第二章

その日の深夜。失意のまま寝室に向かったマチルダを見送ったカナメは、いつものように適当に時間を潰すべく本棚を漁っていた

(どれもコレも読み飽きた物ばかりじゃのぉ…)

こんな事なら【ほっとみるく】を作らせておけばよかった…と思いつつ、その場でウロウロしている時だった。

ドンドンドン!と激しく玄関の扉がノックされる音と共に「マチルダくんっ!!こんな時間にごめん…でも大変なんだ…っ!!」と随分切羽詰まった様に叫ぶシーラの声が聞こえてきた。

(あの声は……確か小娘のところの次男か?随分と騒々しい…)

 マチルダは少し前に寝かせたばかりだし、仕方ない…自分が応対するか…。関係性を聞かれたら…まぁ叔母とでもいえば良いかと思い、玄関の扉を開けようとしたのだが…。 そういえば一般人である彼らにはそういえば自分の姿は見えていない事を思い出したので渋々マチルダを起こしに行った

『ほれ童、客人が来とるから起きよ』
「…うー…ぇ…っ。せっかく寝たのに、すぐおこすなんて、ひどいよおばあちゃん…」
『こやつ…完全に寝ぼけおって。おい!!起きろ童!客人じゃ!!昨日会っていた花屋の所のせがれじゃ!次男の声じゃったがはよう対応せい」
「んぇぇ?……。って、えっ!?シーラさんが?!」

 最初は寝ぼけて思考が停止していたが、少しすると思考がクリアになってきた事でようやくカナメの言っていることを理解したマチルダは、慌ててベッドから飛び降りるとパジャマ姿のまま玄関の扉を開けた。
 そこには息を切らしたシーラが立っていたのだが…いつもの柔和な表情とは打って変わって随分切羽詰まっている様子だ

「シーラさん?!一体どうしたんですか!?」
「マチ、ルダくん……っ、大変だ……っ、サンが……サンが……っ!!」
「!!」

 彼の尋常じゃ無い焦り方と、サンの名前が出た瞬間。マチルダの心臓が跳ね上がる

彼女の身に何かが起きたことは明白だが…続きの言葉を聞いてはならない。本能が継承を鳴らしている。だが、次の言葉を聞かなければならない。そんな矛盾する感情が心を支配する
 時間にして数秒間の間だったが、まるで永遠と思えるほどに長い沈黙の末に、シーラは息を整え…そして静かに告げた。


―…サンが……物置部屋で自殺、したんだ…―と


言葉の意味を理解するのと同時に一瞬、時間が止まったかのような静寂が訪れた。
目の前が真っ暗になって、足下から一気に崩れて倒れそうになったが、なんとか気力で踏み留まる。

「……そ、そんな……っ。嘘ですよね?……冗談でしょう?」
信じたくなかった。いや、もしかしたらこれは全部悪い夢かもしれない。
そんな願望がマチルダの心を支配したが、シーラは首を横に振った。
「……冗談じゃないんだ。色々あって、しばらく……物置部屋で反省させるつもりだったんだ。幼少期の名残で……だけど、迎えに行ったときにはサンの首に、自分で掻き切ったような傷跡があって……」

そこでシーラは一度言葉を区切ると、苦しげな表情で絞り出すように話を続ける。

「……っ。レーンが待ってるから…一緒に来て貰っても良いかな…?君にしか出来ない、仕事をお願いしたいんだ…」
「…………分かりました。案内をお願いします」

 悲痛な面持ちで告げるシーラに対して、マチルダは抑揚の無い声で返事を返すと、手早く仕事着に着替えてから一緒に物置部屋へ向かった。 だが移動している最中も、自分が聞いた言葉はウソだ。気のせいだ。何かの間違いに違いないと必死に都合の良い言葉を反すうし続けていた

二人が物置部屋に到着すると扉の前にはレーンが立っていたのだが、彼も酷く憔悴した顔でこちらを出迎えてくれた。

「…あぁ…マチルダか。……その……なんだ……。こんな時間に呼び出してすまない…」
「…い、いえ大丈夫です。…それよりレーンさん…っサンちゃんは?シーラさんからその…っ」

マチルダが恐る恐る尋ねると、彼は力なく俯きながら「………死んだ。自分で……首を切って……」と呟き、物置きの奥の方を指さした。

 途端に視界が歪んで涙が溢れてくる。だがそれでも…嘘であって欲しい。と思考はまだ現実を受け入れようとせず、ゆっくりと奥の方へ歩を進める。

物が沢山散乱しているので足下に注意しながら歩を進め、部屋の入り口からは見えない場所まで移動した時に視界へ飛び込んできた光景は、彼の都合の良い夢を散らせるには十分だった。

手にはナイフを握りしめ、首元に真一文字に切り傷。既に血は固まり始めている血だまりの中央で、虚ろな瞳をして横になっている彼女の遺体があったのだから……。


マチルダは無言のまま彼女の側に近寄ると、小さく震える手で首に触れる 既に体温を失って冷たい身体。呼吸も鼓動も聞こえない無機質な亡骸。これがサンなのだ……と認めたくはなかったが、触れた箇所から伝わる冷たさが、無慈悲に、そして残酷に現実を突きつけてきた

(こんなのって……。どうしてこんな事に……っ)
マチルダは悔しさと悲しみのあまり脇目も振らず声を張り上げて泣き叫んだ。
「ぅぁぁぁぁあっ!!な…んでっ!どうして……こんなっ!!こんな事って……っ!!うわああぁっ!!!サン、ちゃんが…サンちゃんがっ!!」

 自身の服が血液で汚れることもいとわず、マチルダは彼女の身体を抱き上げると力一杯抱きしめ何度も呼びかけた。だがいくら呼びかけても返事はなく、冷たくなった身体だけが腕の中に収まっている。

そして何より…視界に映ったサンの顔は涙に濡れて苦痛に満ちた表情をしていた。経緯までは分からないが、この表情から察するに彼女は死の間際まで泣き叫びながら助けを求めていたことは伝わってくる…


その痛ましい姿を想像しただけでマチルダは更に涙を流していたのだが……頭上から突然『いい加減にせい』と容赦の無い言葉が振ってきた。
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