HAZAMA―未来を映す水鏡―

 次にマチルダが目を開けると、そこは黄昏色の空が広がり、海に反射してキラキラと輝く港町。 船着き場の周囲は波の音だけが静かに聞こえるだけで、先ほどまでの喧騒が嘘の様だ。
遠くのほうには様々な街並みが見えるのだが、これら全てはマチルダが創った幻想…。死者を見送る為だけの空間なので船以外は雰囲気作りの為だけのハリボテに過ぎない
「……」
静かな空間の中でじっと待っていると、彼の目の前に先ほどの蝶が遅れて現れた。 だが色々と戸惑っているのか、ひらひらと舞うように飛ぶ姿はとても弱々しい

「聞こえますか?ゆっくりで構いませんので、貴方の姿を思い出して下さい」

そう蝶に話しかけると、しばらく迷うようにその場をうろうろするように飛び回っていたが、やがて落ち着いたのかゆっくりと羽ばたきを繰り返すようになった。それはまるで何かを思い出したかのように…
 そのまま様子を見守ること数分。蝶は徐々に光を放ち始め、目の前にセミロングの銀髪に切れ長い眼をした長身の青年へと変化した。 だが彼自身も状況が飲み込めておらず、何が起きているのか分からないと言った表情をしている。
『ここは…?自分は…一体…』
「この世界は私が創った狭間と呼ばれる死者をあるべき場所へとご案内する為の空間です。 
…まずは、貴方の名前を教えて頂けますか?」
『自分…自分は…。リオン、リオン=レトだ。だが君は一体…?……それに、自分は確か息子を…。!!バノンは!バノンは無事だったのか?!急に馬車が横転して、咄嗟に自分が庇ってそれから…っ』

彼は自分の身に起きたことをようやく思い出したらしく、焦った様子で畳み掛けるように質問を投げかけてきた。それに対しマチルダは淡々とした様子で返答を返す。
「…落ち着いてください。貴方のご子息なら、ご無事でした。ご夫人と共に王都の騎士が保護しているのを確認していますのでご安心ください」
 その言葉を聞いて、青年…基。リオンの表情に安堵の色が見えたのだが、すぐに暗い影を落としてしまう。恐らくだが自分が亡くなった事で残された妻や息子二人の事を考えているのだろう…

こういう時は少しでも彼の気が晴れるように気の利いた言葉の一つや二つ掛けてみたいと思いはするのだが、どうにも必要以上に喋ったり雑談する機会が少なかったせいで残念だか毎回適正な言葉が見つからず、黙ったまま見守るしかなかった
 しばらくそうしていると、やがて空間内にある教会の鐘がそろそろ制限時間を告げるかのように鳴り響いた。 …もう時間が少ないようだ…
「それでは、あなたの記憶を引き継ぎますので手のひらを出して頂けますか?」
『?あ、あぁ』
言われた通りリオンが手のひらを出すと、マチルダは彼の手に重ねるようにして自分の手を乗せた。

「これからあなたの記憶の全てを、私が引き継ぎます。あなたが紡いだ人生は…決して色褪せることなく大切に記憶し続けることを約束します
……。最期に何か…お伝えすることはございますか?」
マチルダが問いかけると、リオンは困ったように眉根を寄せて悩んでいたがやがて口を開く
『自分は…口下手で感情表現が苦手だったからな…。正直なところ、気の利いた言葉が全く見つからないんだが…妻のクロアと息子のバノン、ノアにもし会えたら「…愛している。そして、すまない。」と伝えてくれるだろうか?』
「…承知しました。必ずお伝えします」

 彼の返答を聞き、リオンが安堵の表情を浮かべると案内されるがままに停泊させていた小舟へと乗り込んだ。
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