと誰かに抱きしめられたような仄かな温もりと感触を感じた。恐る恐る片目だけをうっすら開いてみる。すると一瞬だけだが彼女がこちらを見つめていたような気がしたが……それを確認するまもなく身体に感じた温もりが離れ、そして声が掛けられた。

『もう身構えなくても良いぞ。…ここが、貴様にとって先祖にもあたる者達が長い時間と歴史の中で得た記憶を管理する場所。いわばワシ専用の世界と言うべきかの? ほれ、周囲を見てみよ』

「!!?」

促されるままに周囲を見ると、そこには先程まではただ真っ白いだけの空間や記憶の海とは様相が一気に変わり、3階まで吹き抜け上になっている建物の中に居た。
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