「遊び半分のハッキングの代償は大きかった」
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ポアロの窓ガラスに雨粒が打ちつけられている。ひどい雨のようだ。先程コナンくんがすぐ横の階段を駆け上がっていくのが見えた。傘を持って行かなかったのだろう。ここに来たときにはまだ晴れていたから急な雨だった。こつん、と音がして、テーブルにコーヒーカップがひとつ置かれる。顔を上げると降谷くんが安室さんの顔でにこりと微笑んでいた。今日は夕方までですし送っていきますよ、少し待っていてくださいね。そんなことを言われたのはつい五分前のこと。
「……少しデートしてから帰りましょうよ。ね?」
降谷くんは最近そんなことを言う。いつからだっけ、そう、あの子、コナンくんに詰め寄られて誤魔化すために「僕の彼女なんです」なんて嘘を重ねた頃から。本当は組織の人とかポアロの常連さんとか、見られたら面倒そうだなあとは思う。私自身、そんなに外出が好きな方じゃない。むしろ引きこもりたい。でも外でそんなことを言える訳もない。もしかしなくてもこれはそれすら計算に入れた言葉なのだろうか。
梓さんが女子高生たちとちらちらこっちを見ている。恋の話が気になるお年頃ってやつだろうか。よく考えなくても梓さんはあっち側だ。対してこちとらアラサーである。紫外線に晒されることなくこの数年を生きてきたおかげで肌年齢は年の割には若いようだけれどアラサーだ。
「……少し、なら」
頷くと降谷くんは、じゃなくて安室さんはにっこり笑った。梓さんと女子高生が店の奥できゃっきゃしてるのがちらりと見えた。降谷くんはただでさえ顔立ちが若いのに、笑うと本当に幼く見える。どう見てもそれはアラサーの笑顔じゃない。なんだか横歩きたくないなあ、色んな意味で。そんな言えるはずもない本音を隠しつつ、私はコーヒーを一口飲んだ。砂糖もミルクもぴったり、私の好みの濃さだった。
「えー、なんか安室さんほんと幸せカップルって感じですね!」
「でも彼女、照れ屋さんなんでデートもなかなかオーケー貰えないんですよ。よかった、今日が雨で」
――白々しい。でもそういえばポアロ以外で外食なんて久しぶりかもしれない。そう思えば少しだけ楽しみでもあった。
***
そして降谷くんが私を連れてきたのはごく普通の、言うなれば私たちくらいの年齢の会社員がちょっぴり背伸びをしてくるような居酒屋だった。席同士は軽く仕切られている半個室で今流行りのSNS映え文化を意識したのだろう、お皿にはお洒落にデザインされた店舗名が入っているらしい。降谷くんが車を置いてくる間に二人と言って席をとっておく。程なく店に入ってきた降谷くんの髪は少し湿っていた。
「お待たせしました。ちょっと駐車場が遠くて」
そう言って爽やかな笑顔は安室さんのそれ。胡散臭いって思うのは私が降谷くんを知っているからだろうか。
「……安室さん今日車だし、お酒は」
「ええ。でもここのレモンサワーは美味しいそうですから、遠慮せずどうぞ」
レモンサワーとウーロン茶を一つ。私の返事も聞かずに降谷くんはそう注文した。お通しの冷奴を摘まみながら私はそれを見送る。お酒は強くもなければ弱くもない。サワー数杯くらいなら出る前にお冷の一杯も飲めば帰りに支障はない。まあ今日は降谷くんが送って行ってくれるから心配はないのだけど、そこはこう、大人として酒に飲まれる訳にもいかないのだ。
「たまには良いでしょう?こういうの」
「……ええ、まあ」
向かいに座った降谷くんはニコニコ笑ってこっちを見ている。お勧めのレモンサワーを飲んでると軟骨揚げが運ばれてきた。揚げたてさくさくで美味しそう。少し距離があったので皿の縁に指を掛けると、そこに降谷くんが指を絡めてきた。邪魔、と呟いても離す気はないようだ。なんだこれ、バカップルのやり取りみたいじゃないか。
「少しは僕にも構ってくださいよ。……確かにここのご飯は美味しいですけど」
「……食べ終わってからで。美味しいものは美味しいうちに食べるべきです」
レモンサワーは実際美味しいので氷が融ける前に飲みたい。軟骨揚げは衣がさくさくのうちに、冷奴は冷たいうちに。普段の食生活は褒められたものじゃないけど、別に美味しいものに興味がない訳じゃない。むしろ好きだ。ただ面倒くささが勝つだけで。降谷くんはちょっと溜息をついた。
「わかりました。食べ終わってから、ですよね」
そう言って安室さんの顔でにっこり笑ってみせて絡む指先を解いた。それでもほんの少し彼の体温が残っているような気がして、冷たいグラスを持っても指先の熱は暫く消えなかった。
***
少し車は遠くに止めているんです、安室さんはそう言った。少し火照った頬を夜風が少し冷ましてくれてるようだった。雨はすっかり上がっていて、濡れたアスファルトの匂いがふわりと漂い、雨の残り香が肌にまとわりつく。店から出てすぐに安室さんはついと指先を絡めてきた。少し乾いたような男の人の手。冷たいような温かいような体温がぬるく絡みついた。
「……手」
「食べ終わったし、今度は僕にも構ってくれるんですよね?」
恋人のフリ。偽の戸籍、偽の身分。それの補強材料として用意されたモノ。偽の設定。安室透を、そして私をそれらしく見せるための架空の関係。家の扉に一歩踏み出せばそれはおしまい、公安警察降谷零とその協力者に戻るだけ。どうしてか、今はそのたった一歩がはるか遠くに感じられた。
「まだ夜は長い。……少し寄り道しましょうか」
そう言って安室さんは離した手をするりと私の腰に回した。とん、と体が当たり思わず身を引きそうになったのをしっかりと支えられる。
「――大丈夫ですか?酔っぱらっちゃったかな」
そう言って覗きこむ瞳はネオンのライトが映り込んでいて、その奥に灰青色が艶々と光っている。――火照った頬はきっとアルコールのせい。腰に添えられた手がゆっくり脇腹を撫で上げる感触が生々しくて、背筋にぞくりと何かが走る。耳元に、まるで恋人同士の戯れのように彼はキスを落として囁く。
「外では安室透の恋人、なんでしょう?」
ホテルのネオンがやたら眩しかった。煌びやかなその光の一つに吸い込まれるようにして私たちはドアを潜り抜けた。
恋人のフリって何もそこまでしなくたって。私の文句は唇に当てられた指先一つで封じられた。その夜は安室さんが、降谷くんが言った通り、確かに長かった。
「……少しデートしてから帰りましょうよ。ね?」
降谷くんは最近そんなことを言う。いつからだっけ、そう、あの子、コナンくんに詰め寄られて誤魔化すために「僕の彼女なんです」なんて嘘を重ねた頃から。本当は組織の人とかポアロの常連さんとか、見られたら面倒そうだなあとは思う。私自身、そんなに外出が好きな方じゃない。むしろ引きこもりたい。でも外でそんなことを言える訳もない。もしかしなくてもこれはそれすら計算に入れた言葉なのだろうか。
梓さんが女子高生たちとちらちらこっちを見ている。恋の話が気になるお年頃ってやつだろうか。よく考えなくても梓さんはあっち側だ。対してこちとらアラサーである。紫外線に晒されることなくこの数年を生きてきたおかげで肌年齢は年の割には若いようだけれどアラサーだ。
「……少し、なら」
頷くと降谷くんは、じゃなくて安室さんはにっこり笑った。梓さんと女子高生が店の奥できゃっきゃしてるのがちらりと見えた。降谷くんはただでさえ顔立ちが若いのに、笑うと本当に幼く見える。どう見てもそれはアラサーの笑顔じゃない。なんだか横歩きたくないなあ、色んな意味で。そんな言えるはずもない本音を隠しつつ、私はコーヒーを一口飲んだ。砂糖もミルクもぴったり、私の好みの濃さだった。
「えー、なんか安室さんほんと幸せカップルって感じですね!」
「でも彼女、照れ屋さんなんでデートもなかなかオーケー貰えないんですよ。よかった、今日が雨で」
――白々しい。でもそういえばポアロ以外で外食なんて久しぶりかもしれない。そう思えば少しだけ楽しみでもあった。
***
そして降谷くんが私を連れてきたのはごく普通の、言うなれば私たちくらいの年齢の会社員がちょっぴり背伸びをしてくるような居酒屋だった。席同士は軽く仕切られている半個室で今流行りのSNS映え文化を意識したのだろう、お皿にはお洒落にデザインされた店舗名が入っているらしい。降谷くんが車を置いてくる間に二人と言って席をとっておく。程なく店に入ってきた降谷くんの髪は少し湿っていた。
「お待たせしました。ちょっと駐車場が遠くて」
そう言って爽やかな笑顔は安室さんのそれ。胡散臭いって思うのは私が降谷くんを知っているからだろうか。
「……安室さん今日車だし、お酒は」
「ええ。でもここのレモンサワーは美味しいそうですから、遠慮せずどうぞ」
レモンサワーとウーロン茶を一つ。私の返事も聞かずに降谷くんはそう注文した。お通しの冷奴を摘まみながら私はそれを見送る。お酒は強くもなければ弱くもない。サワー数杯くらいなら出る前にお冷の一杯も飲めば帰りに支障はない。まあ今日は降谷くんが送って行ってくれるから心配はないのだけど、そこはこう、大人として酒に飲まれる訳にもいかないのだ。
「たまには良いでしょう?こういうの」
「……ええ、まあ」
向かいに座った降谷くんはニコニコ笑ってこっちを見ている。お勧めのレモンサワーを飲んでると軟骨揚げが運ばれてきた。揚げたてさくさくで美味しそう。少し距離があったので皿の縁に指を掛けると、そこに降谷くんが指を絡めてきた。邪魔、と呟いても離す気はないようだ。なんだこれ、バカップルのやり取りみたいじゃないか。
「少しは僕にも構ってくださいよ。……確かにここのご飯は美味しいですけど」
「……食べ終わってからで。美味しいものは美味しいうちに食べるべきです」
レモンサワーは実際美味しいので氷が融ける前に飲みたい。軟骨揚げは衣がさくさくのうちに、冷奴は冷たいうちに。普段の食生活は褒められたものじゃないけど、別に美味しいものに興味がない訳じゃない。むしろ好きだ。ただ面倒くささが勝つだけで。降谷くんはちょっと溜息をついた。
「わかりました。食べ終わってから、ですよね」
そう言って安室さんの顔でにっこり笑ってみせて絡む指先を解いた。それでもほんの少し彼の体温が残っているような気がして、冷たいグラスを持っても指先の熱は暫く消えなかった。
***
少し車は遠くに止めているんです、安室さんはそう言った。少し火照った頬を夜風が少し冷ましてくれてるようだった。雨はすっかり上がっていて、濡れたアスファルトの匂いがふわりと漂い、雨の残り香が肌にまとわりつく。店から出てすぐに安室さんはついと指先を絡めてきた。少し乾いたような男の人の手。冷たいような温かいような体温がぬるく絡みついた。
「……手」
「食べ終わったし、今度は僕にも構ってくれるんですよね?」
恋人のフリ。偽の戸籍、偽の身分。それの補強材料として用意されたモノ。偽の設定。安室透を、そして私をそれらしく見せるための架空の関係。家の扉に一歩踏み出せばそれはおしまい、公安警察降谷零とその協力者に戻るだけ。どうしてか、今はそのたった一歩がはるか遠くに感じられた。
「まだ夜は長い。……少し寄り道しましょうか」
そう言って安室さんは離した手をするりと私の腰に回した。とん、と体が当たり思わず身を引きそうになったのをしっかりと支えられる。
「――大丈夫ですか?酔っぱらっちゃったかな」
そう言って覗きこむ瞳はネオンのライトが映り込んでいて、その奥に灰青色が艶々と光っている。――火照った頬はきっとアルコールのせい。腰に添えられた手がゆっくり脇腹を撫で上げる感触が生々しくて、背筋にぞくりと何かが走る。耳元に、まるで恋人同士の戯れのように彼はキスを落として囁く。
「外では安室透の恋人、なんでしょう?」
ホテルのネオンがやたら眩しかった。煌びやかなその光の一つに吸い込まれるようにして私たちはドアを潜り抜けた。
恋人のフリって何もそこまでしなくたって。私の文句は唇に当てられた指先一つで封じられた。その夜は安室さんが、降谷くんが言った通り、確かに長かった。
