「遊び半分のハッキングの代償は大きかった」
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カーテンの隙間から夜明け直前の淡い日差しと夜のネオンの残滓が差し込んでいる。腕の中に抱いていた女がぴくりと体を身じろがせた。互いに少し湿った肌が擦れあう。シーツを少し捲ると沙紀の寝顔。少し汗ばんだ額に前髪が張り付いている。それを指先で払ってやるともごもごと寝言を呟きだした。まともな言葉になっていない、呻き声と昨夜の甘い泣き声の中間のような、そんな声。
――ついにやってしまった。そんな思いがなくもなかったが、まあやってしまったものは仕方ない。互いに大人で同意もあった、そしてきちんとつけるものはつけたのだ、一応は合法であろう。
「……そろそろ起きてくれよ」
前髪を払ったその指で頬を突っつくと、むがあ、と色気のない声。あと一時間と少しもすれば街は目覚めだし、人目も増えることだろう。別に道ならぬ恋をしている二人ではないが、人目につかない方が少なくとも沙紀にとっては良いことが多い。あらゆる意味で。
「ん……あれ……?」
「おはよう」
とりあえず挨拶。そして返事を催促するように唇をつつく。思いのほか柔らかくそのままむにむにと遊んでいると沙紀の目も覚めたらしい。はっと目が見開かれ、そして視線が素早く辺りへと散る。ここがどこなのか、自分の状態、そして。
「うわ……うわ……ほんとマジでうわ……」
シーツを奪って枕に突っ伏した。枕に埋まった口から「有り得ない」「やっちゃった」などとくぐもった声が聞こえてくる。一夜を明かした後にここまで色気のない反応をされるのもなかなか珍しい。
「何が『うわ』なんだよ」
「ワンナイトラブとか柄じゃないしこの年でこれってキツい」
「何を言ってるんですか。僕たち恋人同士じゃないですか、ねえ?」
わざと安室透らしく言ってやると沙紀はシーツの海からひょこりと顔だけを出した。
「……あのさ、別にないんだよね、これ」
そう言って指差したのは自分の耳。すなわち盗聴器の有無、だろう。勿論仕掛けられてもいなければ部屋にないことも沙紀をシャワーを浴びさせている間に確認済みである。
「あったら事には及ばないな」
「……そりゃそっか。うん、まあ降谷くんがそういう趣味じゃなければ」
「聞かれて悦ぶ趣味はないな」
「まあそうだよね。……じゃあなんでしたの」
沙紀がゆっくりと体を起こす。シーツの隙間から太ももの付け根がちらりとのぞく。気づかないのだろう、そのままじっとりと睨むような目をこちらに向けている。
「なんでってそりゃ……したかったから」
「……性欲処理なら他当たってもらっていい?降谷くんの顔ならより取り見取りでしょ」
「別にそういう意味じゃない。俺は……」
「もういいよ。私だって同意したし、そういうことだし。ちゃんとつけてくれたし。お互い大人だし」
だから忘れる、とでもいうような口ぶりに少しだけ苛立ちが募る。けれどそんな逃げ道を提示して、いや提示したふりで同意に持ち込んだのは自分だ。だからそこに苛立つのはお門違い、分かっているが分かった顔できるのなら沙紀とこの行為に及んではいないだろう。
「言っておくが俺は嘘は言ってないからな」
「……そう。それで、別に、まあ」
「好きで抱きたかった」
「……それはさ、その言葉はさ」
誰の言葉?そう続くのだろう問いはそこでふっつりと切れた。代わりなのだろうか、シーツを手繰り寄せ胸元でぎゅっと握りしめる。
「というか服返してよ」
「服ならそこに置いておきましたよ。あなたが寝てる間に」
「……どうも。着替えるからあっち向いててよ」
「別に昨日さんざん……あ、痛」
「別に痛くないでしょ、降谷くんなら」
「筋力と体力は人並み以上と思ってるが痛覚は人と変わらないんだけどな」
「うるさい。あっち向いてて」
これ以上怒らせても仕方ないだろう。大人しく壁の方を向いているとごそごそと服を着る物音がして、それからいいよ、と許可が下りた。後ろを向くと当然と言えば当然だが、昨日の服を身に着けた沙紀がいた。鞄からポーチを取り出して軽く化粧をしているようだ。
「別に家に帰るだけなのに」
「落ち着かないの。目だけちゃちゃっとやって、あとマスクするし」
睫毛を軽くあげてマスカラを塗る。小さなパレットを開いてパウダーをチップに取り瞼の際に乗せる。その工程をじっと見ているとまた睨まれた。
「目ぱっちりの降谷くんにはわからない悩みだろうけどさあ」
「別にいいのに。というか俺には平気ですっぴん見せるのに道行く男には化粧して見せるのか」
「何彼氏ぶってるの。私、降谷くんの彼女になった覚えはないし」
そう拗ねた振りをしてみても沙紀の態度はつれないまま。降谷とてさほど若くもないので化粧した顔を見せる女よりも素顔を見せてくれる女の方がよほど近しい関係であることを知っている。――まあ、逆に意識されていない場合もあるだろうが。
「……じゃあもう帰ろ。人目につかない方がいいでしょ。組織関係もだけど降谷くんだって知り合いに見られて協力者に手出したって思われるのはよくないだろうし」
ポーチを閉めてバッグに戻し、何事もなかったように沙紀は立ち上がる。と、その一方で服の一枚も着ていない降谷に気づき軽く眉を顰めた。
「はいはい、今着るよ」
「五分で準備してよね」
「三分で準備するよ」
そう言うと沙紀は軽く首を竦めた。調子いいんだから、と色ひとつ乗せていないその唇が動いた気がした。昨晩散々むさぼったそれは少しだけいつもよりもぽってりとして見えた。
***
チェックアウトを済ませ、夜明けの道を二人並んで歩き出す。こういうときでも女性は割合きちんと身だしなみを整えていることが多いが、男は自分も含めて適当なものである。ややだらしなく空いた胸元のボタンに寝癖、少し眠たげな顔。そのアンバランスさが昨晩の情事の空気の名残を感じさせてほんの少し色っぽい、なんて言ったら沙紀は笑うだろうか。それとも顔を真っ赤にして怒るだろうか。
「……というか駐車場まるっきり逆」
「酔ってましたからね、気づかないかと」
「……最初から?」
「さて、どうでしょう?」
安室透の顔で笑ってみせると沙紀はぷいと視線を逸らした。降谷零はほんの少しだけ安堵もしていた。沙紀が頷かなかったことに。沙紀がそのままこちらに落ちてこなかったことに。簡単に落ちてくる相手じゃないと分かっているから及べた行為であったけれど。
今の降谷零に恋人がいてはいけない。けれど沙紀を手に入れてしまいたいのもまた事実。その現実と感情の間を探って手にしたのが「安室透の恋人のふり」である。沙紀はそれを分かっているのか分かっていないのか、それとも考えないようにしているのか。降谷零には分からない。けれど拒まれずかといって全面的に受け入れられず。沙紀のあの曖昧さは降谷をも助けていた。本当に主導権を握っているのは沙紀なのだが、沙紀はきっとその事実には気づかない。気づいたとしてもきっと気づかないふりをする。そんなところが愛おしい。そんなところが、きっと降谷の心のどこかに棲みついた。
「……あのスーパー寄りましょうか。朝市で仕入れた野菜、出てるはずですよ」
「……バターロールの食べたい。トマトとサラダチキンのやつ」
「じゃあコンビニにも寄りましょうか。他にリクエストは?何でも聞きますよ」
「ほんと、調子いいですよね」
「……結局ベッドじゃ聞いてあげられませんでしたしね?」
そう耳元に囁くと沙紀はぺしぺしと脇腹を叩いてきた。その抵抗が妙に可愛らしくてその手を取って指を絡める。手を振りほどこうとする沙紀と捕まえようとする男、自分たちはそこらにあふれる平凡なカップルのように見えていることだろう。そんな時間が、この空間が幸せでたまらない。
少しでも長くこんな時間が続けばよいのに。ずるい男は一人、そう願っていた。いつか終わる時間と知っているから、これはいつか捨てなければならない偽の関係であるのだから。
――ついにやってしまった。そんな思いがなくもなかったが、まあやってしまったものは仕方ない。互いに大人で同意もあった、そしてきちんとつけるものはつけたのだ、一応は合法であろう。
「……そろそろ起きてくれよ」
前髪を払ったその指で頬を突っつくと、むがあ、と色気のない声。あと一時間と少しもすれば街は目覚めだし、人目も増えることだろう。別に道ならぬ恋をしている二人ではないが、人目につかない方が少なくとも沙紀にとっては良いことが多い。あらゆる意味で。
「ん……あれ……?」
「おはよう」
とりあえず挨拶。そして返事を催促するように唇をつつく。思いのほか柔らかくそのままむにむにと遊んでいると沙紀の目も覚めたらしい。はっと目が見開かれ、そして視線が素早く辺りへと散る。ここがどこなのか、自分の状態、そして。
「うわ……うわ……ほんとマジでうわ……」
シーツを奪って枕に突っ伏した。枕に埋まった口から「有り得ない」「やっちゃった」などとくぐもった声が聞こえてくる。一夜を明かした後にここまで色気のない反応をされるのもなかなか珍しい。
「何が『うわ』なんだよ」
「ワンナイトラブとか柄じゃないしこの年でこれってキツい」
「何を言ってるんですか。僕たち恋人同士じゃないですか、ねえ?」
わざと安室透らしく言ってやると沙紀はシーツの海からひょこりと顔だけを出した。
「……あのさ、別にないんだよね、これ」
そう言って指差したのは自分の耳。すなわち盗聴器の有無、だろう。勿論仕掛けられてもいなければ部屋にないことも沙紀をシャワーを浴びさせている間に確認済みである。
「あったら事には及ばないな」
「……そりゃそっか。うん、まあ降谷くんがそういう趣味じゃなければ」
「聞かれて悦ぶ趣味はないな」
「まあそうだよね。……じゃあなんでしたの」
沙紀がゆっくりと体を起こす。シーツの隙間から太ももの付け根がちらりとのぞく。気づかないのだろう、そのままじっとりと睨むような目をこちらに向けている。
「なんでってそりゃ……したかったから」
「……性欲処理なら他当たってもらっていい?降谷くんの顔ならより取り見取りでしょ」
「別にそういう意味じゃない。俺は……」
「もういいよ。私だって同意したし、そういうことだし。ちゃんとつけてくれたし。お互い大人だし」
だから忘れる、とでもいうような口ぶりに少しだけ苛立ちが募る。けれどそんな逃げ道を提示して、いや提示したふりで同意に持ち込んだのは自分だ。だからそこに苛立つのはお門違い、分かっているが分かった顔できるのなら沙紀とこの行為に及んではいないだろう。
「言っておくが俺は嘘は言ってないからな」
「……そう。それで、別に、まあ」
「好きで抱きたかった」
「……それはさ、その言葉はさ」
誰の言葉?そう続くのだろう問いはそこでふっつりと切れた。代わりなのだろうか、シーツを手繰り寄せ胸元でぎゅっと握りしめる。
「というか服返してよ」
「服ならそこに置いておきましたよ。あなたが寝てる間に」
「……どうも。着替えるからあっち向いててよ」
「別に昨日さんざん……あ、痛」
「別に痛くないでしょ、降谷くんなら」
「筋力と体力は人並み以上と思ってるが痛覚は人と変わらないんだけどな」
「うるさい。あっち向いてて」
これ以上怒らせても仕方ないだろう。大人しく壁の方を向いているとごそごそと服を着る物音がして、それからいいよ、と許可が下りた。後ろを向くと当然と言えば当然だが、昨日の服を身に着けた沙紀がいた。鞄からポーチを取り出して軽く化粧をしているようだ。
「別に家に帰るだけなのに」
「落ち着かないの。目だけちゃちゃっとやって、あとマスクするし」
睫毛を軽くあげてマスカラを塗る。小さなパレットを開いてパウダーをチップに取り瞼の際に乗せる。その工程をじっと見ているとまた睨まれた。
「目ぱっちりの降谷くんにはわからない悩みだろうけどさあ」
「別にいいのに。というか俺には平気ですっぴん見せるのに道行く男には化粧して見せるのか」
「何彼氏ぶってるの。私、降谷くんの彼女になった覚えはないし」
そう拗ねた振りをしてみても沙紀の態度はつれないまま。降谷とてさほど若くもないので化粧した顔を見せる女よりも素顔を見せてくれる女の方がよほど近しい関係であることを知っている。――まあ、逆に意識されていない場合もあるだろうが。
「……じゃあもう帰ろ。人目につかない方がいいでしょ。組織関係もだけど降谷くんだって知り合いに見られて協力者に手出したって思われるのはよくないだろうし」
ポーチを閉めてバッグに戻し、何事もなかったように沙紀は立ち上がる。と、その一方で服の一枚も着ていない降谷に気づき軽く眉を顰めた。
「はいはい、今着るよ」
「五分で準備してよね」
「三分で準備するよ」
そう言うと沙紀は軽く首を竦めた。調子いいんだから、と色ひとつ乗せていないその唇が動いた気がした。昨晩散々むさぼったそれは少しだけいつもよりもぽってりとして見えた。
***
チェックアウトを済ませ、夜明けの道を二人並んで歩き出す。こういうときでも女性は割合きちんと身だしなみを整えていることが多いが、男は自分も含めて適当なものである。ややだらしなく空いた胸元のボタンに寝癖、少し眠たげな顔。そのアンバランスさが昨晩の情事の空気の名残を感じさせてほんの少し色っぽい、なんて言ったら沙紀は笑うだろうか。それとも顔を真っ赤にして怒るだろうか。
「……というか駐車場まるっきり逆」
「酔ってましたからね、気づかないかと」
「……最初から?」
「さて、どうでしょう?」
安室透の顔で笑ってみせると沙紀はぷいと視線を逸らした。降谷零はほんの少しだけ安堵もしていた。沙紀が頷かなかったことに。沙紀がそのままこちらに落ちてこなかったことに。簡単に落ちてくる相手じゃないと分かっているから及べた行為であったけれど。
今の降谷零に恋人がいてはいけない。けれど沙紀を手に入れてしまいたいのもまた事実。その現実と感情の間を探って手にしたのが「安室透の恋人のふり」である。沙紀はそれを分かっているのか分かっていないのか、それとも考えないようにしているのか。降谷零には分からない。けれど拒まれずかといって全面的に受け入れられず。沙紀のあの曖昧さは降谷をも助けていた。本当に主導権を握っているのは沙紀なのだが、沙紀はきっとその事実には気づかない。気づいたとしてもきっと気づかないふりをする。そんなところが愛おしい。そんなところが、きっと降谷の心のどこかに棲みついた。
「……あのスーパー寄りましょうか。朝市で仕入れた野菜、出てるはずですよ」
「……バターロールの食べたい。トマトとサラダチキンのやつ」
「じゃあコンビニにも寄りましょうか。他にリクエストは?何でも聞きますよ」
「ほんと、調子いいですよね」
「……結局ベッドじゃ聞いてあげられませんでしたしね?」
そう耳元に囁くと沙紀はぺしぺしと脇腹を叩いてきた。その抵抗が妙に可愛らしくてその手を取って指を絡める。手を振りほどこうとする沙紀と捕まえようとする男、自分たちはそこらにあふれる平凡なカップルのように見えていることだろう。そんな時間が、この空間が幸せでたまらない。
少しでも長くこんな時間が続けばよいのに。ずるい男は一人、そう願っていた。いつか終わる時間と知っているから、これはいつか捨てなければならない偽の関係であるのだから。
