同級生に捕まった朝
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その朝は唐突に訪れた。確かその前の晩は本業の方でやっと大きなプロジェクトが仕上がりようやっと一息つけると帰ってひとり宅飲みを楽しみ――そして朝が来た。土曜の朝だったと思う。こんな時間に訪ねてくる友人に心当たりもなく、寝ぼけ眼でインターホンに出た。格好つけた言い方をすればそれは運命の朝だった。
「……おはようございます、警察です」
そう言っていやむしろお前が凶悪犯だろとしか表現できないような顔で警察手帳をカメラに向かって見せつけてくる元同級生。ああそういえばあの人警察官志望だったっけと。もはや遙か遠い記憶の中から異様に整った顔と、それから降谷零という個性的な名前を思い出した。このときの彼が三徹目だったと知ったのはしばらく後になってからのこと。
玄関先ではなんだろう、と部屋に上がり込まれ、昨日脱ぎ散らした服をクローゼットに突っ込む暇さえ与えられず、強面の刑事さんに両脇を固められて座らされた。向かいには目の下にひどい隈の金髪褐色の元同級生。計三人の刑事に包囲され、部屋の入り口には四人目が立っている。これでもイケメンはイケメンなのだから生まれ持ったポテンシャルの高さに驚いてしまう。そんな状況ではなかったのだけど。重苦しい空気の中そんなことを考えてしまう私の頭を無理やり回転させ、なんとか口を開く。
「えーっと、降谷くん、だよね。高校が一緒だった」
「サイバー犯罪対策室を騒がすアイリーン・アドラーに覚えていて頂けてたとは光栄だな」
アイリーン・アドラー。かの名探偵ホームズを出し抜いた女性。その名前で私を呼ぶ人間は現実 にはまずいない。それはバーチャルの、文字同士のコミュニケーションの世界の名前。それも健全なソーシャルネットワーキング・サービスのそれではなく、アングラ掲示板の名前でもなく。
「警視庁のコンピュータをハッキングとはやってくれる。だが生憎とお前にその名は重すぎたようだな?」
私のハッカーとしての名前だった。何故バレた。……さすがに酔ったテンションでなんとなく、ではボロがあったのだろうか。降谷くんの指が軽くテーブルを叩いた。それだけでもう私のなけなしの度胸は吹っ飛んだ。
「……ご、ごめんなさい……」
「ごめんで済むなら警察はいらない」
「はいその通りです、でもごめんなさい、出来心でした」
「……一応は言い訳でも何でも聞こうか」
遊び半分だった、と言ったら不謹慎だろう。でも本当にそうなのだからそれ以外に何も言いようはない。遊び半分、スリルを楽しむうちに結果的にこうなった。自業自得の見本市である。
――最初のハッキングは当時勤めていた会社の上司のパソコンだった。その人は既婚者であるにも関わらずその事実を伏せて女の子と関係を持ち、「誘ったのはお前だ、俺は独身だなんて一言も言ってない」とぬけぬけと言い放つクズだった。その上この事実をばらされたくなければ関係を続けるよう強要する真正のクズだった。遊び半分でハッカーやってた私がいうのもなんだけど別の意味で救いようがないドクズであった。同期の子から相談を受け、懲らしめる意味も込めてちょっとした悪戯をした。私物のパソコンに携帯電話、ついでに自宅のパソコンの全ての初期化である。バックアップデータで復元するたびに消した。接続すれば外付けドライブの方にも侵入できるのでそちらもついでに。乗っ取ったウェブカメラ越しに見た奴の必死の形相は大変見物だった。連絡先から割り出した被害女性たちにもその必死の動画は送って差し上げた。そしてトドメに女の子たちに立場を利用し騙し無体をはたらいていた証拠を会社と自宅に匿名でどっさり送りつけた。程なくそいつはクビ、しばらく携帯電話を乗っ取って監視していたけどもう脅迫材料は残っていなかったようで女の子たちに何かする訳もなく。そしてそいつの話はここでおしまい、である。
「そこでこう、味をしめまして……個人のは楽勝だったから企業のってどうなのかなーって思ったら意外といけちゃって、調子に乗りました」
「この会社のサーバーに侵入したのは?アイリーン・アドラー最初の事件だが」
「ちょっとした腕試し的な……?おふざけで名前残したけど情報は流出させてない」
「この製菓会社への侵入は……」
「冬季限定アイスの情報を知りたかった」
「……馬鹿か」
いや馬鹿だったな、と断定された。実際その通りである。その馬鹿の報いとして私は逮捕されて報道されるのだろう。遊び半分で犯罪に手を染めた馬鹿な女、あとあのその場の勢いで決めた名前と一緒に。恥ずかしいにもほどがあある。犯罪プラス、黒歴史ネーム全国放送とは。
「お前は勉強は出来たし洞察力も優れていた……のになんでそう考えなしなんだ」
「ごめんなさい……ちゃんと話すから取調室ではカツ丼食べさせて」
「いいことを教えてやろう、原則取調室での食事は禁止、おまけに留置所で支給される弁当以外の食事は基本自腹だ」
「えー、そうなんだ。夢壊れた」
「どんな夢だ……。まあ一応は同級生の誼だ、選択肢をやる」
降谷くんは指を一本立てた。
「このまま逮捕されて留置所まで楽しくドライブ。拘置所に送られる前にカツ丼くらいは奢ってやる。憧れのカツ丼コースだ」
「別に憧れてはないけど」
「――ふたつめ」
指が二本。綺麗な長い指だなあ、なんて場違いなことを一瞬考えた。
「心を入れ替えるなら見逃してやってもいい」
「……え?」
思わず両脇の刑事さんを見る。いや、同級生の誼で見逃すくらいなら初めからこんな人をぞろぞろ連れては来ないはず。一応確認したけど見覚えはない。……待て待て。
「……一応確認だけど降谷くん本当に刑事さんなんだよね?」
「さっき警察手帳も見ただろう。正真正銘刑事だ」
「いや……見逃すとかいいの?私一応犯罪者だよ?」
「一応どころではなく完全に犯罪者だな。自白も取れた」
「……え!もしかして証拠」
「なかったな。そこはお前の技術が完璧だった。……ま、似た手口の犯行を調べるとどうもお前の名前が関係者として挙がってきてな。確証には至らなかったがこんなふざけたことする性格と技術を併せ持ったやつがそう何人もいてたまるか」
「な……」
降谷くんはジャケットの内ポケットからレコーダーを出した。これまでのことはばっちり録音されていたという訳だ。私にじっくりレコーダーを見せつけてからしまい直し、にやりと笑った。
「アイリーン・アドラーを名乗るなら話術も必要だった、というわけだ」
「汚い……ほんと汚い」
「ハッカーに言われるとは心外だな」
「っていうか違法!違法だよ!おまわりさん!」
「呼んだか?」
「あーそうだった、世も末だわ」
「生憎と違法作業はこちらの得意技だ」
「違法作業……?」
警察と一口に言っても色々とある。生活安全部、刑事部、交通部……。原則的に警察というのは事件が起きてから動く。だが事件が起きる前、それを未然に防ぐことを目的とする部署がある。その部署はその性質上、警察でありながら違法行為すらも行動の選択肢に入れる必要がある。その部署とは――。
「……公安部。今までのならただの愉快犯だけど、警視庁がハッキングされたから動いた」
「さすがだな。考えなしのふざけた奴だが本気になれば頭だけはキレる。ただやったことは本物の馬鹿だな」
「ねえそれ褒めてるの貶してるのどっちなの」
「両方。……で?俺の所属が分かったなら二つ目の選択肢の意味も分かるだろ?」
公安刑事。「見逃してやる」の意味。……そういえばこの前までやってた深夜ドラマ、公安刑事と情報屋のバディ刑事もののコメディだったっけ。公安刑事役の役者さんがちょっと渋いオジ様で、情報屋のことを確か――。
「……捜査協力しろってこと?」
「ああ。もちろん……」
「断れば留置所まで楽しくドライブ、塀の外では黒歴史大公開、か」
「そっちがいいか?留置所の近くの定食屋のカツ丼はなかなか美味いぞ」
「別にそこまでカツ丼食べたくないし。……分かった、協力する」
「あっさり頷くんだな」
「早朝から叩き起こしてカマかけて録音しといてよく言うよ。……いや、まあ遊び半分の行為で迷惑かけたし」
元々選択肢なんてないに等しい。でも降谷くんは一応の選択肢はくれた。こっ恥ずかしいハンドルネーム大公開はされてもきちんと罪を償うか、それとも別の形で償うか。私が頷くと降谷くんはにやっと笑った。正直言ってその笑顔は極悪犯罪者と大差なかったし、押しかけてからの小一時間で住居侵入脅迫その他、あれこれ違法行為の積み重ねの末の笑みと思うとたぶんそんなに的外れでもなかっただろう。
「ようこそ、公安へ。歓迎するぞ、協力者さん?」
そう言って降谷くんは私の手を掴んだ。力強いその手は正真正銘男の人のものだった。高校生の頃はそれなりに可愛かったのに。……いや、あの頃からちょっと強引だったかもしれない。
そんなことがあったのが今から三年前のこと。
「……はい、頼まれてたやつ。一応パスワードも解析できたけどちょっと色々履歴とか誤魔化すのに手間取りそう。そっちはちょっと時間貰わないと無理」
「いや、期待以上だ。相変わらず大した腕だな、アイリーンさん?」
「ほんっとその呼び方やめてよ。……若かったの。あと馬鹿だったの」
「馬鹿は今もだろ」
「降谷くんそうやってすぐ意地悪言うんだから。データあげないよ?」
「それなら善意の市民として通報するさ。ここにかの伝説的ハッカー、自称アイリーン・アドラーが潜伏している、と」
「絶対それ公安からサイバー班とかにチクるやつだ。善意とかないし」
「まあ馬鹿でも自称が痛々しくてもお前の技術は本物だよ。だからカマかけられても堂々としてろ」
「堂々とかあ」
米花町のあるマンションの一室は降谷くんのセーフハウス兼私の当面の住居である。喫茶ポアロの看板店員にして私立探偵の安室さんがこっそり付き合ってる彼女の部屋でたまに泊まっていく、という設定だ。こっそり、まで設定に含まれているのは異様に察しの良いちびっ子探偵と、これまた別の意味で目ざとい女子高生対策だ。特にあのコナンくんという小学生は怖い。見た目は本当に可愛い男の子なのに、その可愛い笑顔のまんま「お姉さんってパソコンとか詳しい?」「もしかしてだけどハリウッドのスパイみたいにハッキングできちゃったりして!」なんて言ってくるので泣きたくなる。その度に怒られる。堂々としてろ、証拠はない、と。でもあの子なら証拠を掴まれそうで時々、いやよく怖くなる。
「あの子は確かに平成のホームズさ。でもシャーロック・ホームズにアイリーン・アドラーが負ける訳ないだろ」
「でも捕まっちゃったんだよねえ。悪いおまわりさんに」
降谷くんは、いや多分今は安室さんは私を背後から抱きかかえるように腰をおろし、肩に顎を乗せてきた。床にクッションを敷いてローテーブルのパソコンを前に座っての作業はすぐごろごろできるし楽だけど、家に表向き彼氏のこの人がいるときにこうやってちょっかいをかけてられるのが難点だ。最近、というかこの家に越してきた頃、私立探偵安室透が眠りの小五郎に弟子入りした頃からこの手のスキンシップが激しくなってきた。非常に、非常に邪魔だ。
「外だけで十分じゃん。安室さんの恋人役はちゃんとできてるし」
「ほら、やっぱりコナンくんに疑われるのはリアリティが薄いからじゃないですか?だからこうして家の中でも……ね?」
「その安室さんモード胡散臭い」
「モードも何もお前は安室透の彼女だろ」
「そうだけどさあ、家の中でくらいいいじゃん、外ではちゃんとリアリティのある彼女するから」
安室透の彼女はデザイナー、在宅での仕事が多いが締切間近となると生活を削って仕事に充てているので心配になった優しい安室さんがよく様子を見に行っていた、それが交際に発展し――というのが現在の私の設定である。少し前に経歴も多少どころか綺麗さっぱりチェンジを食らい、読みは大きく変えていないけど漢字の違う偽名とそれに伴う身分証一式てんこ盛りを支給された。新卒後に入った会社を辞めた後は一念発起してデザインの勉強をし、去年デザイナーとして独り立ちしたばかりということになっている。ポアロによく行くのも食生活を心配した彼氏さんからの提案である。表向きも事実上も実際気分転換になるし、降谷くんを知っているだけに安室透モードの爽やかイケメン店員さんの姿はなかなか愉快でもあった。
私の肩越しに一緒に画面を画面を見ていた降谷くんが額を私の頬にすりすりとしてくる。短い髪の毛が首筋に当たってくすぐったい。
「……家の中でくらいいいだろ、俺の彼女でいても」
――最近彼はよくこんなことを言う。安室透の彼女じゃなくて降谷零の彼女になって、と。褐色の逞しい腕が私の腹部に回り、ぎゅうと抱きしめる。ぐえっと声が出た。我ながら色気のない声。別にここで色気を出す必要性を感じないからいいけれど。その腕を外しながらいつものように答えてやる。
「はいはい、そういうのには騙されないよ。ホストか黒服の色恋営業的な?降谷くんマジ才能あるよ、キャバの黒服やってみれば?」
「俺は本気で言ってるんだ」
「だって私がオチれば超安心だもんねえ。でも大丈夫、ちゃんと心は入れ替えたし、ハッキングも頼まれたとこと食品会社に痕跡残さずこっそりしかしてないし!」
「食品会社ってお前」
「新商品は気になるじゃん……。流出はもちろんさせてないし痕跡もナシ。腕落とさないためだから見逃して?」
「見逃してやるから少しは俺を信じろ」
「少しはって……普通に信じてるよ?組織の追っ手が来たら守ってくれる約束も、あれこれのことは公安的配慮でキレイキレイしておいてくれることもさ」
「それだけじゃなくて」
そうやってすりすり甘えるように引っ付いてくる降谷くんは自分が大きくなったことに気づいていないレトリバーの子犬みたいに可愛くて、でも本当のところ飼い主をがっつり定めた猟犬なのだ。警察官になって皆を守るんだ、と得意げに語ってた高校生の彼を思い出す。皆、はいつしかこの国に、彼はこの国の為に名前も過去も未来も全てを捧げるのだろう。この熱が、言葉が愛しいのは事実だけど、でも。
「……やーだよ。私、浮気性の男は絶対イヤだもん」
この熱を素直に受け入れてしまったら、溺れてしまったら。仕事と私どっちが大事なの、なんて、陳腐で答えの分かりきった問いをいつか彼にぶつけてしまいそうで、私は今日も白を切る。そうしろって、彼が言ったみたいに。だって私の気持ちの証拠なんて全世界どこを探してもありやしないのだから。
「……おはようございます、警察です」
そう言っていやむしろお前が凶悪犯だろとしか表現できないような顔で警察手帳をカメラに向かって見せつけてくる元同級生。ああそういえばあの人警察官志望だったっけと。もはや遙か遠い記憶の中から異様に整った顔と、それから降谷零という個性的な名前を思い出した。このときの彼が三徹目だったと知ったのはしばらく後になってからのこと。
玄関先ではなんだろう、と部屋に上がり込まれ、昨日脱ぎ散らした服をクローゼットに突っ込む暇さえ与えられず、強面の刑事さんに両脇を固められて座らされた。向かいには目の下にひどい隈の金髪褐色の元同級生。計三人の刑事に包囲され、部屋の入り口には四人目が立っている。これでもイケメンはイケメンなのだから生まれ持ったポテンシャルの高さに驚いてしまう。そんな状況ではなかったのだけど。重苦しい空気の中そんなことを考えてしまう私の頭を無理やり回転させ、なんとか口を開く。
「えーっと、降谷くん、だよね。高校が一緒だった」
「サイバー犯罪対策室を騒がすアイリーン・アドラーに覚えていて頂けてたとは光栄だな」
アイリーン・アドラー。かの名探偵ホームズを出し抜いた女性。その名前で私を呼ぶ人間は
「警視庁のコンピュータをハッキングとはやってくれる。だが生憎とお前にその名は重すぎたようだな?」
私のハッカーとしての名前だった。何故バレた。……さすがに酔ったテンションでなんとなく、ではボロがあったのだろうか。降谷くんの指が軽くテーブルを叩いた。それだけでもう私のなけなしの度胸は吹っ飛んだ。
「……ご、ごめんなさい……」
「ごめんで済むなら警察はいらない」
「はいその通りです、でもごめんなさい、出来心でした」
「……一応は言い訳でも何でも聞こうか」
遊び半分だった、と言ったら不謹慎だろう。でも本当にそうなのだからそれ以外に何も言いようはない。遊び半分、スリルを楽しむうちに結果的にこうなった。自業自得の見本市である。
――最初のハッキングは当時勤めていた会社の上司のパソコンだった。その人は既婚者であるにも関わらずその事実を伏せて女の子と関係を持ち、「誘ったのはお前だ、俺は独身だなんて一言も言ってない」とぬけぬけと言い放つクズだった。その上この事実をばらされたくなければ関係を続けるよう強要する真正のクズだった。遊び半分でハッカーやってた私がいうのもなんだけど別の意味で救いようがないドクズであった。同期の子から相談を受け、懲らしめる意味も込めてちょっとした悪戯をした。私物のパソコンに携帯電話、ついでに自宅のパソコンの全ての初期化である。バックアップデータで復元するたびに消した。接続すれば外付けドライブの方にも侵入できるのでそちらもついでに。乗っ取ったウェブカメラ越しに見た奴の必死の形相は大変見物だった。連絡先から割り出した被害女性たちにもその必死の動画は送って差し上げた。そしてトドメに女の子たちに立場を利用し騙し無体をはたらいていた証拠を会社と自宅に匿名でどっさり送りつけた。程なくそいつはクビ、しばらく携帯電話を乗っ取って監視していたけどもう脅迫材料は残っていなかったようで女の子たちに何かする訳もなく。そしてそいつの話はここでおしまい、である。
「そこでこう、味をしめまして……個人のは楽勝だったから企業のってどうなのかなーって思ったら意外といけちゃって、調子に乗りました」
「この会社のサーバーに侵入したのは?アイリーン・アドラー最初の事件だが」
「ちょっとした腕試し的な……?おふざけで名前残したけど情報は流出させてない」
「この製菓会社への侵入は……」
「冬季限定アイスの情報を知りたかった」
「……馬鹿か」
いや馬鹿だったな、と断定された。実際その通りである。その馬鹿の報いとして私は逮捕されて報道されるのだろう。遊び半分で犯罪に手を染めた馬鹿な女、あとあのその場の勢いで決めた名前と一緒に。恥ずかしいにもほどがあある。犯罪プラス、黒歴史ネーム全国放送とは。
「お前は勉強は出来たし洞察力も優れていた……のになんでそう考えなしなんだ」
「ごめんなさい……ちゃんと話すから取調室ではカツ丼食べさせて」
「いいことを教えてやろう、原則取調室での食事は禁止、おまけに留置所で支給される弁当以外の食事は基本自腹だ」
「えー、そうなんだ。夢壊れた」
「どんな夢だ……。まあ一応は同級生の誼だ、選択肢をやる」
降谷くんは指を一本立てた。
「このまま逮捕されて留置所まで楽しくドライブ。拘置所に送られる前にカツ丼くらいは奢ってやる。憧れのカツ丼コースだ」
「別に憧れてはないけど」
「――ふたつめ」
指が二本。綺麗な長い指だなあ、なんて場違いなことを一瞬考えた。
「心を入れ替えるなら見逃してやってもいい」
「……え?」
思わず両脇の刑事さんを見る。いや、同級生の誼で見逃すくらいなら初めからこんな人をぞろぞろ連れては来ないはず。一応確認したけど見覚えはない。……待て待て。
「……一応確認だけど降谷くん本当に刑事さんなんだよね?」
「さっき警察手帳も見ただろう。正真正銘刑事だ」
「いや……見逃すとかいいの?私一応犯罪者だよ?」
「一応どころではなく完全に犯罪者だな。自白も取れた」
「……え!もしかして証拠」
「なかったな。そこはお前の技術が完璧だった。……ま、似た手口の犯行を調べるとどうもお前の名前が関係者として挙がってきてな。確証には至らなかったがこんなふざけたことする性格と技術を併せ持ったやつがそう何人もいてたまるか」
「な……」
降谷くんはジャケットの内ポケットからレコーダーを出した。これまでのことはばっちり録音されていたという訳だ。私にじっくりレコーダーを見せつけてからしまい直し、にやりと笑った。
「アイリーン・アドラーを名乗るなら話術も必要だった、というわけだ」
「汚い……ほんと汚い」
「ハッカーに言われるとは心外だな」
「っていうか違法!違法だよ!おまわりさん!」
「呼んだか?」
「あーそうだった、世も末だわ」
「生憎と違法作業はこちらの得意技だ」
「違法作業……?」
警察と一口に言っても色々とある。生活安全部、刑事部、交通部……。原則的に警察というのは事件が起きてから動く。だが事件が起きる前、それを未然に防ぐことを目的とする部署がある。その部署はその性質上、警察でありながら違法行為すらも行動の選択肢に入れる必要がある。その部署とは――。
「……公安部。今までのならただの愉快犯だけど、警視庁がハッキングされたから動いた」
「さすがだな。考えなしのふざけた奴だが本気になれば頭だけはキレる。ただやったことは本物の馬鹿だな」
「ねえそれ褒めてるの貶してるのどっちなの」
「両方。……で?俺の所属が分かったなら二つ目の選択肢の意味も分かるだろ?」
公安刑事。「見逃してやる」の意味。……そういえばこの前までやってた深夜ドラマ、公安刑事と情報屋のバディ刑事もののコメディだったっけ。公安刑事役の役者さんがちょっと渋いオジ様で、情報屋のことを確か――。
「……捜査協力しろってこと?」
「ああ。もちろん……」
「断れば留置所まで楽しくドライブ、塀の外では黒歴史大公開、か」
「そっちがいいか?留置所の近くの定食屋のカツ丼はなかなか美味いぞ」
「別にそこまでカツ丼食べたくないし。……分かった、協力する」
「あっさり頷くんだな」
「早朝から叩き起こしてカマかけて録音しといてよく言うよ。……いや、まあ遊び半分の行為で迷惑かけたし」
元々選択肢なんてないに等しい。でも降谷くんは一応の選択肢はくれた。こっ恥ずかしいハンドルネーム大公開はされてもきちんと罪を償うか、それとも別の形で償うか。私が頷くと降谷くんはにやっと笑った。正直言ってその笑顔は極悪犯罪者と大差なかったし、押しかけてからの小一時間で住居侵入脅迫その他、あれこれ違法行為の積み重ねの末の笑みと思うとたぶんそんなに的外れでもなかっただろう。
「ようこそ、公安へ。歓迎するぞ、協力者さん?」
そう言って降谷くんは私の手を掴んだ。力強いその手は正真正銘男の人のものだった。高校生の頃はそれなりに可愛かったのに。……いや、あの頃からちょっと強引だったかもしれない。
そんなことがあったのが今から三年前のこと。
「……はい、頼まれてたやつ。一応パスワードも解析できたけどちょっと色々履歴とか誤魔化すのに手間取りそう。そっちはちょっと時間貰わないと無理」
「いや、期待以上だ。相変わらず大した腕だな、アイリーンさん?」
「ほんっとその呼び方やめてよ。……若かったの。あと馬鹿だったの」
「馬鹿は今もだろ」
「降谷くんそうやってすぐ意地悪言うんだから。データあげないよ?」
「それなら善意の市民として通報するさ。ここにかの伝説的ハッカー、自称アイリーン・アドラーが潜伏している、と」
「絶対それ公安からサイバー班とかにチクるやつだ。善意とかないし」
「まあ馬鹿でも自称が痛々しくてもお前の技術は本物だよ。だからカマかけられても堂々としてろ」
「堂々とかあ」
米花町のあるマンションの一室は降谷くんのセーフハウス兼私の当面の住居である。喫茶ポアロの看板店員にして私立探偵の安室さんがこっそり付き合ってる彼女の部屋でたまに泊まっていく、という設定だ。こっそり、まで設定に含まれているのは異様に察しの良いちびっ子探偵と、これまた別の意味で目ざとい女子高生対策だ。特にあのコナンくんという小学生は怖い。見た目は本当に可愛い男の子なのに、その可愛い笑顔のまんま「お姉さんってパソコンとか詳しい?」「もしかしてだけどハリウッドのスパイみたいにハッキングできちゃったりして!」なんて言ってくるので泣きたくなる。その度に怒られる。堂々としてろ、証拠はない、と。でもあの子なら証拠を掴まれそうで時々、いやよく怖くなる。
「あの子は確かに平成のホームズさ。でもシャーロック・ホームズにアイリーン・アドラーが負ける訳ないだろ」
「でも捕まっちゃったんだよねえ。悪いおまわりさんに」
降谷くんは、いや多分今は安室さんは私を背後から抱きかかえるように腰をおろし、肩に顎を乗せてきた。床にクッションを敷いてローテーブルのパソコンを前に座っての作業はすぐごろごろできるし楽だけど、家に表向き彼氏のこの人がいるときにこうやってちょっかいをかけてられるのが難点だ。最近、というかこの家に越してきた頃、私立探偵安室透が眠りの小五郎に弟子入りした頃からこの手のスキンシップが激しくなってきた。非常に、非常に邪魔だ。
「外だけで十分じゃん。安室さんの恋人役はちゃんとできてるし」
「ほら、やっぱりコナンくんに疑われるのはリアリティが薄いからじゃないですか?だからこうして家の中でも……ね?」
「その安室さんモード胡散臭い」
「モードも何もお前は安室透の彼女だろ」
「そうだけどさあ、家の中でくらいいいじゃん、外ではちゃんとリアリティのある彼女するから」
安室透の彼女はデザイナー、在宅での仕事が多いが締切間近となると生活を削って仕事に充てているので心配になった優しい安室さんがよく様子を見に行っていた、それが交際に発展し――というのが現在の私の設定である。少し前に経歴も多少どころか綺麗さっぱりチェンジを食らい、読みは大きく変えていないけど漢字の違う偽名とそれに伴う身分証一式てんこ盛りを支給された。新卒後に入った会社を辞めた後は一念発起してデザインの勉強をし、去年デザイナーとして独り立ちしたばかりということになっている。ポアロによく行くのも食生活を心配した彼氏さんからの提案である。表向きも事実上も実際気分転換になるし、降谷くんを知っているだけに安室透モードの爽やかイケメン店員さんの姿はなかなか愉快でもあった。
私の肩越しに一緒に画面を画面を見ていた降谷くんが額を私の頬にすりすりとしてくる。短い髪の毛が首筋に当たってくすぐったい。
「……家の中でくらいいいだろ、俺の彼女でいても」
――最近彼はよくこんなことを言う。安室透の彼女じゃなくて降谷零の彼女になって、と。褐色の逞しい腕が私の腹部に回り、ぎゅうと抱きしめる。ぐえっと声が出た。我ながら色気のない声。別にここで色気を出す必要性を感じないからいいけれど。その腕を外しながらいつものように答えてやる。
「はいはい、そういうのには騙されないよ。ホストか黒服の色恋営業的な?降谷くんマジ才能あるよ、キャバの黒服やってみれば?」
「俺は本気で言ってるんだ」
「だって私がオチれば超安心だもんねえ。でも大丈夫、ちゃんと心は入れ替えたし、ハッキングも頼まれたとこと食品会社に痕跡残さずこっそりしかしてないし!」
「食品会社ってお前」
「新商品は気になるじゃん……。流出はもちろんさせてないし痕跡もナシ。腕落とさないためだから見逃して?」
「見逃してやるから少しは俺を信じろ」
「少しはって……普通に信じてるよ?組織の追っ手が来たら守ってくれる約束も、あれこれのことは公安的配慮でキレイキレイしておいてくれることもさ」
「それだけじゃなくて」
そうやってすりすり甘えるように引っ付いてくる降谷くんは自分が大きくなったことに気づいていないレトリバーの子犬みたいに可愛くて、でも本当のところ飼い主をがっつり定めた猟犬なのだ。警察官になって皆を守るんだ、と得意げに語ってた高校生の彼を思い出す。皆、はいつしかこの国に、彼はこの国の為に名前も過去も未来も全てを捧げるのだろう。この熱が、言葉が愛しいのは事実だけど、でも。
「……やーだよ。私、浮気性の男は絶対イヤだもん」
この熱を素直に受け入れてしまったら、溺れてしまったら。仕事と私どっちが大事なの、なんて、陳腐で答えの分かりきった問いをいつか彼にぶつけてしまいそうで、私は今日も白を切る。そうしろって、彼が言ったみたいに。だって私の気持ちの証拠なんて全世界どこを探してもありやしないのだから。
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