「だからその手を捕まえる」
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「……普通の女だな。日常の動きからして何か特殊な訓練を受けたようには見えなかった」
「普通、か。でも」
「とてもそのようには考えられないが」
長い足を組んで男は、赤井秀一はそう言って息を吐きだした。先程まで沖山昴としてある人物に少々探りを入れていたのだが、特に何の収穫も得られなかった。コナンも赤井も元より一度や二度で何かが得られるとは思ってはいなかったが。
ミステリートレインの一件の後、赤井に「安室透の恋人」という存在について伝えるとその翌日には既に彼女に接触しているというのだから行動が早い。さすがはFBI捜査官という訳か。――昼過ぎにポアロに来店し食事を摂ったのちにスーパーで少し日用品の買い物を行い帰宅。外出時間およそ二時間。三日に一度ほどこの程度の外出をするくらいで基本的に外に出ていない。これが沙紀のここ一週間の行動記録だった。確かに近所に住んでいるという割にポアロ以外で沙紀の姿を見かけるのは稀だ。
「仮説のひとつとして、彼女自身ではなくその家族や近しい人物が組織の関係者である、というものだ。だとすれば彼女自身が普通であることとは矛盾しない」
「でもそうなるとなぜポアロに来させているか、だよね。話しぶりからすると安室さんの方から来るように誘っているようだし」
「それが事実ならばこうも考えられる。恋人役として雇われた女性。シェリーとつながりがあると考えた毛利小五郎に数年前から付き合いのある恋人という存在を見せることで安室透の存在を補強する」
「……でもそれにしては」
「もしそうなら今少しマシな演技をするだろうな。そして初めから恋人として坊やたちの前に現れたはずだ」
その女性に不信感を抱いたのは安室透という存在がきっかけだった。いや、正確には安室透に不信感を抱いたからこそ、芋づる式に沙紀という女性にも同様の不信感を持つことになった。彼が「実は恋人なんです」と告げたときになぜか驚いていた彼女の顔。照れ屋で内気、そうは言うものの、それはまるで彼女のおどおどとした言動をフォローするものかのようにも思えて。
「組織にいた頃からバーボンは秘密主義者だった。派手な作戦よりも情報収集とその分析に長けていて、作戦の下調べや根回しを行うことが多かった。情報屋やハッカーを雇っていたという話も聞いたことはある」
「つまりあの女の人とバーボンは客と店員を装ってポアロで情報をやり取りする予定だった、ってこと?」
「だろうな。あの女性自体が情報屋という可能性は低い。あれはどう見ても裏社会の人間ではない」
「となると……組織側にも敵側にも不審に思われずに情報をやり取りするための媒介役、それがあの人の正体……」
「坊やが気づいたことでそこはひとまず諦めたのだろうな。そこで彼女を安室透の存在を補強材料として転用した。まあしばらく様子を見てはみるが、彼女自体に何かある可能性は低そうだ」
「……僕は僕で探ってみるよ。脅されて利用されてるのならこっちに引き込めるかもしれないし」
「まあそうだな。だが俺の推測では彼は――」
***
キック力増強シューズ、腕時計型麻酔銃、ボール射出ベルト。工藤邸でコナンが博士に調整を依頼した数々の装備を確認している間、この家に居候している青年はキッチンで誰かと電話で連絡を取り合っていた。流暢な英語の断片から察するに恐らくは例の作戦について同僚と打ち合わせているのだろう。すぐに通話は終わり、電話をポケットにしまいながらリビングに戻ってくる。
ボスの居場所とその正体、ナンバー・ツーとされるラムの情報、そしてアポトキシン4869の研究所。先日ついにその全ての情報が揃い、各国の捜査機関が合同で組織の一斉検挙へと動くことになった。目下FBIの担当はその研究所の制圧、及び研究員とデータの確保である。ラムの身柄は公安に譲ることにはなるが、代わりにベルモットを始めとする主要幹部の身柄はFBIの管轄となる。壊滅できればそれでいいのに、コナンとしてはそう思わなくもないが、大人の世界には成果を出さなくてはならないことも色々とある。彼も少しはそういった事情も分かってはいるので支障が出ない限りは何か言うべきではないと飲み込む。それこそ壊滅できればそれが良い。そのライバル意識が良い方向に働くのならそれに越したことはないのだし。
「……赤井さん、研究施設への突入、どう?」
「ああ。日本の公安から借りたハッカーが手筈を整えたそうだ。今から直接繋いで作戦を遂行する」
その表情は不思議なほどに明るい。
「公安から?FBIの人を入れるのかと思った」
「以前安室くんをサポートして似たような作戦を成功させたそうでな。それにそいつの作ったハッキングマニュアルも大したものだった。ジョディがこの手口はニンジャかと興奮していた」
ニンジャ。確かにこの作戦ではギリギリまで侵入に気づかれないよう進めることが最重要事項だ。途中で気づかれては幹部が応援に駆けつけることだろう。だが完全に制圧された後でその情報が伝われば対策のために一度別の場所に集まる可能性は高い。そうでなくとも多くの幹部や構成員が動かされるのはほぼ確実だ。何しろこの施設は組織の悲願なのだから。
だがコナンは一つの人名に引っかかりを覚えていた。
「――安室さんをサポートした、凄腕のハッカー」
「ああ。――おそらく協力者、というやつだろう。安室くんの。……その顔だと坊やも心当たりがあるのかな?」
「うん。坊やも、ってことは赤井さんも?」
「ああ。……安室くんが傍に置いていた妙な女性がいたな。恋人を名乗らせ、ポアロで恋人の振りをするほかはほとんど部屋に引きこもりの、やたら電子機器に詳しい女性が。何かしらの協力者なのは間違いない」
何も知らない人ならば安室透の彼女、という存在に何の疑問も抱かないだろう。けれどこの二人は違う。安室透という架空の存在に、バーボンという裏の顔に、そして降谷零という真の顔を知ってしまっているこの二人には。その存在は不自然だった。
「沙紀さん、よくリストバンドしてたんだよね。手首の内側が少し分厚いやつ。あれってさ、タイピング時に手首の位置を固定するやつだよね。それくらい頻繁に長時間タイピングをする。……それに一度そこにUSBを挟んでるのも見た」
「そういえば彼女、見るたびに携帯の機種も違っていたな。引きこもりがちのデザイナーという設定にしては機種変更が少々頻繁すぎる」
「僕にはサブのだから、って言ってたけど……。それに何度か発信機を取り付けてみたけど絶対に毎回破壊される。場所は決まって沙紀さんのマンション、入ってすぐ。たぶん玄関に発信機の検知器か何かがつけてあって、発見するたびに分解されてる」
「……坊やもなかなかやるな。それ、安室くんは?」
「その度にポアロで返された。一度はケーキの中に入れられてたよ」
「それは……まあ身から出たさび、だな」
電子機器に詳しい、おそらくは降谷零の協力者。米花町で側に置くということは探り屋バーボンとして必要だったのだろう。そしてここになって判明した過去に安室透に協力したという凄腕のハッカー。――おそらくは沙紀こそがバーボンとしての情報戦を支えたハッカーその人だろう。
以前安室透が行ったという作戦の報告書を受け取りコナンが目を通していると、赤井はスマートフォンで何かを調べ始めた。数年前のとあるニュースに辿り着き、思わずふっと笑みをこぼす。推測が当たっていれば彼女はおそらく。
「……赤井さん、何してるの?」
「少し安室くんの行った作戦を調べていてな。……場合によっては彼女、別の顔もありそうだ」
そして赤井はポケットから先程とは別の端末を取り出した。その協力者との連絡用に公安から貸し出されたものだという。コナンにも聞こえるようスピーカーにしてから発信する。数度の発信音ののち、通話が始まった。口火を切ったのは赤井の方からだった。
「はじめまして。君が例の協力者かな?」
さあどう出るか。予想が当たれば電話の向こうにいるのは例の彼女のはずだが――。
『……はじめまして、赤井秀一さん。私は――二三一一です』
名乗ったのは名ではなく番号。公安の協力者は数字で管理されるというからおそらくはそれだろう。そして確かにそう告げた声は若い女性のもの。それも聞き覚えがある。沖矢昴は彼女と直接的な関わりはほぼなかったが、コナンは彼女をポアロで見かけて話したこともあれば一緒に事件に巻き込まれたこともある。コナンが軽く頷く。
『……あの、とりあえず作戦の説明しちゃいますね。今から施設内部図と侵入可能な経路をそちらの端末に送ります。日没後なら映像を誤魔化しやすいので、それ以降でそちらの準備ができ次第作戦開始です。作戦可能なのは最大でも七時間、できることなら五時間以内に済ませてください』
端末を操作して送られてきたファイルを確認する。防犯カメラの映像から非公開の屋内の間取りを推測したようで、CGデータとして出力されている。すべてを彼女が手掛けた訳ではないだろうが、大した技術である。
赤井はざっと目を通し感嘆の声を漏らした。限られた時間でよくぞここまで手がけたものである。
「了解した。――それにしてもここまで優秀な恋人がいるとは、安室くんも幸せ者だな」
『……え?』
「――安室透、いやバーボンがわざわざ米花町に住まわせ接触を持っていた機械関係にやたら詳しい女性。知り合いなのではないかと問い詰められ、咄嗟に恋人と名乗らせた。君の能力は探り屋バーボンにとって必須だったのではないかな?」
電話の向こうからはこれ以上ない程に動揺した声。え、あ、なんで、と呟くのが聞こえた。そして。
『……そ、そういう誘導尋問には誤魔化されませんから!』
コナンは思わず頭を抱えた。いっそすがすがしいほどの自爆だ。
「……沙紀さんさあ、それもう自白してるよ?」
『え……?あれ、その声って……コナンくん?』
「そうだよ。……沙紀さん、ハッカーだったんだね」
『これはその、色々と事情があって……じゃなくてFBI、なんでコナンくんがいるんですか?FBIだって警察なんですよね!?』
「これも色々と事情があってな。坊やも俺もその研究施設に用がある」
赤井の言葉に彼女が息をのむ音が聞こえた。
『……もしかしてコナンくん、組織の薬物被害で……』
――そこまで知っているのか。思わずコナンの表情が硬くなる。随分と付け入りやすいとはいえあの降谷零の協力者をしていただけあって頭の回転はそう悪くないようだ。だが。
『……ご両親が入院とかしてるの?それで毛利先生のところに?』
「……まあ、そんな感じ」
『そっか。……だから探ってたんだね。安室さんのこと。でも危ないからこれは大人の人に任せた方がいいよ』
そういえば毛利小五郎が実の親ではなく両親は外国にいる――そう説明したとき、彼女は心底コナンのことを心配していた。ごく普通に根は優しい女性なのだ、彼女は。けれど。
「沙紀さん、心配してくれてありがと。――でもこれは僕自身が蹴りをつけなきゃいけない問題だからさ」
そう言い切ると電話の向こう側で軽く息を吐く音が聞こえた。
『……分かりました。それはFBIに任せます。私は何も聞かなかったことにします』
「話が早くて助かるよ」
『……代わりにひとついいですか?」
声の質が変わる。その言葉の端々からブレが消え、微かに低まった声が彼女の心情を表しているようで。
「……何かな?俺に答えられることだと良いが」
『それ以上詮索するなら、私もあなたを別の名前で呼びます。――ねえ、ライさん。"スコッチを仕留めた"ライさん』
今度は赤井の表情が変わる番だった。何か単語を紡ぐかのように微かに唇が動く。そして。
「――ああ。それをどこから知ったのかは聞かないが」
『……言っときますけど"安室さん"からじゃないですよ』
「なるほど、さすが優秀なハッカーのようだ」
『お互いにここまでにしましょう。……それ以上は踏み込まないで。代わりに私もこれ以上は踏み込まない』
「ああ。そうしよう。フィフティー・フィフティー、というわけか」
コナンはソファに深く腰掛けたまま口を開いた。
「……スコッチってお酒の名前、だよね。確か世界五大ウイスキーのひとつ、スコットランド原産のもの」
「詳しいな、坊や。――その通りだよ」
「"スコッチを仕留めた"ライ。ライも世界五大ウイスキーに数えられるアメリカンウイスキーのひとつ。そして赤井さんのコードネームでもあった。……お姉さんって、何者?」
視線が絡む。赤井は軽く肩を竦めた。
「俺も知っているのは公安の人脈の中でも指折りの優秀なハッカーで、おそらく安室くんに協力していた、それだけだ。これ以上は安室くんか彼女当人に聞くしかないが……」
「安室さんがそばにおいていて公安にも登録されている、その人が組織の人間な訳がない。それは知ってるよ」
『だから、それ以上踏み込むなら……』
彼女の少し苛立ったような声が割り込む。
「――ひとつだけ質問させて。沙紀さんは敵、だよね。……悪い奴らの」
いつか誰かにぶつけた質問。あのときははぐらかされたけれど。
『……そうだよ。それに組織を潰してほしいのは私も同じ。全部終わってくれないと困るんだ』
「そっか。……分かった。それじゃあ、よろしくね。二三一一さん」
『こちらもよろしくお願いしますね。FBIの、赤井さん』
「……ああ。決行可能な状態が整い次第こちらから連絡する」
電話が切られる。軽く溜め息をついて赤井は呟いた。
「それにしてもそこまで独自に調べ上げるとは、さすが、アイリーン・アドラー嬢というわけだ」
「……?」
「さて、もう行かなくてはな。作戦可能時間は出来る限り無駄にできん」
赤井は愛車に何も仕掛けられていないことを確認したのちにエンジンをかけ、その間にコナンは助手席に飛び乗った。先日割り出された研究施設から数百メートル離れた場所にFBIが押さえた仮の待機場所がある。その道中でコナンが口を開いた。
「……ところでさ、アイリーン・アドラー嬢って何のこと?」
「坊やでもそこは分からなかったか」
「……ボヘミアの醜聞に登場するシャーロック・ホームズを唯一出し抜いた女性、だけど――あっ、」
「そう。数年前、巷を騒がせたハッカーの話、聞いたことはあるだろう?FBIとしてもそこまで優秀なら引き抜いてホワイトハッカーとしてその腕を振るってもらうのも有りだと考えていたそうでね、ある程度調べられていた。とはいえ国境の壁は厚くその正体に辿り着くことはなかったがな」
「公安はそれを突きとめて……見逃す代わりに協力者に仕立て上げた」
「ああ。安室くんがバーボンとして実行した類似の作戦だが、彼が侵入した製薬会社の名前に聞き覚えがあってな。……その日その会社は、アイリーン・アドラーを名乗るハッカーに引っ掻き回されていた。おそらくはセキュリティシステムを乗っ取った痕跡を隠すため。……木を隠すなら森の中、というわけだ」
「それで安室さんの協力者が恋人を名乗らせていたあの沙紀さんであり、そして『彼女』の可能性もあると……」
「ああ。彼とつながりがあったのは少々予想外だったがな」
ネットニュースを調べると確かにアイリーン・アドラーと名乗るハッカーのニュースがちらほらと出てくる。ざっと見る限りでは純然たる愉快犯のようで、数年前から悪ふざけとしか思えない犯行を繰り返しているらしい。……なお最新のものは一年ほど前にとある汚職政治家のホームページを乗っ取ってアクセスするたびに小フーガト短調が流れるように仕掛けた、というものだった。ニュースサイトに乗っていたその被害者の頭髪は確かに乏しかった、が。
「……赤井さん、あのお姉さん本当に大丈夫なんだよね?」
その疑問は先程とは違う意味合いであったが、それに赤井は答えなかった。
「普通、か。でも」
「とてもそのようには考えられないが」
長い足を組んで男は、赤井秀一はそう言って息を吐きだした。先程まで沖山昴としてある人物に少々探りを入れていたのだが、特に何の収穫も得られなかった。コナンも赤井も元より一度や二度で何かが得られるとは思ってはいなかったが。
ミステリートレインの一件の後、赤井に「安室透の恋人」という存在について伝えるとその翌日には既に彼女に接触しているというのだから行動が早い。さすがはFBI捜査官という訳か。――昼過ぎにポアロに来店し食事を摂ったのちにスーパーで少し日用品の買い物を行い帰宅。外出時間およそ二時間。三日に一度ほどこの程度の外出をするくらいで基本的に外に出ていない。これが沙紀のここ一週間の行動記録だった。確かに近所に住んでいるという割にポアロ以外で沙紀の姿を見かけるのは稀だ。
「仮説のひとつとして、彼女自身ではなくその家族や近しい人物が組織の関係者である、というものだ。だとすれば彼女自身が普通であることとは矛盾しない」
「でもそうなるとなぜポアロに来させているか、だよね。話しぶりからすると安室さんの方から来るように誘っているようだし」
「それが事実ならばこうも考えられる。恋人役として雇われた女性。シェリーとつながりがあると考えた毛利小五郎に数年前から付き合いのある恋人という存在を見せることで安室透の存在を補強する」
「……でもそれにしては」
「もしそうなら今少しマシな演技をするだろうな。そして初めから恋人として坊やたちの前に現れたはずだ」
その女性に不信感を抱いたのは安室透という存在がきっかけだった。いや、正確には安室透に不信感を抱いたからこそ、芋づる式に沙紀という女性にも同様の不信感を持つことになった。彼が「実は恋人なんです」と告げたときになぜか驚いていた彼女の顔。照れ屋で内気、そうは言うものの、それはまるで彼女のおどおどとした言動をフォローするものかのようにも思えて。
「組織にいた頃からバーボンは秘密主義者だった。派手な作戦よりも情報収集とその分析に長けていて、作戦の下調べや根回しを行うことが多かった。情報屋やハッカーを雇っていたという話も聞いたことはある」
「つまりあの女の人とバーボンは客と店員を装ってポアロで情報をやり取りする予定だった、ってこと?」
「だろうな。あの女性自体が情報屋という可能性は低い。あれはどう見ても裏社会の人間ではない」
「となると……組織側にも敵側にも不審に思われずに情報をやり取りするための媒介役、それがあの人の正体……」
「坊やが気づいたことでそこはひとまず諦めたのだろうな。そこで彼女を安室透の存在を補強材料として転用した。まあしばらく様子を見てはみるが、彼女自体に何かある可能性は低そうだ」
「……僕は僕で探ってみるよ。脅されて利用されてるのならこっちに引き込めるかもしれないし」
「まあそうだな。だが俺の推測では彼は――」
***
キック力増強シューズ、腕時計型麻酔銃、ボール射出ベルト。工藤邸でコナンが博士に調整を依頼した数々の装備を確認している間、この家に居候している青年はキッチンで誰かと電話で連絡を取り合っていた。流暢な英語の断片から察するに恐らくは例の作戦について同僚と打ち合わせているのだろう。すぐに通話は終わり、電話をポケットにしまいながらリビングに戻ってくる。
ボスの居場所とその正体、ナンバー・ツーとされるラムの情報、そしてアポトキシン4869の研究所。先日ついにその全ての情報が揃い、各国の捜査機関が合同で組織の一斉検挙へと動くことになった。目下FBIの担当はその研究所の制圧、及び研究員とデータの確保である。ラムの身柄は公安に譲ることにはなるが、代わりにベルモットを始めとする主要幹部の身柄はFBIの管轄となる。壊滅できればそれでいいのに、コナンとしてはそう思わなくもないが、大人の世界には成果を出さなくてはならないことも色々とある。彼も少しはそういった事情も分かってはいるので支障が出ない限りは何か言うべきではないと飲み込む。それこそ壊滅できればそれが良い。そのライバル意識が良い方向に働くのならそれに越したことはないのだし。
「……赤井さん、研究施設への突入、どう?」
「ああ。日本の公安から借りたハッカーが手筈を整えたそうだ。今から直接繋いで作戦を遂行する」
その表情は不思議なほどに明るい。
「公安から?FBIの人を入れるのかと思った」
「以前安室くんをサポートして似たような作戦を成功させたそうでな。それにそいつの作ったハッキングマニュアルも大したものだった。ジョディがこの手口はニンジャかと興奮していた」
ニンジャ。確かにこの作戦ではギリギリまで侵入に気づかれないよう進めることが最重要事項だ。途中で気づかれては幹部が応援に駆けつけることだろう。だが完全に制圧された後でその情報が伝われば対策のために一度別の場所に集まる可能性は高い。そうでなくとも多くの幹部や構成員が動かされるのはほぼ確実だ。何しろこの施設は組織の悲願なのだから。
だがコナンは一つの人名に引っかかりを覚えていた。
「――安室さんをサポートした、凄腕のハッカー」
「ああ。――おそらく協力者、というやつだろう。安室くんの。……その顔だと坊やも心当たりがあるのかな?」
「うん。坊やも、ってことは赤井さんも?」
「ああ。……安室くんが傍に置いていた妙な女性がいたな。恋人を名乗らせ、ポアロで恋人の振りをするほかはほとんど部屋に引きこもりの、やたら電子機器に詳しい女性が。何かしらの協力者なのは間違いない」
何も知らない人ならば安室透の彼女、という存在に何の疑問も抱かないだろう。けれどこの二人は違う。安室透という架空の存在に、バーボンという裏の顔に、そして降谷零という真の顔を知ってしまっているこの二人には。その存在は不自然だった。
「沙紀さん、よくリストバンドしてたんだよね。手首の内側が少し分厚いやつ。あれってさ、タイピング時に手首の位置を固定するやつだよね。それくらい頻繁に長時間タイピングをする。……それに一度そこにUSBを挟んでるのも見た」
「そういえば彼女、見るたびに携帯の機種も違っていたな。引きこもりがちのデザイナーという設定にしては機種変更が少々頻繁すぎる」
「僕にはサブのだから、って言ってたけど……。それに何度か発信機を取り付けてみたけど絶対に毎回破壊される。場所は決まって沙紀さんのマンション、入ってすぐ。たぶん玄関に発信機の検知器か何かがつけてあって、発見するたびに分解されてる」
「……坊やもなかなかやるな。それ、安室くんは?」
「その度にポアロで返された。一度はケーキの中に入れられてたよ」
「それは……まあ身から出たさび、だな」
電子機器に詳しい、おそらくは降谷零の協力者。米花町で側に置くということは探り屋バーボンとして必要だったのだろう。そしてここになって判明した過去に安室透に協力したという凄腕のハッカー。――おそらくは沙紀こそがバーボンとしての情報戦を支えたハッカーその人だろう。
以前安室透が行ったという作戦の報告書を受け取りコナンが目を通していると、赤井はスマートフォンで何かを調べ始めた。数年前のとあるニュースに辿り着き、思わずふっと笑みをこぼす。推測が当たっていれば彼女はおそらく。
「……赤井さん、何してるの?」
「少し安室くんの行った作戦を調べていてな。……場合によっては彼女、別の顔もありそうだ」
そして赤井はポケットから先程とは別の端末を取り出した。その協力者との連絡用に公安から貸し出されたものだという。コナンにも聞こえるようスピーカーにしてから発信する。数度の発信音ののち、通話が始まった。口火を切ったのは赤井の方からだった。
「はじめまして。君が例の協力者かな?」
さあどう出るか。予想が当たれば電話の向こうにいるのは例の彼女のはずだが――。
『……はじめまして、赤井秀一さん。私は――二三一一です』
名乗ったのは名ではなく番号。公安の協力者は数字で管理されるというからおそらくはそれだろう。そして確かにそう告げた声は若い女性のもの。それも聞き覚えがある。沖矢昴は彼女と直接的な関わりはほぼなかったが、コナンは彼女をポアロで見かけて話したこともあれば一緒に事件に巻き込まれたこともある。コナンが軽く頷く。
『……あの、とりあえず作戦の説明しちゃいますね。今から施設内部図と侵入可能な経路をそちらの端末に送ります。日没後なら映像を誤魔化しやすいので、それ以降でそちらの準備ができ次第作戦開始です。作戦可能なのは最大でも七時間、できることなら五時間以内に済ませてください』
端末を操作して送られてきたファイルを確認する。防犯カメラの映像から非公開の屋内の間取りを推測したようで、CGデータとして出力されている。すべてを彼女が手掛けた訳ではないだろうが、大した技術である。
赤井はざっと目を通し感嘆の声を漏らした。限られた時間でよくぞここまで手がけたものである。
「了解した。――それにしてもここまで優秀な恋人がいるとは、安室くんも幸せ者だな」
『……え?』
「――安室透、いやバーボンがわざわざ米花町に住まわせ接触を持っていた機械関係にやたら詳しい女性。知り合いなのではないかと問い詰められ、咄嗟に恋人と名乗らせた。君の能力は探り屋バーボンにとって必須だったのではないかな?」
電話の向こうからはこれ以上ない程に動揺した声。え、あ、なんで、と呟くのが聞こえた。そして。
『……そ、そういう誘導尋問には誤魔化されませんから!』
コナンは思わず頭を抱えた。いっそすがすがしいほどの自爆だ。
「……沙紀さんさあ、それもう自白してるよ?」
『え……?あれ、その声って……コナンくん?』
「そうだよ。……沙紀さん、ハッカーだったんだね」
『これはその、色々と事情があって……じゃなくてFBI、なんでコナンくんがいるんですか?FBIだって警察なんですよね!?』
「これも色々と事情があってな。坊やも俺もその研究施設に用がある」
赤井の言葉に彼女が息をのむ音が聞こえた。
『……もしかしてコナンくん、組織の薬物被害で……』
――そこまで知っているのか。思わずコナンの表情が硬くなる。随分と付け入りやすいとはいえあの降谷零の協力者をしていただけあって頭の回転はそう悪くないようだ。だが。
『……ご両親が入院とかしてるの?それで毛利先生のところに?』
「……まあ、そんな感じ」
『そっか。……だから探ってたんだね。安室さんのこと。でも危ないからこれは大人の人に任せた方がいいよ』
そういえば毛利小五郎が実の親ではなく両親は外国にいる――そう説明したとき、彼女は心底コナンのことを心配していた。ごく普通に根は優しい女性なのだ、彼女は。けれど。
「沙紀さん、心配してくれてありがと。――でもこれは僕自身が蹴りをつけなきゃいけない問題だからさ」
そう言い切ると電話の向こう側で軽く息を吐く音が聞こえた。
『……分かりました。それはFBIに任せます。私は何も聞かなかったことにします』
「話が早くて助かるよ」
『……代わりにひとついいですか?」
声の質が変わる。その言葉の端々からブレが消え、微かに低まった声が彼女の心情を表しているようで。
「……何かな?俺に答えられることだと良いが」
『それ以上詮索するなら、私もあなたを別の名前で呼びます。――ねえ、ライさん。"スコッチを仕留めた"ライさん』
今度は赤井の表情が変わる番だった。何か単語を紡ぐかのように微かに唇が動く。そして。
「――ああ。それをどこから知ったのかは聞かないが」
『……言っときますけど"安室さん"からじゃないですよ』
「なるほど、さすが優秀なハッカーのようだ」
『お互いにここまでにしましょう。……それ以上は踏み込まないで。代わりに私もこれ以上は踏み込まない』
「ああ。そうしよう。フィフティー・フィフティー、というわけか」
コナンはソファに深く腰掛けたまま口を開いた。
「……スコッチってお酒の名前、だよね。確か世界五大ウイスキーのひとつ、スコットランド原産のもの」
「詳しいな、坊や。――その通りだよ」
「"スコッチを仕留めた"ライ。ライも世界五大ウイスキーに数えられるアメリカンウイスキーのひとつ。そして赤井さんのコードネームでもあった。……お姉さんって、何者?」
視線が絡む。赤井は軽く肩を竦めた。
「俺も知っているのは公安の人脈の中でも指折りの優秀なハッカーで、おそらく安室くんに協力していた、それだけだ。これ以上は安室くんか彼女当人に聞くしかないが……」
「安室さんがそばにおいていて公安にも登録されている、その人が組織の人間な訳がない。それは知ってるよ」
『だから、それ以上踏み込むなら……』
彼女の少し苛立ったような声が割り込む。
「――ひとつだけ質問させて。沙紀さんは敵、だよね。……悪い奴らの」
いつか誰かにぶつけた質問。あのときははぐらかされたけれど。
『……そうだよ。それに組織を潰してほしいのは私も同じ。全部終わってくれないと困るんだ』
「そっか。……分かった。それじゃあ、よろしくね。二三一一さん」
『こちらもよろしくお願いしますね。FBIの、赤井さん』
「……ああ。決行可能な状態が整い次第こちらから連絡する」
電話が切られる。軽く溜め息をついて赤井は呟いた。
「それにしてもそこまで独自に調べ上げるとは、さすが、アイリーン・アドラー嬢というわけだ」
「……?」
「さて、もう行かなくてはな。作戦可能時間は出来る限り無駄にできん」
赤井は愛車に何も仕掛けられていないことを確認したのちにエンジンをかけ、その間にコナンは助手席に飛び乗った。先日割り出された研究施設から数百メートル離れた場所にFBIが押さえた仮の待機場所がある。その道中でコナンが口を開いた。
「……ところでさ、アイリーン・アドラー嬢って何のこと?」
「坊やでもそこは分からなかったか」
「……ボヘミアの醜聞に登場するシャーロック・ホームズを唯一出し抜いた女性、だけど――あっ、」
「そう。数年前、巷を騒がせたハッカーの話、聞いたことはあるだろう?FBIとしてもそこまで優秀なら引き抜いてホワイトハッカーとしてその腕を振るってもらうのも有りだと考えていたそうでね、ある程度調べられていた。とはいえ国境の壁は厚くその正体に辿り着くことはなかったがな」
「公安はそれを突きとめて……見逃す代わりに協力者に仕立て上げた」
「ああ。安室くんがバーボンとして実行した類似の作戦だが、彼が侵入した製薬会社の名前に聞き覚えがあってな。……その日その会社は、アイリーン・アドラーを名乗るハッカーに引っ掻き回されていた。おそらくはセキュリティシステムを乗っ取った痕跡を隠すため。……木を隠すなら森の中、というわけだ」
「それで安室さんの協力者が恋人を名乗らせていたあの沙紀さんであり、そして『彼女』の可能性もあると……」
「ああ。彼とつながりがあったのは少々予想外だったがな」
ネットニュースを調べると確かにアイリーン・アドラーと名乗るハッカーのニュースがちらほらと出てくる。ざっと見る限りでは純然たる愉快犯のようで、数年前から悪ふざけとしか思えない犯行を繰り返しているらしい。……なお最新のものは一年ほど前にとある汚職政治家のホームページを乗っ取ってアクセスするたびに小フーガト短調が流れるように仕掛けた、というものだった。ニュースサイトに乗っていたその被害者の頭髪は確かに乏しかった、が。
「……赤井さん、あのお姉さん本当に大丈夫なんだよね?」
その疑問は先程とは違う意味合いであったが、それに赤井は答えなかった。
