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仕事から帰宅すると嫁がソファで寝落ちていた。
「……起きろよー」
頬を突いても唇を摘まんでも起きる気配がない。よほど疲れていたのだろう。思えばここ数日沙紀に回していた作業は以前の数倍近く、いくら優秀なハッカーといえど沙紀の体力は一般人以下である。これも致し方あるまい。テーブルの上には頼んでいた資料のリストと冷めきったココアが置いてあった。どうにか作業を終えて一服、そう思ったところで寝落ちたか。
隣に腰を下ろすと深い寝息が聞こえてくる。安心しきった顔ですやすやと眠っていて、普段ならここで事に及んで後になってぎゃんぎゃんと文句を言われるのだけど。
「まあいっか……」
座ってしまうとどうにもそこから立ち上がりたくなくなる。洗剤もボディソープも同じものを使う沙紀からは自分と似た匂いがしていて、どうにもこうにも気が抜けてしまう。随分ほだされたな、と内心苦笑しつつ、眠る沙紀を自分の上着で包んでやる。ブランケットを取りに行く気力もまして沙紀をベッドまで運ぶ気力もない。そのまま沙紀を抱きこんでソファの背もたれを倒して横になる。すっぽりと自分の上着に包まれた沙紀はもごもごと口を動かし、気持ちよさそうに寝入っている。その唇に触れるだけのキスを落とす。
「……おやすみ」
仕事の話も着替えも風呂も明日の朝にしよう。電気を消すのすら面倒くさい。こんな自堕落生活、少し前の自分が目にしたらひっくり返ることだろう。でもそんな生活が結構幸せでこんなのにも心地よいものだなんて。
「しあわせだあ……」
すっかりゆるんだ顔で降谷零は目を瞑った。
***
目が覚めたら私を抱き枕に夫がソファで寝落ちていた。
――いや正確には爆睡する私を見兼ねてミイラ取りが何とやら、だろう。少し顔を上げるとびっくりするほど端正な寝顔。さらさらの前髪は少し伸びていて目にかかっている。手を伸ばしてそっと払うとぴくりと瞼が動いた。でも目は覚まさない。ちょっとは安心してくれてるのかなあ、なんて思う。気の抜けない生活を続けていた人だから、この場所が少しは安心して眠れる場所だというのならこんなに嬉しいことはない。単に疲れが溜まってただけかもしれないけど。
目の前の首元に細いチェーンがかかっているのを見つけて、そっと摘まんで引き出してみる。その先には予想通り(これ以外のがついてても困るけど)シンプルな結婚指輪。私の付けているものと同じデザインで一回り大振りなもの。たまにはつけて、あの約束通りたまにだけどつけてくれているそれ。目にするたびに心の奥がくすぐったくて、こういう気持ちを幸せって呼ぶんだろうかと思う。
そうやって喉元や顔にぺたぺた触っているとさすがに瞼がぴくぴくと引き攣り、やがて目を開いた。何度見ても本当に綺麗な目だと思う。色もそうだけど透明感があって、はっと吸い込まれるよう。
「おかえり、零くん」
「……ただいま……今何時……?」
無理やり首を回して時計を見ると午前一時を指していた。作業がひと段落ついたのは確か十一時過ぎだったからあれから二時間くらいだろうか。その間に零くんが帰宅して仲良く寝落ちた、というわけか。
「あと四時間は寝れるか……」
「明日も早いの?……もう今日か」
「早い……午前中に会議で、午後は捜査……五時には起きる」
「遅くなる?」
「わからない……早く帰りたい……」
勤務体制ブラック過ぎだろとも思うけど、帰る、という言葉がその口から出たことに少し驚いて、でもほんのり嬉しくもなる。この人に帰る場所が、安心できる場所があること、そしてそれがこの部屋だということが。
「早く帰れそうなら零くんの好きなもの作って待ってる」
「……料理、すんの?」
「するよ。……そりゃ零くんほどじゃないけど」
「でも心配だから……家にいて」
「はいはい、ネットスーパーで食材頼むから」
「ならいい……」
そう言って満足そうに零くんはすりすりと私の頭を抱え込む。ほわっと暖かくてまた眠く……いやいや。
「零くん、ベッド行こ」
「お前からベッドに誘うのとか初めてだな……」
「じゃなくて、体痛めるよ?もうぼちぼちいい年なんだから」
「まだ二十代……」
「あと一年で仲良く三十代だ、諦めてちゃんとしたとこで寝なさい」
体が資本のこの人には衣食住ちゃんとしてもらわないと困る。……さすがにいつ殺されるかというハラハラ感からは離れたけど、でもいつ過労死するかというハラハラ感はあんまり味わいたくない。命がけの潜入捜査から無事に帰還して過労死ってなんだそれってもなるし。
「そうやって、すーぐオッサン扱いする」
「してないから。ほら、行くよ」
なだめすかしてなんとかベッドまで移動してもらう。この人を無理やりベッドに連れて行くのは腕力的に不可能だ。その逆はさんざんやられているわけだけど。別に筋力がほしいと思ったことはないけどこういうときだけは零くんレベルの腕力と体力がほんのちょっと欲しくなる。ふわふわと頭を揺らす零くんをベッドに座らせ、ネックレスや腕時計を外させてベッドサイドのテーブルに置く。いつも完璧で堂々としてる零くんにこうやってお世話焼くのってなんだか新鮮で、おっさん扱いどころかむしろ弟みたいで可愛くて仕方なくなる。
「ほら、せめてネクタイと靴下くらいは脱ごうね」
「……なんかえろい、それ」
「はいはい」
「ねえ、一回だけ……」
「とりあえず洗濯物片付けるからね、ほら横になって」
「……戻ってきたら抱く、ぜったい抱くからな……」
そうは言っても私には確信があった。たぶんだけど私が靴下とシャツを洗濯機に放り込んで上着やズボンを掛けている間に零くんは寝落ちする。あのとろとろな喋りからして横になって三十秒で寝落ちすると見た。それすら自覚できてない零くん、ちょっとお疲れモードが過ぎて可愛すぎる。
そうっと戻ってくると予想通り広いベッドで手足を伸ばしてすやすやと眠る零くんがいた。ただでさえ童顔なのに寝顔はさらに幼くて無性に愛おしい。その横に滑り込む。昼間仮眠したとはいえ私も眠たかった。それにこの人の匂いはなんだか安心する。
「……おやすみ」
普通の、本当に普通の生活。「うちの旦那帰ると脱ぎ散らかして寝ちゃうのよ」みたいなよくある愚痴も、この人のたまの行動だから愛おしい。蜂蜜を煮詰めて蕩けたバターを垂らしたような、そんな甘ったるい生活はただただ幸せで。
翌朝憮然とした顔で目覚ましを止めた零くんは、まだベッドで寝ぼけている私に向かって言った。
「……絶対に今日は早く帰るからな」
「はいはい」
「絶対抱くから」
「分かったよ、行ってらっしゃい……私は寝る」
「……資料ありがとな。助かる」
その横顔は紛れもなく公安のエースのもので、本当に格好いいなあ、と眺めるのだった。可愛いも格好いいも詰め込んだこの人は本当に素敵な人だなあ、と、そんなことを思いながら私は目を瞑った。
「……起きろよー」
頬を突いても唇を摘まんでも起きる気配がない。よほど疲れていたのだろう。思えばここ数日沙紀に回していた作業は以前の数倍近く、いくら優秀なハッカーといえど沙紀の体力は一般人以下である。これも致し方あるまい。テーブルの上には頼んでいた資料のリストと冷めきったココアが置いてあった。どうにか作業を終えて一服、そう思ったところで寝落ちたか。
隣に腰を下ろすと深い寝息が聞こえてくる。安心しきった顔ですやすやと眠っていて、普段ならここで事に及んで後になってぎゃんぎゃんと文句を言われるのだけど。
「まあいっか……」
座ってしまうとどうにもそこから立ち上がりたくなくなる。洗剤もボディソープも同じものを使う沙紀からは自分と似た匂いがしていて、どうにもこうにも気が抜けてしまう。随分ほだされたな、と内心苦笑しつつ、眠る沙紀を自分の上着で包んでやる。ブランケットを取りに行く気力もまして沙紀をベッドまで運ぶ気力もない。そのまま沙紀を抱きこんでソファの背もたれを倒して横になる。すっぽりと自分の上着に包まれた沙紀はもごもごと口を動かし、気持ちよさそうに寝入っている。その唇に触れるだけのキスを落とす。
「……おやすみ」
仕事の話も着替えも風呂も明日の朝にしよう。電気を消すのすら面倒くさい。こんな自堕落生活、少し前の自分が目にしたらひっくり返ることだろう。でもそんな生活が結構幸せでこんなのにも心地よいものだなんて。
「しあわせだあ……」
すっかりゆるんだ顔で降谷零は目を瞑った。
***
目が覚めたら私を抱き枕に夫がソファで寝落ちていた。
――いや正確には爆睡する私を見兼ねてミイラ取りが何とやら、だろう。少し顔を上げるとびっくりするほど端正な寝顔。さらさらの前髪は少し伸びていて目にかかっている。手を伸ばしてそっと払うとぴくりと瞼が動いた。でも目は覚まさない。ちょっとは安心してくれてるのかなあ、なんて思う。気の抜けない生活を続けていた人だから、この場所が少しは安心して眠れる場所だというのならこんなに嬉しいことはない。単に疲れが溜まってただけかもしれないけど。
目の前の首元に細いチェーンがかかっているのを見つけて、そっと摘まんで引き出してみる。その先には予想通り(これ以外のがついてても困るけど)シンプルな結婚指輪。私の付けているものと同じデザインで一回り大振りなもの。たまにはつけて、あの約束通りたまにだけどつけてくれているそれ。目にするたびに心の奥がくすぐったくて、こういう気持ちを幸せって呼ぶんだろうかと思う。
そうやって喉元や顔にぺたぺた触っているとさすがに瞼がぴくぴくと引き攣り、やがて目を開いた。何度見ても本当に綺麗な目だと思う。色もそうだけど透明感があって、はっと吸い込まれるよう。
「おかえり、零くん」
「……ただいま……今何時……?」
無理やり首を回して時計を見ると午前一時を指していた。作業がひと段落ついたのは確か十一時過ぎだったからあれから二時間くらいだろうか。その間に零くんが帰宅して仲良く寝落ちた、というわけか。
「あと四時間は寝れるか……」
「明日も早いの?……もう今日か」
「早い……午前中に会議で、午後は捜査……五時には起きる」
「遅くなる?」
「わからない……早く帰りたい……」
勤務体制ブラック過ぎだろとも思うけど、帰る、という言葉がその口から出たことに少し驚いて、でもほんのり嬉しくもなる。この人に帰る場所が、安心できる場所があること、そしてそれがこの部屋だということが。
「早く帰れそうなら零くんの好きなもの作って待ってる」
「……料理、すんの?」
「するよ。……そりゃ零くんほどじゃないけど」
「でも心配だから……家にいて」
「はいはい、ネットスーパーで食材頼むから」
「ならいい……」
そう言って満足そうに零くんはすりすりと私の頭を抱え込む。ほわっと暖かくてまた眠く……いやいや。
「零くん、ベッド行こ」
「お前からベッドに誘うのとか初めてだな……」
「じゃなくて、体痛めるよ?もうぼちぼちいい年なんだから」
「まだ二十代……」
「あと一年で仲良く三十代だ、諦めてちゃんとしたとこで寝なさい」
体が資本のこの人には衣食住ちゃんとしてもらわないと困る。……さすがにいつ殺されるかというハラハラ感からは離れたけど、でもいつ過労死するかというハラハラ感はあんまり味わいたくない。命がけの潜入捜査から無事に帰還して過労死ってなんだそれってもなるし。
「そうやって、すーぐオッサン扱いする」
「してないから。ほら、行くよ」
なだめすかしてなんとかベッドまで移動してもらう。この人を無理やりベッドに連れて行くのは腕力的に不可能だ。その逆はさんざんやられているわけだけど。別に筋力がほしいと思ったことはないけどこういうときだけは零くんレベルの腕力と体力がほんのちょっと欲しくなる。ふわふわと頭を揺らす零くんをベッドに座らせ、ネックレスや腕時計を外させてベッドサイドのテーブルに置く。いつも完璧で堂々としてる零くんにこうやってお世話焼くのってなんだか新鮮で、おっさん扱いどころかむしろ弟みたいで可愛くて仕方なくなる。
「ほら、せめてネクタイと靴下くらいは脱ごうね」
「……なんかえろい、それ」
「はいはい」
「ねえ、一回だけ……」
「とりあえず洗濯物片付けるからね、ほら横になって」
「……戻ってきたら抱く、ぜったい抱くからな……」
そうは言っても私には確信があった。たぶんだけど私が靴下とシャツを洗濯機に放り込んで上着やズボンを掛けている間に零くんは寝落ちする。あのとろとろな喋りからして横になって三十秒で寝落ちすると見た。それすら自覚できてない零くん、ちょっとお疲れモードが過ぎて可愛すぎる。
そうっと戻ってくると予想通り広いベッドで手足を伸ばしてすやすやと眠る零くんがいた。ただでさえ童顔なのに寝顔はさらに幼くて無性に愛おしい。その横に滑り込む。昼間仮眠したとはいえ私も眠たかった。それにこの人の匂いはなんだか安心する。
「……おやすみ」
普通の、本当に普通の生活。「うちの旦那帰ると脱ぎ散らかして寝ちゃうのよ」みたいなよくある愚痴も、この人のたまの行動だから愛おしい。蜂蜜を煮詰めて蕩けたバターを垂らしたような、そんな甘ったるい生活はただただ幸せで。
翌朝憮然とした顔で目覚ましを止めた零くんは、まだベッドで寝ぼけている私に向かって言った。
「……絶対に今日は早く帰るからな」
「はいはい」
「絶対抱くから」
「分かったよ、行ってらっしゃい……私は寝る」
「……資料ありがとな。助かる」
その横顔は紛れもなく公安のエースのもので、本当に格好いいなあ、と眺めるのだった。可愛いも格好いいも詰め込んだこの人は本当に素敵な人だなあ、と、そんなことを思いながら私は目を瞑った。
