胃袋と心を満たして

異世界に生まれ変わったと自覚したのは3歳の頃だった。いきなり思い出した過去世は懐かしく、何よりも豊かだった食事のことを恋しく思った。この世界の食事は全く発展していないからだ。薄いスープに固いパン、果実が少しと塩辛い肉。それが定番で、全く味気ない。
この世界の俺の祖父は食堂を営んでいるから少しだけ良いものを食べさせてくれることもある。だが、全くあの世界の味には及ばない。こうなったら自分で作るしかない。そう思い立った俺は祖父に弟子入りをしながら、新しい料理(といっても、過去世で食べたものの真似だが)を作るようになっていった。最初は驚かれたが、祖父は受け入れてくれた。俺は伸び伸びと料理をしながら育った。
今ではもうシチューや柔らかいパン、ステーキなんかも食べれるようになっていた。もちろん、ジャムもある。これだけでも充分に嬉しい。更に懐かしい味を再現するために俺は頑張っていた。時には、王宮から専属料理人になるように誘いもあったが、それは断った。俺はこの食堂が大好きだからだ。だけど、知識を独り占めする気はない。だから、王宮にもレシピはちゃんと渡している。それでどうにか問題はなかった。
祖父が亡くなり、俺は食堂を継いだ。俺の料理は最初こそ驚かれたが、今は人気で、多くの人が食堂へやってくる。俺は馴染みの客と喋りながら料理をするのが楽しかった。もちろん、新しい客にも声はかける。誰が馴染みになるかなんて分からないからだ。
その中でも特に仲のいい客がいる。もう10年以上の付き合いだ。幼馴染ともいえるかもしれない。その男は名をライと言う。ライは俺の新しい料理を必ずいつも最初に食べる。それを特権だとでもいうように、お決まりになっていた。ライはいつも俺の料理を食べて幸せそうな顔をする。満ち足りたような、嬉しそうな顔だ。反応が分かりやすくて助かる。不味いものを作って出すことはないが、好みはあると思うのだが、ライは、お前の料理は何でも美味いと言う。俺は少し照れてしまうが、嬉しかった。ライは毎日のように俺の店にやってくる。彼女とかいないのかと前に聞いたら、愚痴が長くなったので今はもう聞かない。俺たちの関係は変わらない。気のいい友達、良い客と店主。これからもしっかり料理と向き合って、ライにも他の客にもいいものを食べて貰いたい。
そんなある日、ライが珍しく店に来ない日が続いた。俺は心配したが杞憂だったらしい。数日後、彼女であろう女の人を連れてライが店にやってきたからだ。少し寂しい思いもあったが、俺は二人を歓迎した。サービスの前菜もつけて、酒も一杯無料にした。ライは笑っていた。彼女の方も俺の料理を楽しんでくれたみたいだ。ライと彼女はたっぷり食事をとって帰っていった。
お似合いだな。女っ気のない俺とはやっぱり違う。あいつはいい男だから結婚もするんだろうな。そう思うと、なんだか胸が痛んだ。何故かなんてよく分からない。ただ、あいつが俺以外の人の料理を美味しそうに食べる姿を想像すると、少し悲しくなったのだ。俺は落ち込む気持ちを振り払い、目の前の料理と客に集中した。忘れてしまえばいい。忘れられる。こんな寂しい気持ちは。



ライと彼女の来訪から数日が経った。今日は店は休みだ。それも料理の研究のためなので、仕事といえば仕事になるのかもしれないが。俺は市場で色々な食材を仕入れる。最近は、デザートにも力を入れたいところだった。完全なる趣味だが。甘いものは結構好きなのだ。果実や小麦粉、牛乳やバターに似たものなどを手に入れて、俺はホクホクだった。店へと帰る途中に声をかけられた。それは馴染み客の一人だった。俺は振り向き、話をする。
「ロアさん、それで料理作るんすか?」
「ああ、作るよ」
「今から?」
期待のこもった目で見られると少し弱かった。こいつは調子のいい男で、憎めない奴なのだ。
「まあ、だが試作だから、店で出すのとは違うぞ」
「食べたいっす!ダメ?ちゃんと、金払うんで!」
「……仕方ないな。金はいいよ。代わりに荷物持ち頼めるか?」
「お安い御用っす!」
俺は荷物をそいつに預けて、もう少しだけ市場を見回った。さすがに甘いものだけでは、こいつの腹は満たされないだろう。そいつは何かと話しかけてきて、うるさいけれど、寂しい心が少し穏やかになったから、ありがたかった。

店に着いて、早速、準備を始めた。今日はアップルパイと、新しい味のパスタを作るつもりだ。パイ生地から作るのは、手間はかかるが、それだけ楽しい。パスタの麺は数年前から流通しているので、少し楽になった。俺の布教の甲斐があった。まあ、パスタも好みがあるので、一から作るのもいいのだが、今日はとりあえず試作だからいいだろう。こういう市販品を使うのも俺は好きだった。キラキラとした目でそいつは俺の手元を見ていた。見られるのは慣れているので気にしない。俺は手際良くりんごを切り、鍋で煮た。それから小麦粉やバターなどを混ぜ、こねて、折り込みを繰り返し、生地を作った。りんごの煮える香りが心地よい。煮たりんごとを冷ましている間に、生地も冷蔵庫に入れておく。魔法を使用した冷蔵庫は申し分ない出来だ。これも、昔はなかったものだった。これが出来たことで料理の幅が広がったものだ。もちろんオーブンもそうだ。これがなければアップルパイなど作れない。涎を垂らしそうな男が俺は可哀想に思えて、とりあえず昨日の残りのパンをフライパンに入れ、チーズとベーコンを乗せて焼き、皿に盛って出してやった。嬉しそうにそいつはチーズを口から伸ばしていた。それにライの姿がよぎって少し落ち込んだ。女々しいなと思う。
アップルパイは前から作りたかった。ただ、りんごが中々手に入らなかったのだ。最近になり他国から流れてきたそれを見かけるようになり、俺は歓喜した。それからずっと作る機会を待っていた。俺はとりあえず、アップルパイを焼きながらパスタを作ることにした。冷蔵庫から取り出した生地を伸ばして型に敷いた。あとはもうフォークで穴を開けて、りんごを並べて、網目上に生地を乗せればあの型だ。パンを食べ終えたそいつは興味津々といった感じでアップルパイを見ていた。
「焼けるまで、まだまだかかるぞ」
「はーい!楽しみにしてます!」
俺は元気な返事に笑って、パイに卵液を塗り、オーブンに入れた。
それから、新しいパスタに取り掛かる。今回試作するパスタはシンプルで美味いペペロンチーノ風だ。パスタを茹でている間に、これまた新しくこの国に入ってきた、ニンニクに似た食材とベーコンを刻む。それから唐辛子も用意する。俺は手早くニンニクを炒めて、ベーコンを投入し、唐辛子も入れた。いい感じになったら、茹で汁を足して、茹で上がったパスタを投入して、混ぜる。俺は出来上がったペペロンチーノ風のパスタを皿に盛った。待ってました!とばかりにそいつはパスタを食べ始めた。
そういえば、試作をライ以外のやつに食べさせるのは初めてかもな。祖父を除いてだが。
うまいっす!辛み効いてて香ばしくて最高!とか言いながらそいつは大盛りのパスタを平らげていく。その食べっぷりは正直気持ちよかった。段々とアップルパイの焼けるいい匂いがしてくる。ニンニクの匂いはもう消えつつあった。
「いい匂いっすねー」
「だろう?」
俺は嬉しかった。素朴なアップルパイは思い出の味だったからだ。前の世界での忘れられない幸せな記憶のひとつだ。パイが焼けるまでの間、俺はそいつと色々な話をした。焼き上がったパイを軽く冷ましてから、切り分けてやる。そいつは本当に嬉しそうだった。一口食べて、そいつは唸った。
「っ〜〜なんすかこれ!めっちゃうまい!」
「そうか、それはよかった」
「絶対また食べたいっす!店で出してください!」
「考えておくよ」
そいつはあっという間に一切れを食べ終えてしまった。俺は寂しそうにする姿に昔の自分を重ねながら、もう一切れ置いてやった。そいつはお礼を言って、すっかり二切れのアップルパイを腹におさめた。よく食べるなと思う。嬉しい限りだが。ライのことを少し思う。まあ、別に約束をしたわけじゃないし、試作を他のやつに食べさせてもいいよな。俺は言い訳のように内心で呟いて片付けに取り掛かった。
店を出ていくそいつに手を振る。まったく忙しい休日だった。けれど、充実感はあった。俺ももっと交友関係を広げるべきかもな。そう思いつつ、俺は店の扉を閉めた。



食堂は今日も賑わっている。そこに一人でライがやってきた。暗い顔をしていて、何処か不機嫌そうにも見える。これは、良くないことがあったなと思う。俺は静かにサービスの酒を出した。俺の目の前のカウンター席に座るライが口を開く。
「なあ、店閉めたあと、話があるんだ、聞いてくれるか?」
「いいぞ、待っててくれるなら」
「ああ……」
それからはあまり話も弾まずに、俺は料理をして、他の客と話しながら過ごした。ライがそんな俺の姿をじっと見ていることも知らずに。

店を閉めて、広い食堂内は、俺とライの二人だけになった。さて、話を聞くかと振り向いた時、思ったより近くにライが居たから驚いた。ライはじっと俺を見ていた。いったいどんな話をされるのかと待ったが、なかなか口を開かない。俺は焦れて、自分から話しかけた。
「どうした、彼女となにかあったのか?」
「ああ、別れた」
「……そうか、それは残念だったな」
「いや、別に……それよりも、あいつに試作食べさせたのか?」
すぐに思い至った相手に、俺は頷いた。なんだろう、彼女のことを話したかったのではないのだろうか?ライの意図が読めない。ライは舌打ちをした。俺はびくりと肩を揺らす。
「なんであいつなんだ?」
肩を掴まれて目を覗き込まれる。その表情は固い。俺は少し怖くなった。それでも答える。
「特に理由はない。荷物持ってくれたから、お礼というか」
「本当にそれだけか?」
何を疑っているのだろうか?そんな深い意味などないのに。
「それだけだ。なんだ、何か気にさわったか?」
「ああ、気にさわる」
ライの顔が近づく。茶色い瞳が近い。俺はぎゅっと目を瞑った。頬にライの手が滑る。
「お前の試作を食べるのは俺だけだと思ってた。俺が最初だって」
俺は恐る恐る目を開けた。ライはがしがしと頭をかいて、苛立つように言った。
「それが違うって分かってすごく動揺した。お前の特別が俺だけじゃないって思ったらすごく嫌な気分になった」
俺はその言葉に、罪悪感を覚えた。ごめん、と言うと、お前は悪くない、俺が悪い、とライは言った。ライはまた俺の頬に触れた。少しくすぐったい。
「それからすぐに彼女と別れた。自分の気持ちに気付いたから」
俺はどきりとした。それはいったいどういう意味だろう?
「お前の料理とお前が特別なんだ、お前以外の作ったものじゃ満足できないし、お前が他のやつに関心向けるのは耐えられない」
それはもう告白のようだった。俺は動揺した。自分の中にある気持ちと同じものを向けられていると感じたから。
「ライ……」
「あーもう、かっこ悪いな俺……」
「そんなことないぞ」
そう返すとライはやっと笑った。それから俺に返事を求めた。
「お前はどう思ってる?俺のこと」
「俺は……お前が他の人の料理を食べて、幸せにしてる姿、想像したら嫌だった。お前が結婚するなら、祝福しないといけないと思ったけど、それも辛かった」
ライは目を見開いた。それからふわりと笑った。
「なんだ、同じ気持ちかよ」
ライは俺を抱きしめてきた。こんな触れ合いはいつぶりだろうか。俺は心臓が鳴るのを感じていた。ライの心臓も強く鳴っている。
「好きだ、ロア。バカな俺を笑ってくれても殴ってくれてもいいから、他のやつに心を渡すのはやめてくれ」
「ライ……俺も、お前が好き。俺の料理、最初に食べてくれるのは、やっぱりお前がいいよ」
ライの身体が離れる。それから頷いて、俺にキスをした。俺はライの背に手を回した。



「もー、なんなんすかね!いきなり街中で恐ろしい形相で絡んできたと思ったらぶたれるし、本当乱暴っすよ!ライさんは!」
「うるせーな、お前がロアの料理勝手に食べたのがいけないんだ、バカ!」
「横暴!ロアさん、本当にこんな人が恋人でいいんすか?俺の方が……いてっ!」
「殺すぞ、クソガキ!」
「他の客に迷惑だからやめてくれ、二人とも」
俺は二人を眺めながらため息を吐いた。それからアップルパイを、ライの前に出した。今日はアイスとチョコも添えて。ライはそれににこりと笑った。
「お前のと違って、俺のはハートのチョコついてるからな」
「はいはい、もういいっすよー!お邪魔虫は退散しますから!」
「おー、お子様はさっさと帰って寝ろ寝ろ」
あっかんべーをするそいつを笑って見送りながら、俺はライにそっと耳打ちした。今日、仕事終わったら一緒に過ごさないか、と。ライはそれに嬉しそうな顔をした。この顔には弱い。俺はアップルパイを食べるライを見ながら微笑んだ。

店じまいをして、ライと自室で過ごす。背中から抱き込まれながら、レシピのメモを眺めたりしていた。ライはそんな俺の首に吸いついてくる。思わず声が出た。ライはそれに笑って俺の腹を撫でる。レシピどころではなくなってきて、俺は思わずその悪戯な手をつねった。ライはそれでもやめない。俺は呆れて笑った。
「なんだ、レシピに嫉妬でもしてるのか?」
「ああ、そうだな、してる」
恋人になったライは素直だ。見たことのない表情や声に俺はいつもドキドキしてしまう。それでも顔には出さずにどうにか冷静さを保つ。俺はレシピのメモを枕の横に置いて、ライと手を重ねた。ライは首筋に擦り寄ってくる。なんだか可愛い。俺はそっとライの手を解くと、振り向いて、自分からキスをした。これは今日が初めてだ。ライはびっくりしたように目を開けて俺を見た。反則だろ……、と言って、キスを返してくる。それがまた愛しかった。段々と深くなる口付けに息が漏れる。ライは俺をベッドに押し倒して、首を舐めた。ぞくりとした感覚が背を這う。これは、ちょっとまずいかもしれない。俺はライを離そうとしたけれど、手を掴まれて、指先に口付けられた。それから、ライは手首にも口付けてきて、真剣な顔で俺を見た。
「なあ、抱いても、いいか?」
その言葉はどこかで予想していたものだった。健全なふたりで、欲もある。ならば、恋人同士でそういう流れになるのも普通だろう。俺はそっと、ああ、いいよ、と頷いた。ライは泣きそうな顔で笑った。これも見たことのない表情で俺は参ってしまった。

それからあとのことは、もう、よく覚えていない。ただ余裕がなかった。熱と息と汗と色んなものが混ざり合っていたのだけは覚えている。それから珍しく昔の夢を見たのも。ライと出会った頃の夢。あの頃からずっとライは俺の一番のお客だった。俺の料理はライと共にあった。それがどんなに嬉しいことか、ライは知っているだろうか。
俺は身体を起こして、ライの頬に口付けた。今日は臨時休業だな。そう決めて、俺はもう少し眠りにつくことに決めた。布団に潜ると、ライの手が背に回る。起きていたのだろうか?
「ライ?」
「あんま可愛いことされると、我慢できなくなるだろ?」
そう言って、ライは俺にキスをした。俺は多分赤くなっている。ライは俺の髪をかき混ぜた。どうやら、これ以上する気はないらしい。俺は少し安心した。気持ちよかったと思うけど、慣れてないからまだ少し怖い。自分がおかしくなってしまいそうなのが一番怖かった。静かになったライの背に手を回して俺は目を閉じた。
今度はどんな料理を作ろうか?どんな料理であっても、ライがそばに居てずっと食べてくれるなら、俺は幸せだろうなと思った。
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