「ある日その手を離された」
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米花町のセーフハウスを引き払うよう言われたのは突然だった。明日には引き払う、生活関係のものだけでも纏めろ、なんて超高速引っ越しパート何回目だろうか。降谷くんがそう言うということは自分の命がかかっているのも同然なので私に文句を言うつもりはさらさらない。だけどもう少し何とかならないものか。そしてそんな次のセーフハウスは警視庁にもほど近いあるマンションの一室で、閑静な住宅街という言葉がぴったりの場所だった。
そこに運び込んだ荷物を片付けきる前のことだった。降谷くんが風見さんとともに現れたのは。グレーのスーツ姿であるのを見るにたぶん本庁に顔を出した帰りなのだろう。今度は公安からの仕事だろうか。そう思っていた私に、いつになく固い表情を浮かべた降谷くんは言った。
「二三一一。……お前を協力者から解放する」
「……は?」
「しばらくは安全の為にこの部屋に留まってもらうが、半年から長くとも一年後にはお前は自由だ。これまでの謝礼として当面の生活に困らないだけの金と経歴書を用意する」
解放?自由?その言葉の意味が私にはよく分からなかった。降谷くんの斜め後ろに立つ風見さんの表情もいつもと違うそれ。降谷くんは淡々とその後の手続きについて話しているけどまるで頭に入らなかった。私がそれで気づけたのはほんのわずかなことだけ。
「……ここに引っ越すときの機材関係の運びだし。あれ公安部でやるからっていうの、嘘だったんだ。あのときには決めてたの?」
「……お前に話す必要はない」
「答えてよ。なんで私を解放するの?まだやることは……」
「お前に任せるべきことはもうない。当初の予定以上に巻き込んだ責任は取って安全とある程度のその後の生活は確保する。後のことは風見、お前に任せた」
「ちょっと待ってよ……!」
そう言い残して私に背を向ける降谷くんの袖を掴む。掴んだ、と思ったのに。私の手は何も掴めなかった。
そして次の瞬間には私の視界に広がっていたのは見慣れない天井だった。背中に当たるのは重ねてあったラグ、ちょっとだけ腕が痛い。投げられたのか、と気づいて起き上がった時にはもうマンションのドアが閉まる音が聞こえて、降谷くんの姿はどこにもなかった。所在なさげに風見さんが部屋の隅に佇んでいる。……たぶんだけど風見さんにとっても予定外だったのだろう。
「……風見さん」
「私から話せることは、何も。ただ降谷さんはあなたを巻き込み過ぎたと言っていました。あなたの安全を考えてのことだと思います」
持ってこれたのは身の回りの品に入れておいたサブのノートパソコン一台とスマートフォン数台。空のUSBメモリも何個かあった。でもそれだけ。されどこれだけ。これだけあれば私はそこそこやれるのだ。アイリーン・アドラーなんてふざけた名前を名乗るだけの技量はあるし、その技量をこの数年きっちりかっちり磨いてきたのだ。楽しかったのは事実。上手くやれれば単純に嬉しくて楽しくて、でも危険だと気づいてしまった仕事でも表面上は笑ってこなせたのは相手が降谷くんだったから、だ。結局のところ。
今になって自覚するなんて馬鹿馬鹿しい。ああ、馬鹿は降谷くんも一緒か。馬鹿と馬鹿でちょうどいいじゃん。私は降谷くんのことが好きだ。きっと愛してるってこういう感情なのだろう。利用されていた?それが一体なんだっていうんだろう。別に降谷くん相手なら裏切られたってよかった。だからそばにいたかった。いや、そばにいれなくていいから使ってほしかった。――いや使ってほしい。使わせてやる。
体を起こす。風見さんはたぶん迷っている。つけこむならここだ。こう見えて風見さんは味方と認定した相手には弱い。それから降谷くんのことだって心配なはずだ。降谷くんは私が話術が弱いだの散々馬鹿にしてくれたけど、自分のペースに持ち込めば私だってそこそこいける。
「風見さん、ちょっとでも悪いと思ってくれてるなら……私を風見さんの協力者にしてくれません?」
「……協力者はすべてゼロ、つまり降谷さんの方で管理されます。秘密裏にあなたを協力者にするのは……」
「じゃあ純粋に協力しますよ。私がここで引きこもり生活しながら手持ちの機材で勝手にやるんで、風見さんはその情報勝手に持ってってください。気が向いたら情報でも機材でもなんか置いてってください」
降谷くんのスマホには実を言うと発信アプリを仕込んである。こちらから起動させればこの地球上であれば現在地がすぐにわかる。ついでに言うと降谷くん手持ちのスマホすべてに同じものを仕込んだ。アプリ自体も機能追加はこちらからの操作で可能である。つまりは盗聴盗撮をやろうと思えば可能だ。時間はかかるけど。
「……私なら何かあれば降谷くんの現在地特定してすぐに連絡できますよ。また風見さんのこと置いて公道カーチェイススタートさせて気づいたときにはRX-7が廃車寸前とかの事態でも、私なら降谷くんのデバイスハックして現在地と周辺状況の確認できます」
「いや、でも……」
「情報をください、とはいいません。だからせめてこちらの情報を受け取ってください」
リスクと、それからメリット。風見さんは私が見てもわかるほどに揺れていた。……実際降谷くんは危ない橋を渡るつもりなのだろう。それを風見さんや他の人たち、主に降谷くんの部下がよしとするか。命令には従ったって心配なものは心配なはずなのだ。なんだかんだあの人たちも降谷くんに心酔してる。罪な男だ、降谷くんも。
「ですが……しかし、その」
「じゃなきゃ今すぐ警視庁にハッキング仕掛けて風見さんが熱くチョコレートについて語ってた動画の上映会スタートさせます。明日から顔に似合わずスイーツ男子と呼ばれるがいい」
「いや何を言い出すんですかあなたは」
「ここまで巻き込んで振り回して、それで最後に手を離すのが優しさ?……ふざけるのも大概にしてくださいよ。私は可愛そうな被害者でも巻き込まれただけの人間でもない。自分でちゃんと選んだんです。降谷くんの協力者になることも、組織に関わることだって。ちゃんと選択肢もくれて、代わりに私にちゃんと居場所をくれた」
降谷くんの罪悪感はお門違い、何回も言った。でも自分のせいだと背負い込んで、そのくせ私に彼女のふりをさせて。降谷くんが分からない。分からなくて、でもそんな人を好きになったのは私なのだから仕方ない。なんでもかんでも背負い込もうとして何もかも自分のせいだと言い放つ傲慢さに腹は立つけど、そんな傲慢な人を愛してしまったのだからどうしようもない。
「……ねえ、風見さん、何が起きるんですか」
風見さんはつと顔を上げた。一度息を長く吐き出して、そして口を開く。
「……組織の壊滅作戦を。各国合同の捜査本部が来週にも設置される予定です」
「それで、私は」
「……降谷さんがバーボンとして潜入するために獲得した協力者、その解放を順次進めていました。そのリストにあなたの名前もあった」
「なんで……むしろ今こそ使い倒すべきじゃん……何のためにとっ捕まえて恋人のフリをしろだのなんだのと……」
――ふつふつと湧いてきたのは怒りに似た感情だった。怒り?いや、正確には「よくも舐めたことしてくれやがって」かもしれない。
「……仮にあなたに頼むとすれば組織の動向ですが、必要な機材は」
「とりあえずデスクトップパソコン、スペックは前のセーフハウスのメイン機ほどじゃなくても大丈夫なので……あとは使い捨てられるスマホとタブレット、これは何台あっても助かりますし古いのでも安物でもいいのでできるだけたくさんください。この辺はスペック関係まとめて後でリスト作ります。それからもうひとつ」
――安室透の彼女のフリだの、降谷零の彼女になってだの、巻き込んで悪いだの、散々好き勝手振り回しておいて挙句はこれだ。そんなのふざけてるにも程がある。彼女になってだとか好きだとか、あれが本心なら私のことを離さないで。巻き込んで悪いなんて飛び込んだのは私なのに何勝手に罪悪感持ってってるの。それは私の負うべきもの。降谷くんの荷物じゃない。
私は降谷くんにそれを言いたかった。直接会って、ぶつけてやりたかった。だからこの際手口は選ばない。こちとら酒に酔った勢いで警視庁にハッキングした女である。翌朝やっちまったと青い顔でログを辿って痕跡一つ残さない自分の腕に安心した小心者だけど、腕だけは確かなのだ。私が頼れるのも私が差し出せるのもこれっきりで、だから降谷くんが拾ってくれて――。この際もう卵が先でも鶏が先でもいいから。ぐるぐる堂々巡りの輪っかを断ち切って直接言ってやる。ぶつけてやる。
それから。その後でいいから、全部終わってからでいいから私の話を聞いてくれないだろうか。いつの間にかそんな男に恋をしてた馬鹿な女の話を。
「じゃあ、よろしくお願いしますね、風見刑事」
「ええ。……よろしくお願いします」
そこに運び込んだ荷物を片付けきる前のことだった。降谷くんが風見さんとともに現れたのは。グレーのスーツ姿であるのを見るにたぶん本庁に顔を出した帰りなのだろう。今度は公安からの仕事だろうか。そう思っていた私に、いつになく固い表情を浮かべた降谷くんは言った。
「二三一一。……お前を協力者から解放する」
「……は?」
「しばらくは安全の為にこの部屋に留まってもらうが、半年から長くとも一年後にはお前は自由だ。これまでの謝礼として当面の生活に困らないだけの金と経歴書を用意する」
解放?自由?その言葉の意味が私にはよく分からなかった。降谷くんの斜め後ろに立つ風見さんの表情もいつもと違うそれ。降谷くんは淡々とその後の手続きについて話しているけどまるで頭に入らなかった。私がそれで気づけたのはほんのわずかなことだけ。
「……ここに引っ越すときの機材関係の運びだし。あれ公安部でやるからっていうの、嘘だったんだ。あのときには決めてたの?」
「……お前に話す必要はない」
「答えてよ。なんで私を解放するの?まだやることは……」
「お前に任せるべきことはもうない。当初の予定以上に巻き込んだ責任は取って安全とある程度のその後の生活は確保する。後のことは風見、お前に任せた」
「ちょっと待ってよ……!」
そう言い残して私に背を向ける降谷くんの袖を掴む。掴んだ、と思ったのに。私の手は何も掴めなかった。
そして次の瞬間には私の視界に広がっていたのは見慣れない天井だった。背中に当たるのは重ねてあったラグ、ちょっとだけ腕が痛い。投げられたのか、と気づいて起き上がった時にはもうマンションのドアが閉まる音が聞こえて、降谷くんの姿はどこにもなかった。所在なさげに風見さんが部屋の隅に佇んでいる。……たぶんだけど風見さんにとっても予定外だったのだろう。
「……風見さん」
「私から話せることは、何も。ただ降谷さんはあなたを巻き込み過ぎたと言っていました。あなたの安全を考えてのことだと思います」
持ってこれたのは身の回りの品に入れておいたサブのノートパソコン一台とスマートフォン数台。空のUSBメモリも何個かあった。でもそれだけ。されどこれだけ。これだけあれば私はそこそこやれるのだ。アイリーン・アドラーなんてふざけた名前を名乗るだけの技量はあるし、その技量をこの数年きっちりかっちり磨いてきたのだ。楽しかったのは事実。上手くやれれば単純に嬉しくて楽しくて、でも危険だと気づいてしまった仕事でも表面上は笑ってこなせたのは相手が降谷くんだったから、だ。結局のところ。
今になって自覚するなんて馬鹿馬鹿しい。ああ、馬鹿は降谷くんも一緒か。馬鹿と馬鹿でちょうどいいじゃん。私は降谷くんのことが好きだ。きっと愛してるってこういう感情なのだろう。利用されていた?それが一体なんだっていうんだろう。別に降谷くん相手なら裏切られたってよかった。だからそばにいたかった。いや、そばにいれなくていいから使ってほしかった。――いや使ってほしい。使わせてやる。
体を起こす。風見さんはたぶん迷っている。つけこむならここだ。こう見えて風見さんは味方と認定した相手には弱い。それから降谷くんのことだって心配なはずだ。降谷くんは私が話術が弱いだの散々馬鹿にしてくれたけど、自分のペースに持ち込めば私だってそこそこいける。
「風見さん、ちょっとでも悪いと思ってくれてるなら……私を風見さんの協力者にしてくれません?」
「……協力者はすべてゼロ、つまり降谷さんの方で管理されます。秘密裏にあなたを協力者にするのは……」
「じゃあ純粋に協力しますよ。私がここで引きこもり生活しながら手持ちの機材で勝手にやるんで、風見さんはその情報勝手に持ってってください。気が向いたら情報でも機材でもなんか置いてってください」
降谷くんのスマホには実を言うと発信アプリを仕込んである。こちらから起動させればこの地球上であれば現在地がすぐにわかる。ついでに言うと降谷くん手持ちのスマホすべてに同じものを仕込んだ。アプリ自体も機能追加はこちらからの操作で可能である。つまりは盗聴盗撮をやろうと思えば可能だ。時間はかかるけど。
「……私なら何かあれば降谷くんの現在地特定してすぐに連絡できますよ。また風見さんのこと置いて公道カーチェイススタートさせて気づいたときにはRX-7が廃車寸前とかの事態でも、私なら降谷くんのデバイスハックして現在地と周辺状況の確認できます」
「いや、でも……」
「情報をください、とはいいません。だからせめてこちらの情報を受け取ってください」
リスクと、それからメリット。風見さんは私が見てもわかるほどに揺れていた。……実際降谷くんは危ない橋を渡るつもりなのだろう。それを風見さんや他の人たち、主に降谷くんの部下がよしとするか。命令には従ったって心配なものは心配なはずなのだ。なんだかんだあの人たちも降谷くんに心酔してる。罪な男だ、降谷くんも。
「ですが……しかし、その」
「じゃなきゃ今すぐ警視庁にハッキング仕掛けて風見さんが熱くチョコレートについて語ってた動画の上映会スタートさせます。明日から顔に似合わずスイーツ男子と呼ばれるがいい」
「いや何を言い出すんですかあなたは」
「ここまで巻き込んで振り回して、それで最後に手を離すのが優しさ?……ふざけるのも大概にしてくださいよ。私は可愛そうな被害者でも巻き込まれただけの人間でもない。自分でちゃんと選んだんです。降谷くんの協力者になることも、組織に関わることだって。ちゃんと選択肢もくれて、代わりに私にちゃんと居場所をくれた」
降谷くんの罪悪感はお門違い、何回も言った。でも自分のせいだと背負い込んで、そのくせ私に彼女のふりをさせて。降谷くんが分からない。分からなくて、でもそんな人を好きになったのは私なのだから仕方ない。なんでもかんでも背負い込もうとして何もかも自分のせいだと言い放つ傲慢さに腹は立つけど、そんな傲慢な人を愛してしまったのだからどうしようもない。
「……ねえ、風見さん、何が起きるんですか」
風見さんはつと顔を上げた。一度息を長く吐き出して、そして口を開く。
「……組織の壊滅作戦を。各国合同の捜査本部が来週にも設置される予定です」
「それで、私は」
「……降谷さんがバーボンとして潜入するために獲得した協力者、その解放を順次進めていました。そのリストにあなたの名前もあった」
「なんで……むしろ今こそ使い倒すべきじゃん……何のためにとっ捕まえて恋人のフリをしろだのなんだのと……」
――ふつふつと湧いてきたのは怒りに似た感情だった。怒り?いや、正確には「よくも舐めたことしてくれやがって」かもしれない。
「……仮にあなたに頼むとすれば組織の動向ですが、必要な機材は」
「とりあえずデスクトップパソコン、スペックは前のセーフハウスのメイン機ほどじゃなくても大丈夫なので……あとは使い捨てられるスマホとタブレット、これは何台あっても助かりますし古いのでも安物でもいいのでできるだけたくさんください。この辺はスペック関係まとめて後でリスト作ります。それからもうひとつ」
――安室透の彼女のフリだの、降谷零の彼女になってだの、巻き込んで悪いだの、散々好き勝手振り回しておいて挙句はこれだ。そんなのふざけてるにも程がある。彼女になってだとか好きだとか、あれが本心なら私のことを離さないで。巻き込んで悪いなんて飛び込んだのは私なのに何勝手に罪悪感持ってってるの。それは私の負うべきもの。降谷くんの荷物じゃない。
私は降谷くんにそれを言いたかった。直接会って、ぶつけてやりたかった。だからこの際手口は選ばない。こちとら酒に酔った勢いで警視庁にハッキングした女である。翌朝やっちまったと青い顔でログを辿って痕跡一つ残さない自分の腕に安心した小心者だけど、腕だけは確かなのだ。私が頼れるのも私が差し出せるのもこれっきりで、だから降谷くんが拾ってくれて――。この際もう卵が先でも鶏が先でもいいから。ぐるぐる堂々巡りの輪っかを断ち切って直接言ってやる。ぶつけてやる。
それから。その後でいいから、全部終わってからでいいから私の話を聞いてくれないだろうか。いつの間にかそんな男に恋をしてた馬鹿な女の話を。
「じゃあ、よろしくお願いしますね、風見刑事」
「ええ。……よろしくお願いします」
