「遊び半分のハッキングの代償は大きかった」
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ポアロという喫茶店が溜まり場になったのは高校に入学してすぐのことだった。そこそこ安くて普通に美味しいご飯と、カフェで一休みっていうちょっと背伸びしたい気持ちにぴったりの良い香りのコーヒー。マスターも店員さんも優しくて居心地が良かった。そこにもうひとつ楽しみが加わったのは少し前のこと。
「ねえ聞いた?あむぴ彼女いるんだって」
あむぴ。誰が呼び出したかはしらないけど、私たちの中ではいつの間にかその呼び方が定着していた。かれぴ的な。実際の私の彼氏はあんまりいい顔しなかったけど、あれで結構いい年のあむぴが私みたいな子供を本気で相手にするはずがない。先生との禁断の恋も年上とのロマンスも所詮はお話の世界、普通の女子高生には普通の男子高生か、背伸びしても大学生くらいがちょうどいいのだ。少し苦いコーヒーをひとくち飲む。この苦味の美味しさはまだわからない。ちょっとだけ背伸びをしてシュガーも何もいれないでみたけど、私にはブラックコーヒーはまだ早すぎるみたい。
「そりゃいるでしょ。あの顔だよ?」
「いやまあそうなんだけどさ。それでその人、常連の人らしいんだよね」
「えー、じゃあ見たことある人?あむぴの彼女なんだから絶対美人だよね」
「それがそうでもないっぽいんだよね。なんか普通だったって、見た子が言ってた」
今日のポアロは梓さんとマスターの二人がカウンターに立っている。ああしてるとお父さんと娘って感じ。店内はカウンター中心に仕事帰りっぽいスーツ姿の人がちらほらといて、そこそこ賑わっている。別のテーブル席には私たちみたいに部活帰りっぽい高校生のグループ。友人はまだ見ぬ「あむぴの彼女」についてああでもないこうでもないと喋りつづけていた。ストローから口を離す。からん、と氷が鳴った。
「……普通じゃないと思うよ」
***
その人はこう言ったらなんだけど平凡な人だった。窓際のテーブル席か、もしくは店の奥の角の席にいるのを何度か見かけたことがある。薄化粧で服もシンプル、不細工と言うわけじゃないけど特別美人なわけでもなくて、ダサくはないけどお洒落でもない服を着てて、本当に普通の人だった。どこにでもいそうな女の人。あの人があむぴの彼女らしいよ、って話もそんなに信じてなかった。いやいや常連の女の人ってだけで彼女説出るならあむぴの彼女候補何人いるのよって話じゃん、って。でもその人を覚えていたのは特別だったから。彼女自身が、というか、彼女を見る目がたぶんそうだった。
それは確か土曜日のお昼前で、私は一人でポアロにいた。塾の時間には少し早すぎて小腹も空いていて。ポアロには私ともう一人しかお客さんはいなかった。窓際の二人用のテーブル席に腰を下ろした女の人だ。何してる人かは知らないけどたまにポアロで見かける、たぶん常連の人。その時の私の認識はそれでしかなかった。
「はい、お待たせしました」
そう言って安室さんが持って行ったのはクリームたっぷりシフォンケーキとカフェオレ、それからミニサラダ。でもなぜかその女の人はちょっと不満そうな顔をしている。
「……サラダ頼んでないんだけど」
「野菜も食べないとですよ。あなた家じゃずっとレトルトとインスタントでしょう。ここでくらい新鮮な野菜も食べないと」
「サプリ飲んでるから平気」
「だからサプリもいいけど食べ物から摂るのが一番いいんですよ?……まったく、世話の焼ける」
そう言って笑った安室さんの顔はいつもと違っていた。見たことない、なんか子供のような、でも大人のような不思議な顔。ちょっと呆れたようにくしゃっと笑って、ちょっと意地悪っぽい笑顔。だけど目だけは愛おしそうにその人を見ていた。それで気づいた。ああ、この人は特別なんだ、って。女の人は不満そうな顔をしながらもサラダに手を伸ばした。
と、ふとこちらを振り向いた安室さんと視線が合った。にこりと笑って口元に人差し指を一本立てる。唇だけが動いた。
「ないしょ、ですよ」
見間違えじゃないならたぶんそう言っていた。
その日のお会計は安室さんがやってくれた。お釣りと一緒に袋に入ったクッキーを手のひらに乗せられて、ぱちっとウインク。イケメンは何をやっても決まるのだからすごい。私の彼氏が仮にそんな仕草をしてもきゅんと来るかと言われると疑問である。これは愛情の問題ではなく根本的に顔の問題である。つまり浮気ではないノーカン。……でもさっきの表情は、あの女の人に向けてた顔はイケメンだからとかお洒落だからとか、そういう話じゃない気がした。
「なにこれ、口止め料的な?」
「そんな感じです。……彼女、ちょっと恥ずかしがり屋なんです。内緒にしておいてもらえます?」
「……あむぴが言うならいーよ。でもさ、ちょっとびっくり」
「え、何がですか?」
「あむぴもさ、普通の男の子みたいな顔するんだね」
「男の子って……僕これでも結構いい年なんですよ?」
「なんかね、うん、クラスの男子みたいな顔してたよ。意地悪っぽいの」
それだけ言って踵を返す。ポアロのからんというベルの音を背に歩き出して、私はちょっぴり不思議な、失恋とも何とも言えないような感情を噛みしめていた。例えるならそう、そこそこ好きなイケメン俳優が結婚したとかそういう感じの。特別ってああいう感じのこと言うんだなあっていう、ちょっとだけ目から鱗が落ちたような不思議な感覚と一緒に。
***
「えー、見たことあるの?どんな人?」
「……いや、なんか聞いただけ。デザイナーらしいよ。前に毛利さんが言ってた。なんか色々やっててすごい人らしいって」
「デザイナー?へえ、そうなんだー」
「それで食べてけるって普通に売れっ子だよねー。もしかしてあむぴヒモ?」
「いやあの顔と性格ならヒモでいいわ。あたし将来バリバリ仕事して顔が良くて料理上手のヒモ飼うわ」
友達の笑い声を聞きながら、恋とか愛とか、とくべつってああいう関係のことをいうのかな、と私はぼんやり考えた。今の彼氏は私をあんな愛おしそうな目で見ないし、私だってそう。好きとか愛してるとか、一生懸命言葉にしてはみるけど変に上滑りしてしまう。ストローを咥えると水っぽいコーヒーの味がした。大人になったらコーヒーの苦さを美味しく思えるのかなあ、なんて思ったりして。
「ねえ聞いた?あむぴ彼女いるんだって」
あむぴ。誰が呼び出したかはしらないけど、私たちの中ではいつの間にかその呼び方が定着していた。かれぴ的な。実際の私の彼氏はあんまりいい顔しなかったけど、あれで結構いい年のあむぴが私みたいな子供を本気で相手にするはずがない。先生との禁断の恋も年上とのロマンスも所詮はお話の世界、普通の女子高生には普通の男子高生か、背伸びしても大学生くらいがちょうどいいのだ。少し苦いコーヒーをひとくち飲む。この苦味の美味しさはまだわからない。ちょっとだけ背伸びをしてシュガーも何もいれないでみたけど、私にはブラックコーヒーはまだ早すぎるみたい。
「そりゃいるでしょ。あの顔だよ?」
「いやまあそうなんだけどさ。それでその人、常連の人らしいんだよね」
「えー、じゃあ見たことある人?あむぴの彼女なんだから絶対美人だよね」
「それがそうでもないっぽいんだよね。なんか普通だったって、見た子が言ってた」
今日のポアロは梓さんとマスターの二人がカウンターに立っている。ああしてるとお父さんと娘って感じ。店内はカウンター中心に仕事帰りっぽいスーツ姿の人がちらほらといて、そこそこ賑わっている。別のテーブル席には私たちみたいに部活帰りっぽい高校生のグループ。友人はまだ見ぬ「あむぴの彼女」についてああでもないこうでもないと喋りつづけていた。ストローから口を離す。からん、と氷が鳴った。
「……普通じゃないと思うよ」
***
その人はこう言ったらなんだけど平凡な人だった。窓際のテーブル席か、もしくは店の奥の角の席にいるのを何度か見かけたことがある。薄化粧で服もシンプル、不細工と言うわけじゃないけど特別美人なわけでもなくて、ダサくはないけどお洒落でもない服を着てて、本当に普通の人だった。どこにでもいそうな女の人。あの人があむぴの彼女らしいよ、って話もそんなに信じてなかった。いやいや常連の女の人ってだけで彼女説出るならあむぴの彼女候補何人いるのよって話じゃん、って。でもその人を覚えていたのは特別だったから。彼女自身が、というか、彼女を見る目がたぶんそうだった。
それは確か土曜日のお昼前で、私は一人でポアロにいた。塾の時間には少し早すぎて小腹も空いていて。ポアロには私ともう一人しかお客さんはいなかった。窓際の二人用のテーブル席に腰を下ろした女の人だ。何してる人かは知らないけどたまにポアロで見かける、たぶん常連の人。その時の私の認識はそれでしかなかった。
「はい、お待たせしました」
そう言って安室さんが持って行ったのはクリームたっぷりシフォンケーキとカフェオレ、それからミニサラダ。でもなぜかその女の人はちょっと不満そうな顔をしている。
「……サラダ頼んでないんだけど」
「野菜も食べないとですよ。あなた家じゃずっとレトルトとインスタントでしょう。ここでくらい新鮮な野菜も食べないと」
「サプリ飲んでるから平気」
「だからサプリもいいけど食べ物から摂るのが一番いいんですよ?……まったく、世話の焼ける」
そう言って笑った安室さんの顔はいつもと違っていた。見たことない、なんか子供のような、でも大人のような不思議な顔。ちょっと呆れたようにくしゃっと笑って、ちょっと意地悪っぽい笑顔。だけど目だけは愛おしそうにその人を見ていた。それで気づいた。ああ、この人は特別なんだ、って。女の人は不満そうな顔をしながらもサラダに手を伸ばした。
と、ふとこちらを振り向いた安室さんと視線が合った。にこりと笑って口元に人差し指を一本立てる。唇だけが動いた。
「ないしょ、ですよ」
見間違えじゃないならたぶんそう言っていた。
その日のお会計は安室さんがやってくれた。お釣りと一緒に袋に入ったクッキーを手のひらに乗せられて、ぱちっとウインク。イケメンは何をやっても決まるのだからすごい。私の彼氏が仮にそんな仕草をしてもきゅんと来るかと言われると疑問である。これは愛情の問題ではなく根本的に顔の問題である。つまり浮気ではないノーカン。……でもさっきの表情は、あの女の人に向けてた顔はイケメンだからとかお洒落だからとか、そういう話じゃない気がした。
「なにこれ、口止め料的な?」
「そんな感じです。……彼女、ちょっと恥ずかしがり屋なんです。内緒にしておいてもらえます?」
「……あむぴが言うならいーよ。でもさ、ちょっとびっくり」
「え、何がですか?」
「あむぴもさ、普通の男の子みたいな顔するんだね」
「男の子って……僕これでも結構いい年なんですよ?」
「なんかね、うん、クラスの男子みたいな顔してたよ。意地悪っぽいの」
それだけ言って踵を返す。ポアロのからんというベルの音を背に歩き出して、私はちょっぴり不思議な、失恋とも何とも言えないような感情を噛みしめていた。例えるならそう、そこそこ好きなイケメン俳優が結婚したとかそういう感じの。特別ってああいう感じのこと言うんだなあっていう、ちょっとだけ目から鱗が落ちたような不思議な感覚と一緒に。
***
「えー、見たことあるの?どんな人?」
「……いや、なんか聞いただけ。デザイナーらしいよ。前に毛利さんが言ってた。なんか色々やっててすごい人らしいって」
「デザイナー?へえ、そうなんだー」
「それで食べてけるって普通に売れっ子だよねー。もしかしてあむぴヒモ?」
「いやあの顔と性格ならヒモでいいわ。あたし将来バリバリ仕事して顔が良くて料理上手のヒモ飼うわ」
友達の笑い声を聞きながら、恋とか愛とか、とくべつってああいう関係のことをいうのかな、と私はぼんやり考えた。今の彼氏は私をあんな愛おしそうな目で見ないし、私だってそう。好きとか愛してるとか、一生懸命言葉にしてはみるけど変に上滑りしてしまう。ストローを咥えると水っぽいコーヒーの味がした。大人になったらコーヒーの苦さを美味しく思えるのかなあ、なんて思ったりして。
