「ある日その手を離された」
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胡瓜の馬と茄子の牛。やや不格好なそれを指先で突く。沙紀に見られたら「絶妙なバランスで立ってるんだからやめて!」とでも言うだろう。凄腕のハッカーと呼ばれる沙紀だが現実ではそこそこ不器用だ。沙紀の剥いたジャガイモの皮は厚切りポテトチップスができそうだし、大きさのバラバラな人参は綺麗には火が通らない。
「なんで胡瓜と茄子なんだろうな」
「そりゃ……夏野菜だから?」
沙紀の答えにまあそうだろうなと頷く。この時期に収穫できる野菜でそれらしきもの。多分始まりはそんなもので、けれど今となってはすっかり立派な文化として根ざしたもの。
「ヒロくんそれに乗ってくると思ったらかなりシュールだよね」
「お前作っておいてなあ……いやまあ確かにな」
「でしょ?ちょっと面白すぎるよ。顔的にはバイクとか似合うのに」
「バイク飛ばしてあの世から戻ってくる幽霊ってそれこそシュールだな」
それでもここ近年は変わり種の精霊馬が一部で流行っているという。生憎と沙紀にそこまでの技量はなく、この国古来の伝統をそれなりに大事にしたい降谷にその気はない。結果的にオーソドックスな馬と牛が並んでいる。都会のマンションに神棚はないので、収納棚の一部をそれらしく飾り付けて置いておく。場所は変われど、二人の間でここ数年のお決まりの行事だった。
ごく簡素で誰も知らない二人だけの弔い。死の事実すら世間的には公表されていない彼を偲ぶ短い時間。出来る限りこの時期には時間を作って沙紀と会うようにしている。二人しか共有できない、かつての同級生の弔いの時間を持つために。しばらくの沈黙の後、沙紀はぽつりと口を開いた。
「……もしものときも降谷くんの分はないからね」
「あいつには作ってくれるのに?」
「降谷くんはRX-7でいいでしょ。かっ飛ばして帰ってきなよ。地獄の入り口からでもいけるでしょ、あれ」
「お前は俺をなんだと思ってるんだよ」
「公道をレースサーキットと勘違いしてるお巡りさん」
「……この前のは悪かったと思ってる」
「犯人捕まえるためとはいえあのカーチェイスは人類にはまだ早すぎると思うんだよね」
そう言って沙紀は軽く首を竦めた。来週からバーボンには海外での取引任務が待ち構えていた。組織に反発するマフィアであり、一歩間違えれば全面抗争に発展してもおかしくはない。そして国の外ともなれば公安の力も保護も及ぶべくもなく。ごく短期間の予定ではあるが、いつも以上に危険度の高い仕事なのは間違いなかった。
「気を付けてね、降谷くん」
そう言って沙紀が、つんと降谷の肩をつついた。顔を背けて、声だけはいつも通りに。同級生たちが危険な仕事をしていることを沙紀は知っている。教えられた以上に自分で突き止めた。だから二人はこうして夏の暑い盛りにこんな時間を持つようになった。その事実に感謝はしているが、最近になって少しだけ後悔もしている。沙紀をより深く巻き込んでしまった事実に。それでいながらこれで手放す理由はなくなったと喜ぶ自分の中の感情に辟易ともしているのだ。
「……お前もな。外出する際はよく気をつけろ」
「大丈夫だよ。大人しくしてるし、昼間しか出歩かないし」
そう言ってへらへら笑う沙紀はまだ知らない。組織がバーボンの抱えるハッカーに興味を持ち始めている。安室透の恋人に関してはそのハッカーとの顔つなぎ役であり、私立探偵である恋人のために知り合いの業者を紹介していると思い込んでいる、そう説明していた。けれどいつかは気づかれる。
沙紀を引っ張り出したのは間違いだっただろうか。降谷零は時々あの決断を、あの発言が間違っていたのではないかと迷う。誤魔化すために恋人ですよ、そう言って笑い、組織側にも同様の説明をしたことを。あれは本当に沙紀の安全のための言葉だったか。いいや、違う。沙紀を縛り付けたいがためのものだったのではないか。捕まえたい、縛り付けたい、自分のものにしたい。そんな個人的な感情を自覚できず沙紀を危険に晒した。最悪の事態が起きたとき、結果として残るのはそれだけだ。
「……降谷くん?」
そう言ってするりと自分の顔を覗き込む沙紀の顎を、首を捕えて口づけた。胸を押し返そうとする手を抑えて、体ごと壁に押しつける。やがて解放してやると少し息を荒げた沙紀は、いきなり何なの、と呟いた。
「……恋人のフリとか、外だけで十分でしょ」
「……予行練習」
「うわ、なにそれ」
捕えたくて、守りたくて、だけど自分だけのものにしたくて。沙紀に関する自分の中の天秤はぐらぐらと揺れてもうどうしようもない。何をしたいのか、何を望むのかも。
「……もう分からないな」
「何が?」
「さあ、何がだろうな」
いずれこの時間は終わる。恋人のフリも胡散臭い私立探偵もその恋人の役も終わりにしなくてはいけない。――ならばせめて今だけは。沙紀を固く抱き締める。沙紀は苦しいよ、と少し文句を言っただけで嫌がりはしなかった。曖昧に、ゼロとイチの間を漂うように。そんな曖昧さに付け込むようにもう一度口づけを落とした。
「なんで胡瓜と茄子なんだろうな」
「そりゃ……夏野菜だから?」
沙紀の答えにまあそうだろうなと頷く。この時期に収穫できる野菜でそれらしきもの。多分始まりはそんなもので、けれど今となってはすっかり立派な文化として根ざしたもの。
「ヒロくんそれに乗ってくると思ったらかなりシュールだよね」
「お前作っておいてなあ……いやまあ確かにな」
「でしょ?ちょっと面白すぎるよ。顔的にはバイクとか似合うのに」
「バイク飛ばしてあの世から戻ってくる幽霊ってそれこそシュールだな」
それでもここ近年は変わり種の精霊馬が一部で流行っているという。生憎と沙紀にそこまでの技量はなく、この国古来の伝統をそれなりに大事にしたい降谷にその気はない。結果的にオーソドックスな馬と牛が並んでいる。都会のマンションに神棚はないので、収納棚の一部をそれらしく飾り付けて置いておく。場所は変われど、二人の間でここ数年のお決まりの行事だった。
ごく簡素で誰も知らない二人だけの弔い。死の事実すら世間的には公表されていない彼を偲ぶ短い時間。出来る限りこの時期には時間を作って沙紀と会うようにしている。二人しか共有できない、かつての同級生の弔いの時間を持つために。しばらくの沈黙の後、沙紀はぽつりと口を開いた。
「……もしものときも降谷くんの分はないからね」
「あいつには作ってくれるのに?」
「降谷くんはRX-7でいいでしょ。かっ飛ばして帰ってきなよ。地獄の入り口からでもいけるでしょ、あれ」
「お前は俺をなんだと思ってるんだよ」
「公道をレースサーキットと勘違いしてるお巡りさん」
「……この前のは悪かったと思ってる」
「犯人捕まえるためとはいえあのカーチェイスは人類にはまだ早すぎると思うんだよね」
そう言って沙紀は軽く首を竦めた。来週からバーボンには海外での取引任務が待ち構えていた。組織に反発するマフィアであり、一歩間違えれば全面抗争に発展してもおかしくはない。そして国の外ともなれば公安の力も保護も及ぶべくもなく。ごく短期間の予定ではあるが、いつも以上に危険度の高い仕事なのは間違いなかった。
「気を付けてね、降谷くん」
そう言って沙紀が、つんと降谷の肩をつついた。顔を背けて、声だけはいつも通りに。同級生たちが危険な仕事をしていることを沙紀は知っている。教えられた以上に自分で突き止めた。だから二人はこうして夏の暑い盛りにこんな時間を持つようになった。その事実に感謝はしているが、最近になって少しだけ後悔もしている。沙紀をより深く巻き込んでしまった事実に。それでいながらこれで手放す理由はなくなったと喜ぶ自分の中の感情に辟易ともしているのだ。
「……お前もな。外出する際はよく気をつけろ」
「大丈夫だよ。大人しくしてるし、昼間しか出歩かないし」
そう言ってへらへら笑う沙紀はまだ知らない。組織がバーボンの抱えるハッカーに興味を持ち始めている。安室透の恋人に関してはそのハッカーとの顔つなぎ役であり、私立探偵である恋人のために知り合いの業者を紹介していると思い込んでいる、そう説明していた。けれどいつかは気づかれる。
沙紀を引っ張り出したのは間違いだっただろうか。降谷零は時々あの決断を、あの発言が間違っていたのではないかと迷う。誤魔化すために恋人ですよ、そう言って笑い、組織側にも同様の説明をしたことを。あれは本当に沙紀の安全のための言葉だったか。いいや、違う。沙紀を縛り付けたいがためのものだったのではないか。捕まえたい、縛り付けたい、自分のものにしたい。そんな個人的な感情を自覚できず沙紀を危険に晒した。最悪の事態が起きたとき、結果として残るのはそれだけだ。
「……降谷くん?」
そう言ってするりと自分の顔を覗き込む沙紀の顎を、首を捕えて口づけた。胸を押し返そうとする手を抑えて、体ごと壁に押しつける。やがて解放してやると少し息を荒げた沙紀は、いきなり何なの、と呟いた。
「……恋人のフリとか、外だけで十分でしょ」
「……予行練習」
「うわ、なにそれ」
捕えたくて、守りたくて、だけど自分だけのものにしたくて。沙紀に関する自分の中の天秤はぐらぐらと揺れてもうどうしようもない。何をしたいのか、何を望むのかも。
「……もう分からないな」
「何が?」
「さあ、何がだろうな」
いずれこの時間は終わる。恋人のフリも胡散臭い私立探偵もその恋人の役も終わりにしなくてはいけない。――ならばせめて今だけは。沙紀を固く抱き締める。沙紀は苦しいよ、と少し文句を言っただけで嫌がりはしなかった。曖昧に、ゼロとイチの間を漂うように。そんな曖昧さに付け込むようにもう一度口づけを落とした。
