同級生に捕まった朝
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それは久しぶりに本来の職場に顔を出したときのことだった。任務のサポートを頼んでもいる部下のひとりが厄介な案件があるのだと愚痴を零しているのをたまたま耳にした。
「降谷さんもご存知かもしれませんけど、例の警視庁のデータハッキングですよ。サイバー犯罪対策室のパソコンを逆にハッキングしたっていう」
「ああ、あれか。聞いている。アイリーン・アドラー、だろ?」
そのハッカーは一年ほど前から企業のパソコンに片っ端から侵入して回っていた。僅かに残された痕跡から辿った侵入経路は海外のサーバーを複数経由しており、その大元を探ることはまず不可能。その痕跡さえ偽造されたものである疑いがあり、捜査は非常に難航しているらしい。それでも同一犯の犯行であるとわかるのは常に『彼女』が書き置きを残すからだった。プログラムコードの狭間であったり、デスクトップの片隅にさりげなく作成されたテキストファイルであったり、翌朝立ち上げた瞬間にメッセージが流れてきたり、その手法は様々だ。だが決まってそこにはその会社の機密事項を閲覧したことを示唆する文があり、そして最後にふざけた署名で締めくくられている。『the woman』、アイリーン・アドラー、と。
「情報が流出したことはほとんどないんだったか。それもまた捜査難航の原因らしいが」
「情報源を辿ればある程度は探れますからね……この場合その流出すらなく、痕跡が侵入先にしかないのが痛いです。それ自体は幸いといえば幸いですが、犯人のパソコンにデータが写し取られている可能性もありますから」
「それで先週ついに警視庁、か」
「最重要の機密はオフラインですからおそらく無事でしょうが……。反社会的組織にでも渡れば大変な事態を招きますし、一刻も早く正体を突き止め確保しなければ」
痕跡がほとんどないために何が流出したのか特定するのは難しいが、おそらくは供述調書や警察職員の名簿などだろう、ということだ。サイバー犯罪対策課のコンピュータに「お邪魔させて頂きました」とふざけたメッセージが残されていたことから判明したらしい。それまでの『彼女』の犯行はただの愉快犯だが、今回の警視庁のコンピュータに侵入などというテロ紛いの行為のため、その事案の担当はサイバー犯罪対策課から公安部へと移動し、「公安的配慮」でその事実は報道関係には伏せられている。だが鼻のいい週刊誌辺りはどうも何かあったようだと嗅ぎ回っているらしい。
この流れを死んだ目で語る部下に何徹目だ、と聞くとどうやらこの事案のために四徹目らしい。問答無用で仮眠室に連行しながら降谷はいくつか考えうる捜査手法を口にした。少し眠って頭をすっきりさせてから別のアプローチも検討させればなんとかなるだろう。彼とて優秀な公安刑事、しかも情報関係に強いと特に推薦されて降谷の作業班に入っているのだから。
「……凄腕のハッカーと言っても最初は誰でも初心者だ。過去の似た手口のサイバー犯罪の相談を漁れば絞り込むことは不可能ではないかもしれないな」
「過去のですか……。確かに数ヶ月ごとに技術革新が起きる世界と言っても過言ではありませんし数年分も漁れば何かしら出てくるかもしれませんね」
「アイリーン・アドラーを自称、手口から言っておそらくは愉快犯。……若いだろうな。せいぜい三十代前半までってところか。デジタルネイティブの十代はそこらの社会人よりよほど電子デバイスに親しんでいることだし下限は絞りきれないな、下手すると学生も考えられる」
「そうか……。プロファイルから攻めるのも一手でしたね……」
「僕も一応は探り屋などと呼ばれてる身だからな。明日の昼まではいるから何かあれば遠慮なく来い。NOCリストでも流出させられたら事だからな」
そうして四徹目の半死人を仮眠室に叩き込み、降谷はとりあえず自身の報告と業務に向かった。半日後、先程よりはよほどマシな顔になった部下が降谷の前に現れた。
「例のハッカーがよく経由地に使う国からの痕跡が残るハッキング事件を洗い出したんですが、これがまあとんでもない量で……」
「だろうな。まあこの辺りは除外していいんじゃないか?愉快犯というより産業スパイめいた犯行だし」
「そうなると残るのは……二年前のコンビニエンスストアのコンピュータ侵入事件が気になりますね」
「コンビニエンスストア?」
「ええ、店舗で社員の勤怠管理や給与関係のデータが入ったコンピュータのデータが突如として店長の目の前で消し飛んだそうです。これだけならただの故障かウイルス感染なんですが、消し飛んだ直後、画面に犯人からのメッセージが浮かんだそうで」
おそらく携帯電話で慌てて撮影したのだろう、荒い画像が添付されていた。
「データは預からせて頂いた、返して欲しければこちらの要求を呑めと、その店舗のオーナー宛に」
「それで無差別ウイルスではなく特定の場所を狙った犯行と断定された訳か」
「ええ、それで警察に相談が来まして、サイバー犯罪対策課が調査に向かったところ、データが復旧したそうです」
「……は?」
「状況確認のためにパソコンを立ち上げた途端、ある定番人気ゲームのステージクリア時のBGMと共にと」
「……ふざけてるな。愉快犯か」
「ええ。ただそのコンビニエンスストアですが、結果的にその事件がきっかけで多くの違法行為が確認されたそうです。高校生までが深夜帯に無給で残業させられていたり、店長やオーナーからのハラスメントの映像が発見されたり……」
「犯罪は犯罪だが義賊的行為だった、というわけか。……確かに例のハッカーも数少ない情報流出の事例は脱税の証拠だったな」
「手口もやや似通っていますね。おそらく中古のスマートフォンで最寄駅の公共のWiFiから接続、近辺の防犯カメラの映像も確認はされたそうですがそれらしき人物の特定には至らなかったそうです」
公共のWiFiは災害時や緊急時には便利だが、こういった犯罪行為に使われることもあるのだから一長一短である。
「ただその推測される動機から店舗関係者、特に劣悪な状況に置かれていたアルバイト店員及び関係者と見て捜査は行われたそうです。一応当時の参考人のリストは残ってましたね」
「へえ、ちょっと見せてみろ」
たとえばその中に他の事件の関係者の一人もいれば捜査対象は絞り込める。さすがに可能性は低いだろうなとは思いつつ、降谷はリストにざっと目を通した。
「……お」
「何か気になる点でもありましたか?」
「いや、佐々木……高校時代の同級生がいただけだ。特に親しい訳でもなかったが……何度か定期考査の順位争いをした覚えがある」
「優秀な方なんですね。でもそんな人がまたなんでコンビニでバイトなんて」
「結婚して子供でもできたんじゃないか?子供が幼いうちは近所でパートとか……いや苗字が変わってないなら可能性は下がるか」
「一応この当時は独身だそうですよ。子供もいないようで」
「それならあの正義感で上司と喧嘩でもしてクビになったか、だな。一見おっとりしてるようで案外気が強い奴でふざけた口調で人を煽って、一度は停学に……」
ふとそこで降谷は言葉を切った。アイリーン・アドラー、自分は『彼女』をどう分析したんだっけ?
まず一に非常に優秀なハッカーである。――これはここまで捜査が難航していることを考えれば自明だ。ハッキング、というより近年のサイバー関連の技術は日々進歩している。その進歩に半歩と遅れずついていける、少なくともこの一年間誰にもその影すら掴ませない技量はひとえに学習能力の高さを示している。
二に悪意の薄さである。「義賊的」と評したが、確かに『彼女』の犯行はスパイのそれとは一線を画している。わざわざメッセージを残すあたりなどまさしく愉快犯としか表しようがない。侵入されたある会社などは「マルウェア感染一歩手前だったんで削除しておきました、以後気をつけた方がいいですよ」などとふざけたメッセージを残されていたらしい。怒ればいいのか感謝すればいいのか分からないと嘆く社長の会見映像はしばらくワイドショーのネタにされていた。
降谷零にはこの双方を満たす関係者に心当たりがあった。一見するといかにもおっとりした文学少女といった風だったが、その実は正義感も気も強く、それでいてユーモア精神過剰気味の同級生――確か沙紀の進学先は情報関係の学科ではなかっただろうか。
例のコンビニエンスストアの事件の資料を改めて読み込む。事件当日沙紀は休日だった。ある会社へ採用面接に行っていたそうで、接続場所とされる駅での犯行は不可能に近いと判断され容疑者から外されたらしい。だがこの手の犯罪はアリバイなどあってないようなもの。たとえばコインロッカーに予め時限式でセットされたスマートフォンを用意しておけば十分に可能だ。もしくはそれを遠隔操作すれば離れた場所からも犯行が可能となる。事実沙紀は当日の朝と夕方に例の駅を利用したことを自ら認めている。たとえば朝に荷物を預けるフリをしてコインロッカーにスマートフォンを仕込み、帰りに回収する。そのスマートフォン本体が発見されない限りそれが遠隔操作されていたかも時限式のセットがされていたかも分からない。この事件は犯人へとつながる証拠は一切なく、データが戻ってきたこともあり優先度の低い未解決事件として記録ファイルを埋めている。
「……この犯人だが少々心当たりができた。場合によってはこちらに引き込めるかもしれない」
「司法取引で『協力者』にすると?」
「まあお得意の違法行為さ。俺の推測が当たれば犯人は純然たる愉快犯、手錠かけて数年間技術の進歩から取り残させるよりこき使ってやる方が世の為人の為、ついでに本人の為だ」
遥か昔にさえ思える高校時代を思い出す。確かクラスが一緒になったことは一度もなかった。けれど学年順位が貼り出されるとき、大抵その名前は降谷零の隣に並んでいた。本人はへらへら笑ってばかりいたけど。そのくせ「やれそうだったから」という理由だけでピアスホールを開けバイクの免許を取り、生徒指導室に呼び出されて調査書がどうなっても知らんぞと脅されても飄々と「筆記で満点取るんで大丈夫です」と答えてごく短期間とはいえ停学を食らっていた。とんでもない女だった。
親しくはなかった降谷にさえそんな記憶が残るほど沙紀は優秀で、それでいてふざけた奴だった。そのくせ人間関係にはやたら不器用だった。横暴な教師には迷いなく噛み付くくせに、道を踏み外しかかった同級生に嘘くさく泣きつかれれば困った顔で仕方ないなあと巻き込まれて指導室送りを食らう。降谷が何度地毛と言ってもしつこい頭の固い教師にねちねちやられている横で繰り広げられていたそんな光景を思い出す。――沙紀ならば確かにやりかねない。
「過去のサイバー犯罪、この女が少しでも関係者になっているものがあれば全て洗い出せ。並行して彼女の情報も調べろ。特に通信履歴はSNSの匿名アカウントまで探れ。証拠の一欠片でもあれば俺が行って確保する。上にはこれから申請してくる」
「了解です。……徹底的にやってやります!」
そう張り切って返事をした部下だったが……公安部の専門チームが伝手という伝手をフル活用して調べたのだが……。
一週間後、捜査状況はどうだろうかと電話を掛けると沈んだ声の部下が出た。
「降谷さん……証拠、出ませんでした」
さすがはかの名探偵すら出し抜いた詐欺師の名を名乗るだけのことはあるらしい。匿名SNSはただのスイーツ評論アカウント、実名でやっているものは数ヶ月に一度ぽつぽつと食事の画像をアップロードするくらい。沙紀の名義で契約された通信は徹底的に洗ったが、当たり障りのないものしか出てこなかったらしい。逆ハッキングも試したがガードが固く不可能。強いて言うなら沙紀の持つ電子デバイスは異様なまでにガードが固い、という程度。
「……わかった。それなら俺が直接乗り込もう」
沙紀の経歴を調べてわかったこと。新卒で入った会社を早々に辞め、職を転々としていたらしい。例のコンビニエンスストアも就活中のつなぎだったのだろう、半年ほど働いて事件後すぐに辞めている。現在はある企業に就職し、ソフトウェアの開発業務に携わっているらしい。その納期がどうやら明日、デスマーチ泊まり込み作業中とか。
「奴が帰宅次第、翌朝に乗り込む。その状況なら大して頭も回らないだろう、そこを狙って吐かせる。自白が取れたらそれを盾に司法取引を迫る」
「……違法作業のオンパレードですね」
「まずないだろうが万一違っていれば謝罪してそのときはそのときで同級生の誼で捜査協力を頼むさ。少なくとも優秀な技術者なのは間違いない」
そうこうして寝不足ふらふらだろう早朝に乗り込みその名を口にしてやれば沙紀は面白いほどに狼狽し、こちらが拍子抜けするほど素直に自白した。昔から大人だの権力者だのには強気になって噛み付いていくが、同級生だとか後輩だとか、自分と同じテリトリーの人間には非常に弱い。
降谷の思惑通りに何から何まで自白 った沙紀だったが、令状ひとつ取っていない違法作業と聞くとその目の奥に鋭い光が宿った。
「……違法作業?」
そう、その顔だ。眠たげに見えていたその顔、瞳の奥で明晰な頭脳がフル回転しているのが手に取るようにわかった。程なく沙紀は一言、公安部、と呟いた。落ち着きさえしていれば、冷静になれば沙紀の洞察力や記憶力はずば抜けている。協力者になれば見逃してやる、その頭脳をこの国のために活かせ、そう迫れば沙紀は頷いた。
「ようこそ、公安へ。歓迎するぞ、協力者さん?」
掴んだ手はいかにもインドア人間のそれで、少し力を入れ過ぎれば壊れてしまいそうだった。戸惑ったような瞳が不安げに見上げている。思えば沙紀のそんな表情を見たのは初めてのこと。
思えば高校時代、沙紀に勝てたという実感は皆無だった。テストの順位で追い抜いても素直に降谷くんすごいねえ、とへらへら笑うだけだった。暖簾に腕押し、ライバルとするには張り合いがなく、かと言って無視できないほどに優秀で。そんな沙紀を追い詰めた。アイリーン・アドラーなどとふざけた名前を名乗る彼女を、類稀なる優秀なハッカーを。そう思うと口の端が釣り上がるのを抑えきれなかった。ついにあの女を追い詰めてやったぞ、と。降谷零は自分で思うより、忘れてしまうほど無意識のうちに沙紀という存在に心のどこかが囚われていたらしい。
「降谷さんもご存知かもしれませんけど、例の警視庁のデータハッキングですよ。サイバー犯罪対策室のパソコンを逆にハッキングしたっていう」
「ああ、あれか。聞いている。アイリーン・アドラー、だろ?」
そのハッカーは一年ほど前から企業のパソコンに片っ端から侵入して回っていた。僅かに残された痕跡から辿った侵入経路は海外のサーバーを複数経由しており、その大元を探ることはまず不可能。その痕跡さえ偽造されたものである疑いがあり、捜査は非常に難航しているらしい。それでも同一犯の犯行であるとわかるのは常に『彼女』が書き置きを残すからだった。プログラムコードの狭間であったり、デスクトップの片隅にさりげなく作成されたテキストファイルであったり、翌朝立ち上げた瞬間にメッセージが流れてきたり、その手法は様々だ。だが決まってそこにはその会社の機密事項を閲覧したことを示唆する文があり、そして最後にふざけた署名で締めくくられている。『the woman』、アイリーン・アドラー、と。
「情報が流出したことはほとんどないんだったか。それもまた捜査難航の原因らしいが」
「情報源を辿ればある程度は探れますからね……この場合その流出すらなく、痕跡が侵入先にしかないのが痛いです。それ自体は幸いといえば幸いですが、犯人のパソコンにデータが写し取られている可能性もありますから」
「それで先週ついに警視庁、か」
「最重要の機密はオフラインですからおそらく無事でしょうが……。反社会的組織にでも渡れば大変な事態を招きますし、一刻も早く正体を突き止め確保しなければ」
痕跡がほとんどないために何が流出したのか特定するのは難しいが、おそらくは供述調書や警察職員の名簿などだろう、ということだ。サイバー犯罪対策課のコンピュータに「お邪魔させて頂きました」とふざけたメッセージが残されていたことから判明したらしい。それまでの『彼女』の犯行はただの愉快犯だが、今回の警視庁のコンピュータに侵入などというテロ紛いの行為のため、その事案の担当はサイバー犯罪対策課から公安部へと移動し、「公安的配慮」でその事実は報道関係には伏せられている。だが鼻のいい週刊誌辺りはどうも何かあったようだと嗅ぎ回っているらしい。
この流れを死んだ目で語る部下に何徹目だ、と聞くとどうやらこの事案のために四徹目らしい。問答無用で仮眠室に連行しながら降谷はいくつか考えうる捜査手法を口にした。少し眠って頭をすっきりさせてから別のアプローチも検討させればなんとかなるだろう。彼とて優秀な公安刑事、しかも情報関係に強いと特に推薦されて降谷の作業班に入っているのだから。
「……凄腕のハッカーと言っても最初は誰でも初心者だ。過去の似た手口のサイバー犯罪の相談を漁れば絞り込むことは不可能ではないかもしれないな」
「過去のですか……。確かに数ヶ月ごとに技術革新が起きる世界と言っても過言ではありませんし数年分も漁れば何かしら出てくるかもしれませんね」
「アイリーン・アドラーを自称、手口から言っておそらくは愉快犯。……若いだろうな。せいぜい三十代前半までってところか。デジタルネイティブの十代はそこらの社会人よりよほど電子デバイスに親しんでいることだし下限は絞りきれないな、下手すると学生も考えられる」
「そうか……。プロファイルから攻めるのも一手でしたね……」
「僕も一応は探り屋などと呼ばれてる身だからな。明日の昼まではいるから何かあれば遠慮なく来い。NOCリストでも流出させられたら事だからな」
そうして四徹目の半死人を仮眠室に叩き込み、降谷はとりあえず自身の報告と業務に向かった。半日後、先程よりはよほどマシな顔になった部下が降谷の前に現れた。
「例のハッカーがよく経由地に使う国からの痕跡が残るハッキング事件を洗い出したんですが、これがまあとんでもない量で……」
「だろうな。まあこの辺りは除外していいんじゃないか?愉快犯というより産業スパイめいた犯行だし」
「そうなると残るのは……二年前のコンビニエンスストアのコンピュータ侵入事件が気になりますね」
「コンビニエンスストア?」
「ええ、店舗で社員の勤怠管理や給与関係のデータが入ったコンピュータのデータが突如として店長の目の前で消し飛んだそうです。これだけならただの故障かウイルス感染なんですが、消し飛んだ直後、画面に犯人からのメッセージが浮かんだそうで」
おそらく携帯電話で慌てて撮影したのだろう、荒い画像が添付されていた。
「データは預からせて頂いた、返して欲しければこちらの要求を呑めと、その店舗のオーナー宛に」
「それで無差別ウイルスではなく特定の場所を狙った犯行と断定された訳か」
「ええ、それで警察に相談が来まして、サイバー犯罪対策課が調査に向かったところ、データが復旧したそうです」
「……は?」
「状況確認のためにパソコンを立ち上げた途端、ある定番人気ゲームのステージクリア時のBGMと共にと」
「……ふざけてるな。愉快犯か」
「ええ。ただそのコンビニエンスストアですが、結果的にその事件がきっかけで多くの違法行為が確認されたそうです。高校生までが深夜帯に無給で残業させられていたり、店長やオーナーからのハラスメントの映像が発見されたり……」
「犯罪は犯罪だが義賊的行為だった、というわけか。……確かに例のハッカーも数少ない情報流出の事例は脱税の証拠だったな」
「手口もやや似通っていますね。おそらく中古のスマートフォンで最寄駅の公共のWiFiから接続、近辺の防犯カメラの映像も確認はされたそうですがそれらしき人物の特定には至らなかったそうです」
公共のWiFiは災害時や緊急時には便利だが、こういった犯罪行為に使われることもあるのだから一長一短である。
「ただその推測される動機から店舗関係者、特に劣悪な状況に置かれていたアルバイト店員及び関係者と見て捜査は行われたそうです。一応当時の参考人のリストは残ってましたね」
「へえ、ちょっと見せてみろ」
たとえばその中に他の事件の関係者の一人もいれば捜査対象は絞り込める。さすがに可能性は低いだろうなとは思いつつ、降谷はリストにざっと目を通した。
「……お」
「何か気になる点でもありましたか?」
「いや、佐々木……高校時代の同級生がいただけだ。特に親しい訳でもなかったが……何度か定期考査の順位争いをした覚えがある」
「優秀な方なんですね。でもそんな人がまたなんでコンビニでバイトなんて」
「結婚して子供でもできたんじゃないか?子供が幼いうちは近所でパートとか……いや苗字が変わってないなら可能性は下がるか」
「一応この当時は独身だそうですよ。子供もいないようで」
「それならあの正義感で上司と喧嘩でもしてクビになったか、だな。一見おっとりしてるようで案外気が強い奴でふざけた口調で人を煽って、一度は停学に……」
ふとそこで降谷は言葉を切った。アイリーン・アドラー、自分は『彼女』をどう分析したんだっけ?
まず一に非常に優秀なハッカーである。――これはここまで捜査が難航していることを考えれば自明だ。ハッキング、というより近年のサイバー関連の技術は日々進歩している。その進歩に半歩と遅れずついていける、少なくともこの一年間誰にもその影すら掴ませない技量はひとえに学習能力の高さを示している。
二に悪意の薄さである。「義賊的」と評したが、確かに『彼女』の犯行はスパイのそれとは一線を画している。わざわざメッセージを残すあたりなどまさしく愉快犯としか表しようがない。侵入されたある会社などは「マルウェア感染一歩手前だったんで削除しておきました、以後気をつけた方がいいですよ」などとふざけたメッセージを残されていたらしい。怒ればいいのか感謝すればいいのか分からないと嘆く社長の会見映像はしばらくワイドショーのネタにされていた。
降谷零にはこの双方を満たす関係者に心当たりがあった。一見するといかにもおっとりした文学少女といった風だったが、その実は正義感も気も強く、それでいてユーモア精神過剰気味の同級生――確か沙紀の進学先は情報関係の学科ではなかっただろうか。
例のコンビニエンスストアの事件の資料を改めて読み込む。事件当日沙紀は休日だった。ある会社へ採用面接に行っていたそうで、接続場所とされる駅での犯行は不可能に近いと判断され容疑者から外されたらしい。だがこの手の犯罪はアリバイなどあってないようなもの。たとえばコインロッカーに予め時限式でセットされたスマートフォンを用意しておけば十分に可能だ。もしくはそれを遠隔操作すれば離れた場所からも犯行が可能となる。事実沙紀は当日の朝と夕方に例の駅を利用したことを自ら認めている。たとえば朝に荷物を預けるフリをしてコインロッカーにスマートフォンを仕込み、帰りに回収する。そのスマートフォン本体が発見されない限りそれが遠隔操作されていたかも時限式のセットがされていたかも分からない。この事件は犯人へとつながる証拠は一切なく、データが戻ってきたこともあり優先度の低い未解決事件として記録ファイルを埋めている。
「……この犯人だが少々心当たりができた。場合によってはこちらに引き込めるかもしれない」
「司法取引で『協力者』にすると?」
「まあお得意の違法行為さ。俺の推測が当たれば犯人は純然たる愉快犯、手錠かけて数年間技術の進歩から取り残させるよりこき使ってやる方が世の為人の為、ついでに本人の為だ」
遥か昔にさえ思える高校時代を思い出す。確かクラスが一緒になったことは一度もなかった。けれど学年順位が貼り出されるとき、大抵その名前は降谷零の隣に並んでいた。本人はへらへら笑ってばかりいたけど。そのくせ「やれそうだったから」という理由だけでピアスホールを開けバイクの免許を取り、生徒指導室に呼び出されて調査書がどうなっても知らんぞと脅されても飄々と「筆記で満点取るんで大丈夫です」と答えてごく短期間とはいえ停学を食らっていた。とんでもない女だった。
親しくはなかった降谷にさえそんな記憶が残るほど沙紀は優秀で、それでいてふざけた奴だった。そのくせ人間関係にはやたら不器用だった。横暴な教師には迷いなく噛み付くくせに、道を踏み外しかかった同級生に嘘くさく泣きつかれれば困った顔で仕方ないなあと巻き込まれて指導室送りを食らう。降谷が何度地毛と言ってもしつこい頭の固い教師にねちねちやられている横で繰り広げられていたそんな光景を思い出す。――沙紀ならば確かにやりかねない。
「過去のサイバー犯罪、この女が少しでも関係者になっているものがあれば全て洗い出せ。並行して彼女の情報も調べろ。特に通信履歴はSNSの匿名アカウントまで探れ。証拠の一欠片でもあれば俺が行って確保する。上にはこれから申請してくる」
「了解です。……徹底的にやってやります!」
そう張り切って返事をした部下だったが……公安部の専門チームが伝手という伝手をフル活用して調べたのだが……。
一週間後、捜査状況はどうだろうかと電話を掛けると沈んだ声の部下が出た。
「降谷さん……証拠、出ませんでした」
さすがはかの名探偵すら出し抜いた詐欺師の名を名乗るだけのことはあるらしい。匿名SNSはただのスイーツ評論アカウント、実名でやっているものは数ヶ月に一度ぽつぽつと食事の画像をアップロードするくらい。沙紀の名義で契約された通信は徹底的に洗ったが、当たり障りのないものしか出てこなかったらしい。逆ハッキングも試したがガードが固く不可能。強いて言うなら沙紀の持つ電子デバイスは異様なまでにガードが固い、という程度。
「……わかった。それなら俺が直接乗り込もう」
沙紀の経歴を調べてわかったこと。新卒で入った会社を早々に辞め、職を転々としていたらしい。例のコンビニエンスストアも就活中のつなぎだったのだろう、半年ほど働いて事件後すぐに辞めている。現在はある企業に就職し、ソフトウェアの開発業務に携わっているらしい。その納期がどうやら明日、デスマーチ泊まり込み作業中とか。
「奴が帰宅次第、翌朝に乗り込む。その状況なら大して頭も回らないだろう、そこを狙って吐かせる。自白が取れたらそれを盾に司法取引を迫る」
「……違法作業のオンパレードですね」
「まずないだろうが万一違っていれば謝罪してそのときはそのときで同級生の誼で捜査協力を頼むさ。少なくとも優秀な技術者なのは間違いない」
そうこうして寝不足ふらふらだろう早朝に乗り込みその名を口にしてやれば沙紀は面白いほどに狼狽し、こちらが拍子抜けするほど素直に自白した。昔から大人だの権力者だのには強気になって噛み付いていくが、同級生だとか後輩だとか、自分と同じテリトリーの人間には非常に弱い。
降谷の思惑通りに何から何まで
「……違法作業?」
そう、その顔だ。眠たげに見えていたその顔、瞳の奥で明晰な頭脳がフル回転しているのが手に取るようにわかった。程なく沙紀は一言、公安部、と呟いた。落ち着きさえしていれば、冷静になれば沙紀の洞察力や記憶力はずば抜けている。協力者になれば見逃してやる、その頭脳をこの国のために活かせ、そう迫れば沙紀は頷いた。
「ようこそ、公安へ。歓迎するぞ、協力者さん?」
掴んだ手はいかにもインドア人間のそれで、少し力を入れ過ぎれば壊れてしまいそうだった。戸惑ったような瞳が不安げに見上げている。思えば沙紀のそんな表情を見たのは初めてのこと。
思えば高校時代、沙紀に勝てたという実感は皆無だった。テストの順位で追い抜いても素直に降谷くんすごいねえ、とへらへら笑うだけだった。暖簾に腕押し、ライバルとするには張り合いがなく、かと言って無視できないほどに優秀で。そんな沙紀を追い詰めた。アイリーン・アドラーなどとふざけた名前を名乗る彼女を、類稀なる優秀なハッカーを。そう思うと口の端が釣り上がるのを抑えきれなかった。ついにあの女を追い詰めてやったぞ、と。降谷零は自分で思うより、忘れてしまうほど無意識のうちに沙紀という存在に心のどこかが囚われていたらしい。
