HAZAMA―未来を映す水鏡―

その後どうやって帰路についたのか。記憶は曖昧だったが、気付くと足はちゃんと自宅にまで到着していたので鍵を開けて中に入る。
指輪の入った小箱は机に置いて、仕事着はそのままに知覚のソファーへ倒れ込む

 時々ベッド代わりとしても愛用しているだけあるので、ほどよく弾力のある感触が疲れ切った身体を包んでくれるので、今まで堪えていた分の深いため息を吐いて脱力した。
「…っ。俺は…」
祖父や顔も覚えていない父親の苦悩、そして、ミクリアの思いも知ってしまったからこそ…ここから先。自分はどうすれば良いのかが逆に分からなくなってしまっていた
(二人ともが一族の在り方について悩んでいたなんて…)

 元々厳格で寡黙な仕事人間。といったイメージしか無かった存在であった祖父アーネスト。
自分の前でそんな素振りも見せた事もなければ、彼が人知れず悩んでミクリアに相談していたことも何一つ知らなかった…。掟やルールを厳守する事に関しては誰よりも守る人だとばかり思っていたので尚更だ。 どちらを選ぶことが正解なのかも判らないクイズを出され、そのせいで袋小路に迷い込んでいる自分自身に対し、無性に自嘲的な笑みが浮かんできた。

「は、ははは…どうしたらた良いんだよ俺は…。一体どうしたら…」

 乾いた笑いを浮かべながら問いかけたところで、誰からも返答があるはずもなく、静まりかえった室内に響くのは無機質に時を刻む秒針だけだった。
もし仮に…仮にだ。自分が指輪の継承を放棄して、“普通の人”として生きる道を選んだとしてもミクリアはきっと自分を責めないだろう…寧ろ「これからは自分のためだけに生きて良いんだよ」と言ってくれるだろう…
だがそれは叶いもしない完全に自分のワガママだ。
「今まで散々色んな人の記憶を引き継いで魂を見送った側の奴が…今更、“普通”として生きることなんて、許されるわけ無いじゃないか…」
そう呟くとマチルダは目を閉じた。

(今日はもう疲れた…)

もう何も考えたくなかった。
このまま眠りについて、また明日考えれば良いだろうと投げ出そうとしたのだが、やはり机の上に放置したままの指輪が気になり、のろのろと起き上がり小箱を手に取って中を取り出すと、天井の照明にかざす様に眺めた。
「……」
 こうやって見ると細かい傷が多く刻まれているので、自分から見て遠い代の者が何回も代替わりしながら継承していた物だと思うと感慨深いものがあるし、何より自分が今この指輪をこうやって手にしていることすら未だに信じられなかった…。だが何度目を閉じようがこれは紛れもない現実。いつまでも中途半端な立場のままではいられないのも事実。

マチルダはしばらく無言のまま指輪を見つめ続けていたがやがて決心する。
(俺には…今更普通に生きる道なんて残ってない。赦されてないんだ)

悩んだ末に彼が出した答えは、一族の指輪を継承すること。

手に持っていた指輪を、左手の薬指へと嵌めたのだった。
指輪を嵌めたと同時に、指輪の宝石から一気に眩しいほどの光があふれ出したかと思うと、辺り一帯が真っ白な光に包まれた
「うわ…っ!!?」
 あまりの眩しさに思わず身を屈めながらぎゅっと目を閉じていたが、やがて光が収まったので恐る恐る目を開けると、先ほどまで居たはずの室内ではなく何故か真っ白な空間に佇んでいた。
「?どこだここ…」
一体何が起きたのか分からずキョロキョロと周囲を見回していたのだが、次は足元から一気に水が溢れ出した
「な、何だよコレ…っ!!」
逃げどす間もなく水は増えていき、瞬く間に彼の身体を覆いつくしてしまう。 だが不思議と息苦しさはなく寧ろ懐かしさを感じる感覚もあったが、そちらに意識を向ける余裕も無いので必死に水中から出ようと藻掻くのだが…身体はその意思に反してどんどん沈んでいく一方だ。

(このままじゃ溺れる…っ!!)

そう思いながらも必死に抗っていると、急に様々な映像が視界に飛び込んできた。
よく見るとそれは今まで自分が御霊流しをしていた相手の記憶の断片…。老若男女問わず様々な人の記憶が映像として、四方八方に映し出されるさまは、さながら記憶の海と称するべきだろうか?
だが、あまりの情報量に、マチルダの頭がそれらを処理できず激しい頭痛を引き起こしてしまう。

「ぁ…っ!うぁぁあああっ!!!」
頭が割れんばかりの頭痛に耐え切れず、マチルダは意識が遠のき始める。だが、彼が意識を手放す瞬間。確かに声を聴いたのだった

『あぁ…ようやく目覚められる』

何故かとても懐かしく感じる声。
『貴様の引き継いだ記憶、中々に面白いではないか』
その言葉を最後に、マチルダの意識は完全に深い闇へと落ちていったのだった。
14/21ページ