「ある日その手を離された」
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協力者二三一一。『その女性』はゼロが管理する協力者の中でも少々変わった立ち位置にいた。無論彼女の存在を知る者はごく僅か、同じ公安刑事であろうと「捜査に協力するホワイトハッカー」以上の情報を知る者は少ない。何しろあの降谷さんの協力者である。そもそも彼の存在、主とする任務内容自体が機密に属する情報である。従ってそんな降谷さんに全面的に協力している彼女のことも伏せられていた。だが彼女はごく一部、降谷さんと面識がある者の中では非常に有名な存在であった。
「……頼まれてた情報は取れました。また追加で必要なら言ってください」
通称降谷班、ある組織に潜入捜査を行う降谷さんの手足となって動くチームがある。降谷さん自身が探り屋として潜入する関係上、その手足に求められるのは忠誠心もさることながら情報関係への強さだ。主にサーバー管理者やインターネットの世界に強い協力者を多く抱え、自身にもその知識が備わっている捜査員が多く配属されている。その中でも彼女の技術は目を見張るものがあり、組織の案件以外にもちょっとした情報収集や捜査前の下調べに駆り出されることが多い。衣食住さえ保障されて作業のためのデバイスやソフトの提供があればどんな作業でも的確にこなして見せる。
「昨日の今日でこれとは助かりますよ。いつもありがとうございます」
「まあこれが私の仕事ですからね。あと降谷くんに頼まれてたデータですよね、このUSBに入ってるので渡しといてください」
「……了解です」
彼女は技術の高さもさることながら、何より侵入の痕跡を隠すことに非常に長けていた。多くの場合、彼女がそうと教えてやらなければ侵入されたことにすら気付けないのだ。そして最近ではその技術を応用し、秘密裏にやり取りするデータのセキュリティ向上にも一役買っている。それこそが公安の求める能力、つまりは違法作業向きの能力であった。だが。
「念の為ダミー仕掛けました。パスは前に伝えてあるんで問題ないとは思います。もし組織の人に見られてもすぐに出るのはお色気画像だし、バーボンの趣味がばれるだけなのでそこも無問題かと」
「……いや別の意味で問題ですね、それ」
「このお色気画像の選出が一番時間かかったんですよねえ。我ながらなかなかいいセレクトだと思うんですけど。そこそこアブノーマルでそこそこノーマルな辺りとか。いい感じにリアルだと思うんですよ」
そう言ってけらけらと笑う彼女はとてもそんな凄腕のハッカーには見えない。二十代前半から半ばほどのごく普通の女性だ。特徴をあげろ、というならやや色白というくらい。どこにでもいそうなおっとりとした女性。ホワイトハッカーという時点で驚きだが、あの降谷さんの同級生であり、そして彼と並ぶほどの成績を修めていた優秀な人なのだというからさらに驚きである。
「それで他に何かやっとくことあります?」
そう言ってにこにこと笑う彼女を降谷さんはこう評したのだっけ。
『冷静になれば頭はキレる、そこそこ正義感も強い。だが人間関係はポンコツ。友情と利用の違いにも気づかないのか気づきたくないのか、ホイホイ利用されて痛い目見てる馬鹿。そしてそこに関しては学習しない。うっかり悪い男に引っかかって泣きを見るタイプ』
随分と酷い評価だ、と笑ったのを覚えている。その頃の自分や周りには『彼女』へのイメージは警視庁のコンピューターに忍び込んだハッカー、アイリーン・アドラーを名乗る愉快犯であったから。自称に引きずられて謎めいて強かなミステリアスな女性像を思い描いたのも多少は仕方あるまい。
「……特にないですよ。降谷さんから追加の調査を命じられたらまた連絡します」
「了解です。じゃあしばらくは引きこもってますね」
実際彼女に会うと降谷さんの評価も間違っていなかったことに気づく。彼女は利用されていることに気づいているのか気づかないふりなのか、少しこちらが褒めるだけでにこにこと笑って躊躇なく違法作業に手を染める。背後が真っ黒な会社の経理データのハッキングでも、何ら罪を犯していない一般人の情報収集であっても向き合う姿勢は変わらない。その技術の高さ、そして罪悪感の薄さ。これが仮に組織側に拾われていたら、と思うと背筋に冷たいものが走る。
不正アクセス防止法違反、その刑罰は三年以下の懲役または百万円以下の罰金。彼女が協力者となってから早数年、その技術提供の価値は百万円ではきかない。――彼女に支払わせている代償は大きすぎるのではないか。そんな意味合いの愚痴をほろりと降谷さんがこぼしているのを一度耳にしたことがある。公安の鬼と陰で呼ばれる彼にしては珍しい。いや、初めて聞いたかもしれない。協力者に対しても一線を引き、信頼関係を築きはするが変な同情心は持たず、罪悪感も一片たりとも見せはしない。そんな公安刑事の鑑ともいえるのが降谷さんであったけれど。
「……そのうちまた教えてくださいね、ハッキング。あなたの隠ぺい技術は勉強になることばかりです」
「それなんか褒められてるんだかなんだか微妙ですね……。ぜんぜんいいですよ。また来てください」
彼女の話をする降谷さんは少し表情が柔らかくなる。ただでさえ若々しい顔立ちが少年のような色を浮かべて、心なしか言葉づかいも幼く感じられて。たぶん彼女と向き合うときもそうなのだろう。なんとなくあの人がそういう顔をできる場があることが自分には嬉しかった。恐ろしい上司であっても人なのだ、と当たり前のことを再確認できるようだったから。
彼女への降谷さんの罪悪感は公安として持つべきではない、そう捉える人もいるだろう。たとえ古い知り合いであっても捜査のためなら私情を挟むべきではない。けれどそんな感情を抱ける相手があの人にも残っていたことが少し嬉しくもあった。そんな自分も公安として失格なのかもしれないけれど。
「……今度は降谷さんの昔の話でも聞かせてくださいよ」
「降谷くんの?えー、バレンタインにロッカーから雪崩起こしてるの初めてリアルに見たとかそれくらいしかないですよ?」
そう言って彼女はくすりと笑った。降谷零という人がそんな普通の(バレンタインにチョコの雪崩を起こすのが普通かはさておき)人生を送っていた頃のことを知る人間はもはや少ないのだろう。彼女はその存在がいかに稀有なものかも知らず、今日も人畜無害平和主義者の顔をして、平然と情報を掻っ攫ってくる。
「……頼まれてた情報は取れました。また追加で必要なら言ってください」
通称降谷班、ある組織に潜入捜査を行う降谷さんの手足となって動くチームがある。降谷さん自身が探り屋として潜入する関係上、その手足に求められるのは忠誠心もさることながら情報関係への強さだ。主にサーバー管理者やインターネットの世界に強い協力者を多く抱え、自身にもその知識が備わっている捜査員が多く配属されている。その中でも彼女の技術は目を見張るものがあり、組織の案件以外にもちょっとした情報収集や捜査前の下調べに駆り出されることが多い。衣食住さえ保障されて作業のためのデバイスやソフトの提供があればどんな作業でも的確にこなして見せる。
「昨日の今日でこれとは助かりますよ。いつもありがとうございます」
「まあこれが私の仕事ですからね。あと降谷くんに頼まれてたデータですよね、このUSBに入ってるので渡しといてください」
「……了解です」
彼女は技術の高さもさることながら、何より侵入の痕跡を隠すことに非常に長けていた。多くの場合、彼女がそうと教えてやらなければ侵入されたことにすら気付けないのだ。そして最近ではその技術を応用し、秘密裏にやり取りするデータのセキュリティ向上にも一役買っている。それこそが公安の求める能力、つまりは違法作業向きの能力であった。だが。
「念の為ダミー仕掛けました。パスは前に伝えてあるんで問題ないとは思います。もし組織の人に見られてもすぐに出るのはお色気画像だし、バーボンの趣味がばれるだけなのでそこも無問題かと」
「……いや別の意味で問題ですね、それ」
「このお色気画像の選出が一番時間かかったんですよねえ。我ながらなかなかいいセレクトだと思うんですけど。そこそこアブノーマルでそこそこノーマルな辺りとか。いい感じにリアルだと思うんですよ」
そう言ってけらけらと笑う彼女はとてもそんな凄腕のハッカーには見えない。二十代前半から半ばほどのごく普通の女性だ。特徴をあげろ、というならやや色白というくらい。どこにでもいそうなおっとりとした女性。ホワイトハッカーという時点で驚きだが、あの降谷さんの同級生であり、そして彼と並ぶほどの成績を修めていた優秀な人なのだというからさらに驚きである。
「それで他に何かやっとくことあります?」
そう言ってにこにこと笑う彼女を降谷さんはこう評したのだっけ。
『冷静になれば頭はキレる、そこそこ正義感も強い。だが人間関係はポンコツ。友情と利用の違いにも気づかないのか気づきたくないのか、ホイホイ利用されて痛い目見てる馬鹿。そしてそこに関しては学習しない。うっかり悪い男に引っかかって泣きを見るタイプ』
随分と酷い評価だ、と笑ったのを覚えている。その頃の自分や周りには『彼女』へのイメージは警視庁のコンピューターに忍び込んだハッカー、アイリーン・アドラーを名乗る愉快犯であったから。自称に引きずられて謎めいて強かなミステリアスな女性像を思い描いたのも多少は仕方あるまい。
「……特にないですよ。降谷さんから追加の調査を命じられたらまた連絡します」
「了解です。じゃあしばらくは引きこもってますね」
実際彼女に会うと降谷さんの評価も間違っていなかったことに気づく。彼女は利用されていることに気づいているのか気づかないふりなのか、少しこちらが褒めるだけでにこにこと笑って躊躇なく違法作業に手を染める。背後が真っ黒な会社の経理データのハッキングでも、何ら罪を犯していない一般人の情報収集であっても向き合う姿勢は変わらない。その技術の高さ、そして罪悪感の薄さ。これが仮に組織側に拾われていたら、と思うと背筋に冷たいものが走る。
不正アクセス防止法違反、その刑罰は三年以下の懲役または百万円以下の罰金。彼女が協力者となってから早数年、その技術提供の価値は百万円ではきかない。――彼女に支払わせている代償は大きすぎるのではないか。そんな意味合いの愚痴をほろりと降谷さんがこぼしているのを一度耳にしたことがある。公安の鬼と陰で呼ばれる彼にしては珍しい。いや、初めて聞いたかもしれない。協力者に対しても一線を引き、信頼関係を築きはするが変な同情心は持たず、罪悪感も一片たりとも見せはしない。そんな公安刑事の鑑ともいえるのが降谷さんであったけれど。
「……そのうちまた教えてくださいね、ハッキング。あなたの隠ぺい技術は勉強になることばかりです」
「それなんか褒められてるんだかなんだか微妙ですね……。ぜんぜんいいですよ。また来てください」
彼女の話をする降谷さんは少し表情が柔らかくなる。ただでさえ若々しい顔立ちが少年のような色を浮かべて、心なしか言葉づかいも幼く感じられて。たぶん彼女と向き合うときもそうなのだろう。なんとなくあの人がそういう顔をできる場があることが自分には嬉しかった。恐ろしい上司であっても人なのだ、と当たり前のことを再確認できるようだったから。
彼女への降谷さんの罪悪感は公安として持つべきではない、そう捉える人もいるだろう。たとえ古い知り合いであっても捜査のためなら私情を挟むべきではない。けれどそんな感情を抱ける相手があの人にも残っていたことが少し嬉しくもあった。そんな自分も公安として失格なのかもしれないけれど。
「……今度は降谷さんの昔の話でも聞かせてくださいよ」
「降谷くんの?えー、バレンタインにロッカーから雪崩起こしてるの初めてリアルに見たとかそれくらいしかないですよ?」
そう言って彼女はくすりと笑った。降谷零という人がそんな普通の(バレンタインにチョコの雪崩を起こすのが普通かはさておき)人生を送っていた頃のことを知る人間はもはや少ないのだろう。彼女はその存在がいかに稀有なものかも知らず、今日も人畜無害平和主義者の顔をして、平然と情報を掻っ攫ってくる。
