同級生と殺人事件
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靄がかかったようにぼんやりしていた頭がだんだんはっきりしてくる。額に触れてる手からはなんだか安心する匂いがした。
「ふる……」
無意識のうちに言いかけて気づく。いやここ外だ。無理やり唇を動かす。
「フルーツタルト食べ損ねた……」
「……今度僕が作りますよ。ここのほどじゃないかもしれませんけど、あなたの好みに合わせますから」
「……その様子じゃ沙紀さん大丈夫そうだね。よかった」
……本当に呼ばなくて良かった。コナンくんもいたらしい。でも代わりに何か大事なものを失った気がする。こう、とんでもなく食い意地が張った女だと思われただろう。ゆっくりと体を起こす。降谷くんがほとんど抱き起こしてくれたけど。そうしてたぶん店の人が作ってくれただろう間仕切りの向こう側に出る。こんなことがあったのでお客さんは私たちも含めてみんな足止めを食っているらしい。毛利先生や蘭ちゃんたちもいた。コナンくんがちょんと私の袖を引いた。
「……沙紀さん、刑事さんが話を聞きたいんだって」
目の前には髭を生やした男性。――なんとなく知ってる空気に近いものをまとってる。
「目暮と申します。お体の具合が悪いところ申し訳ありませんが、少々お話伺えますかな?」
刑事さんだ。でも私が知ってる刑事さんたちとは少し違う。それもそうだ、彼らは公安刑事、そしてこの人はたぶん捜査一課の刑事さん。ドラマで見たことがある。殺人事件とかの捜査をする人だ。たぶん私が被害者の近くにいたからだろう。でも事件の直前はコナンくんとのお喋りという名の駆け引きに集中していて何も気づけなかったから大して話せることもない……けど。促されて刑事さんたちの前のソファに座る。ずっと支えていてくれた降谷くんもその隣に。そうして目暮さんは私にビニール袋に入った小瓶を見せた。
「店内からこれが発見されました」
「これ……?」
「うん。ボクたちがたまたま見つけたんだ」
「鑑識に成分を調べさせたところ、神経性の毒物が検出されました。ちなみに見覚えは?」
首を横に振る。じゃああの人は毒殺、なのだろうか。まあ泡吹いて倒れるってことはそうだろう。持病でもない限り。
「食事中一度お手洗いに立たれていますね?あなたの背後でお食事をされていた方がそう証言されていましたが」
「あ、はい。デザートの少し前だったと思います」
「その後安室さんは入口付近でお知り合いの方と少し話をしていた。その間は……」
「ボクとお話ししてたんだよ。ね?お姉さん」
「そうです。コナンくんが来て、ちょっとお喋りを」
「そして被害者の方が倒れた、と」
「はい。ちょっとびっくりしちゃって……人が倒れて、それであんなになるから……」
一瞬脳裏にあの光景が蘇る。と、肩に回った降谷くんの腕がきゅっと私を抱き寄せた。落ち着かせるように肩を擦ってくれる。その仕草に少しずつ鼓動が落ち着いていく。
「差支えなければ持ち物を拝見させて頂いてもよろしいですかな?」
「……どうぞ」
荷物は最小限に絞れ。降谷くんの助言がこれほど有り難かったこともない。見るからにアレなものはいれてないし、身分証だって一応ちゃんと持っている。目暮さんの後ろにいた女性の刑事さんにバッグを渡す。彼女はバッグから財布、メイクポーチと一つずつ取り出して並べていく。そして――。
「スマートフォンとモバイルWiFiの二台持ちですか。それにタブレットまで。随分とこう……」
まあそこだ。まさかハッキング用とは思われないだろうが怪しくはある。でも私が何か言う前に降谷くんが口を開いた。
「……彼女、デザイナーなんですよ。今日は打ち合わせだったんでしたっけ?」
「あ、はい。打ち合わせの帰りに安室さんと合流してここに……」
「なるほど。確かに今時こういったものの方が便利ですからね」
「というかそれ、先方さんから借りたものじゃなかったかい?タブレットとサブのモバイルルーター」
「そ、そうです。万一にも流出は困るからと一式貸し出されて、作業と連絡はそれで行う契約なんです」
「そうでしたか。これは失礼を」
人生初の事情聴取。結構色々聞かれるんだなあ、持ち物検査までするんだなあ、なんて私は暢気に考えていた。厳密に言えば降谷くんによる違法作業オンパレード、留置所ドライブ・オア・デンジャラス協力者ルートの二択強要も事情聴取といえば事情聴取だけど、それは色々例外が過ぎるのでノーカンとして。だから気づかなかった。降谷くんの表情が硬いことにも、コナンくんの顔が険しくなっていくことにも。
「……大変申し訳ないのですが署の方で一度ゆっくりお話を伺えますかな?」
「署……?えっと……あの、私、まさか疑われてるんですか?」
「いえ、そういう訳では。ただ少し事情をお伺いしたくて」
いやいやその程度で署でお話コースできるほど日本の警察は暇じゃない。署でお話、つまりは任意同行ということは証拠の隠滅その他の可能性があり、身柄を押さえておきたいということ。こちとら伊達に違法作業のお手伝いをしている訳ではない。よーく分かっている。そして拒否をしたってあらゆる手を使って同行を求める。公安程えげつないことはしないだろうけど、でも少なくとも拒否をすれば彼らからの心証は悪化する。肩に回った降谷くんの手に力が入る。
「……任意同行、という訳ですか」
「そこまで大したものでは。ただ少しゆっくり話を聞かせてもらう必要があるかと」
「彼女は今こんな状態です。一度家で休ませたいのですが。必要ないでしょう」
「でしたら署の医務室で少し休まれてはいかがですかな?」
降谷くんが私を抱き寄せようとする力が強まる。最初は紳士的に話していた警部さんも降谷くんの態度に明らかに苛立っているのが分かった。即逮捕案件じゃなかったはずのそれがどんどんまずい方向に傾いてるのが私でもわかる。いやいやこれはやばい。息を吸って、吐いて。どうにかこの場を切り抜ければ公安的配慮で上手いこと何とかなる。でも任意同行に応じてしまえば面倒なことになるのは確実。でもここで心証を悪くしたって公安部の方にも迷惑がかかる。そして降谷くんにも――。
「――目暮警部、沙紀さんは犯人じゃないよ。お姉さんがあの人に毒を飲ませるのは不可能だもん」
視線をはっと下ろすとコナンくんが、小さな探偵(ディテクティヴ)さんが立っていた。――何故だろう。彼の言葉には不思議なくらいの安心感があった。目暮警部の後ろにいた若い刑事さんが視線を合わせるようにコナンくんの前に屈みこんだ。
「不可能って、どういうことだい?」
「ねえ高木刑事、毒が検出されたのはスープからだよね?」
「ああ。彼のスープの皿から毒物が検出された。被害者の男性はスープを口にした後電話が入り、一度店の外に出た。戻ってきた後に苦しみだした。摂取量にもよるけどあの毒物はおおむね十分以内に症状が出るそうだ。だから時間も一致する」
「……最初に倒れたの、ほんとにその症状かな?」
小さな少年の言葉にその場の大人全員が聞き入っていた。後から思い返せばまったくもっておかしな話で、でもそのときはぜんぜんおかしくはなかった。不思議なくらいに人を安心させる話しぶり。そして。
「僕見たんだ。……被害者の人が倒れた瞬間。『うっ!』って呻いてお腹を押さえて床に蹲ったんだ。それで一緒に食事をしていた男の人が、テーブルの左側を回って近づいてきた。そっち側には椅子が倒れてたからそれをどかして、『大丈夫か』って声を掛けた」
「ああ、それは確かに防犯カメラに残ってるよ。ちょうどコナンくんたちのいたテーブルの側からの映像なんだけど、君達の背後で男性が倒れる様子が映っている」
「神経毒で倒れたとしたらお腹を押さえるどころじゃない。痙攣や嘔吐、最期は呼吸困難に陥って死に至る。だから最初に倒れたとき、あの人は神経毒を盛られたんじゃない、他のことが理由で倒れたんだよ。それに近づき方も妙だ。だって真っ直ぐ行くならテーブルの右側、防犯カメラに映る側を通った方が近いよね。毒を盛られたのはその後。お姉さんは被害者の男の人が倒れたのを見てびっくりして倒れちゃった。これは皆見てることだし、その後はずっと安室さんが抱えてた。――毒なんて盛る余裕はなかったよ」
他のこと。でも確かにコナンくんの言うことが正しければ倒れ方がおかしいのは本当なのだろう。私を抱えたまま降谷くんが呟いた。
「……彼女が毒を入れたという証拠映像はないんですよね?」
「ちょうど陰になっていまして決定的な場面は……。あの席はちょっと防犯カメラの死角になってるそうなんです」
「それって誰があの席って決めたの?お店の人?それともあのお兄さんたち?」
「あの二人、以前の従業員なんだそうだよ。当時の友人が昇進したとかで一度食事に来てくれとは誘われてたそうで、それなら男二人では気恥ずかしいから目立たない席にしてくれ、と言われてあそこに。料理もせっかくだからとわざわざ本人が運んできたんだってさ」
「そうなんだ。……ねえ、もし最初に倒れたときが神経毒によるものじゃなかったとしたらさ、いつ誰が毒を盛ったのかな?」
男性の最初の倒れ方と神経毒の症状は一致しない。でも私が横を通った時にテーブルにあったスープの皿と店内から見つかった小瓶からは神経毒が検出され、救急隊員からもあれは神経毒の症状、と証言があった。ああ、もう訳が分からない。
肩に回されていた降谷くんの腕がするりと外された。軽く頭をぽんぽんと撫でられ、そして降谷くんが立ち上がり口を開いた。
「――介抱するときに盛った。神経毒を多量に摂取すれば即座に反応が出る」
「だがそうなると――」
「これ、最初から仕組んでいたんでしょう?一人が倒れたフリをし、もう一人が助けに入るフリをする。毒を盛られたフリでもして、この店の関係者に罪を着せる――。わざと倒れた彼に『死なない程度に薄めた、これを飲め』そう言えば飲ませられる。彼の倒れた位置はちょうど防犯カメラの死角ですからね。『倒れた被害者から痕跡など出ては狂言とばれる。こちらで持っておくから』とでも何でも言えばいい。時間もないから被害者も一気に飲むほかない」
「言いがかりだ!あんた自分の女を庇ってそんなこと言ってるんだろう!」
「庇って?そもそも彼女に被害者との面識はない」
「なんでわかるんだよ」
「そもそも彼女は人見知りで滅多なことでは外出しないんです。買い物なんてネットスーパーとネット通販、打ち合わせも極力音声チャットやメールで済ませるし、基本的に人と会わないんです。最近になって僕のバイト先の喫茶店で健康的な食事を摂る習慣が身についてきたくらいで」
……「滅多なことでは外出せず」「基本的に人と会わない」「最近になってやっと外出するように」。いやいやなんだこの駄目人間感。これは庇われているのか貶されているのかわからない。いやまあ安全面考えたら合理的だからとはいえ事実なのだけど、でも。
「あれ……私ってもしかしてすごくダメ人間……?」
「そ、そんなことないです!お仕事に熱中しすぎてるだけで立派な大人ですよ!デザイナーで一人立ちってすごいじゃないですか!」
思わぬところから援護が入る。蘭ちゃんが一生懸命擁護してくれるけど実際熱中してるのは不正アクセスである。犯罪である。――いや駄目な大人だったわ。
「……えー、一応お伺いしますがちなみに被害者の男性との面識は?」
「あ、まったくありません。……安室さんの言う通り引きこもりダメ人間なので」
「ダメ人間とまで入ってませんよ、心外です」
「でもその女が嘘を言ってるかもしれないだろ!なんなら男の方も共犯で――」
被害者の友人男性が声を荒げる。……その通りだ。仮に安室さんが完璧に正しい推理をしたってこの場ではそうとは受け止められない。彼女を、私を庇っていると思われる。――皆が彼の言葉を信じてくれる訳じゃない。私の、せいで。
「――言ったでしょ。安室さんには無理。お姉さんにも無理」
「じゃあ、他の女かもしれない!介抱するふりで近づいて……」
そう男が言った瞬間にコナンくんの眼鏡がきらりと光った。
「あれれ~?お兄さん、バッグから何か出てるよ~?」
彼が慌てて押さえようとした椅子の上のバッグは降谷くんがさりげなく椅子を蹴って地面にたたき落とした。端から見たら彼が取り落としたように見えるだろう。中から飛び出てきたのは――。
「ウィッグ……」
「あなたは随分と洒落た服装ですね。男性にしては小柄で、そのジャケットもレディースもののようだ。ウィッグを被りマスクをつければトイレ前の暗い通路では男女の区別がつかないでしょうね」
「なんだよ、だからって証拠になるのかよ!」
「そうですね……あなたはなぜ犯人を女性に限定するのですか?僕の彼女への疑いが晴れたというのなら、時点で疑うべきはあなたのご友人、この店のシェフだ。何せ彼は料理をした張本人。そしてサービスしたのも彼。一瞬横を通っただけの彼女よりもずっと犯行の余地はある。……あなたは女装をすることで犯人を女性に限定させしようとした。この店は女性客も多いですからね。違いますか?」
「女性に限定って……それはだって薬の入った瓶が――」
はっと彼はそこで言葉を切った。目暮警部が一歩進み出る。
「瓶がどこから見つかったか、はごく一部の人間しか知らないことなのだがね。あなたは何故それを?」
「それはその……刑事さんたちが話してて……」
「なるほど。だがそれを知っているのはトイレでそれを発見した蘭さん、そして彼女が知らせた毛利くんとコナンくん。それから私と外で鑑定作業を行わせていた鑑識のみだ。ここにいる刑事は誰も知らない」
署までご同行願えますか?その言葉に男はへなへなと崩れ落ちた。
「ふる……」
無意識のうちに言いかけて気づく。いやここ外だ。無理やり唇を動かす。
「フルーツタルト食べ損ねた……」
「……今度僕が作りますよ。ここのほどじゃないかもしれませんけど、あなたの好みに合わせますから」
「……その様子じゃ沙紀さん大丈夫そうだね。よかった」
……本当に呼ばなくて良かった。コナンくんもいたらしい。でも代わりに何か大事なものを失った気がする。こう、とんでもなく食い意地が張った女だと思われただろう。ゆっくりと体を起こす。降谷くんがほとんど抱き起こしてくれたけど。そうしてたぶん店の人が作ってくれただろう間仕切りの向こう側に出る。こんなことがあったのでお客さんは私たちも含めてみんな足止めを食っているらしい。毛利先生や蘭ちゃんたちもいた。コナンくんがちょんと私の袖を引いた。
「……沙紀さん、刑事さんが話を聞きたいんだって」
目の前には髭を生やした男性。――なんとなく知ってる空気に近いものをまとってる。
「目暮と申します。お体の具合が悪いところ申し訳ありませんが、少々お話伺えますかな?」
刑事さんだ。でも私が知ってる刑事さんたちとは少し違う。それもそうだ、彼らは公安刑事、そしてこの人はたぶん捜査一課の刑事さん。ドラマで見たことがある。殺人事件とかの捜査をする人だ。たぶん私が被害者の近くにいたからだろう。でも事件の直前はコナンくんとのお喋りという名の駆け引きに集中していて何も気づけなかったから大して話せることもない……けど。促されて刑事さんたちの前のソファに座る。ずっと支えていてくれた降谷くんもその隣に。そうして目暮さんは私にビニール袋に入った小瓶を見せた。
「店内からこれが発見されました」
「これ……?」
「うん。ボクたちがたまたま見つけたんだ」
「鑑識に成分を調べさせたところ、神経性の毒物が検出されました。ちなみに見覚えは?」
首を横に振る。じゃああの人は毒殺、なのだろうか。まあ泡吹いて倒れるってことはそうだろう。持病でもない限り。
「食事中一度お手洗いに立たれていますね?あなたの背後でお食事をされていた方がそう証言されていましたが」
「あ、はい。デザートの少し前だったと思います」
「その後安室さんは入口付近でお知り合いの方と少し話をしていた。その間は……」
「ボクとお話ししてたんだよ。ね?お姉さん」
「そうです。コナンくんが来て、ちょっとお喋りを」
「そして被害者の方が倒れた、と」
「はい。ちょっとびっくりしちゃって……人が倒れて、それであんなになるから……」
一瞬脳裏にあの光景が蘇る。と、肩に回った降谷くんの腕がきゅっと私を抱き寄せた。落ち着かせるように肩を擦ってくれる。その仕草に少しずつ鼓動が落ち着いていく。
「差支えなければ持ち物を拝見させて頂いてもよろしいですかな?」
「……どうぞ」
荷物は最小限に絞れ。降谷くんの助言がこれほど有り難かったこともない。見るからにアレなものはいれてないし、身分証だって一応ちゃんと持っている。目暮さんの後ろにいた女性の刑事さんにバッグを渡す。彼女はバッグから財布、メイクポーチと一つずつ取り出して並べていく。そして――。
「スマートフォンとモバイルWiFiの二台持ちですか。それにタブレットまで。随分とこう……」
まあそこだ。まさかハッキング用とは思われないだろうが怪しくはある。でも私が何か言う前に降谷くんが口を開いた。
「……彼女、デザイナーなんですよ。今日は打ち合わせだったんでしたっけ?」
「あ、はい。打ち合わせの帰りに安室さんと合流してここに……」
「なるほど。確かに今時こういったものの方が便利ですからね」
「というかそれ、先方さんから借りたものじゃなかったかい?タブレットとサブのモバイルルーター」
「そ、そうです。万一にも流出は困るからと一式貸し出されて、作業と連絡はそれで行う契約なんです」
「そうでしたか。これは失礼を」
人生初の事情聴取。結構色々聞かれるんだなあ、持ち物検査までするんだなあ、なんて私は暢気に考えていた。厳密に言えば降谷くんによる違法作業オンパレード、留置所ドライブ・オア・デンジャラス協力者ルートの二択強要も事情聴取といえば事情聴取だけど、それは色々例外が過ぎるのでノーカンとして。だから気づかなかった。降谷くんの表情が硬いことにも、コナンくんの顔が険しくなっていくことにも。
「……大変申し訳ないのですが署の方で一度ゆっくりお話を伺えますかな?」
「署……?えっと……あの、私、まさか疑われてるんですか?」
「いえ、そういう訳では。ただ少し事情をお伺いしたくて」
いやいやその程度で署でお話コースできるほど日本の警察は暇じゃない。署でお話、つまりは任意同行ということは証拠の隠滅その他の可能性があり、身柄を押さえておきたいということ。こちとら伊達に違法作業のお手伝いをしている訳ではない。よーく分かっている。そして拒否をしたってあらゆる手を使って同行を求める。公安程えげつないことはしないだろうけど、でも少なくとも拒否をすれば彼らからの心証は悪化する。肩に回った降谷くんの手に力が入る。
「……任意同行、という訳ですか」
「そこまで大したものでは。ただ少しゆっくり話を聞かせてもらう必要があるかと」
「彼女は今こんな状態です。一度家で休ませたいのですが。必要ないでしょう」
「でしたら署の医務室で少し休まれてはいかがですかな?」
降谷くんが私を抱き寄せようとする力が強まる。最初は紳士的に話していた警部さんも降谷くんの態度に明らかに苛立っているのが分かった。即逮捕案件じゃなかったはずのそれがどんどんまずい方向に傾いてるのが私でもわかる。いやいやこれはやばい。息を吸って、吐いて。どうにかこの場を切り抜ければ公安的配慮で上手いこと何とかなる。でも任意同行に応じてしまえば面倒なことになるのは確実。でもここで心証を悪くしたって公安部の方にも迷惑がかかる。そして降谷くんにも――。
「――目暮警部、沙紀さんは犯人じゃないよ。お姉さんがあの人に毒を飲ませるのは不可能だもん」
視線をはっと下ろすとコナンくんが、小さな探偵(ディテクティヴ)さんが立っていた。――何故だろう。彼の言葉には不思議なくらいの安心感があった。目暮警部の後ろにいた若い刑事さんが視線を合わせるようにコナンくんの前に屈みこんだ。
「不可能って、どういうことだい?」
「ねえ高木刑事、毒が検出されたのはスープからだよね?」
「ああ。彼のスープの皿から毒物が検出された。被害者の男性はスープを口にした後電話が入り、一度店の外に出た。戻ってきた後に苦しみだした。摂取量にもよるけどあの毒物はおおむね十分以内に症状が出るそうだ。だから時間も一致する」
「……最初に倒れたの、ほんとにその症状かな?」
小さな少年の言葉にその場の大人全員が聞き入っていた。後から思い返せばまったくもっておかしな話で、でもそのときはぜんぜんおかしくはなかった。不思議なくらいに人を安心させる話しぶり。そして。
「僕見たんだ。……被害者の人が倒れた瞬間。『うっ!』って呻いてお腹を押さえて床に蹲ったんだ。それで一緒に食事をしていた男の人が、テーブルの左側を回って近づいてきた。そっち側には椅子が倒れてたからそれをどかして、『大丈夫か』って声を掛けた」
「ああ、それは確かに防犯カメラに残ってるよ。ちょうどコナンくんたちのいたテーブルの側からの映像なんだけど、君達の背後で男性が倒れる様子が映っている」
「神経毒で倒れたとしたらお腹を押さえるどころじゃない。痙攣や嘔吐、最期は呼吸困難に陥って死に至る。だから最初に倒れたとき、あの人は神経毒を盛られたんじゃない、他のことが理由で倒れたんだよ。それに近づき方も妙だ。だって真っ直ぐ行くならテーブルの右側、防犯カメラに映る側を通った方が近いよね。毒を盛られたのはその後。お姉さんは被害者の男の人が倒れたのを見てびっくりして倒れちゃった。これは皆見てることだし、その後はずっと安室さんが抱えてた。――毒なんて盛る余裕はなかったよ」
他のこと。でも確かにコナンくんの言うことが正しければ倒れ方がおかしいのは本当なのだろう。私を抱えたまま降谷くんが呟いた。
「……彼女が毒を入れたという証拠映像はないんですよね?」
「ちょうど陰になっていまして決定的な場面は……。あの席はちょっと防犯カメラの死角になってるそうなんです」
「それって誰があの席って決めたの?お店の人?それともあのお兄さんたち?」
「あの二人、以前の従業員なんだそうだよ。当時の友人が昇進したとかで一度食事に来てくれとは誘われてたそうで、それなら男二人では気恥ずかしいから目立たない席にしてくれ、と言われてあそこに。料理もせっかくだからとわざわざ本人が運んできたんだってさ」
「そうなんだ。……ねえ、もし最初に倒れたときが神経毒によるものじゃなかったとしたらさ、いつ誰が毒を盛ったのかな?」
男性の最初の倒れ方と神経毒の症状は一致しない。でも私が横を通った時にテーブルにあったスープの皿と店内から見つかった小瓶からは神経毒が検出され、救急隊員からもあれは神経毒の症状、と証言があった。ああ、もう訳が分からない。
肩に回されていた降谷くんの腕がするりと外された。軽く頭をぽんぽんと撫でられ、そして降谷くんが立ち上がり口を開いた。
「――介抱するときに盛った。神経毒を多量に摂取すれば即座に反応が出る」
「だがそうなると――」
「これ、最初から仕組んでいたんでしょう?一人が倒れたフリをし、もう一人が助けに入るフリをする。毒を盛られたフリでもして、この店の関係者に罪を着せる――。わざと倒れた彼に『死なない程度に薄めた、これを飲め』そう言えば飲ませられる。彼の倒れた位置はちょうど防犯カメラの死角ですからね。『倒れた被害者から痕跡など出ては狂言とばれる。こちらで持っておくから』とでも何でも言えばいい。時間もないから被害者も一気に飲むほかない」
「言いがかりだ!あんた自分の女を庇ってそんなこと言ってるんだろう!」
「庇って?そもそも彼女に被害者との面識はない」
「なんでわかるんだよ」
「そもそも彼女は人見知りで滅多なことでは外出しないんです。買い物なんてネットスーパーとネット通販、打ち合わせも極力音声チャットやメールで済ませるし、基本的に人と会わないんです。最近になって僕のバイト先の喫茶店で健康的な食事を摂る習慣が身についてきたくらいで」
……「滅多なことでは外出せず」「基本的に人と会わない」「最近になってやっと外出するように」。いやいやなんだこの駄目人間感。これは庇われているのか貶されているのかわからない。いやまあ安全面考えたら合理的だからとはいえ事実なのだけど、でも。
「あれ……私ってもしかしてすごくダメ人間……?」
「そ、そんなことないです!お仕事に熱中しすぎてるだけで立派な大人ですよ!デザイナーで一人立ちってすごいじゃないですか!」
思わぬところから援護が入る。蘭ちゃんが一生懸命擁護してくれるけど実際熱中してるのは不正アクセスである。犯罪である。――いや駄目な大人だったわ。
「……えー、一応お伺いしますがちなみに被害者の男性との面識は?」
「あ、まったくありません。……安室さんの言う通り引きこもりダメ人間なので」
「ダメ人間とまで入ってませんよ、心外です」
「でもその女が嘘を言ってるかもしれないだろ!なんなら男の方も共犯で――」
被害者の友人男性が声を荒げる。……その通りだ。仮に安室さんが完璧に正しい推理をしたってこの場ではそうとは受け止められない。彼女を、私を庇っていると思われる。――皆が彼の言葉を信じてくれる訳じゃない。私の、せいで。
「――言ったでしょ。安室さんには無理。お姉さんにも無理」
「じゃあ、他の女かもしれない!介抱するふりで近づいて……」
そう男が言った瞬間にコナンくんの眼鏡がきらりと光った。
「あれれ~?お兄さん、バッグから何か出てるよ~?」
彼が慌てて押さえようとした椅子の上のバッグは降谷くんがさりげなく椅子を蹴って地面にたたき落とした。端から見たら彼が取り落としたように見えるだろう。中から飛び出てきたのは――。
「ウィッグ……」
「あなたは随分と洒落た服装ですね。男性にしては小柄で、そのジャケットもレディースもののようだ。ウィッグを被りマスクをつければトイレ前の暗い通路では男女の区別がつかないでしょうね」
「なんだよ、だからって証拠になるのかよ!」
「そうですね……あなたはなぜ犯人を女性に限定するのですか?僕の彼女への疑いが晴れたというのなら、時点で疑うべきはあなたのご友人、この店のシェフだ。何せ彼は料理をした張本人。そしてサービスしたのも彼。一瞬横を通っただけの彼女よりもずっと犯行の余地はある。……あなたは女装をすることで犯人を女性に限定させしようとした。この店は女性客も多いですからね。違いますか?」
「女性に限定って……それはだって薬の入った瓶が――」
はっと彼はそこで言葉を切った。目暮警部が一歩進み出る。
「瓶がどこから見つかったか、はごく一部の人間しか知らないことなのだがね。あなたは何故それを?」
「それはその……刑事さんたちが話してて……」
「なるほど。だがそれを知っているのはトイレでそれを発見した蘭さん、そして彼女が知らせた毛利くんとコナンくん。それから私と外で鑑定作業を行わせていた鑑識のみだ。ここにいる刑事は誰も知らない」
署までご同行願えますか?その言葉に男はへなへなと崩れ落ちた。
