幼児編
次の日、目が覚めると、私は手のひらを見た。一つ一つの指が短くて、空恐ろしい。ぎこちなくも動くそれは間違いなく自分の手で、私の体だ。夢ではないのだろうかと、幾度と無く思っていた事を懲りずに思い馳せて、私はベッドから起き上がった。勢いづいて体が余計に前へ倒れる。膝裏の筋を痛くした。
「鈴」
名を呼ぶと、彼はすぐにドアから顔を出す。鈴は人型に化けていた。
「少し気分が悪いか」
「まあね」
鈴が、私の詳しく言った内容を忠実に守ってくれたなら、私は今三歳児だ。それも、十八年間の記憶を抱えたまま、私は幼児化した。
「朝食を食べるか」
「ん」
「動きづらいだろう。私があなたを運ぶ」
彼の言うとおり、この体はどうも動かしにくい。三歳といったら、ある程度自由に体を動かせる年のはずだろうに。
「そう、じゃあ、よろしく」
鈴は私の体を持ち上げると、部屋から出てリビングへ足を運ぶ。いつ用意したのか知りもしない、座面の高い、子供用の椅子へと私を下ろした。向かいに鈴が座る。鈴はこちらに腕を伸ばしたかと思うと、宙に伏せた手を右から左へゆっくりと振った。テーブルの上には、皿に盛られたリゾットが現れる。手前には丁寧にも、いつの間にかスプーンが置いてあった。
「食べていい」
私はスプーンへ手を伸ばす。伸ばした手は強くテーブルに当たり、目的のスプーンを弾いて鳴らした。慎重に腕を動かし、今度こそスプーンへ辿り着く。手のひらを広げ掴もうとするが、思いの外、指が上に伸び曲がり、それでも、やっとスプーンを掴み取った。
「大変か」
そう言って席を立った鈴は、テーブルを回ってこちらへ来ると、手からするりとスプーンを抜いて持った。
「何するの」
「私が変わりに食べ物を掬う」
「いい」
言えば、鈴はスプーンを再び私の手のひらへ納める。彼は大人しく席に着き、私が食べるのに躍起になっている間、私を見守るばかりだった。
こうして私の日々が始まった。
この体は、どうも、自分の体だといった実感が湧かない。姿見に自分を映してみれば、そこにはちゃんと、昔、写真で見かけた少女がいる。見覚えのある姿に身を宿しているのだと納得できても、その時代の自分を覚えている訳で無く、懐かしさの欠片も無い。満足に動かないこの体は、気味悪いだけだ。
昨日、鈴が話しておいてくれた事を思い出す。鈴は幼児の体に戻るにあたって、説明をしてくれていた。時空操作で私の体を幼児時代まで逆戻りさせ、洗脳によって現在の記憶を植えつければ可能だ、という風に、簡潔に事を説明し、人の人格は殆ど記憶で成り立っている事を詳しく解説し、洗脳の段階で間違いを起こさない事を約束した。その話を聞いたとき、正直少し怯んだが、他に人生やり直しの方法も思いつかないので、素直に私は、解説と約束に安心した事にして身を任せた。親切にも、幼児化への注意事項でさえ鈴は説明した。情緒不安定になりやすい事、脳が酷く活発になる事、今回の場合、急激な変化に脳が追いつかないという事まで。
想像するに、私は今、十八歳の姿を想定しながら、この小さい体を動かそうとしているのだった。この体になって、自分が今まで、無自覚にだが予測しながら体を動かしていたのだと気付かされた。私の持つこの脳は、十八歳の私を濃く記憶しているから、いくら今の私が三歳児だと言い聞かせたところで、その記憶された経験を元に動こうとしている。だから、余分な動きをしたり、思わぬ動きをしたりして、私を度々驚かせる。
早くこの小さな体に慣れる為にも、私はトレーニングを始めた。立って歩くことすらままならなかったため、情けない事に「ハイハイ」からだ。最初、そのハイハイでさえ、私は大いにバランスを崩しまくった。腕が前に出すぎたり、逆に出し足りなかったり、足を振り上げすぎて床に膝を打った事もあった。それでも、流石子供と言えるのか、それはあくまでも最初だけで、お昼前にはハイハイをマスターしてしまっていた。
昼食には鈴の出した雑炊を食べる。スプーンは朝食の時よりも扱えるようになっていた。食後に、今度は立って歩く練習をしようと意気込んでたが、急激な眠気が私を襲う。
「脳が活発になっている副作用だ。寝た方がいい」
寝る前に、私はトイレへ行きたくなった。ハイハイが出来るようになり、自分でトイレの場所まで行けたとしても、トイレの便座に座るまで、今の私には身長が足りていない。だからといって、オマルを使うのはもっての他だ。鈴には踏み台と子供用便座を出してもらい、動きなれない体ながら、事は解決する。
まだ十分に立つ事も出来ないので、洗面台の高さまで鈴に持ち上げてもらって、手を洗った。そのまま抱きかかえられたままベッドへ運んでもらい、昼寝をする。寝付くまで、鈴は気を利かせて、どこから出したのか、本を読んでくれた。背表紙に描かれていたタイトルは、「幼児の発達」だった。
ふと目覚めると、隣には猫の姿で鈴がいて、今は三時頃だと知らせてくれた。寝る前に行ったばかりだというのに、起きてすぐ私はトイレへ向かった。
今度こそ立って歩く練習を始める。目覚めて間もないが、体がひどく軽かった。立とうとして転び、歩こうとして転ぶので、鈴に手を引いてもらいながら、あんよが上手、あんよが上手と、自分で歌い、足をひたすら動かす。途中、鈴がおやつにビスケットを出してくれたので、休憩がてらにそれを食べた。転びそうになれば、鈴は念力で手助けをするので、それならばと、慣れてきたところで手を放してもらい、転ぶ度に補助してもらった。鈴のお陰で転ぶ痛さを知る事無く、日が沈む頃には自由に歩けるようになった。
「今日はありがとう」
夕食を食べながら、私は素直に礼を言う。今日一日だけで、彼は十分私に尽くしてくれていた。
「まさか、今日一日だけでここまで自由に動けるようになるとは思わなかった」
スプーンを扱う指先はまだぎこちないけれど、朝の自分を思い返してみれば、歩けるようにまでなったのは驚異だ。
「あれだけ繰り返し同じ行動をしていれば、あなたならすぐ身につけられる」
鈴の言葉に、寝付けるために読んでもらった本を思い出す。その本によれば、幼児は三歳までには走れるようになり、階段の上り下りを一人で出来るぐらいにもなるらしい。この体に慣れさえすれば、元出来ていた事が出来るという事だ。それでも、トイレや洗面所、今座っている椅子のように、身長で動きが制限される程度はあるだろう。お風呂は、鈴に浴槽を変形してもらい、一人でも不自由無く入れた。
次の日には走れるようになり、また次の日には片足でバランスをとれる程になった。スプーンを扱うのに困らなくなった段階で、鈴に箸を用意してもらい、それも間もなく使えるようになる。手先をもっと器用にするために、絵を描いたり、はさみを使って切り絵を作ったり、鈴にエレクトーンを出してもらって「猫踏んじゃった」を弾いたり等して、好き勝手やった。一週間以上が過ぎ、それらが満足に楽しめるようになった頃、もう私は不便しなかった。そうなれるまで、鈴は惜しみなく私を援助してくれたのだった。
気を良くした私は、欲張りになっていた。
「ね、ね。鈴って、ここまで体を変化させる事が出来るって事は、体を作り変える事も出来るの」
「ああ」
私は喜んで、長年の夢を述べた。
「じゃあ、試しに視力4.0にしてみて」
言って、すぐだった。目がかっとして、衝撃が頭にまで響き、私はよろけそうになる。咄嗟に体は支えられ、私は鈴の手を借りて立ち直そうと体を振り起こす。人型をしていた鈴の顔を見てみれば、髪一本一本の生え際や肌のきめ細かい様子、彼の目の虹彩の動きまではっきり見え、私は感嘆する。
「この視力には、体の時より早く慣れるだろう」
そう言った鈴の唇の皺まで、私の目には鮮明に映った。
「ベランダ連れてって」
「御意」
鈴に抱きかかえられ、ガラス戸から外に出て、私は思わず声を漏らした。こちらに来て、いつもちらちらと窓から覗いていた光景のはずなのに、見覚えのない光景がそこにあった。こちらに迫り来るかのような、迫力があった。うんと遠いビルだって、双眼鏡等のレンズを通して見ているわけでもないのに、窓の形や掘り込まれた壁の溝までよく見える。遠くに飛んでいる鳥の数さえ、難なく数えられるのだ。
しばらく感動していたが、ある事に気付く。
「なんか、最初見たときより、……階数、下がってる?」
今自分が子供の体をしているからなのか、けれど、私は今鈴に抱えられている。それにしては目線が以前より低かった。
「ここは1994年だ。自然にするため、階数を十階ほど下げた」
「え?1994?」
1994年と言えば、私が四歳の年だ。
「1993年じゃなくて?」
「ああ」
「なんで?」
「あなたがこちらの世界に来た時、この世界は2011年だった。あなたの体だけが十五年若返るのは不自然だったので、世界ごと十五年前へ戻した」
もう彼との会話にも慣れ、面倒なのでそれで納得しようと思ったが、どうも引っかかる。
「なんで2011年?」
私はテニスの王子様に、近未来でも求めていたのだろうか。それにしても、未来にしては近すぎる。
「あなたは大抵、夢小説でキャラクターと同じ年だった。そして、良く読まれていたのは中学三学年のキャラクターだ。それにあなたを当てはめるとすると、不二周介が二月二十九日に誕生出来ないので、彼の誕生の可能な年となった」
「それだと、ちゃんと閏年に……?ああ、そうか。1992年の二月二十九日ね」
「ああ」
「って事は、私、ここでは生まれが1991年なのか」
「ああ」
それでは弟の生まれた年だ。
「って事は、弟は1993年生まれ?」
「ああ」
「で、この世界の皆は事故死して、あれ、祖父母の老衰は?」
「後十年間に死ぬ予定だ。実在はしてないが、事実上、今は生きている事になっている」
「あんたはなんで私の親権勝ち取れたの」
「経済面が問題なく、血も繋がっている事にした。名乗り出れば、そうなる」
「そう。なんだか、若返るだけじゃないんだね」
状況を飲み込むまでには時間が掛かった。取り合えず、鈴は私の言い付けを守るために、秩序からはみ出ない程度に事を収めてくれていたようだ。
ベランダから部屋の中へ戻り、鈴に床へ下ろしてもらった。視線は低くなったが、こんなにも細々と見通せる目を持てた事へ、私は笑った。
「鈴」
名を呼ぶと、彼はすぐにドアから顔を出す。鈴は人型に化けていた。
「少し気分が悪いか」
「まあね」
鈴が、私の詳しく言った内容を忠実に守ってくれたなら、私は今三歳児だ。それも、十八年間の記憶を抱えたまま、私は幼児化した。
「朝食を食べるか」
「ん」
「動きづらいだろう。私があなたを運ぶ」
彼の言うとおり、この体はどうも動かしにくい。三歳といったら、ある程度自由に体を動かせる年のはずだろうに。
「そう、じゃあ、よろしく」
鈴は私の体を持ち上げると、部屋から出てリビングへ足を運ぶ。いつ用意したのか知りもしない、座面の高い、子供用の椅子へと私を下ろした。向かいに鈴が座る。鈴はこちらに腕を伸ばしたかと思うと、宙に伏せた手を右から左へゆっくりと振った。テーブルの上には、皿に盛られたリゾットが現れる。手前には丁寧にも、いつの間にかスプーンが置いてあった。
「食べていい」
私はスプーンへ手を伸ばす。伸ばした手は強くテーブルに当たり、目的のスプーンを弾いて鳴らした。慎重に腕を動かし、今度こそスプーンへ辿り着く。手のひらを広げ掴もうとするが、思いの外、指が上に伸び曲がり、それでも、やっとスプーンを掴み取った。
「大変か」
そう言って席を立った鈴は、テーブルを回ってこちらへ来ると、手からするりとスプーンを抜いて持った。
「何するの」
「私が変わりに食べ物を掬う」
「いい」
言えば、鈴はスプーンを再び私の手のひらへ納める。彼は大人しく席に着き、私が食べるのに躍起になっている間、私を見守るばかりだった。
こうして私の日々が始まった。
この体は、どうも、自分の体だといった実感が湧かない。姿見に自分を映してみれば、そこにはちゃんと、昔、写真で見かけた少女がいる。見覚えのある姿に身を宿しているのだと納得できても、その時代の自分を覚えている訳で無く、懐かしさの欠片も無い。満足に動かないこの体は、気味悪いだけだ。
昨日、鈴が話しておいてくれた事を思い出す。鈴は幼児の体に戻るにあたって、説明をしてくれていた。時空操作で私の体を幼児時代まで逆戻りさせ、洗脳によって現在の記憶を植えつければ可能だ、という風に、簡潔に事を説明し、人の人格は殆ど記憶で成り立っている事を詳しく解説し、洗脳の段階で間違いを起こさない事を約束した。その話を聞いたとき、正直少し怯んだが、他に人生やり直しの方法も思いつかないので、素直に私は、解説と約束に安心した事にして身を任せた。親切にも、幼児化への注意事項でさえ鈴は説明した。情緒不安定になりやすい事、脳が酷く活発になる事、今回の場合、急激な変化に脳が追いつかないという事まで。
想像するに、私は今、十八歳の姿を想定しながら、この小さい体を動かそうとしているのだった。この体になって、自分が今まで、無自覚にだが予測しながら体を動かしていたのだと気付かされた。私の持つこの脳は、十八歳の私を濃く記憶しているから、いくら今の私が三歳児だと言い聞かせたところで、その記憶された経験を元に動こうとしている。だから、余分な動きをしたり、思わぬ動きをしたりして、私を度々驚かせる。
早くこの小さな体に慣れる為にも、私はトレーニングを始めた。立って歩くことすらままならなかったため、情けない事に「ハイハイ」からだ。最初、そのハイハイでさえ、私は大いにバランスを崩しまくった。腕が前に出すぎたり、逆に出し足りなかったり、足を振り上げすぎて床に膝を打った事もあった。それでも、流石子供と言えるのか、それはあくまでも最初だけで、お昼前にはハイハイをマスターしてしまっていた。
昼食には鈴の出した雑炊を食べる。スプーンは朝食の時よりも扱えるようになっていた。食後に、今度は立って歩く練習をしようと意気込んでたが、急激な眠気が私を襲う。
「脳が活発になっている副作用だ。寝た方がいい」
寝る前に、私はトイレへ行きたくなった。ハイハイが出来るようになり、自分でトイレの場所まで行けたとしても、トイレの便座に座るまで、今の私には身長が足りていない。だからといって、オマルを使うのはもっての他だ。鈴には踏み台と子供用便座を出してもらい、動きなれない体ながら、事は解決する。
まだ十分に立つ事も出来ないので、洗面台の高さまで鈴に持ち上げてもらって、手を洗った。そのまま抱きかかえられたままベッドへ運んでもらい、昼寝をする。寝付くまで、鈴は気を利かせて、どこから出したのか、本を読んでくれた。背表紙に描かれていたタイトルは、「幼児の発達」だった。
ふと目覚めると、隣には猫の姿で鈴がいて、今は三時頃だと知らせてくれた。寝る前に行ったばかりだというのに、起きてすぐ私はトイレへ向かった。
今度こそ立って歩く練習を始める。目覚めて間もないが、体がひどく軽かった。立とうとして転び、歩こうとして転ぶので、鈴に手を引いてもらいながら、あんよが上手、あんよが上手と、自分で歌い、足をひたすら動かす。途中、鈴がおやつにビスケットを出してくれたので、休憩がてらにそれを食べた。転びそうになれば、鈴は念力で手助けをするので、それならばと、慣れてきたところで手を放してもらい、転ぶ度に補助してもらった。鈴のお陰で転ぶ痛さを知る事無く、日が沈む頃には自由に歩けるようになった。
「今日はありがとう」
夕食を食べながら、私は素直に礼を言う。今日一日だけで、彼は十分私に尽くしてくれていた。
「まさか、今日一日だけでここまで自由に動けるようになるとは思わなかった」
スプーンを扱う指先はまだぎこちないけれど、朝の自分を思い返してみれば、歩けるようにまでなったのは驚異だ。
「あれだけ繰り返し同じ行動をしていれば、あなたならすぐ身につけられる」
鈴の言葉に、寝付けるために読んでもらった本を思い出す。その本によれば、幼児は三歳までには走れるようになり、階段の上り下りを一人で出来るぐらいにもなるらしい。この体に慣れさえすれば、元出来ていた事が出来るという事だ。それでも、トイレや洗面所、今座っている椅子のように、身長で動きが制限される程度はあるだろう。お風呂は、鈴に浴槽を変形してもらい、一人でも不自由無く入れた。
次の日には走れるようになり、また次の日には片足でバランスをとれる程になった。スプーンを扱うのに困らなくなった段階で、鈴に箸を用意してもらい、それも間もなく使えるようになる。手先をもっと器用にするために、絵を描いたり、はさみを使って切り絵を作ったり、鈴にエレクトーンを出してもらって「猫踏んじゃった」を弾いたり等して、好き勝手やった。一週間以上が過ぎ、それらが満足に楽しめるようになった頃、もう私は不便しなかった。そうなれるまで、鈴は惜しみなく私を援助してくれたのだった。
気を良くした私は、欲張りになっていた。
「ね、ね。鈴って、ここまで体を変化させる事が出来るって事は、体を作り変える事も出来るの」
「ああ」
私は喜んで、長年の夢を述べた。
「じゃあ、試しに視力4.0にしてみて」
言って、すぐだった。目がかっとして、衝撃が頭にまで響き、私はよろけそうになる。咄嗟に体は支えられ、私は鈴の手を借りて立ち直そうと体を振り起こす。人型をしていた鈴の顔を見てみれば、髪一本一本の生え際や肌のきめ細かい様子、彼の目の虹彩の動きまではっきり見え、私は感嘆する。
「この視力には、体の時より早く慣れるだろう」
そう言った鈴の唇の皺まで、私の目には鮮明に映った。
「ベランダ連れてって」
「御意」
鈴に抱きかかえられ、ガラス戸から外に出て、私は思わず声を漏らした。こちらに来て、いつもちらちらと窓から覗いていた光景のはずなのに、見覚えのない光景がそこにあった。こちらに迫り来るかのような、迫力があった。うんと遠いビルだって、双眼鏡等のレンズを通して見ているわけでもないのに、窓の形や掘り込まれた壁の溝までよく見える。遠くに飛んでいる鳥の数さえ、難なく数えられるのだ。
しばらく感動していたが、ある事に気付く。
「なんか、最初見たときより、……階数、下がってる?」
今自分が子供の体をしているからなのか、けれど、私は今鈴に抱えられている。それにしては目線が以前より低かった。
「ここは1994年だ。自然にするため、階数を十階ほど下げた」
「え?1994?」
1994年と言えば、私が四歳の年だ。
「1993年じゃなくて?」
「ああ」
「なんで?」
「あなたがこちらの世界に来た時、この世界は2011年だった。あなたの体だけが十五年若返るのは不自然だったので、世界ごと十五年前へ戻した」
もう彼との会話にも慣れ、面倒なのでそれで納得しようと思ったが、どうも引っかかる。
「なんで2011年?」
私はテニスの王子様に、近未来でも求めていたのだろうか。それにしても、未来にしては近すぎる。
「あなたは大抵、夢小説でキャラクターと同じ年だった。そして、良く読まれていたのは中学三学年のキャラクターだ。それにあなたを当てはめるとすると、不二周介が二月二十九日に誕生出来ないので、彼の誕生の可能な年となった」
「それだと、ちゃんと閏年に……?ああ、そうか。1992年の二月二十九日ね」
「ああ」
「って事は、私、ここでは生まれが1991年なのか」
「ああ」
それでは弟の生まれた年だ。
「って事は、弟は1993年生まれ?」
「ああ」
「で、この世界の皆は事故死して、あれ、祖父母の老衰は?」
「後十年間に死ぬ予定だ。実在はしてないが、事実上、今は生きている事になっている」
「あんたはなんで私の親権勝ち取れたの」
「経済面が問題なく、血も繋がっている事にした。名乗り出れば、そうなる」
「そう。なんだか、若返るだけじゃないんだね」
状況を飲み込むまでには時間が掛かった。取り合えず、鈴は私の言い付けを守るために、秩序からはみ出ない程度に事を収めてくれていたようだ。
ベランダから部屋の中へ戻り、鈴に床へ下ろしてもらった。視線は低くなったが、こんなにも細々と見通せる目を持てた事へ、私は笑った。