同級生と殺人事件
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スマートフォンのハッキングにはいくつか方法がある。手っ取り早いのが遠隔操作アプリを仕込むことだ。私も一枚噛んだけど公安開発のそれは充電口に専用の機械を差し込んで三秒で仕込み完了、あとはリンクさせておいた別の端末から盗聴盗撮し放題という代物だ。完全にアウトとしかいいようがないけど直接アタックしなきゃいけないのが難点だ。でももう一つ方法がある。WiFi経由ならそこそこ近くにいればいいので話は別、だ。他にもBluetoothにAirDrop、現代社会を生きる上で必須といってもいいスマホには大変便利な機能が山積みだが、つまりそれは侵入経路が多彩というわけだ。
対象からほど近い距離でWiFiを起動させればこれがまあわらわら引っかかってくる。事前に公安の方で調べていた機種をピックアップし、あとは中身を軽く攫ってどれが対象のかを見つけ出すだけ。……ただここはそこそこ高級なレストラン、店内でスマートフォンを延々といじっていれば目立つことだろう。降谷くんがこそりと囁いた。
「……行けるか?」
「大丈夫。少し外すね」
少しお手洗いに。そんな素振りで席を立った時、ちょうど店に入ってきた思わぬ人物と目が合ってしまった。高校生くらいの女の子とたぶんそのお父さん。そして。
「……あれえ?デザイナーのお姉さんだよね?よくポアロにいる」
小学生の男の子。私よりずっと小さくて、でもとんでもない頭脳を隠している。……この子はヤバい。目が合うたびに頭の中で警鐘が鳴らされる。ポアロで会う分にはなんとか逃げようはあるしこの子もさほど追及してこないけど、うっかりスーパーなんかで出くわした日にはさりげない誘導質問に泣きたくなる。私のひきこもり生活の理由の一端だ。
「コ、コナンくんだったよね。うん、そうだよ」
「コナンくんがいつもお世話になってます。……あ、もしかして安室さんとデートでしたか?」
「安室?なんであいつの名前が……」
見かけたことはあるけどそういえばこうして顔を合わせるのは初めての眠りの小五郎さん、表向き安室さんの師匠である。何も聞かされてはいないけど安室透が弟子入りするのだ、きっと何かあるのだろう。探偵という時点で私としては地雷モノなのでできることなら関わりたくない。
「あ、毛利先生!いつもお世話になっています」
さっと降谷くん、じゃなくて安室さんが駆け寄ってきて私と毛利先生ご一行の間に割り込む。公安刑事のときとは雰囲気の違うジャケットを羽織った背中がひどく頼もしい。探偵(プライベート・アイ)なんて避けるに限るのだ。私のアイリーン・アドラーはバーチャル限定、リアルじゃポンコツもいいところ。
「やっぱり~。あ、お邪魔でしたよね、せっかくのデートなのに」
「そんなことないですよ。……ああ、先生と会うのは初めてでしたよね。毛利先生、僕の師匠です」
いつもお世話になっています、と頭を下げる。彼氏の師匠への対応ってどういうのが正しいのだろうか。そもそもこのご時世に師匠持ちの彼氏ってその時点でレアだよなあ、上司くらいに考えておくべき?なんて思ったりして。
「なんだお前、彼女いたのか」
「ええ。ただちょっと彼女、内気な子なんです。まあそこが可愛いんですけど」
そんなお喋りをしながら降谷くんはさりげなく私を毛利先生ご一行から隠し、トイレの方に誘導した。本当にこういうことをスマートにできるから降谷くんはすごい。さすがは潜入捜査官をしてるだけのことはある。
トイレに入る直前、背中に誰かの視線を感じたけど誰のものかなんて私にだって分かりきっていた。あの小さな探偵さんだろう。……ああ、なんでこんなところで出会ってしまうんだろうか。
***
トイレから戻る途中に見かけた私の背後の席は予約席のようだった。まだ人はいないけどさりげなく札が立てられている。人気店は違うんだなあ、なんて考えたりして。そこそこ高級で、でも堅苦しくはない程度の店。店内にはやや年配の落ち着いた人も多いけどちょっと気合を入れたんだなって雰囲気のカップルや女性グループも多い。――たぶん端から見たら私たちも同じなんだろう。今幸せそうに微笑む男女が本当に恋人かなんて、実際のところがどうかなんて誰にも分からない。現に降谷くんは安室透の顔で、私の恋人の顔でそこにいる。外からはきっと私たちはデート中のカップルでしかなくて。
「……お待たせしました」
「ぜんぜん、待ってなんていませんよ。『ところでワインはどうします?』」
「ワインですか……『白で』」
「そうですね。僕も今日は車は置いてきましたし、一緒に飲みましょうか」
ワインを訊ねるのは事前に決めておいた暗号だ。白なら『成功』、赤なら『時間がもう少し必要』。そして「今日はお酒はやめておきます」なら『失敗』。この提案を聞いたときはレストランでしてもおかしくない会話を上手く使うなあ、と感心してしまった。でも本当にこれを決めておいてよかった。少し離れた席にいる仲良さげな家族連れの一人からずっと視線を感じるのだ。蘭ちゃんと仲良くお喋りしてたまにお父さんに話しかけてるけど、でもその合間に降谷くんの肩越しにこっちを見ている。まさしく突き刺すようなプライベート・アイ。そんな目で。
「……大丈夫だ」
「あれが大丈夫なら私今頃安室さんの彼女になんてなってない」
「……それもそうか。でも僕がついている、安心してくれ」
降谷くんは苦笑する。その表情が安室さんじゃないからちょっとだけこっちがはらはらする。まあ彼女にしか見せないあれそれってことで誤魔化されてくれるだろう。実際はただの素だけど。
ふと降谷くんはその表情を引っ込めて甘い笑みを浮かべた。軽く髪を耳にかけながら低い声で囁いた。
「……ところで『虫』には気を付けてくださいね」
その仕草が、言葉が意味するもの。私はさらに泣きたくなった。盗聴器要注意報発令。不用意な発言は控えてください、の意。改めてここは安全なセーフハウスじゃないのだ、と思い知る。もうおうち帰りたい。まあ降谷くんがいるなら大概のことは大丈夫だろう。フロントガラスを叩き割れる人間はそこらの人間の骨だって叩き割れるだろうし。……まあできることならそんな現場には遭遇したくないものだ。今日という日が平和に終わり、対象さんが無事に留置所にぶち込まれることを陰ながら祈っている。
それはさておき料理は美味しかった。一度対象が近くを通ったときに降谷くんに話しかけてきて、毛利先生にしたように挨拶をした。まあ向こうは「黒の組織のバーボンが引っかけてる女」という認識だから私のことはさして視界にも入れてなかっただろうけど。後ろの予約席には男性二人組がやってきた。一人は今時の男の子って感じの線の細い人で、レディース風の上着が良く似合う。もう一人もタイプ違いのイケメンだったけど、まあ降谷くんというある意味別格を前にしていると霞んでしまう。
こんなにお洒落な料理を食べるのも久しぶり……でもないけど、ちょっとした非日常感はまさしくデートの醍醐味だろう。夜の始まりの華やかさというか、独特のキラキラ感というか。実際はそんな色っぽいものじゃないけど。
作戦の進行具合をじっくり確かめたくて一度トイレに立つ。対象のGPSデータを張り込み班に共有してから戻ってくると、降谷くんは安室透の顔でにこにこ笑いながら待っていた。
「デザートどうします?ここの季節のフルーツタルトはとても美味しいそうで」
「……じゃあそれで。安室さんのオススメなら間違いないですし」
「それは光栄です。……ああ、ちょっと外しますね」
そう言って降谷くんは立ち上がり入口の方へ……対象の元へと向かった。客席からは少し離れたところで何か会話している。たぶん上手く引き留めているのだろう。ちょうどあの位置は外からも良く見える。張り込み組にも見えやすいだろう。今のうちに怪しまれない位置に車を動かしたりなんだりできるはずで、その辺も降谷くんは抜かりない。デザートのオーダーを取りに来たウエイターさんにフルーツタルトを頼む。マナー違反は分かってるけどハッキング用のスマホを取り出し、状況を確認する。よし、ばっちりだ。一度侵入して入口を作ったのであとはやりたい放題である。作戦大成功。……と思っていた。
「……お姉さん、今日の服お洒落だね。最初違う人かと思ってびっくりしちゃった」
「あ、コナンくん……。うん、まあ、ちょっとね。コナンくんも蘭ちゃんもお洒落だね。似合ってるよ」
気づいたら目の前にコナンくん。角度的にスマホの画面は覗かれてないだろう。アプリを終了させてロックを掛ける。カバンにしまって、少し身をかがめて視線を合わせる。うまく話をそらして降谷くんが戻るまで凌がないと。
「ありがと。小五郎のおじさんの依頼人さんがね、事件解決のお礼にここでご馳走させてくれって」
「そうなんだ。……おじさん?あれ、お父さんじゃないの?」
「ちがうよー。ボク、小五郎のおじさんの家に預かってもらってるの。お父さんとお母さん、仕事で外国に行ってるから」
「そっか……。小さいのに大変だね」
眠りの小五郎の息子だからこんなに頭が切れるのかと思ったけど違うようだ。親戚の子か何かだろうか。……でもまだ小学生なのに両親と離れて暮らすなんて。苦労してるんだな、なんて思わず気が緩んだ。その瞬間だった。
「……お姉さんってさあ、いっぱいスマホ持ってるんだね。この前はボクと同じ機種だったから一緒なんだって思って覚えてたんだけど、でも今日は違うんだね?」
「え……まあ、ほら、仕事の連絡用とかちょっと色々必要なんだ。個人情報とかあるから、プライベート用のと一緒にできなくって」
「そうなんだー。大変だね?」
ワインで少し火照っていた頬から一気に血の気が引く。――こわい。何この子こわい。笑顔は可愛いのに、両親と離れても健気に頑張るいい子なのに。
「……ま、まあね。それよりもさ――」
さあどうしよう。ご飯の話?うん、そうだそうしよう。何を食べたの、美味しかった、これでどうにか乗り切ろう……そう思った瞬間。
背後でがたん、と何かが倒れる音がした。コナンくんの目がはっと見開かれる。それからうめき声、そして男性の叫び声が聞こえた。
「おい、大丈夫か!?おい!」
振り向くと思った以上に近くで男性が一人倒れていた。数メートルと離れていない。近くにいた小柄なスーツ姿の男性が駆け寄っていて何か声をかけている。と、突然倒れていた男性が激しく身悶えし始めた。泡を吹いているのが見えた。救急車、救急車、繰り返されるその単語に私は何も反応できなかった。え、救急車ってなんだっけ。どうすればいい?簡単な三つの数字すら思い出せない。あまりの非日常な光景にへたりこむ私を尻目にコナンくんが駆けだしていくのが視界の端に見えた。
ホラー映画もスプラッタ映画も平気だった。グロ画像もネットサーフィン中に引っかかったことは数知れず。痛い目に遭って人は成長するのだ。でもリアルでは、現実で、生で見るのは初めてのこと。――怖い。さっきとは違う恐怖が体中を支配する。降谷くんと目が合う。押しかける人をかき分けて戻ってきた彼はぎゅっと私を抱きしめて言った。
「……大丈夫ですよ。僕がついてますから」
さっきはあれほど安心したあの言葉なのに私はちっとも落ち着けなかった。ガタガタと震える指で降谷くんのジャケットを握り締める。何人かが男性を囲んで声を掛けたりしていたが、やがてそれも無くなった。男性はどうやら救急搬送されたらしい。とんとん、と子供をあやすように降谷くんが私の背中を叩く。視界がちかちかする。頭がぼんやりとしてきた。
「――毛利先生、すみません。ちょっと彼女、気分が悪くなってしまったようで……」
「あ、ああ。ちょっと横になれるような場所はありませんか?女性が貧血を起こして……」
そうして次にまともに視界が開けたとき、目の前には刑事さんたちがいた。
対象からほど近い距離でWiFiを起動させればこれがまあわらわら引っかかってくる。事前に公安の方で調べていた機種をピックアップし、あとは中身を軽く攫ってどれが対象のかを見つけ出すだけ。……ただここはそこそこ高級なレストラン、店内でスマートフォンを延々といじっていれば目立つことだろう。降谷くんがこそりと囁いた。
「……行けるか?」
「大丈夫。少し外すね」
少しお手洗いに。そんな素振りで席を立った時、ちょうど店に入ってきた思わぬ人物と目が合ってしまった。高校生くらいの女の子とたぶんそのお父さん。そして。
「……あれえ?デザイナーのお姉さんだよね?よくポアロにいる」
小学生の男の子。私よりずっと小さくて、でもとんでもない頭脳を隠している。……この子はヤバい。目が合うたびに頭の中で警鐘が鳴らされる。ポアロで会う分にはなんとか逃げようはあるしこの子もさほど追及してこないけど、うっかりスーパーなんかで出くわした日にはさりげない誘導質問に泣きたくなる。私のひきこもり生活の理由の一端だ。
「コ、コナンくんだったよね。うん、そうだよ」
「コナンくんがいつもお世話になってます。……あ、もしかして安室さんとデートでしたか?」
「安室?なんであいつの名前が……」
見かけたことはあるけどそういえばこうして顔を合わせるのは初めての眠りの小五郎さん、表向き安室さんの師匠である。何も聞かされてはいないけど安室透が弟子入りするのだ、きっと何かあるのだろう。探偵という時点で私としては地雷モノなのでできることなら関わりたくない。
「あ、毛利先生!いつもお世話になっています」
さっと降谷くん、じゃなくて安室さんが駆け寄ってきて私と毛利先生ご一行の間に割り込む。公安刑事のときとは雰囲気の違うジャケットを羽織った背中がひどく頼もしい。探偵(プライベート・アイ)なんて避けるに限るのだ。私のアイリーン・アドラーはバーチャル限定、リアルじゃポンコツもいいところ。
「やっぱり~。あ、お邪魔でしたよね、せっかくのデートなのに」
「そんなことないですよ。……ああ、先生と会うのは初めてでしたよね。毛利先生、僕の師匠です」
いつもお世話になっています、と頭を下げる。彼氏の師匠への対応ってどういうのが正しいのだろうか。そもそもこのご時世に師匠持ちの彼氏ってその時点でレアだよなあ、上司くらいに考えておくべき?なんて思ったりして。
「なんだお前、彼女いたのか」
「ええ。ただちょっと彼女、内気な子なんです。まあそこが可愛いんですけど」
そんなお喋りをしながら降谷くんはさりげなく私を毛利先生ご一行から隠し、トイレの方に誘導した。本当にこういうことをスマートにできるから降谷くんはすごい。さすがは潜入捜査官をしてるだけのことはある。
トイレに入る直前、背中に誰かの視線を感じたけど誰のものかなんて私にだって分かりきっていた。あの小さな探偵さんだろう。……ああ、なんでこんなところで出会ってしまうんだろうか。
***
トイレから戻る途中に見かけた私の背後の席は予約席のようだった。まだ人はいないけどさりげなく札が立てられている。人気店は違うんだなあ、なんて考えたりして。そこそこ高級で、でも堅苦しくはない程度の店。店内にはやや年配の落ち着いた人も多いけどちょっと気合を入れたんだなって雰囲気のカップルや女性グループも多い。――たぶん端から見たら私たちも同じなんだろう。今幸せそうに微笑む男女が本当に恋人かなんて、実際のところがどうかなんて誰にも分からない。現に降谷くんは安室透の顔で、私の恋人の顔でそこにいる。外からはきっと私たちはデート中のカップルでしかなくて。
「……お待たせしました」
「ぜんぜん、待ってなんていませんよ。『ところでワインはどうします?』」
「ワインですか……『白で』」
「そうですね。僕も今日は車は置いてきましたし、一緒に飲みましょうか」
ワインを訊ねるのは事前に決めておいた暗号だ。白なら『成功』、赤なら『時間がもう少し必要』。そして「今日はお酒はやめておきます」なら『失敗』。この提案を聞いたときはレストランでしてもおかしくない会話を上手く使うなあ、と感心してしまった。でも本当にこれを決めておいてよかった。少し離れた席にいる仲良さげな家族連れの一人からずっと視線を感じるのだ。蘭ちゃんと仲良くお喋りしてたまにお父さんに話しかけてるけど、でもその合間に降谷くんの肩越しにこっちを見ている。まさしく突き刺すようなプライベート・アイ。そんな目で。
「……大丈夫だ」
「あれが大丈夫なら私今頃安室さんの彼女になんてなってない」
「……それもそうか。でも僕がついている、安心してくれ」
降谷くんは苦笑する。その表情が安室さんじゃないからちょっとだけこっちがはらはらする。まあ彼女にしか見せないあれそれってことで誤魔化されてくれるだろう。実際はただの素だけど。
ふと降谷くんはその表情を引っ込めて甘い笑みを浮かべた。軽く髪を耳にかけながら低い声で囁いた。
「……ところで『虫』には気を付けてくださいね」
その仕草が、言葉が意味するもの。私はさらに泣きたくなった。盗聴器要注意報発令。不用意な発言は控えてください、の意。改めてここは安全なセーフハウスじゃないのだ、と思い知る。もうおうち帰りたい。まあ降谷くんがいるなら大概のことは大丈夫だろう。フロントガラスを叩き割れる人間はそこらの人間の骨だって叩き割れるだろうし。……まあできることならそんな現場には遭遇したくないものだ。今日という日が平和に終わり、対象さんが無事に留置所にぶち込まれることを陰ながら祈っている。
それはさておき料理は美味しかった。一度対象が近くを通ったときに降谷くんに話しかけてきて、毛利先生にしたように挨拶をした。まあ向こうは「黒の組織のバーボンが引っかけてる女」という認識だから私のことはさして視界にも入れてなかっただろうけど。後ろの予約席には男性二人組がやってきた。一人は今時の男の子って感じの線の細い人で、レディース風の上着が良く似合う。もう一人もタイプ違いのイケメンだったけど、まあ降谷くんというある意味別格を前にしていると霞んでしまう。
こんなにお洒落な料理を食べるのも久しぶり……でもないけど、ちょっとした非日常感はまさしくデートの醍醐味だろう。夜の始まりの華やかさというか、独特のキラキラ感というか。実際はそんな色っぽいものじゃないけど。
作戦の進行具合をじっくり確かめたくて一度トイレに立つ。対象のGPSデータを張り込み班に共有してから戻ってくると、降谷くんは安室透の顔でにこにこ笑いながら待っていた。
「デザートどうします?ここの季節のフルーツタルトはとても美味しいそうで」
「……じゃあそれで。安室さんのオススメなら間違いないですし」
「それは光栄です。……ああ、ちょっと外しますね」
そう言って降谷くんは立ち上がり入口の方へ……対象の元へと向かった。客席からは少し離れたところで何か会話している。たぶん上手く引き留めているのだろう。ちょうどあの位置は外からも良く見える。張り込み組にも見えやすいだろう。今のうちに怪しまれない位置に車を動かしたりなんだりできるはずで、その辺も降谷くんは抜かりない。デザートのオーダーを取りに来たウエイターさんにフルーツタルトを頼む。マナー違反は分かってるけどハッキング用のスマホを取り出し、状況を確認する。よし、ばっちりだ。一度侵入して入口を作ったのであとはやりたい放題である。作戦大成功。……と思っていた。
「……お姉さん、今日の服お洒落だね。最初違う人かと思ってびっくりしちゃった」
「あ、コナンくん……。うん、まあ、ちょっとね。コナンくんも蘭ちゃんもお洒落だね。似合ってるよ」
気づいたら目の前にコナンくん。角度的にスマホの画面は覗かれてないだろう。アプリを終了させてロックを掛ける。カバンにしまって、少し身をかがめて視線を合わせる。うまく話をそらして降谷くんが戻るまで凌がないと。
「ありがと。小五郎のおじさんの依頼人さんがね、事件解決のお礼にここでご馳走させてくれって」
「そうなんだ。……おじさん?あれ、お父さんじゃないの?」
「ちがうよー。ボク、小五郎のおじさんの家に預かってもらってるの。お父さんとお母さん、仕事で外国に行ってるから」
「そっか……。小さいのに大変だね」
眠りの小五郎の息子だからこんなに頭が切れるのかと思ったけど違うようだ。親戚の子か何かだろうか。……でもまだ小学生なのに両親と離れて暮らすなんて。苦労してるんだな、なんて思わず気が緩んだ。その瞬間だった。
「……お姉さんってさあ、いっぱいスマホ持ってるんだね。この前はボクと同じ機種だったから一緒なんだって思って覚えてたんだけど、でも今日は違うんだね?」
「え……まあ、ほら、仕事の連絡用とかちょっと色々必要なんだ。個人情報とかあるから、プライベート用のと一緒にできなくって」
「そうなんだー。大変だね?」
ワインで少し火照っていた頬から一気に血の気が引く。――こわい。何この子こわい。笑顔は可愛いのに、両親と離れても健気に頑張るいい子なのに。
「……ま、まあね。それよりもさ――」
さあどうしよう。ご飯の話?うん、そうだそうしよう。何を食べたの、美味しかった、これでどうにか乗り切ろう……そう思った瞬間。
背後でがたん、と何かが倒れる音がした。コナンくんの目がはっと見開かれる。それからうめき声、そして男性の叫び声が聞こえた。
「おい、大丈夫か!?おい!」
振り向くと思った以上に近くで男性が一人倒れていた。数メートルと離れていない。近くにいた小柄なスーツ姿の男性が駆け寄っていて何か声をかけている。と、突然倒れていた男性が激しく身悶えし始めた。泡を吹いているのが見えた。救急車、救急車、繰り返されるその単語に私は何も反応できなかった。え、救急車ってなんだっけ。どうすればいい?簡単な三つの数字すら思い出せない。あまりの非日常な光景にへたりこむ私を尻目にコナンくんが駆けだしていくのが視界の端に見えた。
ホラー映画もスプラッタ映画も平気だった。グロ画像もネットサーフィン中に引っかかったことは数知れず。痛い目に遭って人は成長するのだ。でもリアルでは、現実で、生で見るのは初めてのこと。――怖い。さっきとは違う恐怖が体中を支配する。降谷くんと目が合う。押しかける人をかき分けて戻ってきた彼はぎゅっと私を抱きしめて言った。
「……大丈夫ですよ。僕がついてますから」
さっきはあれほど安心したあの言葉なのに私はちっとも落ち着けなかった。ガタガタと震える指で降谷くんのジャケットを握り締める。何人かが男性を囲んで声を掛けたりしていたが、やがてそれも無くなった。男性はどうやら救急搬送されたらしい。とんとん、と子供をあやすように降谷くんが私の背中を叩く。視界がちかちかする。頭がぼんやりとしてきた。
「――毛利先生、すみません。ちょっと彼女、気分が悪くなってしまったようで……」
「あ、ああ。ちょっと横になれるような場所はありませんか?女性が貧血を起こして……」
そうして次にまともに視界が開けたとき、目の前には刑事さんたちがいた。
