悪魔のような天使と天使のような悪魔

彼を初めて見た時、衝撃を受けた。黒い魔界で一人だけ白い天使のような羽根と髪を持った悪魔がいたのだ。白いのは同じだけれど、私とは対照的な、小さな守りたくなる背丈に、ふわりとしたショートヘア、丸い瞳。天使以上に天使だと思った。雷に打たれたように彼に釘付けになった。
そこから私はたびたび彼の前に降りるようになった。彼はいつも私に憎まれ口を叩くけれど、それも楽しかった。けれど、そろそろ先に進みたい。今日もまた彼の前に舞い降りる。

「君はまた一人でいるのですね」
「ほっとけよ、だいたい天使がなんで魔界にいるの?」
彼はじとりと私を睨みつけた。そんな顔も可愛らしい。
「君に会いに」
「は?意味わかんない……」
困惑する彼を見つめ、ある目的のために言葉を続ける。
「……ところで、天使が堕落した者が悪魔になったということは知っていますか?」
「は?天使と悪魔は対立してるのに同じ者だったわけないだろ!」
やはり彼はこの事実を知らなかったらしい。どれだけ箱入りなのやら。彼を可愛がる魔界の王のことを思い出して、苦い気持ちを飲み込む。
「おやおや、魔界の王は君をとても可愛がっているらしいですね、そんなことも知らないとは」
「どういうことだよ!」
叫ぶ彼に私は淡々と言葉を紡ぐ。
「元々、悪魔は天使だったんですよ、神に反逆して地に落ちたのです」
彼は狼狽えて視線を彷徨わせる。
「そんな、こと、だって悪魔は生まれた時から悪魔じゃ……」
「ええ、君の場合はそうでしたね」
そう、彼は悪魔から生まれた生粋の魔の者だ。しかし、彼にも天の息が入っている。
「じゃあ、俺には関係ない話だ!」
無理矢理に突き放す彼が哀れで、私は目を細める。
「関係ない、ですか」
「そうだ、俺は生まれた時から悪魔なんだから!」
それは誇らしいような痛々しいような宣言だった。
「天使の血が流れているというのに?」
私は笑って、彼に核心を告げる。
「っ、それがなんだっていうんだよ!」
「天使として生きることも可能ということです」
「は?」
彼が目を見開く。零れてしまいそうな瞳に吸い込まれるように私は話を続けた。
「神は悪魔をお許しになった」
「……」
彼は考え込むように黙り込んだ。
「それも知りませんでしたか?」
「知らない、許すとか許さないとか俺は俺だし」
彼は強引に自分を納得させようとしているようだった。私は更に畳み掛ける。
「魔界の王は拗ねて戻らずにいるのですよ、新しい悪魔たちを生み出すのに固執して、神に反意を示しているのです」
彼はとうとう苦しそうに小さく呻き声をあげた。そんなことはない、と言い張る彼がいつもよりも小さく見えて私は憐れに思った。
「そんなことのために生まれた君は可哀想ですね」
「可哀想なんかじゃない!俺は愛されてる!ちゃんとここまで育てて貰った!」
彼は泣きそうな声で叫んだ。私は彼を見てきたから知っている。彼は確かに一部の者からは愛されているが、その他大勢からはその見た目から迫害のような扱いを受けている。
「でも、君はひとりぼっちじゃないですか」
「っ……」
彼はとうとうくしゃりと顔を歪めた。ああ、可愛くて可哀想に。
「白い羽根の悪魔の出来損ないと罵られ、籠の中で何も知らされずに生きてきた」
彼は私を睨みつけるが、いつものような力強さはなく、その瞳は揺れていた。
「悪魔だと言いますが君は天使ですよ」
私は少し無理矢理に当初の目的へと話を持っていく。
「そんなことない!俺は、幸せだ!」
彼は叫んだ。その言葉は半分が本当で半分は嘘だと思った。私は彼に手を差し伸べる。
「私と共に天界に来なさい」
「……嫌だと言ったら?」
彼は私の手を取らない。私は分かっていたが、少し落胆した。しかし、目的を諦めることはない。
「連れ去ってしまいましょう」
「な、に……!」
彼に近づいて額に手を翳す。それは彼を眠りに誘う術だった。
「私の天使、可愛い可愛い私の白い子」
「ちが、う、おれ、は」
「今はただ眠りなさい、難しいことは考えずに」
私は眠りに落ちる彼を抱き止めた。歓喜に胸が震える。そのまま、彼を抱き上げ、天界へと飛び去った。



白いベッドの上で眠る彼を眺める。彼は眠っていても愛らしい。私は上機嫌で彼が起きるのを待った。ほどなく彼の目が開かれる。
「起きましたか」
「なに、これ」
「浄化の腕輪ですよ」
そう、彼の手には魔の気を浄化する腕輪を嵌めていた。起きていたら、抵抗されるであろうことは分かっていたから、眠っている間に嵌めたのだ。勝手だと言われても、私は止めることができなかった。
「手錠じゃん!」
「そう見えますか?」
叫ぶ彼の手元で腕輪と鎖が揺れる。
「どう考えてもそれ以外の何ものでもないだろ!」
「本当に浄化の効果はありますよ、君が逃げないためでもありますが」
彼はため息を吐いてベッドに寝転がる。そして少ししてから私の方を見た。
「どうして、あんたは俺を天使にしたいの?」
「分からないのですか?」
「分からないよ、あんたが俺に構う意味なんか」
彼は腕輪を眺めて、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「君のことが気に入っているんですよ、悪魔らしくない君が」
本音を言うと彼は勢いよく起き上がり、私に詰め寄った。
「ムカつく、これ外せよ」
「無理ですね、もう浄化は始まっています」
私の言葉に、彼はイライラした様子で叫ぶ。
「いいよ、天使にされたら堕落してやる!」
その言葉に胸が張り裂けそうになる。冗談でもそれは言わないで欲しかった。
「そんなことを言わないでください、私は君が好きなのですから」
「す……き?」
思ったよりも驚く彼に私も驚き、それから少しして喜びが湧いてくる。
「おや、誰かに言われたことはないのですか?」
「……そんなこと言うやつ、母さん以外いなかったよ」
彼は目を伏せる。私の方を見て欲しくて言葉をかけた。
「君の母君は亡くなっていますね」
「なんで知ってんの?」
首を傾げる彼に私はそっと笑いかける。
「天使はなんでもお見通しです」
「プライバシーの侵害……」
私はその言葉に、彼はやっぱり純粋だと嬉しくなって、側に寄り、囁く。
「やっぱり、君は悪魔らしくない」
その言葉に彼はムスッとした。私はまた笑って、彼を見つめる。彼は暴れずに、またベッドに寝転んだ。



「白い羽根がますます白く輝いてきましたね」
私は彼の羽根に軽く触れて、喜びに微笑む。
「天使になんかなりたくない」
彼はうつ伏せて、呟いた。私は少し悲しくなって、慰めの言葉をかける。
「なぜですか?天界もいいところですよ、少なくとも君を迫害するような輩はいません」
だって、全部忘れてしまいそうで、と彼は弱々しく言った。
「そうですね、母君のことは忘れなくていいのではないですか、魔界の王や他の輩のことは忘れて欲しいところですが」
そう言うと、彼はゆっくり起き上がって、昔のことを話す。
「母さんは優しい人だったんだ、あなたも優しくありなさいって言ってた」
「君の天使らしさはそこから来ているのですね」
彼は泣きそうに見えた。言葉を詰まらせて、それでも、話を続ける。
「っ、でも、王も俺に優しかった」
「君に天使の面影を見ていたのでしょう、彼にも別れた天使の仲間がいたのですから」
これは本当のことだ。私から見て、だが。
「俺はここにいていいのかな」
ぽつりと彼が呟く。私は彼の肩に触れた。
「私の側にいてください、君はもう一人じゃない」
彼は少し顔を押さえてから、手を下ろして笑った。それに胸が鳴る。
「っ、悪魔に惚れるなんて悪趣味」
「君は天使ですよ」
そう、彼はいつも天使のように美しかった。
「もしかして、俺を天使にしたい理由って俺のことが好きだから?」
「そうですね、幻滅しましたか」
本当の言葉が溢れ出す。彼は少し考え込んだあとまた笑った。
「最初からあんたに期待なんかしてなかったよ、だからそこは気にしなくていい」
「それはそれは」
彼は私を見上げてくる。目が合って、思わず視線を逸らす。
「ふふっ、変なの、あんたって変わり者って言われない?」
「これでも大天使の一人なのですがね」
視線を戻し、彼を見つめる。彼は面白くてたまらないといったように笑い転げた。
「尚更、俺みたいな下っ端に手を出しちゃダメな人じゃん!」
「関係ないですよ、種族さえ同じなら」
私は珍しく苛立ちながら告げる。彼はベッドに顔を擦り付けながら呟いた。
「愚かな人、俺よりバカだ」
「そうですか?」
「そうだよ、俺なんかのためにこんなことしちゃうんだから、魔界から睨まれるよ」
彼は私を心配しているのだろうか。それはとても嬉しいことに思えた。
「そんなの怖くもなんともありませんよ、君さえ居てくれるなら」
「そんなに俺のこと好きなの?」
彼が私を見上げてくる。今度は視線を逸らすことなく目を合わせる。
「ええ」
「じゃあ、キスもできる?」
意外な言葉に思わず目を見開く。
「……それは誘っているのですか?」
「純粋に知りたかっただけだよ」
彼は微笑んで、顔を伏せる。
「そういうところは悪魔の出ですね」
思わず憎まれ口が出る。
「幻滅した?」
「初めて君を見た時から君が好きなのですよ、幻滅などしません」
もう何一つ隠す気もなかった。私は彼の隣に座る。
「え、一目惚れってこと?」
彼は起き上がり、私の横に座る。
「はい」
彼を見て私は肯定した。
「天使って一目惚れなんかするんだ」
「暗闇の中で君だけが輝いていました」
「それ、魔界なら当たり前じゃない?」
呆れたような彼に私は必死になる。
「そんなことはありません、今も誰よりも綺麗です」
 ばーか、と彼は呟いて、羽根を動かした。



「もう少しで浄化が終わりますね」
彼は己を抱き込むように羽根を動かす。
「怖いな、なんだか凄く怖い」
「私がついていますよ、ずっと」
「変な人、ふふ、でも、ありがとう」
予想もしていなかった言葉に私は首を傾げる。
「俺、ずっと寂しかったから、あんたに認めてもらえだけで嬉しいんだ」
その言葉につけ込むように私は告げた。
「ならば、堕天するなど冗談でも二度と言わないでください」
「それは約束できないかも」
私は痛む胸を押さえて聞く。
「なぜですか」
「だって、心は弱いものだから」
本当に彼は悪魔だったのだろうか?そう思うほどにその言葉は優しく響いた。
「君は本当に優しい子ですね」
「ねえ、抱きしめてよ」
彼の言葉に思わず固まる。けれどこのチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「……いいんですか?」
「いいよ、ほら」
彼はできる限り手を広げて、羽根をたたみ、私の抱擁を待つ。私はそっと彼を抱きしめた。
「これから、ちゃんと俺のこと見ててよ、そうしないと本当に堕落しちゃうかもしれないから」
「ええ、ずっと見ていますよ」
そう告げると彼は、うん、と小さく頷いた。



「ねえ、天使ってこんなに仕事大変だったの?」
書類の束を私の机に置きながら彼は尋ねる。私はペンを動かしながら、天使の姿の彼を横目に見る。
「まあ、色々あるのですよ、君は何もしないでいいと言った筈ですが」
「そういうわけにはいかないだろ!」
「やっぱり、君は私の天使ですね」
私は嬉しさに微笑んで、彼の頭を撫でる。そうすると彼は私の手を振り解き、強く言い放った。
「いいから、少し休みなよ!あとやっとくから!」
「では、お言葉に甘えて」
私は椅子から立ち上がる。彼が代わりに椅子に座り、私はもう一つ椅子を持ってきて、彼の膝の上にそっと頭を差し込み、寝転んだ。
「わ、何してんの?!」
「膝枕、一度されてみたかったんです」
彼は驚きつつ、軽く怒る。
「もう、集中できないじゃん!」
「ダメですか?」
眉を下げると彼はうっと呻いた。
「あー、もう、いいよ!そこで休んでて!」
「はい」
私は笑って、彼がペンを動かし始めた音を聞く。

しばらくしてから彼を見上げて話しかける。
「好きですよ」
「知ってる」
「好きです」
「だから、知ってるって」
彼は呆れたように言う。私は少し不満だった。
「返してはくれないのですか?」
「仕方ない人だな!……一度しか言わないよ、俺も、好き」
「嬉しいです」
 私は彼の腰に抱きついて笑う。
「ちょっと腰に抱きつくのやめて!静かに寝てて!」
「ふふふ」
思わず笑い声が漏れる。他の者に見られたら卒倒されるかもしれない姿だった。
「本当、どっちが悪魔だったんだか……」
「君ですよ」
「知ってるよ!まったく、もう……」
私は静かに目を閉じる。
「おやすみなさい」
「はい、おやすみ」
彼の膝で少しだけ眠りにつく。それはそれは幸せな時間だった。
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